36話 予兆は見逃さないように注意しましょう
僕らの拠点の町〈サントリナ〉に帰還したのは、すっかり日が暮れた頃だった。
待ってくれていたオリヴィアさんとは、いつもの食事処〈カモミール亭〉で落ち合った。
「スティーヴが店にきて、これを置いていったぞ」
先に来ていたオリヴィアさんに笑顔で出迎えられ、席に落ち着いたところで手のひらサイズの小さな麻袋がテーブルに置かれた。
「手間賃だとか言っていたが……護衛の報酬にしては少なすぎやしないか?」
「……それがよぉ」
項垂れたカイルさんが、しぶしぶオリヴィアさんに説明した。まさか、実は護衛なんて必要なかった、なんて夢にも思わないだろう。
オリヴィアさんは、それを聞いて苦笑していた。
「仕方ないな。いつものことだ」
「いつものことであってたまるか!」
カイルさんが、拳をテーブルに叩きつける。隣に座るティムさんは、悟りを開いたかのように無表情で黙々と食事をしていた。
「それで、どうだった?〈ロディオラ〉は」
カイルさんのスープの具の貝を勝手につまんで食べていると、オリヴィアさんが少しだけ身を乗り出して聞いてきた。
「とってもすごかったですよ。人が」
「だろうな」
「キツネの獣人の子供と会って、友達になりました」
「キツネの獣人……の、子供?」
訝しげに眉を寄せるオリヴィアさんに、詳しく説明した。あの二人、ちゃんと無事にお母さんのところに帰れたかな。
「……そうか……その子たちが、人間を嫌いにならなければいいが」
「大丈夫ですよ。賢い子たちですから、きっと悪い人間ばっかりじゃないって分かってくれたと思います」
「ならいいが」
ふう、とため息をついたオリヴィアさんは、紅茶の入ったカップを持ったまま、遠い目をしていた。
その横顔をぼんやりと見つめていたら、お土産の存在を思い出し、がま口ポーチを開いた。
「オリヴィアさんオリヴィアさん」
「なんだ?」
「ちょっと腕を出してください」
「腕?」
オリヴィアさんが、不思議そうに右腕をこちらに伸ばしてくる。その手首に、お土産のブレスレットをはめた。
「……これは?」
「お土産です」
「お前が買ったのか?」
「はい。あ、でも、じっくり店を見て回る余裕はなくて、ウェンディさんとレックスさんに選んでもらっただけですけど」
オリヴィアさんは、目を丸くして腕を上げてブレスレットを見ている。その視線の先は、一つだけついた球体の宝石――ローズクォーツに注がれている。
「その石……ローズクォーツじゃない?」
「やはり、宝石なのか? 高かっただろう?」
「いえ、安物ですよ。石の透明度が低いらしいので」
「そうは言っても……」
「オリヴィアさんに似合うかなって思って買ったので。あ、気に入らなかったら別に――」
「気に入る気に入らないの問題じゃない!……っ本当に、いいのか?」
「もちろんです」
最初は戸惑っていた様子のオリヴィアさんだったが、僕が力強く頷くと、ブレスレットをしていない左手で大事そうにそっと触れ、「……ありがとう」と言った。
「まったく……それのあとじゃ渡しづらいんだけど」
「えっ?」
ティムさんが、照れくさそうに少しだけ俯いているオリヴィアさんの前髪に触れた。そこには、蝶に似た魔物――モルファを象った小さな飾りがついたヘアピンがついていた。
嬉々として店員のメリーザさんが差しだしてきた鏡を見たオリヴィアさんが、またしても目を見開いた。
「スティーヴがさっさと帰っちまった後でよ、留守番の二人になんか土産でも買ってってやろうって話になってよ。ちなみに、お前のはこれな」
カイルさんが、上着のポケットからなにかを出した。渋めの様々な色が混ざった毛糸玉二束だ。
「つまり、これに埋もれろと」
「なわけねーだろ。あとで寝床、作ってやるよ。寒いの苦手なんだろ?」
「……!」
感激して、言葉が出なかった。またカイルさんの器用な職人並みの腕が見られるのか。
毛糸に触れ、軽く頬ずりをしてみる。とても柔らかくて、温かい。これで作った布団なら、どんなに寒い夜でも心配なく朝までぐっすり眠れるだろう。
「あったかいだろ? マシュデルからとった毛糸だからな。ランクは一番下だけど」
「十分です……った、楽しみです。あ、でも、徹夜はしないでくださいね?」
「はいはい。まぁ、ぼちぼちやるわ」
カイルさんがポケットにしまった毛糸を名残惜しく見つめる。しかし、もうじきカイルさんお手製の暖かい布団が手に入ると思うと、体はともかく心はとても温かくなってきたようだった。
◇◇◇
僕らが〈ロディオラ〉から帰還した、数日後。あるニュースが国中を駆け巡っていた。
〈ゴツコラ〉の領主であるデズモンド・アッシャー伯爵の息子ジョナサンが、廃嫡された件だ。
「飼育が禁止されていた危険な魔物を放流し、国の財産になるはずだった希少価値の高い宝石を隠して私腹を肥やしていた件を重くみた国王陛下が、直接判断を下した……」
朝、〈カモミール亭〉の店主・ハロルドさんから新聞を借りて、その事実を知った。店員のメリーザさんに、「目が怖いねぇ……」と言われたのは、とりあえずスルーしておいた。集中しすぎると、目をかっと見開く癖があるんです。仕方ないんです。
「予想はしてたけど、宝石を独り占めしてたことの方に重きを置かれてるって感じだね」
「そうですねぇ。ダンデレウスとレッドビーナについては……あんまり書かれてませんし」
黒パンを片手に持って頬をふくらませたティムさんが近づいてきて、僕が広げている新聞を覗きこんだ。
ダンデレウスとレッドビーナは、「危険な魔物」としかなく、その名前すらも書いていなかった。名前くらい出してあげてもいいのに。
一方で、アッシャー伯爵については大部分のスペースを使って書かれている。諸悪の根源である息子のジョナサンは、アッシャー伯爵にとっては唯一授かった男子だったそうだ。彼が廃嫡――後継者から外されたのは、代々〈ゴツコラ〉を統治してきたアッシャー家の存続が危ぶまれていることを意味する。もしも御家断絶となってしまえば、近いうちに〈ハーツイーズ〉に統合される可能性もでてくるそうだ。
「アッシャー家が断絶するなんて、まず考えられないけど……ひとまず、罪を犯した奴がきちんと罰せられたのはよかったんじゃない? ダンデレウスとレッドビーナは気の毒だったかもしれないけど」
「そうですね……これで少しは浮かばれるといいんですけど」
新聞を閉じて、ハロルドさんにお礼を言って返した。そして、なぜか朝からテンションが高いカイルさんがいるテーブルに戻る。
「やったぞ、お前ら! これでしばらく……白パン食い放題だぞ!」
「ちっさ……」
「クジも引き放題だ!」
「それはやめておけ」
ティムさんとオリヴィアさんとのテンションの高低差が、見ていて逆に面白い。
カイルさんのテンションが高い理由は、件の世間をにぎわせているニュースに関わる件だった。〈ゴツコラ〉のアッシャー家を追いやる口実を手に入れた、〈ハーツイーズ〉の領主でありレックスさんたちのパトロンのペンドリー辺境伯名義で、かなりの額の謝礼金をもらったのだ。具体的な額は知らないが、今までカイルさんたちが一度に手に入れた経験のないほどの高額だったのは間違いない。
「おう、マリネ。もっといい毛糸買ってきてやろうか」
「いえいえ。僕はこの前買ってくれたやつで十分です。なんとかしようって言い出したのはカイルさんですし、カイルさんの好きなことに使ってください」
「お前は……! 本当にできた従魔だな!」
カイルさんは、僕を両手で持ち上げて掲げ、その場でくるくると回った。
目が回る。けれど、カイルさんが喜んでいるのを見られて嬉しい。ちょっと複雑かも。
「大変だぁ!!」
そのとき、外で男の人の叫び声が聞こえてきた。だんだんと人だかりができてきているのが窓から見えた。
「なんだ?」
高いテンションから一変し、訝しげに眉間に皺を寄せたカイルさんが、僕を連れて外に出た。
昨晩降り積もった雪を踏みしめる音があちこちで聞こえる。うう、寒い。
「おい、なんの騒ぎだ?」
「大変なんだよ! 大聖堂前に……っ聖女様の死体が遺棄されてたんだよ!!」
「……は?」
しばらく、その言葉の意味を理解できなかった。頭が真っ白になる。
「聖女様って……誰のこと言ってんだよ」
「誰って、決まってるだろ!? ウェンディ様だよ!!」
カイルさんが目を見開き、言葉を失う。しばらくして、走りだした。
「嘘だ……っ絶対、嘘ですよね!?」
「……っ」
カイルさんからの返事はなく、ひたすら前を見て走り続けていた。




