33話 人から直接依頼を受けてみましょう
揺れる馬車の中で、僕はハートを射抜いてしまったらしい聖女様の膝の上にちょこんと座らされている。
「おい……これは、どういうことだ」
「なにがだ?」
「なにがじゃねーよ!! そのわけ分かんねぇ魔物に決まってんだろうが!!」
向かい側の席に座っていた見慣れない男性が、立ち上がってこちらを指さした。
怒鳴る男性――ベリーショートの藍色の髪に、この馬車の中でも気にせず立ち上がれる程度の身長が特徴――に対し、レックスさんは笑い、ウェンディさんはむすっとして眉をひそめていた。
「ブルーノさんまで……こんなに可愛らしいお方を邪見にしないでくださいっ」
「お前の悪趣味さは重々承知の上だがよ、さすがにこいつの存在は看過できねーわ! どこで拾ってきた!?」
「こいつはカイルの従魔のマリネだ」
「はぁっ!?」
「お、落ち着いて、ブルーノ」
ツッコミ役の男性を、その隣に座っている少女が宥めている。
ブルーノと呼ばれた男性と、まだ名前が分からない、そばかすと三つ編みにしたダークブラウンの髪が特徴の少女。この二人もレックスさんの仲間――つまり、Sランクの冒険者なのだろうか。だとすれば、見た目だけで判断してしまうとひどい目に遭わされそうなタイプの人たちだ。
「あの脳みそ筋肉野郎の従魔がなんでここにいるんだよ!? これからどこ行くか分かってんのか!? もっと緊張感もてよ!」
「〈エキナセア〉には行かないぞ」
「ああ!?」
他の三人がそろってぎょっとして目を丸くし、レックスさんを見た。
「どういうことですか?」
「いや、語弊があるな。行くけど、ちょっと寄り道する」
「寄り道だ?」
「カイルに話しておきたいことがあってな。今、〈ロディオラ〉に出かけてるらしいからちょうどいいだろ?」
ブルーノさんを除いた、ウェンディさんともう一人の三つ編みの少女が頷いた。
「そうでしたか。それなら大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃねーわ! だからってこいつを連れてく必要がどこにある!?」
「ブルーノ……レックスさんが決めたんならしょうがないよ。どうせ言っても聞かないし」
そもそも、もう馬車乗っちゃってますしね。
とは思ったが、怒りの矛先が向けられる――すでに向けられているようなものか――のはさけたいので、ひたすら黙っていた。ウェンディさんがいてくれる以上、少なくとも窓からポイ捨てされるなんていう悲劇は起こらないはずだ。
ブルーノさんは、しばらく握った拳を震わせていたが、返す言葉は見当たらなかったようで、それ以上なにも言わず、悔しそうに腕組みをして席に座りなおした。
「と、いうわけだ。マリネ。今大騒ぎしてたのが盗賊のブルーノで、隣のちっさい女が槍の名手のリザだ」
「誰のせいだと……っ!」
「また名手って……! その紹介のしかたはやめてほしいって何度も言ったでしょ!?」
ブルーノさんは額に青筋を立てて怒り心頭な様子で、リザさんは恥ずかしそうに顔を赤らめて、首を何度も横に振った。
「なにがダメなんだ? 間違ってないだろ」
「そんなことない! 私は、レックスさんのおかげでSランクになれたようなものだから!」
「まーたお前は……なんでそんな卑屈になりたがるんだ?」
「リザさんの槍さばきは、まるで舞いを踊っているようで美しいと評判ではありませんか」
「それ言ってるの、ウェンディだけだから!」
「この前なんて、自分よりはるかにでかいポラートを一人で見事に蹴散らしていたよなぁ」
「し、してない! 私のことはもういいから!」
「へええ。あの凶暴なポラートを? リザさんってすごいんですね!」
「……っ! ち、ち……っ違うってばぁぁ……っ」
リザさんは、とうとう真っ赤にした顔を両手で覆って俯いてしまった。
そんなつもりはなかったのだが、感心してつい煽るような言い方をしてしまった。申し訳ないです。
「ああ、ブルーノもすごいぞ。情報収集においては右に出る者はいない」
「ついでみたいな流れで褒めんのはやめろ! ぜんっぜん嬉しくねーわ!」
ブルーノさんはそっぽを向き、舌打ちをして窓枠に頬杖をついた。
勇者に聖女、凄腕の盗賊に槍の名手。これが、Sランクパーティーか。なんというか……意外ととっつきやすい雰囲気かもしれない。
そんな感じで、和気あいあいと言えるか微妙な雰囲気の中、開いた窓からほのかに潮の香りが漂ってくるようになった。
「着いたぞ。あれが〈ロディオラ〉だ」
ウェンディさんに持ち上げられ、窓の外がよく見えた。
簡易的に屋根が設えられた露店が左右にずらりと並んでいて、売り手が客を呼ぶ活気のいい声があちこちから聞こえてくる。通りは人で埋め尽くされていて、歩いて進むのも大変そうだ。もしも、一人でここに来たとしたら、ものの数秒で迷子になる自信がある。というか、踏みつぶされて終わる気がする。
「す……すごい……」
「マリネさんは、〈ロディオラ〉は初めてですか?」
「そりゃそうだろ。来たことあんならびっくりだわ」
感心しているうちに、馬車が停車した。すぐに、リザさん以外が降りる。
「私はここで留守番してるから。あ、あんな中に入ったら即行で人酔いする……っ」
「ああ、いいぞ」
リザさんは、目を固く閉じて首を横に振って降車を拒否した。気持ちは分かる。あんな、年末の某商店街のような場所を好む人はそうはいないだろう。
「ブルーノ、頼めるか?」
「なにをだよ」
「カイルとティム探し」
「……あえて言わせてもらうからな……俺を都合のいい使いっ走りみたいに思ってたら承知しねぇからな! 早くくだらん用事を済ませたいだけだからな!」
そう吐き捨てて、ブルーノさんは人ごみの中へ消えていった。なんだかんだで人がいい――否、いい人だ。
「では、ブルーノさんが戻ってこられるまで待ちますか?」
「いや、せっかくだし俺らも行こう」
「えっ?」
なにも考えていないようにさらっと言ったレックスさんを、ぎょっと目を見開いて見上げる。なにを言ってるんだ、この人は。
「大騒ぎになりませんか?」
「大騒ぎ? なんでだ?」
「レックスさん、〈サントリナ〉でファンの人たちにもみくちゃにされてたじゃないですか。あんな中に入ってったら、パニックが起こりますよ」
「起こらん起こらん。みんな買い物に夢中で誰も気づかないさ」
「そんなわけないと思いますけど!?」
「そうか? お前さんはとことん用心深いな」
レックスさんは、まるで他人事のように自分の顎髭をなでていた。いえ、あなたが不用心なだけかと思いますが。
どんな店があるのか見てみたいのは山々だが、トラブルに巻き込まれるのは困る。ここで待っているのが一番安全だ。
「待ってた方が絶対――」
今にも市場へ突入していこうとするレックスさんを、阻止しようと言いかけたところで、視界の端に奇妙なものが見えて、言葉を止めた。
前方、〈ロディオラ〉の市場に入るアーチ状の柱の陰に、小さな動くものがいる。太くて茶色い柔らかそうな毛の尻尾が揺れている。
「っ! 待って!」
その尻尾の持ち主――レックスさんの膝よりも小さい背丈の子供は、振り返ってこちらと目があった瞬間に驚き、〈ロディオラ〉の外の森の方へと逃げていった。
ウェンディさんの手から下りて、追いかける。背中が見えたところで、その子は落ち葉に足をとられて前のめりに転んだ。
「わ……! 大丈夫!?」
「来るなっ!」
声をかけながら近づくと、その子は素早く起き上がり、尻餅をついた姿勢で威嚇した。とはいえ、涙目でこちらを睨みつけ、そばに落ちている枯れ葉をつかんで投げるといった、まるで効果のない威嚇だったが。
これ以上刺激するのはまずいと思い、立ち止まって様子をうかがった。
薄茶色の尻尾は背中に隠れているが、頭の上にある同じ色の毛で覆われた耳ははっきり見える。毛の色からして、キツネかなにかの獣人だろうか。
「ご、ごめんね。怖がらせちゃった?」
「あっち行けよ……! ぼ、僕、食べたって美味しくないからな!」
「うーん、それはこっちが言うべきセリフかも」
獣人の子供がキッと睨みつける。
埒が明かないので、ひとまず緊張をほぐさなくては。
「見て見て。フラダンス」
二本の触手を横にして、うねうねと波打つような動きをしてみせる。左で数回動かしたら、今度は右にも数回。
「……っ?」
「あれ、フラダンス知らない? こんなカンジの楽しいダンスだよ。ね? 君もどう?」
少しだけその子の表情が和らいだ。ノーリアクションかつさらに怖がられて逃げられた、なんていう事態にならなくて、よかった。
それから、しばらく子供の反応はなかったが、僕は踊り続けた。やがて、小さくて高い笑い声が聞こえてきた。
「変なの……」
やった! 笑ってくれたぞ。
ほっと息をつき、その子にもう少しだけ近づいた。転んだときに右膝をすりむいたらしく、若干血が滲んでいる。
「痛い?」
「大丈夫……僕もう子供じゃないもん」
「子供だよね、どう見ても」
「違うもん! 小さい子供じゃないもん!」
「ああ、そうだね。偉いね、泣かなかったもんね」
触手を伸ばして、その子の頭をなでた。
ティムさんがいたら、こんなケガすぐに治してもらえそうだけれども。生憎、手当ての道具も持っていない。傷薬の一つくらい持ち歩いておくべきだった。
「歩ける?」
「うん」
「じゃあ、さっきのところまで戻ろう。僕の……友達が待ってるから」
「……その人たち、僕のこと食べない?」
「大丈夫」
伸ばした触手でその子と手をつないで、レックスさんたちとはぐれた場所に戻るため歩きだした。
「名前、聞いてもいいかな? 僕はタコのマリネっていうんだ」
「僕はロン……タコってなに?」
「海にいる生き物だよ。僕は魔物だけど」
「……魔物って、もっと怖いやつだと思ってた」
「そうだね。怖いやつもいるけど、こっちがなにもしないと襲ってこないのもいっぱいいるんだよ」
「マリネも、襲われたら怖いやつになるの?」
「なるよ。こーんな、おっきくなっちゃうからね!」
「えー? ウソだぁ」
「ホントだよ!」
ロンと名乗ったキツネの獣人の子は、はなしているうちにだいぶ緊張がほぐれたらしく、笑顔を見せてくれるようになった。
よかった。やはり、子供は笑顔が一番だ。
「それで、ロンはどうして一人で〈ロディオラ〉に?」
「……お母さんが……病気で」
「えっ?」
笑顔から一変、ロンは顔を俯けて眉を垂らした。
「兄ちゃんが、栄養あるものたくさん食べたらきっと治るからって言って、出てっちゃったんだ。でも、全然帰ってこないから……」
「……そっか。それでロンは迎えにいこうとしてたんだね?」
「うん……どうしよう。兄ちゃんが、誰かに捕まってたら、どうしよう。食べられちゃってたら……っどうしよう」
あ、まずい。
そう思った直後、ロンはとうとう泣き出した。しゃっくり上げながら、次々に流れ落ちてくる涙を手で拭っている。
「大丈夫だよ! お兄ちゃん、きっと無事だって!」
「うう……っ」
「あ、そうだ! 僕の友達の力を借りよう! きっとすぐ見つけだしてくれるから!」
「……本当?」
言ってしまった。
けれども、レックスさんもウェンディさんも、こんなに悲しんでいる子供を平気で無視できるゲスな大人ではないはずだ。勝手に約束をしてしまい申し訳ないけれど、なんとか許してほしい!
「ホントホント! 大丈夫だから。それで、君のお兄ちゃんの名前は?」
「ルイだよ。ルイお兄ちゃん」
「……え」
僕は驚愕し、言葉を失った。
カイルさんが死に別れたかつての相棒と、同じ名前なんて。
どこにでもいそうな名前? そうかもしれない。けれども、これは間違いなくなにかの縁だ。そう思わずにはいられなかった。




