45話 大事な話は落ち着いて聞き漏らさないようにしましょう
ブルーノさんは、帝国のスパイ。
僕がほとんど冗談――心底そうであってほしいと望んでいた――で言った話が、事実だったなんて。信じたくない。
「お前らと別れてから……いくらもたたない頃だ。喉が渇いたと言ったウェンディに、持っていた水を渡したんだ。あいつは……なんの疑いもなく、それを……っ」
レックスさんが、ぎゅっと固く目を閉じた。そして、手でそこを覆った。
「ブルーノは、こう言った……『お前が死ぬはずだったのに』と。その一言だけで、十分だった。俺が殺したのだと自覚するのにはな」
「違います……! レックスさんは、ウェンディさんを殺してなんかいません!」
首を激しく振って否定する。しかし、レックスさんは悲しそうに笑うだけだった。
「その後はもう、ブルーノの言いなりになるしかなかった。奴の指示どおりに、夜中のうちに大聖堂前にウェンディの遺体を置いて、騒ぎが起こるのを待った」
「あいつがトリスタンを襲ったのは、知ってたのか」
「……ああ、聞いた。理由は俺が、コーネリアス様を襲えという指示を拒否したからだと」
「ブルーノさんからの指示だったんですか?」
「そうだ……『次は誰にするか』、とも言われたよ」
レックスさんが自嘲気味に笑う。
なんてひどいことを言うんだ。そう言われたら、もはや選択の余地なんてない。だから、レックスさんはやむなくペンドリー辺境伯を襲撃したのか。
では、ブルーノさんがそれを指示した理由は?
ペンドリー辺境伯が、「帝国が攻めてくるかもしれない」と言っていた件の裏付けになるのではないか?
「ペンドリー辺境伯を襲ったのは、国境警備の責任者だから……ですか?」
「それもある。だが……あいつにとっては、成功しようと失敗しようと、どっちでもよかったんだろう」
「どういうことだよ?」
「俺という、目障りな存在を消すのが一番の目的だったみたいだからな」
レックスさんは、そう言ってからしばらく沈黙した。
なぜだろう。
ブルーノさんは、本当に始めから騙すために近づいたのだろうか。文句を言いながらもレックスさんの頼みを聞いていたあのときの姿は、全部演技だったとでもいうのか?
そこまで考えて、ふともう一人の存在を思い出した。
「リザさんは? 無事なんです、よね?」
「…………」
レックスさんは、無言で僕を見て、次にカイルさんを見上げた。
「あいつは……ブルーノの従魔だ」
「は?」
「え?……いえ、違いますよ? 僕が言ってるのは人間の――」
「お前なら知ってるだろう、カイル……変身のスキルを持った魔物がいると」
そう言われ、始めは困惑した様子だったカイルさんは、次第に目を大きく見開かせた。
「リザは、ブルーノの従魔……変身のスキルを極めた、ロウルークだ」
さっと血の気が引く感覚がした。
ロウルーク。それは、かつてのカイルさんの相棒で、ピンチに陥った彼をかばって死んだ、ルイさんと同じ魔物の名だ。
そんな巡りあわせがあるなんて。一体、なんの悪戯だ。
「……ブルーノとリザが、今どこにいるかは分からない。もしかしたら、まだ〈サントリナ〉に潜伏していて……なにか企んでいるのかもしれない。用心した方がいい」
「……分かった」
カイルさんは、目を閉じて頷き、レックスさんに背を向けた。
まだ扉は開かないままなので、時間は残っているようだ。カイルさんの後を追わずに、もう少しだけレックスさんに近づいた。
「あの、僕らがここに来られたのは、騎士団の副団長さんのお力添えのおかげなんです。あと、ペンドリー辺境伯もとても気にされてました。だから……今の話、少なくともお二人にはしなきゃいけなくなると思うんですが」
「ああ……コーネリアス様に、伝えておいてくれないか。顔に泥を塗るようなことになって、申し訳ないと」
「そんな――」
「言ってたぞ、あの人」
僕の否定の言葉を遮り、カイルさんが振り返ってレックスさんを見ながら言った。
「お前は絶対に生きてる。そう信じてるって」
「……っ」
カイルさんが、再び鉄格子の前に戻ってしゃがみ、レックスさんと視線を合わせた。そして、拳を突き出した。
レックスさんは、呆然とその拳を見つめていた。躊躇っているようにも見える。
余計なお世話かと思いつつも、触手を伸ばして鉄格子の隙間を通り抜け、レックスさんの腕をつかみ、拳を作らせてカイルさんのそれにくっつけた。
「またな」
カイルさんが、言った。以前と同じ、別れの挨拶をするときのように。満面の笑顔で。
直後、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。面会時間終了の合図だ。
僕は、カイルさんの差し出した手に乗り、肩に移動。カイルさんはすぐに、扉の外へ向かって歩きだした。
背後で、しゃっくり上げるような声が聞こえたが、僕もカイルさんも決して振り返らなかった。
◇◇◇
面会を終え、再び塔の外のなにもない広場に出た。
そこには、ここまで案内してくれた案内役の人がすでに待機していた。
「副団長がお待ちだ。こちらへ」
案内役の人は、早口でそう言ってすぐに踵を返した。カイルさんは、無言でそれについていく。
「……マリネ」
「はい」
「ありがとな。あと……悪かった」
不意に感謝と謝罪をされて、横目でカイルさんを見つつ首を傾げる。
「……? なにがですか?」
「お前のおかげで、レックスに会えた。けど、全然信じなくて……ひでーことしちまっただろ。悪かった」
「あ、いえそんな……僕の方こそ。騎士団の副団長さんに会ったなんて、信じがたいですよね。なにも言わずにいなくなったのもいけなかったですし」
冬の夜、一晩中天井から吊るされたのは、折檻だとしてもひどいものだったのではないかと思うけれど。
フォローする僕を横目で見たカイルさんは、一旦立ち止まってため息をついた。
「攫われたか……最悪、誰かに討伐されちまったんじゃねぇかって、ちょっと怖かった」
「カイルさん……ごめんなさい」
「俺も、一人で出てっちまって悪かったけどよ……ちゃんと、いろよ。ここがお前の特等席なんだから」
カイルさんが、僕の頭を少し強めに二回叩くように触れた。
特等席。なんていい響きだろう。誰かに自慢したい。しても、いいよな。
「あと、自分の腕噛みちぎんのはやめてくれ。結構衝撃だったぞ、あれ」
「『自己再生』できるから大丈夫ですよ?」
「そういう問題じゃねぇ」
カイルさんが苦々しく目を細めて吐き捨てたと同時に、咳払いをする音がした。見ると、かなり先にいる案内役の人が、カイルさん以上に険しい表情をしていた。慌てて追いかける。
そして、〈カレンデュラ監獄〉からものの数分程度歩いたところにある別の棟に通された。ここで待つようにと言うと、案内役の人は出ていった。
長テーブルとソファのような椅子が、向かい合わせに置いてある。あとは、小さな暖炉があるだけの簡素な部屋だ。罪人と面会する人の控え室かなにかだろうか。
カイルさんが、落ち着かない様子で部屋の中をうろうろ歩き回っていると、まもなく部屋のドアが開き、エリオットさんがやってきた。
「待たせてすまない。それで……どうだった?」
カイルさんは、一度僕と目を合わせて頷いた。
エリオットさんに椅子を勧められ、彼と向かい合わせに座ってから、レックスさんから聞いた話をすべて打ち明けた。
「……そうか……そういうことだったのか……」
カイルさんが話し終えると、エリオットさんは手で顔を覆って俯けた。しかし、すぐに姿勢を正し、こちらをまっすぐ見た。
「貴殿らのおかげで、重要な証言がとれた。感謝する」
「……信じるのか? 俺らが、レックスを助けたいがために出まかせ言ってるとは思わねぇのかよ?」
「なめてもらっては困る。私は、パルマローザ家の嫡男だ。人を見る目は確かだと自負している。貴殿らがそんなことをする者ではないなどとは、言うまでもない」
エリオットさんは真剣な表情で、カイルさんから僕へと視線を移した。
「私からレックス氏との面会の話があったとき、罠だとは思わなかったのだろう?」
「あ、えっと……すみません。ちょっと、考えました」
「……やはり、正直だな」
エリオットさんが、目を閉じて微笑んだ。自分の見込んだとおりの奴だった、とでも思っているのだろうか。だとしたら嬉しい。
「この件は、私の方からハーツイーズ卿にもお伝えしようと思う。相当気にされているようだからな。構わないか?」
「そうしてくれると助かる。俺らが直接話すのは……ちょっとな」
カイルさんが眉を寄せながら言った。
ペンドリー辺境伯に会うとなると、慣れない敬語を使わなければならない。また、無礼にならないようにと気を張らなければならないので、肩が凝るのだろう。同意して頷くと、エリオットさんは「承知した」と静かに言った。
「で、レックスはどうなるんだ?」
「現時点では断定はできないが、少なくともすぐに処罰されはしないだろう。そもそも、貴重なSランクの実力者を手放すのは、国にとっては兵力の面でかなりの痛手になる」
エリオットさんは、一旦そこで言葉を切って、目を伏せた。
「……こんな言い方は、私もしたくはないのだが……この先ずっと、兵隊として従事させればいいと考える者もいるそうだ」
「兵隊……いや待て。それってつまり、奴隷ってことかよ!?」
カイルさんが立ち上がって怒鳴るように聞き返すと、エリオットさんはわずかに頷いた。
直後、エリオットさんにつかみかかろうと手を伸ばしたカイルさんだが、なんとか途中で止めて、「くそ……っ」と言いながら椅子に座りなおした。
「とにかく、レックス氏の証言の裏付けをとる必要がある。それにはまず、ブルーノ氏から直接話を聞く必要がある」
「話を聞くったって、そう易々と捕まる奴じゃねーぞ。へたしたら、こっちの動きは全部把握されてる可能性だってあるんじゃねぇか?」
「そうだな。相手は皇帝エルダー直属の諜報員……仮に我ら団員を総動員したとしても、難しいかもしれない」
カイルさんとエリオットさんは、互いに視線を落として考えこんだ。
情報収集のプロである盗賊を捕まえるのは、確かに骨が折れるだろう。だが、望みがまったくないわけではない。
「大丈夫ですよ。ブルーノさんがまだ〈サントリナ〉にいるんなら、どうにかすればきっと見つかりますって!」
「だから、その『どうにか』の部分が厄介なんだっつーの」
「おびき寄せるっていうのはどうですか?」
「ほー。どうやって? なにを使って?」
「そうですね……例えば……囮を使うとか!」
「そうか。じゃあ試しにお前、どっかにぶら下がっててみてくんねーか。一晩くらい」
「むっ!?」
ひどい! さっきちゃんと仲直りしたと思ったのに!
そんなコントのようなやりとりをしていると、エリオットさんが立ち上がって扉の前に移動した。まずい。怒らせてしまっただろうか。
「どうした」
「お話の最中申し訳ありません……!」
エリオットさんは、外にいた部下らしき人と耳元でこそこそとなにかを話している。たちまち、その顔が冷静さを失い、驚きに変わった。なにかあったのか?
「すまない。急ぎ出なければならなくなった」
「どうかしたのか?」
応接室を出ていこうとしたエリオットさんの背中に問いかけると、彼はかろうじて止まって振り返ってくれた。
「住宅地で、火事が発生したそうだ。すでに負傷者も出ていると」
「はぁ!?」
「うえっ!?」
火事……だって!? なんでそんな、次から次へと事件が起こるんだ!?




