41話 身体と心の休息は適宜とりましょう
夜。
辺りに明かりはほとんどなく、人々が寝静まっている頃。あるベッドに寝ている人のそばに、音もなく近寄る人物がいた。
少し持ち上げた手元で、月明かりで照らされたなにかが反射する。ベッドの上の人に振り下ろそうと、腕を頭上まで上げた。
次の瞬間、
「待て!!」
ベランダから別の人物が飛びこんできて、ベッドのそばに立っている者――襲撃者に駆け寄った。襲撃者は素早い身のこなしでベッドを飛び越え、部屋の出入り口の一つへと向かって逃げようとする。
襲撃者が外へと逃げようとしたそのとき、その扉が開いて、外から別の人物が入ってきた。
「観念しなよ。あんたは袋のネズミだから」
襲撃者が後退りをした、そのとき、ベランダから出てきた人物が背後から忍び寄り、襲撃者を羽交い絞めにした。
「残念だったな! 次てめーが誰を襲うかは、想定済みだったんだよ!」
抵抗する襲撃者だが、羽交い絞めにしている人物は決して逃がすまいと力を込めた。
出入口から現れた人物が、紫色の宝石が輝く杖を取り出す。
「〈光よ、照らせ〉」
杖を掲げて呪文を唱えると、部屋の中が明かりで照らされた。
ベランダから出てきた人物――カイルさんに羽交い絞めにされている襲撃者は、ボロの上着のフードで顔を隠しているため、誰かは分からない。しかし、すでに抵抗する気力を失った様子で、体をだらりと弛緩させていた。
◇◇◇
この騒動のわけは、ペンドリー辺境伯と会合した後まで遡る。
「なんともなかった? 失礼なこと言ったりやったりしなかった? あとで出頭しろとか言われてない?」
「言われてねーよ! どんだけ信用してなかったんだよ!?」
「俺はマリネに聞いてるんだよ!」
〈カモミール亭〉で出迎えてくれたティムさんは、僕らが帰るなり駆け寄ってきて、カイルさんの肩の上にいた僕を両手でつかみ上げた。
ティムさんが必死になる気持ちは、分からなくはない。途中、敬語が怪しい部分は多々あったから。
「特に問題はなかったですよ。僕の話もレックスさんから聞いてたそうで。むしろ会いたかったとおっしゃってくれたので、途中から直接お話しをさせてもらえました」
「失礼な口のきき方はしなかっただろうね?」
「大丈夫です。なんていうか……心が広いっていうか、とても話しやすい方でした」
「……そう……」
ティムさんは、納得してくれたのか僕をテーブルの上に置き、その場に膝をつき、続けて両手もついた。
「気が気じゃなくて、ずっとそわそわしてたんだ」
「だから、どんだけ信用ねぇんだよ……」
オリヴィアさんの説明に、カイルさんはげんなりとしてそばの空いていた席に座った。
「ティムさんがそんなになるほどの相手って誰? アイリーンさんに呼ばれてたみたいだけど、そんなすごい人だったのー? 」
店員のメリーザさんが、近くの空いたばかりの席の片付けをしながら聞いてきた。
ペンドリー辺境伯です、なんて言ったら……まずいよな? そんな人に会うはめになった理由に加えて、話した内容も知りたがるに違いない。
「こないだ、〈ロディオラ〉で会った人ですよ。ちょっといざこざがありまして」
「へー……確かにあそこ、癖が強い人多いらしいしねぇ。大変だったねー」
メリーザさんは、使用済みの食器を運んだ後で紅茶をいれてくれた。
こんな堂々と嘘をついておいて、サービスしてもらうのはとても気が引ける。ため息をつきながらも、すぐにそのお茶に手をつけるカイルさんほど、僕は肝が据わっていない。
「……それで、なんだって?」
「情報くれることになった。あっちもレックスの件で色々調べてんだとよ」
「自分はもちろんそうだし、部下の人たちも別件で手一杯だから、もし有力な情報が入ったら僕たちに裏付け捜査してほしいとおっしゃってました」
「裏付け捜査ってなんだよ……まぁ、大体は分かった」
カイルさんの反対側にあった椅子に座ったティムさんが、紅茶の入ったカップに手を添えながら頷いた。
「よかったな。辺境伯ほどの有力者なら、確かな情報がつかめるかもしれない」
「そう期待するしかねぇな。トリスタンは狙われる側になっちまったし」
「…………」
少し表情を和らげたカイルさんとオリヴィアさんに対し、ティムさんは逆に眉を寄せ、顔を俯けた。
「なんだよ、ティム。まだなんか不満なのか?」
「不満じゃないよ。ただ……」
ティムさんの懸念事項を聞いて、僕たちはそろって目を見開いた。
情報屋のトリスタンさんが襲われたのだから、次はペンドリー辺境伯が狙われる可能性もあるのではないか。
もし、あの方が襲われてなにかあったら、大事件だ。僕たちが情報を得る術を失うどころの話ではない。国の防衛線である〈ハーツイーズ〉を統治する人――防衛隊の指揮官が、いなくなってしまうのだ。つまり、侵略戦争をけしかけるつもりかもしれない帝国側にとっては、大きなチャンスになってしまう。
大げさだとか、考えすぎだとか、そんなのありえないとか、切り捨てるのは簡単だ。仮にそれが本当に起こったとしても、ペンドリー辺境伯ほどの人なら精鋭の護衛がついているはずだから、たとえ襲撃されても問題はないとも考えられるけれど。
その後、よく話し合った結果、僕たちは〈ハーツイーズ〉に向かうと決めた。なんとかしてペンドリー辺境伯と再度謁見――ダメ元だったが、辺境伯が快く許してくれたのが幸いだった――し、護衛役に抜擢されたのだった。
◇◇◇
「いつ来るか分かんねぇし、そもそも本当に来るかどうかも分かんなかったがよ……まさか、その日のうちに来るとはな。張り込んどいて正解だったぜ」
カイルさんが、襲撃者の両腕をまとめてつかんで、身動きがとれないようにしたまま鼻で笑った。
ちなみに、僕はベッドから一番近い窓に、触手を伸ばして貼りついていた。犯人が逃走経路として一番使いそうな場所を塞ぐ役目を負っていたのだ。残念ながら、必要なかったようだけれども。
僕が窓から下りて、カイルさんのそばに移動したとき、襲撃者が逃げようとした方とは別の扉が開いた。そして、その外で貼りこんでいたオリヴィアさんと、騎士団第二分隊の人たちが入ってきた。
おそろいの制服を着た騎士たちの先頭にいる人が、ざっと部屋の中を見て状況を確認した後こちらに近づいてきた。
「それが襲撃者か。顔を」
「へーへー。今見ようとしてたところです、よっ!」
カイルさんが、襲撃者の顔を隠しているフードを取り払った。瞬間、僕らはみんな絶句した。
理由は簡単だ。その人が、少なくとも僕たちが考えていた人――ブルーノさんではなかったから。なおかつ、一番ありえない、夢にも思っていなかった人物だったから。
「なん、で……っなんでお前……!?」
「…………」
くすんだ紫色の長い髪を、結ばずに垂らしているその人――レックスさんは、覇気のない虚ろな瞳でカイルさんを見ていた。
呆然とする僕たちに構わず、騎士たちが襲撃犯であるレックスさんを連行していく。我に返ったカイルさんが止めようとするが、どうにもならなかった。
「なんでだよ! なんでなんだよ……っレックス!!」
レックスさんも、こちらを一度も振り返らなかった。
なにがなんだか、分からない。なぜ、レックスさんがペンドリー辺境伯を襲ったのか。
「君たちの言うとおりだったな」
レックスさんがいなくなり、頭が回らずただ立ち尽くすだけだった僕たちのもとに、寝間着姿のペンドリー辺境伯がやってきた。
「正直、半信半疑だったが……なんにせよ、助かった。礼を言う」
「……っあんた、レックスのパトロンだろ!? あいつに会って直接わけを聞くとか、できるだろ!? なぁ!?」
軽く頭を下げて礼を言ったペンドリー辺境伯に、カイルさんが詰め寄る。礼儀のかけらもないその様子に、辺境伯は気にせず、ため息をついて首を横に振った。
「ここから先は、騎士団の管轄だ。私にはどうすることもできぬ」
「なんでだよ!?」
「レックスは、聖女殺害事件に関わっていると判断される可能性が高いのだ。それは、国にとって重大事件。一パトロンである私が、面会を申し出たところで叶うとは思えぬ」
それは分かる。分かるけれど。本当に、どうにかならないのか?
この場にいる誰もが、悔しい想いをしているのだろう。ペンドリー辺境伯に噛みついたカイルさんも、さらになにか言おうとして口を開いたが、しかし辺境伯が悔しそうに唇を噛んでいるのを見て、止めていた。
(カイルのこと、よく助けてやれよ)
レックスさんに言われた優しい言葉を思い出し、僕は目を強く閉じた。
◇◇◇
翌朝。
体も心もほとんど休まらないまま夜が明けて、いつものような穏やかな朝を迎えた。
ペンドリー辺境伯襲撃事件については、まだほとんどの人が知らない。しかし、それも時間の問題だ。正式な発表が行われ、新聞記事になれば、瞬く間に国中に広まるだろう。
国唯一のSランクパーティーのリーダーが、聖女殺害の容疑者――。
このセンセーショナルなニュースは、国民にかなりの衝撃を与えるに違いない。
「…………」
朝食時、カイルさんもティムさんもオリヴィアさんも、そろって顔を俯けて黙りこんでいた。かくいう僕も、三人を励ますほど気持ちに余裕はなかった。
重い空気のまま、それぞれの仕事に出かけていく。とても、新たなクエストを探す気にはなれなかった。
「元気ないわね?」
〈薬のミョンミョン〉にて、黙々と商品の入れ替え作業をしていたところ、店主のケイティさんが話しかけてきた。
「具合でも悪いの?」
「いえいえ! そんなことないですよ。元気ですっ」
腰――触手の付け根のあたりとでも言うべきか――に手を当てて言ってみたが、ケイティさんは真剣な表情のままだった。
「……すみません。どうもうまくいかなくて……歯がゆい展開が続いていると言いますか……それで、落ち込んでるカイルさんたちを慰められなくて」
「……そう。マリネちゃんはいい子ね」
「へっ?」
「人の痛みがよく分かってる。だけどね」
ケイティさんは、商品の箱を下ろした僕に近づき、両手で持ち上げた。
「無理に、飲みこまなくてもいいのよ。ただそばにいるだけでもいいの。それだけでも励ましになるんだから」
ケイティさんの優しい言葉が、胸にしみる。
そばにいるだけでも励ましになる、か。
「……ケイティさん」
「なあに?」
「今日……早退、させていただけませんか」
「どうぞ。いってらっしゃい」
許可をもらうと、急いで残った商品の入れ替えを終わらせ、ケイティさんに深々と頭を下げて、〈薬のミョンミョン〉を飛びだした。
ああ。今、なんだかものすごく、カイルさんに会いたい。
わき目もふらずに、走って走って。雪が積もった地面の冷たさも、周りの目も気にせず、魔物が嫌いらしい人たちの悲鳴と怒号を無視して、とにかく走った。
そしてようやく、馬車の積み荷の下ろし作業をしているカイルさんを見つけた。
「カイルさん!!」
「っ!……マリネ? どうしたお前」
突撃して名前を呼ぶも、息が乱れに乱れていたため、しばらく言葉が出なかった。
「……な……っんでも、ない、です」
「なんでもなくねーだろうがよ……茹でられたみたいになってんぞ」
「ぼ……僕は、ゆでダコじゃ、ありません」
しばらく唖然としていたカイルさんは、急に吹きだして笑った。
「あーあ……まったく。しょうがねぇなぁ」
カイルさんが僕を持ち上げて、いつものように肩の上に乗せた。
「仕事終わったら、今日こそ完成させるからな。お前の布団」
「……! はいっ」
今は、たとえ束の間でも、笑顔になれたらそれでいい。
作業を再開したカイルさんを見ながら、ティムさんとオリヴィアさんにはフラダンスでもして見せようか、とぼんやり考えた。
なにか一言いただけたら嬉しいです。




