2話 職業を選択しましょう
不思議の国に迷い込んだ少女と似た姿をした女性に誘われて、やってきた魔物研究所なるものは、目と鼻の先の場所にあった。
店の前に掲げられた古びた看板には、「リンジー魔物研究所」とあった。
「リンジー……さん?」
「あ、これは私のおばあちゃんの名前。もうとっくに死んじゃったんだけど、生きてた頃はすごかったのよ。魔物使いっていうか、猛獣使いって感じでね。ちなみに、私の名前はミランダね」
「そうでしたか。よろしくおねがいします」
「こちらこそ」
ミランダと名乗った女性は、一旦しゃがんで笑顔で僕の頭をなでた。
初めて人と会ったときは散々な目に遭ったけれど、こんなふうに優しくしてくれる人もいてよかった。他の魔物もいるらしいが、あわよくば同じ魚類に属するものがいてくれると嬉しい。
中は、木造で温かみのある造りだった。大きな窓があって、外の明かりがふんだんに取り込まれている。と、思いきや、隅の方には物が雑多に詰まれていて、暗くてじめじめしていそうなスペースもある。他には、止まり木代わりの太くて立派な枝や、小さな池までもあった。池の真上にはライオンの像があり、口から水を吐き出している。
魔物の研究所だけに、どんな魔物も適応できるように色々な設備をそろえているのだろう。維持費がかなりかかりそうだ。
ちなみに、肝心の魔物の姿はなぜか見当たらない。新参者がやってきたから、警戒して身を潜めているのだろうか。
「それじゃあ登録するよ。ちょっとだけじっとしててね」
ミランダさんは、僕を木の台の上に置いた。そして、黒い液体が入った小瓶と刷毛を取り出し、刷毛にたっぷりと小瓶の中の黒い液体をつけた。
「すぐ終わるから我慢してね」
え? 待って? 嫌な予感が……!
と、逃げる間もなく、顔面に刷毛をこすりつけられた。くすぐったい。視界が真っ黒だ。僕に墨をかけられた相手はこんな気持ちなのかと、少し申し訳ない気持ちになった。
続けて、スタンプの要領で紙に顔面を押さえつけられる。見事な僕の魚拓ができた。
「はい、お疲れ様。じゃあここで洗って」
ミランダさんは、池のふちまで僕を連れていってくれた。遠慮なく中へとダイブ。きれいだった水が墨で黒く濁ってしまったが、「洗って」と言ったのは彼女だし、文句は言われまい。
池から出ると、ミランダさんが用意してくれたタオルで水分を拭きとった。
「それじゃ、この後の流れを説明するね。魔物と契約したい人が来たら、求めに応じて紹介して、お互いに気に入ったら契約って感じね。それまではどこでも好きな場所で過ごしててくれていいから。でも、外には出られないから注意してね」
チュートリアルのような説明を聞きながら頷いていると、危うく一番重要な部分を流してしまうところだった。
なんだって? 外に出られない?
「外に出られない、とは……?」
「うん? だってあなたはもううちの魔物さんとして登録しちゃったもの」
「登録?」
「ええ。ほら、これ。私がおばあちゃんから受け継いだ魔法みたいなものなの。魔力をこめたインクで型をとって、その紙にサインをすれば登録完了っていうカンジね」
ミランダさんに見せられた僕の魚拓には、確かに右の隅の方にサインがしてあった。
「魔法……使い?」
「ううん。似てるけど。正しくは調教師ね」
いやいやいや。話が違くないですか。お試しで来てみないか、と言っていたのに。
こちらが動揺しているのに気づいているのかいないのか、ミランダさんは「それじゃごゆっくり」と笑顔で言って、店の奥へと消えていった。頭上に浮かぶ、「悪徳業者」の四文字。
「……しょうがないか」
郷に入っては郷に従え、住めば都、だ。こうなってしまった以上、仕方ない。この場の環境にうまく順応するしかないだろう。早々に諦めて、ひとまず池がある方へ向かった。
ペタペタと歩いていると、背後からかすかに羽の音がした。なにかが飛び下りてきたようで、そっと振り返った。
「あ、こんにちは」
「…………」
フクロウに似た、大型の鳥だった。白を基調とした羽毛に、黄色の瞳が印象的だ。シロフクロウに近いだろうか。魔法使いの肩にでも乗っていたら、とても絵になりそうだ。
そのフクロウは、じっとこちらを見つめたのち、くちばしでつついてきた。地味に痛い。痛いからやめてほしい。
その後も、クモやらカエルやら、食虫植物のような見た目のものやら、色々な魔物がやってきてはちょっかいをかけられた。いわば洗礼だろう。魔物界もなかなか厳しい世界のようだ。
池にもぐって落ち着こうとしたときに、奥の扉が開いて誰かが入ってきた。
「おーいミランダ……って、どこいった?」
入ってきたのは尖った形にセットされた黒髪の男性で、ミランダさんに用がある様子だ。目を凝らしつつ、店内を見回している。
「ミランダさんなら奥の部屋ですよ」
「そうか、入れ違い――誰だ?」
踵を返して戻ろうとした男性は、すぐに振り返り、目を細め険しい顔で辺りを見回した。
しまった。部屋には魔物以外誰もいないはずだと思っていたところに、突然声が聞こえたら怪しむのも無理はない。背中に背負っている剣かなにかの柄に手をかけた男性をどうなだめるか考えていると、またしても扉が開いた。
「カイルくん? 私はこっちよ」
「あ……? おう」
顔をのぞかせたミランダさんを振り返りつつ、男性は腑に落ちない様子で首を傾げていた。混乱させてしまってすみません。
「全部運んでくれた? じゃあこれ、報酬ね」
「おう。まいどあり」
ミランダさんは男性に、ジャラジャラと鳴る小さな麻袋を渡していた。
彼はなにかの業者だろうか。「運んだ」と言っていたから、いわゆる配達業者かなにかかもしれない。少し気になったので、池に入る前に近くの棚にぺたこらよじのぼり、彼を観察してみた。
黒い髪は、癖が強くて先がとがった形をしている。肩に斜めにかかったベルトは、振り返ったときに見えた背中の大剣を背負うためのものだ。服は、半袖に長ズボン。露出している肌にはあちこちに傷跡があり、かすかに見えた手の平にはマメがつぶれたような跡もある。相当な努力家だ。
「なんだお前」
じっと見ていたせいで、彼と目が合った。男性は僕がいる木の台に近づき、腰をかがめて顎を台の上に載せた状態で見つめてきた。
と、思ったら、無言で頭をつかんで持ち上げられた。抵抗のため、触手をわしゃわしゃと動かす。
「うはは! なんだこいつ、面白っ」
「ちょっとー。新人さんいじめないでよ」
「いじめてなんかねーって。こいつも魔物か?」
「そうよ」
「虫……とも違うか。どこで捕まえたんだ?」
「海からきたみたいね。魚類が変異したものじゃないかな」
「魚類!? 魚かお前」
「そうですよ」
肯定すると、男性がぎょっと目を見開いた。
「しかも喋ったし……あ、さっきの声、お前か?」
「はい。驚かせてしまったみたいで、すみません」
「いいってことよ」
黒髪の男性は、僕をつまんだまままじまじと観察していた。いい加減離してほしい。
「カイルくん、その子に興味ある?」
「いや、興味っつーかおもしれぇなって思っただけ」
「それを興味あるっていうのよ。どう? 契約しない?」
「しねーよ。必要ねーし」
ガーン。
人にこき使われるのは嫌だが、それにしてもそんなストレートに言われたらさすがにショックだぞ。
目を見開いて口をすぼめ、ショックを受けているとアピール。しかし、男性は「顔芸うまいな」などと言って笑うだけだった。なぜ伝わらない。
「うちみたいな貧乏パーティーに魔物連れる余裕なんかねぇって。知ってんだろ?」
「ふーん。いいんだ? その子、鍵開けスキル持ってるけど。欲しいって言ってなかったっけ?」
からかって、指を僕のひょっとこ口につっこもうとしていた男性の動きが、ピタリと止まった。そして、ゆっくりとミランダさんの方へ顔を向ける。
「……今、なんつった?」
「だから、その子鍵開けスキル持ってるって――」
「くれ」
決断早いな、おい。