52話 人の言うことは鵜呑みにせず冷静に判断しましょう
ブルーノさんとリザさんは、捕虜用の粗末な、しかし頑丈な檻に入れられたらしい。その事実を知らせようと、伝令係が騎士団司令部のもとへと出発したと聞いた。
二人の身柄は、まもなく〈カレンデュラ監獄〉にでも移送されるのだろう。
「……あ」
遠くの景色をぼんやりと見つめる人の背中を見つけ、カイルさんの肩の上に乗りながら、それを触手で指した。
カイルさんもそれに気づき、近づいていく。
「レックス」
「……おう。なんか用か?」
「いや。マリネがどうしても話したいっつうからよ」
その背中の主――レックスさんは、前を向いたままでこちらを見ようとしない。カイルさんに、そんな彼の隣に移動してもらい、僕らも同じように景色を眺めた。
陣を構えた高台からの景色は、圧巻だった。戦闘の痛々しい傷跡があちこちになければ、文句なしだったのだが。
「体の方はもういいのか?」
「はい。おかげさまで。実は……ちょっと、思い出したことがあって」
ちらりと横目でレックスさんを見ると、不思議そうに眉を寄せてこちらを見ていた。
「あなたと初めて会ったときなんですけど。人の言葉を喋れる僕を見て、言ってましたよね。『会ったのはこれで二人目だ』って」
「……よく覚えてるな」
「覚えてますよ。だって、他にも僕みたいに喋れる魔物がいるって知って、嬉しかったので」
横を向くと、レックスさんは前を向いた状態で目を閉じていた。
「最初の一人目っていうのは……リザさんですよね? つまり、少なくともその時点であなたは、リザさんが魔物――自分たちを騙してるって、知ってたんですね?」
「は!?」
「…………」
レックスさんは、目を閉じたまましばらく黙りこんだ。
一度聞いておきたいとは思ったけれど、なにがなんでも聞きたいわけではない。レックスさんの気持ちを尊重するべきなので、ここは一旦離れようとカイルさんに耳打ちしようとした。
「黙っててくれ、って言われてたんだよ」
「えっ?」
声をかけられ、横を向く。レックスさんは相変わらず前を向いたままだった。
「初めて会ったときから、違和感はあったんだ。二人きりになったときに問い詰めれば……縄張り争いに負けて追い出されて、行くあてがなかったところをブルーノに救われたと言ってた」
「……そうだったんですか」
「俺は……それを信じた。いや、今でもだ」
レックスさんは、少しだけ背中を反らして目線を上げ、ため息をついた。
「人には人の事情がある。だが、どんな事情があったとしても、仲間になれない理由にはならん。そう思って、快く受け入れたんだが……間違いだったってことか」
「ちげーよ。間違ってたのは、ブルーノとリザが『お前を騙してた』ってとこだろ。お前はなにも間違ってなんかねぇ」
「僕もそう思います」
それまでほぼ黙って聞いてくれていたカイルさんが力強く言うと、僕も頷いて同意した。レックスさんは、小さな声で「そうか」とだけ言った。
哀愁漂うその姿を見ていると、たちまち不安になってくる。牢屋に入れられていたときの、もはやなにもかもがどうでもいいと言わんばかりの、自暴自棄なあの状態に戻ったりはしないだろうな。
「カイルとマリネに、レックスも……っここにいたのか」
そこへ、オリヴィアさんが若干息を切らせた状態で駆け寄ってきた。
「どうした?」
「すぐに来てくれ。ほんの少しだが、ブルーノと話をさせてもらえるようになったぞ」
「……! 本当か?」
カイルさんが問うと、オリヴィアさんは神妙な顔で頷いた。
「レックス」
「……ああ。行くか」
カイルさんに呼ばれ、レックスさんは緩慢な動きで踵を返した。
レックスさんの心情は気になるところだが、ブルーノさんとリザさんに話を聞く最後のチャンスかもしれない。〈夜魔の歌声〉で追及したときよりも、もっと深掘りできればいいのだけれど。
◇◇◇
張られた天幕の中へ入ると、場はすでに整えられていた。
エリオットさんをはじめとする騎士団のお偉いさん――胸元の勲章を見れば分かる――数人と、〈カレンデュラ監獄〉で見かけた番人と同じ格好をした人がいて、その真ん中にロープで縛られて正座させられ、項垂れたブルーノさんの姿があった。彼の後方、離れた場所に巨大な檻があり、その中にロウルーク姿のリザさんが押し込められていた。
あんな巨大な檻があるものなのか。運搬するのが大変そうだ。
「感謝する。貴殿らのおかげで、彼らを捕縛できた」
「副団長殿がわざわざ来るとは驚いたな……司令部の方はいいのか?」
「知らせを受け、是非にと団長に申し入れをしたのだ。どうしても直接話を聞いておきたかったからな」
「相変わらず行動力がえげつねぇな」
「当然だ。いつ黒魔導士の部隊が動き出してもおかしくない情勢だからな」
エリオットさんがそう言うと、どこからか小さな笑い声が聞こえてきた。音をたどると、それは拘束中のブルーノさんだと分かった。項垂れたまま、肩を震わせ笑っている。
「いつ動き出してもおかしくない? 相変わらずのん気な騎士様だな」
「なんだと?」
「あいつらはもう、とっくに動いてるよ。態勢はすでに整えてある。今は、攻撃するタイミングを計ってるとこだろうよ」
エリオットさんが眉間に皺を寄せ、他の騎士の人たちに話しかけていた。
それを見て、小馬鹿にしたような笑みを浮かべたブルーノさんの目の前に、カイルさんがしゃがみこんで目線の高さを合わせた。
「お前、すげーな。こんな醜態さらしといてそんなふんぞり返れるとか、ティム以上に面の皮厚いじゃねーか」
「カイル。お前あとで俺の魔法の練習台になってもらうからね」
「いや、殺す気か! 冗談に決まってんだろ!」
黒いオーラをまとったティムさんが、カイルさんの頭上に『ダイヤモンドの杖』をかざした。僕まで巻き添えにしそうな勢いだ。やめてください。
「『ダイヤモンドの杖』、だと……?」
ブルーノさんが、思わずといった様子で驚きの声を上げた。ティムさんに視線を向けられると、すぐに目をそらしていた。
「ああ。そういえばお前、だいぶ気にしてくれてたよね。このとおり、いいものが手に入ったから存分に戦えてるよ。だから……ご心配なく」
ティムさんはブルーノさんに顔を近づけて、杖を軽く揺らして見せつけながら、最後の「ご心配なく」の部分を強調して言った。途端に、ブルーノさんが歯を噛みしめる。
やはり、面の皮の厚さランキングは、ティムさんが堂々の一位だと思います。
「……無駄だ。お前らがどうあがこうが、皇帝は止まらない。駒はいくらでもあるからな」
「そうか」
他の騎士の人たちと話をしていたエリオットさんが、ブルーノさんの目の前に移動した。
「ならば、聞かせてもらおうか。エルダー・アシュワガンダ皇帝の狙いを。ブルーノ……否。本名を、アストラだったな?」
「っ!?」
エリオットさんが言った途端、その場がどよめいた。
本名は、アストラ? 「ブルーノ」は偽名だったのか? スパイなのだから、偽名を使うなんて当然といえば当然かもしれないけれど。
「なんと……! 不敬な! 女神様と同じ名前など!」
ああ。そうか、やっと分かったぞ。
この場がどよめくほど今いる人たちが驚愕している理由は、「偽名を使っていた」件ではなく、その本名にあるのだ。「アストラ」とは、この国で信仰されている宗教・アストラ教の女神と同じ名前だ。
特に騎士団の人たちが、ひどく動揺している。それを見たブルーノさんもといアストラさんが、ほくそ笑んだ。
「そう思うだろうよ。俺の母親はな……どうでもいい理由でお前らみてーなクソ野郎共に妬まれて、身重の体で故郷を追われてセントジョーンズワートに逃げ込んだ。その復讐のため、生まれた俺にその名をつけたんだよ。お前らが忌避してきた、女神と同じ名前をな!!」
アストラさんが叫ぶと、エリオットさんがさらに彼に近づいた。カイルさんが立ち上がり、エリオットさんのために場所を空けた。
「そして、そなたは〈フェヌグリーク〉で育ったのだな……あんな小汚い町での暮らしはさぞかし苦労が多かっただろう。同情する」
「……! んだと……っ!」
アストラさんが、顔を歪める。
「〈フェヌグリーク〉は、国内でも有数の貧民街だろう? エルダーが皇帝に就任して以降、さらに廃れていったと聞く」
「違う!! 〈フェヌグリーク〉はスラム街なんかじゃねぇ!! あいつが皇帝になる前は、国一番の町だったんだよ!!」
アストラさんは興奮して、ロープを引きちぎろうとしているかのように暴れた。それとは対照的に、無表情で「すん」としているエリオットさんが、少し怖く見えた。変な汗が出る。
「やはり……そうか」
エリオットさんはそれだけ言って言葉を切り、少しの沈黙のあと再び口を開いた。
「我々も、同盟を結んだからといって慢心していたわけではない。直後から情報収集には力を入れていた。そなたが、ハーツイーズ卿を通じて情報を仕入れていたのと同じようにな。もちろん、〈フェヌグリーク〉についても知っている」
「……っ」
アストラさんは、悔しそうに顔を歪めてエリオットさんを睨んだ。
え? 待って? 「ハーツイーズ卿を通じて情報を仕入れていた」? ハーツイーズ卿って……ペンドリー辺境伯だよな!?
信じられない言葉に、思わずぎょっとしてレックスさんを見た。しかし、彼は無表情で腕を組み、じっとアストラさんを見ているだけでなにも言わなかった。
「ぺ……っペンドリー辺境伯と帝国は、つながってたんですか!?」
「そうではない。ハーツイーズ卿の部下の一人が、この者と同じだったのだ」
「スパイだった、ってわけか」
カイルさんが噛み砕いてまとめた言葉を聞き、安堵した。
あの方が、パトロンの垣根を越えてレックスさんの身の安全を心配してくれているように見えたペンドリー辺境伯が、実は敵だったなんて、そんなわけがないよな。よかった。本当に。
エリオットさんは、再びアストラさんの方を向いた。
「単刀直入に聞こう。そなたの狙いは、我らキャラウェイ王国ではなく……皇帝エルダーの首だな?」
「はぁ!?」
「えっ!?」
僕とカイルさんの驚きの声がかぶった。
しかし、驚いているのは、他にはティムさんとオリヴィアさんくらいだった。レックスさんは相変わらず眉しか動かさないし、他の騎士たちは冷静だった。すでに情報は共有済みなのか。
え、なにそれひどい。僕らだけ置いてきぼりですか?
「……っばかなことを言うな。俺は、皇帝陛下の忠臣――」
「忠臣が、そのお方を『あいつ』などと呼ぶわけがない」
アストラさんの言い訳を、エリオットさんがばっさり切り捨てる。見事な切れ味だ。怖い。
一方のアストラさんは、口を何度かパクパクさせていたが、他の適当な言い訳は思いつかなかったらしく、結局歯を食いしばって黙りこんだ。
「知っているとも。私も幼い頃に行ったことがある。〈フェヌグリーク〉は……かつては文化の中心で、特に音楽が盛んな美しい町だった。その名も、町出身の著名な音楽家からとってつけられたと聞いた」
エリオットさんが、打って変わって優しい口調で話しかけた。しかし、アストラさんの反応はない。
文化の中心地だった町が、今はスラム街と化しているなんて。〈フェヌグリーク〉で一体なにがあったんだろう?




