16話 難しいクエストに挑戦してみましょう③
夜が明けて、日の出とともに登山を再開した。
今日の天気は、快晴。山の天気は崩れやすいらしいけれど、どうやら天気にだけは恵まれているようだ。
そう、天気に「だけ」は。
「なんで逃げなきゃいけねぇんだよ!」
「お前が不用意に近づくからだろ! このエリアのポラートは討伐対象になってないって言ったのに!」
「もっと早く言えよ!」
歩きだしてまもなく、茶褐色の体毛に覆われてどっしりした体型の熊に似た魔物――ポラートに出くわしてしまったのだ。唸り声を上げるそれに応戦しようとしたカイルさんだが、ティムさんが言ったとおり、「討伐対象になってない」として、逃げるしかなかった。
ポラートは、こちらが逃げだした途端に、牙をむき出しにして涎を垂らしながら、四つん這いで追いかけてきた。魔物と呼ぶにふさわしい姿だ。
僕は、相変わらずカイルさんの肩に乗っているので、走り続けている三人を尻目にとても楽をしている。罪悪感? ないわけがないでしょう。
「僕の『ブラックアウト』で混乱させて、その隙に逃げるっていうのはどうですか!?」
「ダメだよ! そしたらもっと狂暴化するかもしれない!」
それもそうか。うう、役立たず。
「なんとかして巻かないとまずいぞ! この先はモリヤスデが棲家にしているエリアだ!」
「モリヤスデって!?」
「鋭いトゲと猛毒を持っていて、他の魔物も近づこうとしない危険な――っそうだ! それを利用しよう!」
「はぁ!?」
「できるだけモリヤスデに近づいて、ポラートの方から退散させるんだ!」
オリヴィアさんの提案に、カイルさんがティムさんと顔を合わせる。ティムさんは眉を寄せたが、頷いた。危険だが、それしか方法はないと諦めたのか。
「オリヴィア! モリヤスデが見えたらすぐ言え!」
「分かった!」
先頭を走っていたカイルさんが少しだけスピードを緩めて、オリヴィアさんと位置を交代した。
しばらく走ると、立ち枯れしている木々が目立つエリアに入った。
「見えた……! カイル!」
「おう! マリネ、頼んだぞ!」
「はい!?」
「お前の伸びる腕で、反対側に移動するんだ!」
反対側に移動?……って、どういうことですか!?
カイルさんの言葉を頭で巡らせて、ややあって理解した。ようするに、モリヤスデの群れの上を飛び越えろ、と。他の魔物は近づくのも嫌がるのだから、盾のようにして利用できるかもしれない。
僕は、先頭を走るオリヴィアさんの肩に飛び乗って、位置を見極めた。まもなく、ハリネズミのようにトゲがびっしり生えたムカデのような魔物が、長い体をくねらせて地面を這っているのが見えた。見た目こそムカデに似ているが、大きさはその何十倍もある。
恐怖を味わう間もなく、彼らの上を飛び越えて腕を伸ばし、向こう側の木に絡みつく。
「先に行け! オリヴィアとティムを頼む!」
「だから討伐は――」
「分かってる! 時間稼ぎをするだけだ!」
カイルさんは急ブレーキをかけて立ち止まり、追いかけてくるポラートと向き合い、剣を抜いて構えた。
獰猛な魔物を、傷つけないように相手をするなんて無茶にも程がある! 早くしないと!
先に自分だけ向こう岸に渡って、すぐにまた腕を伸ばす。まずは、オリヴィアさんの腰に腕を絡めて、こちら側に運ぶ。続いて、ティムさんも同じように。
なんてもどかしい。一本だけではなくて、少なくとも二本同時に伸ばせたら、一度で済んだのに。
「カイルさん!」
めちゃくちゃに暴れ回っているポラートを、大剣で盾のようにガードしながら押さえつけているカイルさんを呼び、腕を懸命に伸ばす。直後、カイルさんがポラートを押し返し、奴が仰向けに倒れた瞬間にこちらを振り向いた。
その体に腕を絡め、素早くこちらに引き寄せる。しかし、ポラートの方も素早く起き上がり、腕を振るった。
「っ!」
カイルさんが顔をしかめる。まさか、間に合わなかったのか!?
こちら側に到着して下ろすと、カイルさんの左のふくらはぎのあたりの服が裂けていて、ぱっくりと開いた傷から血が流れていた。あの爪で引っかかれたようだ。
「カ……カカ、カイ……っ」
名を呼ぼうとしたのに、うまく舌が回らない。そのうち、「どいて」と言って、ティムさんが杖を持って前に出た。その杖は、以前見た『アメジストの杖』とは違う、緑色に輝く宝石がついた杖だった。
「〈体よ、再生せよ〉」
ティムさんが呪文をとなえて杖を振ると、ケガをしたカイルさんの足が光に包まれた。光が消えると、傷は跡形もなくなっていた。さすがに裂けたズボンは直らなかったけれど。
「助かった。つーか、お前その杖――」
「『エメラルドの杖』だけど……なにか?」
「なにか、じゃねーよ! いつの間に!?」
「だいぶ前……クジで、当てた」
「はぁあ!?」
絶叫するカイルさんの傍ら、未だに息が乱れているティムさんがそっぽを向いた。
「だいぶ前って、いつだよ!?」
「はぁ……覚えてないよ。回復専用も買おうかどうしようかって悩んでたときに、ちょうど手に入ったんだよ」
ティムさんが、息を整えながら普通だと言わんばかりに、鼻で笑って言い放つ。とてつもない大物だ。カイルさんも同じ気持ちなのか、顔を引きつらせていた。
それにしても、『アメジストの杖』だけでなく、『エメラルドの杖』まで持っているなんて。その強運を、少しだけでもカイルさんに分けられたらちょうどよくなる気がするのに。
「うまくいったようだな」
こちらが騒いでいるのをもろともせず、落ち着いた様子で向こう岸を見るオリヴィアさんにならって、同じ方を向いた。歯ぎしりをしながらその場で円を描くようにうろうろしているポラートが、やがて諦めたように立ち去っていった。やはりモリヤスデが怖いらしい。
「……だな。マリネのおかげで助かった。ありがとな」
「いいえ……結局ケガさせてしまいましたし」
「もう平気だって。見ただろ、ほら」
カイルさんが裂けた服を広げて、古傷の跡がうっすら残っているふくらはぎを見せてきた。それはそうなんですけど。
慰めているつもりか、僕の頭に軽く手を置いて笑顔を向けるカイルさんを見ていたたまれなくなり、顔を俯けた。
「つーか……生で初めて見たけど、気持ちわりーな」
カイルさんが立ち上がり、眉間に皺を寄せた険しい顔で目の前にいるモリヤスデたちを見た。もぞもぞと動いてはいるが、こちらになにかしてくる様子はない。
「絶対に触るなよ。トゲの先端に猛毒があるからな」
「猛毒ねぇ……ちょっとかぶれる程度じゃ済まなそうだな」
「皮膚が溶けて激烈な痛みが生じる。その痛みが引くまで数日はかかる」
オリヴィアさんの解説を聞いたカイルさんが、「うっ」と声を詰まらせて後退りをした。
「この辺りの木が枯れているのは、こいつらの毒のせいだ。だから、本当なら討伐対象なんだが、手を出さない方が無難だ。死に際に体内で濃縮された毒をまき散らすらしいから」
「普通に死ぬだろ、そんなん!」
「向こうから襲ってくることはないから、攻撃しなければ問題ないぞ」
「ねぇ。そんなことより、さっさと先進まない?」
ティムさんが気だるそうに荷物の中から地図を出して広げた。
「だいぶ正規のルートから離れたっぽいけど」
「そうだな……戻るとまたあのポラートと遭遇するかもしれないし、別ルートで行くしかないと思うが」
「別ルートっつうと……」
「今はおそらくこの辺りだから、西回りのルートで行くのが近い」
「こう行くルートな。よし、それでいくか」
話し合いが終わると、僕はカイルさんに持ち上げられ、また肩の上に乗せられた。このスタイルで進むのは譲るつもりないんですね。
「しっかし、いきなりポラートなんかに出くわすとはなぁ」
「しかも、討伐禁止エリアでね。まさしくカイルの不運さの賜物だね」
「はいはい、悪かったな!?」
怒るカイルさんの傍らで、僕は疑問を感じていた。討伐していい魔物としてはいけない魔物は、一体なにが違うのか。
「オリヴィアさん。討伐対象に指定されないものって、なにか理由あるんですか?」
「あるはずだが……指定しているのは自然科学研究所だからな」
オリヴィアさんが、顎のあたりに握り拳を置いて考えこんだ。余計な質問だったらしい。すみません。
「ティムは知っているか?」
「食物連鎖が関係してるんじゃない?」
「ショクモツレンサ?」
カイルさんの聞き返した言葉は、明らかに片言だった。
「ポラートは魔物の中で……っていうか、自然界においてはほぼ頂点にいる。だから、やたらと狩ればポラートが獲物にしていた奴が増えまくる。逆に、増えた奴らが獲物にしている奴が減る。そんな感じに自然界のバランスが崩れないようにしてるんだよ」
「なるほど……」
「っつっても、魔物だろ? むしろ根絶やしにした方が――いや、お前は別な?」
信じられない発言をするカイルさんに、僕はショックを受けて後退りをした。途中で言い直していたが、完全に手遅れだ。俯いて、指先で「の」の字を書いた。
「そう主張してる奴らが多いのも事実だし、ぶっちゃけ俺も賛成。けど、魔物はとっくに自然界に定着しちゃってるから。根絶やしにしたとして、どんな影響が出るかっていうのを今さかんに調査してるとこなんだよ」
「ああ、そうですか……だから悪かったって!」
なかなかいじけモードから復活できずに、僕はカイルさんの肩の上でひたすら「の」の字を書いていた。
色々勉強にもなったけど、ショックが大きい一幕でした。




