37話 大変なときこそ慎重に行動しましょう
アストラ教総本山であり、キャラウェイ王国が誇る〈ローレル大聖堂〉。その前には、大勢の信者らしき人たちが集まっていた。なにやら泣き叫んでいる人もいる。
「おい! なにがあった!?」
カイルさんが、そのうちの一人を捕まえて、無理矢理顔を上げさせて聞いた。
「聖女様が……っお亡くなりになられた……!」
「それは本当なのか!? ちゃんと見たのかよ!?」
「見たさ……っ! 雪の上に、手を組んだお姿で……っああ……!!」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたその人は、それだけ言って顔を手で覆って泣き崩れた。
嘘じゃ、なかったのか。
瞬間的に、脳裏にウェンディさんの姿がよぎる。可愛い可愛いと愛でてくれた明るい姿。「また会っていただけますか」とさえ言ってくれた、あの人の優しい笑顔。そのすべてが、もう二度と見られないなんて。
「レックス……レックスたちはなにしてんだよ!? なぁ! あいつらは!?」
カイルさんが、泣き崩れてその場に膝をついた人を揺さぶるも、その人は首を横に振るだけだった。
一体、なにがあったのだろうか。レックスさんは、ブルーノさんは、リザさんは、無事なのか? 今、どこにいるのだろう。
「カイル!」
呆然と立ち尽くすカイルさんと僕のところへ、ティムさんとオリヴィアさんが遅れてやってきた。
「話は聞いたけど……どうやら、デマじゃないみたいだね」
ティムさんは、険しい顔をして辺りにいる泣き叫ぶ人たちを見回した。
「……行くぞ、お前ら」
「行く? どこにだ?」
「決まってんだろ! 〈エキナセア〉だよ!」
カイルさんが、肩をいからせて歩きだした。それを、慌ててティムさんとオリヴィアさんが追いかける。
「待てよ! 行ってどうするのさ!?」
「レックスたちを探すんだよ!」
「焦るな、カイル! まだなにも分かってないだろう!?」
「だから、それを調べに行くんじゃ――」
カイルさんの言葉は、途中で切れた。それは、僕がその顔に触手をぺちりと叩きつけたからだった。
「なんだよマリネ……お前も反対だってのか?」
「ちょっと落ち着きましょう。〈エキナセア〉がどんな場所なのか分からないのに、行動するのは危険です。まずは、情報を集めましょう」
「そんな悠長な――」
「悠長じゃないです。必要なことですよ。違いますか」
きゅっと細めた目で、カイルさんを見つめる。困惑した様子で半ば狼狽えていたカイルさんは、ややあって力を抜くように肩を落とした。
「……分かったよ」
そう呟き、ため息をついた。そして、僕に続いてティムさんとオリヴィアさんを見る。
「悪かった。熱くなっちまって」
「別に……いつものことだし」
ティムさんが安心したように息を深く吐いて、オリヴィアさんもほっとした顔で頷いた。
「つってもよ。こんな混乱した状態で、どうやって情報なんて集めるってんだ?」
「ウェンディの遺体は……大聖堂に安置されているんだろう。話を聞くのは難しいか」
「だろうね。〈エキナセア〉を調べるにしても……誰に聞く?」
「トリスタンさんは? この前、カイルさん言ってましたよね。『聞いてもはぐらかすばっかだった』って。それって、少なくともなにかしら知ってて、でも話したくないみたいな感じに聞こえるんですけど」
三人が顔を見合わせる。
「……話してくれるかな、あの人。相当口固いだろ?」
「そうだな。マスターは、言いたくないことは死んでも言わないような人だから」
「けど、他に方法がねぇ。なにがなんでも口を割らせるしかねぇな」
ティムさんとオリヴィアさんが頷いて、カイルさんも頷き返して、歩きだした。
「ありがとな、マリネ。お前のおかげで冷静になれた」
先頭をずかずか歩くカイルさんが、不意に僕の頭をポンポンと叩いて言った。
「言われましたから……レックスさんに。よく助けてやれって」
「……そうか」
カイルさんが悲しげに目を細めた顔を見たら、なぜか、胸のあたりがきゅっと締めつけられるような感覚がした。
◇◇◇
トリスタンさんの喫茶店がある通りは、ひっそりとしていて人の気配がなかった。また、店のドアには閉店を意味する看板がかかっている。
「今日、休みか?」
「いや。よっぽどのことがない限り、毎日開けているはずだ」
訝しげに眉をひそめる三人をよそに、ドアノブに手をかけた。軽い感触とともに、ノブが下がった。
「……開いちゃいました、けど」
「おいおい。鍵かけ忘れてんじゃねぇか」
「ありえない。用心深いマスターに限ってそんな……」
オリヴィアさんがそう言いながら、ドアを開けて中に入っていく。中は真っ暗で、ざっと見回した限り誰もいない。
ちょっと待ってください。なんですか、このサスペンスドラマ的展開。いやいやいや、ないない。やめよう、そんな悪い想像は。
「マスター? いるの――っ!?」
突然、オリヴィアさんが体をこわばらせて走りだした。カウンターの裏に向かっていく。
その原因は、すぐに分かった。
「マスター!!」
オリヴィアさんが、それを見た瞬間に悲鳴を上げる。
カウンターの裏、食器棚から落ちたカップや皿などの破片が散乱している中、血まみれのトリスタンさんが横たわっていた。辺り一面に、鉄の臭いが充満している。
なんてこった。なんで、サスペンスドラマみたいだ、なんて想像してしまったのだろう。最低だ。
「ティム……っ頼む、ティム!」
涙目のオリヴィアさんが、かすれた声でティムさんを呼ぶ。呼ばれたティムさんは、すでに『エメラルドの杖』を取り出していた。
「〈体よ、再生せよ〉!」
ティムさんが呪文を唱えると、トリスタンさんが淡い光に包まれた。
「……これ、ついさっきやられたばっかかも」
「なんだって?」
「治癒魔法に効果あるのは、受けて間もない傷だけなんだよ。ほら、ほとんど治った」
しばらくして、光が消えてすっかり元どおりになったトリスタンさんが見えた。直後、彼が咳きこんで、ゆっくりと目を開けた。
「マスター!」
「……っああ……君たちか……助かったよ」
「大丈夫か?」
「おかげさまでね……ティムの方は大丈夫かい」
「さっきまで死にかけてた人に気にされるほどじゃないよ……」
トリスタンさんの声は弱々しかったが、傷はほとんど回復したようなので、ひとまず安心していいだろう。ただ、治癒魔法でだいぶ魔力を消費したらしいティムさんは、足元がふらふらしている。倒れかけたところを、カイルさんに支えられていた。
カウンター席に座りこんだティムさんをうかがうと、顔色が悪く、疲労困憊といった様子でぐったりしていた。
「ティムさん、これどうぞ」
がま口ポーチから、個包装された小粒のタブレットを一つ取って、ティムさんの目の前に差し出した。
「なに……? 」
「魔力回復薬です。ケイティさんの店で分けてもらった正規品なので、安心してください」
「……準備いいね」
ティムさんはそれを手に取って、注意深く観察してから中身を取り出し、口に入れて噛み砕いた。
先日のキツネの獣人の兄弟の件で学び、持ち歩けるタイプの手当ての道具が欲しいと、〈薬のミョンミョン〉の店主ケイティさんに相談したときに、いくつかもらった物の一つだ。応急処置用で、効果は小さいらしいが。
それでも、ティムさんの顔色を改善する程度には、効果があったようだ。ぼそりと「ありがと」と言われて、安心する。
トリスタンさんの方は、カイルさんの肩を借りて立ち上がり、カウンターの裏から席がある方へ移動し、座った。
「ありがとう。オリヴィア、お茶をいれてくれるかい。全員分」
「茶ぁどころじゃねぇだろ。一体なにがあった?」
「それを話すためにも、少し落ち着きたいんだ」
頼まれたオリヴィアさんが、カウンターの裏に戻ってお茶の準備をした。
ウエイトレスとしてだけではなく、お茶のいれ方もきちんと身につけているようで、とても手際がいい。「散々マスターに仕込まれたんだ」と、言っていた。
オリヴィアさんのいれた紅茶を飲んで、トリスタンさんは満足そうに深く息を吐いた。
「さて……ところで、君たち」
「なんだよ」
「僕を、信じられるか?」
カップをソーサーに置いたトリスタンさんは、鋭い目で隣のカイルさん、その隣のティムさんと、カウンターの中にいるオリヴィアさんを順番に見た。直後、カイルさんが唾を飲みこむ音がした。
「今から話すことは、耳を疑いたくなる話だ。僕自身も、正直信じたくないほどのね……それでも、聞きたいか?」
トリスタンさんのその言葉の後、しばらく沈黙が下りた。それを破ったのは、カイルさんだった。
「信じるもなにも……今、俺らが頼れるのはあんただけなんだよ。信じる信じない以前の問題だ」
「……そうか」
トリスタンさんは目を閉じ、しばらく顔を俯けて考えた後、口を開いた。
「ブルーノだよ」
「……は?」
「僕を襲ったのは、ブルーノだ」
ここで切ります。次話に続きます。




