21話 魔物について勉強しましょう
翌朝。
金魚鉢の中で、きれいに洗ったホタテに似た貝の殻を布団代わりにして寝ていたはずの僕は、異変を感じて目を覚ました。
なにこれ。なんだか、とっても窮屈だぞ。
体が締めつけられるような感覚。目が、鉢に押しつけられているようでよく見えない。触手をぴょろぴょろ動かしてみても、どうにもならない。おかしいな。
「助けてくださいぃ……」
情けない声がもれた。だめだ、これでは誰にも届かない。
「カイルさぁん」
そばのベッドで横になっているはずのカイルさんを呼ぶ。お願い、気づいて。
そう念じたとき、ギシギシとベッドが軋むような音が聞こえてきた。気づいたかな。それとも、寝返りを打っただけ?
「カイルさん助けてー」
「なにやってんだお前!?」
起きてくれたようだ。よかった!
そして、カイルさんは僕がはまったままの金魚鉢を持ち上げ、まるでお菓子の袋の封を開けるようにして左右に引きちぎった。馬鹿力、バンザイ。
中の水が床に落ちて軽く水浸しになってしまったが、おかげで脱出できた。
「なにしてんだよお前は! なんで中に入ったままでっかくなるんだよ!?」
「僕にも分からないんです!」
カイルさんの手の上にいる僕は、いつもなら片手で足りるくらいのサイズだが、今は両手でないと支えきれないほど、二回り以上大きくなっていた。そして、戻らない。
「成長期かもしれません」
「ばかか」
ひどい。不可抗力なのに。
その後、隣の部屋で寝ていたティムさんが、寝ぼけ眼のまま騒ぎを聞きつけて顔をのぞかせてきたので、事の次第を話した。
「昨日、夕飯食べずに寝たから腹減ってるんじゃないの?」
「腹が減ったらでかくなるって意味分かんねぇんだけど」
「一応魔物だし、常識で考えても意味ないよ。っていうか、そもそもカイルの頭の中に常識なんてろくに入ってないだろ」
「あるわ! 少しくらい!」
「どうしても気になるなら、ミランダに聞いてくれば?」
ティムさんは、あくびをしながら「顔洗ってこよ」といって出ていった。カイルさんが寝癖のついた頭をがしがしとかきむしる。
その後、とりあえず〈カモミール亭〉で朝食を済ませると、自然と体は元のサイズに戻った。やはり、空腹が原因だったのだろうか。ティムさんの、「ほらやっぱりね」と言いたげな冷めた視線が痛かった。オリヴィアさんが、「大丈夫か?」と優しく言葉をかけてくれたのが救いだった。
寝床にしていた金魚鉢が壊れてしまったので、新しいのを買いにいくついでに、カイルさんと一緒に魔物研究所のミランダさんを訪ねた。
「朝起きたら体が大きくなってた……ねぇ」
ミランダさんは、突然訪問したにも関わらず、快く招き入れてお茶まで出してくれた。
「飯食ったら元に戻ったから、ティムの言うとおり腹が減りすぎてたのが原因なのか?」
「それもないとは言い切れないけど……昨日、なにか変わったことはなかった?」
ミランダさんが僕を見て聞いてきた。
「そうですね……昨日はサラさんに頼まれて、たくさん宝箱を開けて疲れたのですぐ休みましたが」
「ああ。そういうこと」
「そういうことって、どういうことだよ」
ミランダさんが納得した様子で何度か小刻みに頷く。当事者の僕らは置いてきぼりで、カイルさんは訝しげに目を細めた。
「とりあえずお茶をどうぞ。それ、冷めちゃうと味が変わっちゃうから」
「いい。これ、モニマニ茶だろ」
「あら、カイルくん苦手? っていうか、その呼び方……お年寄りみたいね」
「んだとコラ!」
途中で、ぷっと吹きだしたミランダさんに、カイルさんが食ってかかる。
そんな謎の掛け合いをする二人を尻目に、湯気の立つ花柄のカップを両手で持った。独特の甘い香りがする。飲むと、滑らかな舌触りとコクが感じられた。
「美味しいです」
「そう、よかった。マリネはちゃんと味が分かるのね」
「どこがうめぇんだよ……変に甘ったるいにおいするし」
「確かに〈カモミール亭〉で出るのとも、前にケイティさんにいただいたのとも違いますね」
そのとき、自身のカップを持ち上げようとしたミランダさんの手が滑って、カップが高い音を立ててソーサーに落ちた。
「ケイティさんにいただいたのって……まさか、アルニカ?」
「は、はい。確かそんな名前だったかと」
ミランダさんは、右手で口を押えて目を見開き、「嘘でしょ……」と消えそうな小さな声で呟いた。
「ケイティさんさすが……! アルニカ持ってるなんて、すごすぎる」
「そんなに特別なお茶なんですか?」
「特別っていうか、すっごい貴重。帝国産だから、庶民の間にはほとんど出回らないのよ。美味しかったでしょ?」
「そうですね。とても上品な香りがしました」
「えーいいなぁ……」
ミランダさんは、とろけたようなうっとりした目をしてため息をついた。
そんな高級茶だとは露知らず。もっとしっかり味わって飲むべきだったか。というか、そんな貴重なものを持っていたケイティさん……「実はお嬢様説」が濃厚になったか?
「おい。茶なんてどーでもいいから、こいつのことちゃんと説明してくれよ」
「はいはい。もう、相変わらず情緒もへったくれもないんだから」
カイルさんに急かされたミランダさんは、残念そうに眉を垂らしてカップの紅茶を一口飲んだ。
「私個人の見解だから、鵜呑みにはしないでほしいんだけど……たぶん、防衛本能が働いたんだと思う」
「防衛本能?」
「そう。鍵開けスキルは、数あるスキルの中でも魔力の消費量が多いのよ。だから、立て続けに使ったせいで体が弱ってた。それを知られないように、敵に襲われないように防衛本能が働いて体が大きくなった」
「……? いや、なんでそうなるんだよ?」
「動物……魔物もそうかな。敵に遭遇したときの威嚇の仕方で、体を大きく見せるっていうパターンは結構多いのよ。でも、弱ってると戦うことも逃げることもままならないから、簡単に捕食されちゃうでしょ? それを防ぐための措置なんじゃないかな」
「あー……なんとなく分かった」
僕も納得できたので、頷いた。
「っていうのが、一つの説」
「……一つ? 他にもあんのか?」
「さっきも言ったけど、鍵開けスキルは魔力の消費量が多いの。それで、減った魔力を補うために潜在的な魔力が一気に解放されて、大きくなったっていうのがもう一つの説」
「潜在的な魔力……?」
「うん。むしろ、私はそっちの方が可能性高いんじゃないかと思う。かれこれ五十年、色んな子と会ってきたけど、魔物除けの魔法がかけてある図書館に簡単に侵入できちゃう子――もっと言うなら、人の言葉を喋った子はマリネが初めてだし」
「なるほどな。五十年も――はっ? 五十年?」
僕もカイルさんも、ぎょっとしてミランダさんを凝視した。
滑らかでストレートな腰近くまである長い金髪。黒いカチューシャ。つやつやした肌。水色と白のエプロンドレス。こんな若々しい見た目の人が、五十年生きてるって?
「ミランダお前……っいくつだよ?」
「やぁね、カイルくん。女性にそんな気安く年齢を聞いちゃだめよ。でもまぁ……そうね。五十と六十の間、とだけ言っとくかな」
「…………」
左目を閉じてウインクをするミランダさんを、僕らは変な汗をかきながら見つめた。
◇◇◇
若干もやもやした気分のまま、お礼を言って〈リンジー魔物研究所〉をあとにした。
「いやー驚いたな……」
「そうですね……」
ミランダさん、二十代だといってもおかしくない見た目なのに。趣味を仕事にして続けていると、心も体も活性化するのだろうか。
そういえば、〈夜魔の歌声〉のウルフさんが彼女を「ババア」呼ばわりしていたけれど、あながち間違いではなかった……否、失礼には変わりないな。
「あいつが実は五十すぎのババアだって聞いて色々ふっ飛んだわ……なにしに来たんだっけ?」
「僕のことを聞きにいったんです」
「ああ、そうだった。で、えっと……隠れてた魔力が解放されたんじゃないかっつー話だっけか?」
「そうかもしれないって話みたいですね」
実際のところ、どうなんだろう。「人の言葉が喋れる」点自体がとても珍しい話らしいから、少しは自惚れてもいいのだろうか。否、たとえ大量の魔力を隠し持っていたとしても、それを自在に操れなければないのと同じである。
「僕、クラーケンになる道筋が見えてきたような気がします!」
「そうかよかったな。いいけど、もう昨日みたいな無茶はすんなよ」
「はい。気をつけます」
「よし。んじゃ、仕事の前にサラんとこ行くか。昨日の落とし前つけてもらわねーと」
「お、穏便にお願いします」
肩をいからせながら歩き、〈コーデリア商店〉に突撃しようとしたカイルさんを引き止めるのがとても大変だった。