51話 鍛えてきた能力を存分に発揮させましょう
今日の分の食事がまだだったらしいレックスさんに、炊き出しで配られたパンやスープを渡すと、瞬く間に平らげていた。
その姿を見て、また安堵した。やはり、「腹が減っては戦はできぬ」だ。
「そういえば、どうしてるんだろうねあの二人」
「あの二人って?」
「ブルーノとリザだよ。レックスは仮とはいえ釈放されたし、俺らも排除できなかった。それがエルダーの命令だったかは知らないけど、しくじったのは変わりないだろ?」
「……そうだ。今度という今度は、失敗は許されんだろう。強硬手段に打って出てくる可能性が高い」
顔を俯けて言ったレックスさんが、カイルさんをまっすぐ見つめて再び口を開く。
「リザは俺がやる。だから、ブルーノを頼む。それでいいな?」
「…………」
レックスさんの真剣な眼差しを受けたカイルさんは、怪訝そうに目を細めただけで返事はしなかった。
いずれにしろ、あの二人との戦いは避けられないものなのか。非道さは理解しているとはいえ、なんだか複雑だ。気が引ける。
「なんだ……?」
ぼんやりと考え事をしていると、オリヴィアさんが呟いた。彼女は、立ち上がって森の奥を訝しげに見つめている。
「どうした?」
「妙な音がした。地面が抉られるような……」
オリヴィアさんは、耳をそばだてて必死に音の正体を探っているようだ。見れば、他の獣人の冒険者や、連れている従魔たちも同じ方向を見て警戒している。
え? なんで僕にはなにも分からないのかって? しょうがないでしょう。だって、ここは陸上ですし。
カイルさんが背中の剣を、ティムさんが杖を出して、レックスさんが腰の剣の柄に手をかけた。直後、大きな音がした。
地面が突然盛り上がり、なにかが飛びだしてきた!
「ぎゃー!?」
「うわああ!! ゾンビだ!!」
盛り上がった地面の近くにいた冒険者が、慌てて下がる。
地面から現れたのは、体のあちこちがぐずぐずに腐った魔物、ゾンビだった。唸り声をあげ、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。それも、一体や二体ではない。次から次へと地面からわいてくる。
「よりによってゾンビかよ!」
「厄介だな」
カイルさんとレックスさんは、剣を抜けずにいた。なぜだろう。まさか、剣の攻撃――物理攻撃は効かないのか?
「や、厄介って!? どうやったら倒せるんですか!?」
「ゾンビを安全に倒すには、遠距離攻撃か魔法を使うしかない。中でも炎魔法と光魔法が有効……なんだけど」
「けど!?」
「ここは森の中だろ。炎魔法なんて使ったら大惨事になるし、光魔法は敵軍にこっちの居場所を知らせることになる」
「それがあちらの狙いか?」
「だろうね」
弓を構えてすでに矢を番えているオリヴィアさんも、杖を手にしているティムさんも、動けずにいる。
「じゃあ、遠距離から物理で攻撃するしかないんですね?」
「それに使う飛び道具が無限にあったらね」
つまり、八方塞がりなんですね!?
ただでさえ、前の戦闘で消耗したばかりだ。補給はすでに済んでいるけれど、またここで消耗しては、これからの作戦に支障が出かねない。おそらく、それも狙いの一つなのだろう。
「退け退け!」
「むやみに触るなよ! すぐ囲まれるぞ!」
「ケガ人を早く!」
逃げまどう人たちの中、ゾンビは動きが遅い人を狙って襲おうとしてくる。
「がああっ」
「っ! 危ない!」
どうしたものかとおろおろしていると、ケガ人を移動させようとした人をめがけてゾンビが覆いかぶさろうとしたのが見えた。
とっさに触手を二本伸ばして、そのゾンビを捕まえる。すかさず抵抗して暴れだしたゾンビの腕が、ぽろりと崩れ落ちた。
「うぎゃっ!?」
腐乱死体やだ怖い!
早く離れたくて、そのゾンビを軽く持ち上げて奥へと放り投げた。それが、たまたま奥にいた他のゾンビたちにぶち当たり、ドミノ倒しのようになって一団が潰れた。
「…………」
辺りには、ゾンビたちの断末魔の悲鳴がこだました。
味方からの反応は、ほぼ皆無だった。
「死霊系統の魔物は、光属性の装備品がないと近寄るのも危険……ましてや素手で触れるなんて言語道断のはずなんだがな」
「え!? そうなんですか!?」
ぼそっと言い放ったレックスさんの言葉に、ぎょっと目を見開いてゾンビに触れた触手をまじまじと見る。
かゆいとか痛いとか、変色しているといった異常は一切なかった。だが、念のため雪にこすりつけて洗っておく。冷たくて嫌だが、このままにしておくのはもっと嫌だ。気分的に。
「いけるんじゃない? マリネ、この調子で全部片づけちゃいなよ」
「いや、待てよ!」
「え!? またあの気持ち悪い体に触れって言うんですか!? 無理です!」
「そこじゃねぇ! さっきはたまたまなんともなかっただけかもしんねぇだろ!?」
「じゃあ、他になにか方法あるの?」
「ねぇけど……ねぇけどよ!」
ティムさんに言われ、カイルさんが頭をかきむしる。僕もそれは分かっていたが、一応主張はしておかねば。やれと言われたからといって、簡単にできるわけではないのだと。
なんて言っている間にも、新たにわいてきたゾンビたちが近づいてくる。嫌だとか言っている場合ではない。
よし。覚悟を決めよう!
「カイルさん、命令してください!」
「はぁ!?」
「お願いします。僕に一言、戦えって」
「馬鹿言うな! そんなの――」
「僕は!! 近い将来勇者になる人の従魔ですから!!」
腰に手を当て、できるかぎり息を大きく吸って腹から声を出して、宣言した。カイルさんだけでなく、周囲の人たちも呆気にとられて固まる。
やがて、カイルさんが口角を上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「……戦え。マリネ。ゾンビ共を蹴散らせ!」
「はいっ!」
押忍、とでも言うように、拳を作って肘を引いてみせてから、ゆっくりと近づいてくる無数のゾンビ集団に向かっていった。
先頭の一体をつかんで、勢いをつけて叩きつけるように奥へと放り投げる。倒れたゾンビたちの中には、腕や足、首までちぎれたものもいて、もれなく動かなくなった。
ところで、どうしてこの攻撃が効くのだろうか。有名な某ゾンビ映画では、首から上を傷つけないと倒せないようになっていたはず。一度死んで体が腐りかけの状態なので、大きな衝撃にも弱いのだろうか?
「ほいやぁ! たぁっ! もういっちょぉ!」
考えつつも、次から次へとやってくるゾンビを、ひたすら放り投げていく。文字どおりの「ちぎっては投げちぎっては投げ戦法」。まさか、こんなところで活躍の場面がくるとは。やはり、〈鍛錬場〉のボリスさんの見立ては間違っていなかったな!
「さすがというべきか? 相変わらず度胸がある奴だ」
「……本当にやるとは思わなかったよ」
「おいっ!? おめーが言い出したんだろうが!」
「命令したのはカイルだろ」
聞き捨てならない言い争いの声が聞こえてきたが、必死だったため気にならなかった。
「っ! マリネ逃げ――」
オリヴィアさんの声が聞こえた瞬間、前方から激しい風が吹きつけてきた。と、思ったら、鋭い痛みが全身に走り、僕の体は後方へと吹き飛ばされた。
「マリネ!!」
カイルさんが叫ぶ声を聞きながら、ボールのように地面に二回ほど跳ねてから落ちた。
左目が、よく見えない。額から斜めに、左目を通ってばっさり斬られたようだ。これはまずい。
朦朧としてきた意識をなんとか保たせて、『自己再生』を発動。しかし、再び強風に襲われる。よける気力はなく、目を閉じて身を固くするくらいしかできなかった。
しかし、強風はすんでのところで勢いを殺された。
そっと開けた目でぼんやりと見えたのは、不鮮明な視界でも分かる。いつものたくましい背中。
カイルさんが、巨大な黒い鳥――ロウルークのかぎ爪を剣で受け止めていた。
「お前、リザだな?」
「カイル……私を倒せるのか?」
ロウルークが喋った。カイルさんの問いを否定しなかったから、やはりそうなのか。
しかし、その声は聞き覚えのあるリザさんの声より低くて、挑発的だった。
「退け、カイル!」
「カイルさん……っ」
レックスさんに続いて、精一杯声を絞りだして呼ぶ。だが、カイルさんは振り返りもせず、剣を両手で構えた。
「やれるものならやってみろ。お前の死んだ相棒、ルイと同じ私を! 殺してみろ!!」
馬鹿にするような口調で言ったリザさんが、翼を広げて舞い上がり、勢いをつけてカイルさんに向かって突進していく。
触手を伸ばそうと、上げる。しかし、力が入らない。
「カイルさん!!」
叫ぶしか能がないなんて、なんてマヌケな従魔だろう。
だが、次の瞬間、カイルさんの剣が振り下ろされた。なんのためらいもなく、まっすぐに、リザさんへ。
「……っ!?」
袈裟斬りにされたリザさんの巨体が、黒い羽根を散らせながら仰向けの状態で倒れる。誰もが呆気にとられて、なにも言えずにいた。
「馬鹿、な……っ」
「ルイと同じだって? 笑わせんな」
倒れて体を震わせているリザさんのもとへ、カイルさんが一歩近づいた。
「お前なんか、ルイとは似ても似つかねぇよ」
カイルさんは、余裕の表情で剣を背中の鞘に戻した。
大事な仲間を死なせてしまって、必要以上に自分を責めて、忘れなくてはいけないと思い込んで、ずっと一人で苦しんでいたあの人が。その壁を、越えたのだ。
とめどなく涙があふれてくる。カイルさんと目が合って、そっと持ち上げられた。
「なに泣いてんだよ。傷がいてーのか?」
「……っカイルさん……無事でよかったですぅぅ……」
「バーカ。俺がやられるわけねーだろ」
額を人差し指で軽く小突いてくるカイルさんの優しさにふれ、笑顔を見たせいで、涙は止まる気配がなかった。
なんとかして気持ちを落ち着かせ、目をこすりながら顔を上げると、少し離れたところでティムさんやオリヴィアさん、レックスさんが安堵したような笑顔を浮かべているのが見えた。
「残念だ」
レックスさんが、前髪をかき上げながら言った。
そして、こちらが瞬きをする間に剣を抜いていた。
「俺も、一太刀くらいは浴びせてやりたかったんだがな」
「……っ!」
事態を理解するのに、少し時間がかかった。
レックスさんが剣を抜いたのは、背後から何者かが彼を襲おうとしていたからだった。その人が武器を振るうよりずっと早く、レックスさんが剣をその人の首につきつけていた。
そして、顔を隠していたフードが、レックスさんが剣先を使って持ち上げてあらわになる。
まぎれもなく、ブルーノさんだった。
「聞きたいことが山ほどあるから……殺すわけにはいかないんだよ」
「……っ」
そのとき、レックスさんは初めてその場でブルーノさんと目を合わせた。その、冷たくて重い威圧感にあてられたブルーノさんはもちろん、僕らも息をのんだ。
やがて、ブルーノさんとリザさんは、騎士団の人たちの手で捕縛され、連行されていった。
しょんぼりとした二人の後ろ姿を見つめていたレックスさんは、それが見えなくなるとこちらを振り返り、苦笑しながら頷いた。




