40話 新しい情報源を見つけましょう②
結局、ある程度は大目に見てもらえるはず、とアイリーンさんが説得し、ティムさんはしぶしぶ了承し、カイルさんと僕を送り出してくれた。
「いい? マリネ。カイルの背中に貼りついて、『カモフラージュ』で姿を消して見張るんだ。なにか変なこと言ったりやったりしそうになったら、すぐに止めるように。でも、絶対に姿は見せるなよ。貴族は魔物を毛嫌いしてる、例外はないって思って」
重大任務である。
カイルさんは、「そんなに俺が信用できねーのかよ」と不満そうだったが、大人しくいつもどおり僕を肩に乗せ、アイリーンさんと一緒に〈カモミール亭〉を出た。
アイリーンさんを先頭に〈冒険者ギルド〉の建物に入ると、掲示板があるスペースの奥にある廊下を進み、突き当たりにある部屋に案内された。
「こちらです。少々お待ちください」
アイリーンさんが、部屋のドアをノックしてから開けた。
「失礼します。大変お待たせいたしました」
「ああ。ありがとう」
アイリーンさんが深々と頭を下げて挨拶すると、中から低くて野太い男性の声がした。まだ姿は見えない。
そのタイミングでカイルさんの背中に回ってへばりつき、『カモフラージュ』を発動させた。それを確認したカイルさんが、部屋の中へ入っていく。
そこは、無駄なほど広くて、さながらVIPルームのようだった。〈冒険者ギルド〉の奥に、こんな部屋があったなんて知らなかった。
興味をそそられて、カイルさんの背中から脇腹のあたりまで移動してみた。
広々とした部屋の中央、大理石のテーブルの左右に置かれた長椅子に、初老の男性が座っている。その後ろには、直立不動で従者らしき人が控えていた。
初老の男性は、よく見かける庶民とはまるで違う容姿をしていた。黒いロングコートのような上着と、その下に着ているインナーの両方に豪奢な刺繍がされている。首には、レース生地でできたスカーフのようなものを巻いていて、こちらには金色の糸で刺繍が施されていた。髪型は、前髪が丸出しでサイド部分にゆるいウェーブがかかっているスタイルだった。
一見、学校の音楽室に飾ってある肖像画の人のような見た目だ。しかし、威厳とでもいうべきか、異質なオーラを身にまとっているため、とてもそんな感想は口には出せない雰囲気だった。
その人が、カイルさんを見るなり立ち上がって近寄ってきたので、慌てて背中側に戻った。
「突然呼び立ててすまない。私が、コーネリアス・ペンドリーだ」
「……カイルです。本日はお日柄も良く……ん? あーっと、お目にかかれて光栄です」
挨拶がおかしい。指摘した方がいいだろうか……否、そんな目くじら立てなくてもいいか。
それからすぐに、従者が主人に向けてうやうやしく一礼し、部屋を出ていった。
カイルさんは、ペンドリー辺境伯に勧められて長椅子に座り、彼と向かいあった。
「今日は、彼はいないのかね」
「彼?」
「君は、面白い従魔をつけているとレックスから聞いたことがある。一緒についてくるものだと思っていたのだが……」
ペンドリー辺境伯の残念そうな声が、耳にこびりつく。
え? これ、出た方がいいカンジか?
考えを巡らせる間もなく、カイルさんが後ろに手を回し、僕の頭をむんずとつかんで前に突き出した。
「ここにいます」
「……?」
まだ『カモフラージュ』を解いていないので、ペンドリー辺境伯にはなにも見えていない。否、「なにかある」程度には見えているのか、顔を近づけて目を凝らしている。
い……いいんだよ、な? 解くぞ? 僕は知りませんからね?
覚悟を決めて、『カモフラージュ』を解いた。途端に、ペンドリー辺境伯と目が合った。彼は目を見開き、「おおっ」と感嘆の声をもらした。
「えと……その、失礼いたしました。魔物ですので、お嫌いでしたらまずいと思って――」
「素晴らしい。人の言葉を喋るという話は本当だったのだな。名はあるのか?」
ペンドリー辺境伯が早口でまくしたてる。僕はたじたじしながら、なんとか答える。
「タコのマリネと申します」
「マリネか……ふむ。パーチのマリネは私の大好物だ」
「……そうでございますか」
意外だ。パーチとは、水辺ならどこにでもいる魚の魔物、ニンパーチだ。地域によって、「パーチ」とか「ニンパチ」、「パチもん」などと呼び方が変わるらしい。水場ならどこにでもいるそうなので、てっきり一般庶民しか食べないものだと思っていた。
それはいいが、まさかこのお方、僕を食料目線で見てはいないだろうな?
「レックスはいつも、楽しそうに君たちの話をするのだよ。少し前に手合わせをしたときは、あれなら追い越される日も近いだろうと嬉しそうに言っていた」
「……レックスが……」
ペンドリー辺境伯の言葉に、カイルさんは眉を寄せて俯いた。その反応を予想していたのか、辺境伯は二度頷いた。
「今日君を呼んだのは、薄々勘づいているだろうが……そのレックスについてだ。君たちに頼みがある」
「なんだ――で、しょうか」
「足になってもらいたい」
カイルさんが、眉をぴくりと上げた。そして、僕をテーブルの上に落として手を下げた。
そりゃそうだ。いきなりそう言われたら、イラっとするよな。でも、今はお偉いさんの前。怒ったらだめだ。
ひやひやしながらカイルさんを見上げつつ、ペンドリー辺境伯の次の言葉を待った。
「今、世間を騒がせている件――聖女殺害ならびにレックス失踪の件で、部下を使って情報収集をしているところだ。そこで、なにか有力な情報が上がったときに力を貸してもらいたいのだ」
「……つまり、どうすりゃいいんでしょうか?」
「レックスが目撃される場所は、町以外では魔物が蔓延る場所がほとんどだろう。そこへ部下を行かせるのは、さすがに憚れる。だが、レックスと同じ冒険者の君ならどうだ?」
「そういうことか……ぜんっぜん問題ありません」
カイルさんが答えると、ペンドリー辺境伯はほっとしたように息を吐いて、頷いた。
「助かる。第二分隊も動かせなくはないのだが、生憎そちらは今、別件で手一杯なのだ」
「第二分隊……騎士団の、ですか?」
「そうだ。第二分隊は国境警備を担当していて、私の指揮下にある」
「そうでしたか。では、別件とは?」
ペンドリー辺境伯はこちらを見下ろし、少し考える素振りを見せたあとで、ゆっくりと口を開いた。
「……近々、帝国が攻めてくるかもしれない」
「は!?」
「信憑性が低い話だが、不穏な動きをしているのは確かだ」
ペンドリー辺境伯は、至近距離でもかろうじて聞き取れる程度の小さめの声で言った。
妙だ。セントジョーンズワート帝国は、ここキャラウェイ王国とは比較的友好な関係を築いていて、貿易も盛んに行っているのではなかったのか。先日立ち寄った〈ロディオラ〉で、帝国産の商品を売る店もちらほらあったのが証拠だ。
「その件があるから、私はなかなか領地を離れられない。いつもならレックスに頼むところだが……そのレックスが当事者とあらば、頼めるのは君たちしかいないのだ」
カイルさんが、息をのんだ。
爵位の高い貴族のお方に、そう言ってもらえるなんて、とてつもない誉れだ。本来なら喜ばしい話なのだろう。それが、どういう理由でそうなったかを考えなければ。
「レックスさんは……どこでどうしていると、思いますか?」
「……分からない。だが、奴は……どんな形であれ、必ず生きている。私はそう信じている」
ペンドリー辺境伯の、まっすぐで飾らない眼差しが僕とカイルさんを貫いた。その言葉は、間違いなく本心からきたものだと理解するには十分だった。
しばらくして、カイルさんがすっと立ち上がった。
「必ず、探しだしてみせます」
カイルさんは、背筋をピンと伸ばして、ペンドリー辺境伯に向かって深々と頭を下げた。頷くペンドリー辺境伯は、静かに「ありがとう」と言った。
「ただ私の頼みを聞くだけでは、なんの利益にもならないだろう。事が片付くまでは、君たちの生活は私が保障しよう」
「それはいらね――必要ないです」
支援の申し出を即座にあっさり断ったカイルさんを、ペンドリー辺境伯が目を丸くし、二回瞬きをした。
「先日すでに褒美をもらってます。あれで十分です」
「……ああ、〈ゴツコラ〉の件か。しかし、あれはあれ、これはこれではないか?」
「だったら一つ、俺から頼みたいことがあります」
ペンドリー辺境伯が頷いた。
「俺らの知り合いに、喫茶店をやってる奴がいます。トリスタンっていう」
「ああ。レックスもよく行くと言っていた。確か、情報通で話がうまい店主だとか」
「そいつが先日、誰かに襲われました」
途端に、ペンドリー辺境伯の表情が険しくなる。
「襲われた……誰にだ?」
「……分かりません。顔は見た気がするけど、死にかけたショックで記憶が曖昧になっちまったみたいで」
え? と、聞き返そうとしたところ、すぐにカイルさんが鋭い目を向けてきた。「黙ってろ」と言っているようだったので、なんとか声には出さないようにした。
「そうか。ようするに、護衛をつけてほしいということか?」
「絶対、今回の件に関わりがあるはずなんです。だから……生きていると知られれば、また狙われるかもしれない」
ペンドリー辺境伯は、「ふむ……」と言って、顎に手を添えて考えこんだ。
正直、猫の手も借りたいような状況で、人員を一人別件につけてほしいなんていう頼みは、やはり難しいのだろうか。
「僕からも、どうかお願いしますっ」
テーブルの上で、土下座する。正座はできないので、正式にはただ頭を下げただけだ。
しばらく沈黙が続き、ペンドリー辺境伯が口を開くまで待った。気づくと、触手を触られる感触がして、顔を上げた。
目の前に、顔を緩めたペンドリー辺境伯の顔のどアップがあった。普通にビビる。
「面白い感触だ。この突起のようなものはなんなのかね?」
「突起……いえ、あの……吸盤、です」
「吸盤?」
「はい。これで、壁などに簡単に貼りつけるんです。あと、敵に絡みついて羽交い絞めしたりとか」
「ほほう……鉄の鎧などにも吸いつきやすそうだな」
「そう、ですね」
この人は、急になにを言ってるんだ?
僕は、首を傾げるしかなかった。その元凶のペンドリー辺境伯は、こちらが狼狽えているのも気にせずに、カイルさんを見た。
「護衛の件、承知した。うまく取り計らっておこう」
「……! よろしく頼む、みます!」
カイルさんがお礼に再び頭を下げたので、こちらも遅れて同じように頭を下げた。
そうして、ペンドリー辺境伯は部屋を出て、外で待機していた従者と去っていった。
「隣国の噂の件は、くれぐれも他言無用で頼む。いいか。くれぐれも、だ」
さすがというべきか、そう釘を刺していくのも忘れなかった。
会ったばかりの僕たちに、そんな重大な話をする方もどうかと思うのだが。ただ、それはつまり、話しても問題はないと信頼してくれたのだと解釈できる。その期待に応えたい。
「あーあ……やっと終わったなぁ」
ペンドリー辺境伯がいなくなり、緊張がとけたカイルさんは、長椅子に座りなおして大きく伸びをしながらあくびをした。
「カイルさん。トリスタンさんを襲ったブル――人のこと、なんで言わなかったんですか?」
「……分かんねー。けど、なんとなく言わない方がいい気がしたんだよ」
カイルさん自身も腑に落ちていない様子で、首を傾げていた。
こう言ってはなんだが、カイルさんのような頭より先に体が動くタイプの人の勘は、馬鹿にできない。
どうか、この心配が杞憂に終わりますように。そう願わずにはいられなかった。




