53話 自分の目的を見失わないようにしましょう
「エルダーが皇帝の座についてまもなく、国の予算の大部分を軍事費に回すために、禁欲政策がとられた。娯楽は排除され、それによってなりたっていた〈フェヌグリーク〉は半ば弾圧のような憂き目に遭い、今のような状態となった。それを、そなたは恨んでいた。違うか?」
再度エリオットさんが語りかけたが、またしても反応はなかった。
否、それにしても、なんてひどい話だ。皇帝エルダーは、暴君どころではない。鬼か悪魔のようではないか。
「……別になんとも思ってなかったんだよ……」
アストラさんが、俯いたままぼそりと呟いた。
「母さんは、いつもいつも俺に恨みを吐いてた。けど、俺にとってはどうでもよかった。あの町での生活は、明るくて楽しくて……っ大事な場所だった! それを、あいつが……っ! すべてを奪っていきやがったんだ!!」
アストラさんが、勢いよく顔を上げた。目の前にいるエリオットさんを、鋭く睨みつける。
「いっそ、お前らも一緒に潰れてくれたらいいとさえ思ったよ! そうすりゃ、俺だけでなく母さんの恨みも晴らせるからな! あの頃の町を取り戻すためなら、なにがどうなったって知ったことか!!」
アストラさんの悲鳴のような主張が、辺りに響く。
地面を見つめ、誰か特定の人に対して言ったわけではないその姿が、とても痛々しくて、悲しかった。
「ばかじゃねーの」
この、悲哀に満ちた空気をぶち壊す一言。カイルさんが言い放った言葉だった。
「お前も結局、エルダーと同じじゃねーか」
「クソが……! 知ったような口を――」
「俺はお前のこともエルダーのことも、なにも知らねぇし知りたくもねぇ」
カイルさんは、まるで寝起きかのようにあくびをしながら頭をかいて、アストラさんを見下ろした。
「ようは、こうだろ? 目的のためなら、手段は選ばねぇし犠牲も厭わない。誰が死のうが生きようが、どうでもいい。なぁ? エルダーとどこが違うって?」
「……っ」
アストラさんは、カイルさんを睨みつけ、口を開いたがまたすぐに閉じた。そして、肩を落とした。
気づいたのだろうか。自分がした行為の、虚しさに。否、ずっと前から、心のどこかではそう思っていたのではないだろうか。
たまらず、カイルさんの肩から飛び下りて、アストラさんに近づいた。
「あの、どうして否定しなかったんですか?」
「あぁ?」
「あなたがウェンディさんを殺したのを後悔してるって言ったときです。あれは、そうであってほしいっていう想いから、言っただけだったんですよ。だから、悲しいけどすぐ否定されるだろうなって思ってました」
だが、アストラさんは、「勝手に言ってろ」としか言わなかった。それは、決して否定ではない。
「それがなんだ。お前の言葉なんかに一々耳を貸す気はなかっただけだ」
「じゃあ、それでいいです。改めて聞きます。アストラさん。あなたは……本当に、本気で、ウェンディさんを殺すつもりだったんですか」
聞いた瞬間は、反応はなかった。顔も、乱れた前髪に隠れてよく見えない。
アストラさんは、なにを思い、毒を仕込んだ水を飲もうとするウェンディさんを見ていたのか。なぜそれを止めなかったのか。ウェンディさんではなく、レックスさんが飲んでいたらどうしていたのか。
すべてを教えてくれるとは、思えないけれど。少しでもいいから、真意が知りたい。
「なにを言ってんのか、さっぱり分かんねぇな」
アストラさんが、顔を上げて鼻で笑って言った。
「俺が仕込んだのは眠り薬だ。毒なんかじゃねぇ」
「お前……! この期に及んで――」
「少なくとも俺はそう思ってたんだよ!」
アストラさんは、カイルさんの言葉を遮り、地面に向かって叫んだ。
毒ではなく眠り薬? 「そう思ってた」?
混乱する僕らの中で、能面のような表情をしていたレックスさんが近づいてきて、口を開いた。
「つまりお前は、俺を眠らせて幽閉しようとしてたんだな?」
「お前とウェンディを捕まえて、牢にぶちこむところまでが俺の仕事だった。お前さえ身動きとれなして人質にすれば、ウェンディは言うことを聞かざるをえなくなる……その程度の任務だったはずなんだよ!!」
アストラさんが、地面に額をこすりつけ、口を大きく開いた。嫌な予感がしたので、すぐさま触手を伸ばし、口を閉じるのを阻止した。
その拍子に地面に落ちたなにかが、じわりと地面の土を溶かし、白い煙を上げた。
「お前っ!」
「捕らえろ!」
エリオットさんの命令で、騎士の人が数人がかりでアストラさんを羽交い絞めにした。その様子を見ていた檻の中のリザさんが、取り乱して激しく暴れている。
セーフ! 危うく自殺されるところだった!
「人を散々こき下ろしといて、てめーはそのザマかよ。だせーことしてんじゃねぇよ」
「うるさい……っうるさいうるさい……っ!」
「さっきも言ったがよ、俺はお前のことなんて知りたくもねぇ。けど、一つだけ分かった。なぁ?」
カイルさんが、呆然としているレックスさんを見る。そして再び、アストラさんに視線を戻した。
「ようは、エルダーのクソ野郎を引きずりおろせばいいんだろ? 簡単じゃねぇか」
「簡単……? あいつの異常な警戒心がどれほどか、教えてやろうか? ここ最近は特にそうだ……部下への指示はほとんど、側近に任せてろくに顔を出さねぇ。どれだけ功績を上げた奴でさえも、ちょっと反対意見を言っただけで裏切り者認定して、躊躇いなく処刑する。そういう奴なんだよ!」
「だから、そんなの懐に入れば済む話じゃねぇか」
「じゃあやってみろよ。誰も知らないところで勝手に犬死してろ!」
押さえつけられながら吠えるアストラさんだが、カイルさんは珍しく――と、言っていいのだろうか――挑発には乗らずに、呆れたようすで髪をかき上げてため息をついた。
「そうだな。俺一人でやろうとしたら、そこらで野垂れ死ぬのが関の山だな」
カイルさんは、その場にいる人たちをぐるりと見回した。
「前にも言ったけどよ、ブルーノ……じゃなくて、アストラか。お前からしたら、俺は弱い奴に見えるんだろ? 人を頼りにする俺は」
「そうだ、お前なんか――」
「けど、そういうもんなんだよ。人の手を借りなきゃ生きていけねぇんだ。そういうふうにできてんだよ、人間ってのは。お前もエルダーも、それが分かってなかった……理解したくなかったんだろ?」
カイルさんが一度言葉を切り、ため息をついた。
「だから、うまくいかなかったんだよ」
「……っ」
アストラさんは、唇を噛みしめるだけでなにも言わなかった。
そして、まもなくアストラさんは二人の騎士に抱えられて立たされ、歩くよう促された。直後に目が合うと、彼が自嘲気味に笑った。
「お前が倒したゾンビたち……あれは、黒魔導士の連中の人体実験で死んだ奴らだ。食うもんもろくにない落ちぶれた貧民が、家族を食わせるために体を売った結果だよ。とどめを刺した気分はどうだ?」
「……そうだったんですか。それはよかったです」
返事をすると、アストラさんが怪訝そうな顔をした。
「その人たちが、これでやっと天国に行けたんだとしたら、そのお手伝いができたんならよかったです」
じっと目を見つめてはっきりと言うと、アストラさんは悔しそうに舌打ちをした。
命は一つだ。「生き物」である以上、例外はない。失われてしまえば、蘇るなんて――元どおりになんて、ならない。それを願うのは、ただの傲慢であり、虚しいだけだ。人としての生涯を終えた身である僕には、よく分かる。
「……黒魔導士の連中は、エルダーから北の領地と大きな権限を与えられて、好き勝手に非人道的な研究をしてるような奴らだ。お前らなんかの手には、絶対に負えない」
そう吐き捨てるように言ったが最後、アストラさんは連れていかれ、見えなくなった。
そんな、「絶対に」なんて強調しなくてもいいのに。やってみないと分からないじゃないか。否、やってみてだめだったら終わりだから、成し遂げるしかないんですけどね!
◇◇◇
アストラさんとリザさんが連行されていった後は、妙に静かだった。
エリオットさんは、いつ攻撃を仕掛けてきてもおかしくない黒魔導士部隊に備えるため、見張り役の騎士を残して司令部へと急ぎ戻っていった。戦える人たちは、次の戦闘に備えて武器や装備品の調整をしている。
僕は、なんだか落ち着かなくて、陣営の中をうろうろした後、景色が見渡せる場所に腰を落ち着けた。
「……ふぅ」
一息ついて、ぼんやり考える。
アストラさんの話が全部事実とすれば、彼はレックスさんの水に仕込んだのは眠り薬だと思い込んでいたようだ。それが、いつの段階かは分からないが、毒にすり替わっていた。
誰が一体そんなことを?
否、考えるまでもない。その命令をした張本人だ。
たとえ身柄を確保できたとしても、国を守護する「聖女」の強力な力は、敵国にとってはどうあっても邪魔なのだろう。だから、排除するためには殺すしかなかった。
それを、スパイだったとはいえ長年仲間として共に活動してきた人にさせるなんて、無慈悲にも程がある。
「ウェンディさん……」
名前を呟きながら、彼女の笑顔を思い出す。
ウェンディさんがもしこの事実を知ったら、きっと心を痛めるだろうなぁ。
「来るかもね」
「へっ」
目を閉じて考えこんでいると、いつの間にか隣にティムさんがいた。
「来るって……なにがですか?」
「黒魔導士の部隊に決まってるだろ。ゾンビたちをけしかけたのは、こっちの遠距離攻撃要員を消耗させるため。つまり、黒魔導士連中への対抗手段を削るのが目的だった……って考えるのが自然だよ。ブルーノとリザは捨て駒だったってわけだね」
「……お二人は、それを知ってたんでしょうか」
「知ってたんじゃない? あいつ、言ってただろ。『駒はいくらでもある』って」
「駒……」
やはり、どうしても分からない。
「アストラさんは、どうして最後まで帝国側でいつづけたんでしょうか。〈フェヌグリーク〉を昔のきれいな町に戻すのが目的だったなら、僕らと協力して打倒帝国を掲げてもよかったのに」
「無理だろうね。今の国王は割と事なかれ主義なところがあるから。今回だって、あっちが戦闘を仕掛けてきたから応戦してるってだけだし。実際、騎士団が帝国に向けて進軍してるって情報は入ってこないだろ?」
「確かに……」
「国を動かすのは容易じゃない。味方のふりして内部事情を探って、隙をついた方がずっと手っ取り早いよ」
「……むう」
ティムさんの冷静な分析には、納得せざるをえなかった。
ようするに、そうやってアストラさんは、味方を得る術を失くし、今日まできてしまったのか。一人――否、一人と一匹で戦い続け、結果思い通りにならなかった彼らの今の胸中は、どんなものなのだろうか。
「お二人はこれからどうなるんでしょうか」
「……普通に処刑されるはずだよ。国家転覆を企てるのは、第一級犯罪にあたるから」
「普通にって、そんな……」
「それだけのことをしたんだよ。あいつらだって、ある程度は――」
そこで、突然ティムさんが言葉を切った。彼は、遠くのある一点を見つめたまま固まっている。
次の瞬間、ティムさんは僕をつかんでその場に伏せた。
なにも分からなかった。ただ、目の前――真上を、黒い巨大な波が押し寄せてきたのが見えただけだった。




