13話 図書館で情報を仕入れてみましょう
アイリーンさんから逃れて、〈パン屋ケルプ〉へと急ぎ足で向かった。別に追いかけられていたわけではないけれど、妙な汗をかいてしまった。
「マリネ? どうした、そんな慌てて」
安堵の息をつき、汗を拭っていると、カイルさんが呼ぶ声が聞こえてきた。ちょうど彼もついたところのようで、道に面したカウンターに寄りかかってパンを注文していた。先に屋台で買ったらしく、串に刺さった焼き肉を持っている。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
よじ登ろうとしたら、先にカイルさんの方から手を差し伸べてくれた。遠慮なくそれに乗り、カウンターの上に置いてもらう。
「仕事はどうだ?」
「うーん……大変ですね。いい意味で」
「なんだそりゃ。茶ぁ飲まされて小言にでも付き合わされたのか?」
「お茶はいただきました。あとお菓子も。小言を聞くんじゃなくて、僕の話をたくさんしました。あ、ちゃんとお客さんの対応もしましたよ?」
「ほーん」
カイルさんは、買った黒パンを頬張りながら頷いた。少しちぎって、僕にも。自分で買えるのに。
硬くて、もそもそした食感のパン。ジャムもマーガリンもなく、お世辞にも美味しいとは言えないけれど、僕にとってはすでに「いつものパン」である。おそらく、カイルさんにとっても。なぜだかほっとする。
「そうだ、カイルさん。伝言を預かってきました」
「伝言? 誰から?」
「アイリーンさんから。〈冒険者ギルド〉に来てほしいと――」
言い終わる前に、カイルさんがパンと焼き肉の串を落としそうになっていた。僕が慌ててキャッチして、ぎょっとしながら見上げると、カイルさんも同じように目を見開いていた。
「……アイリーンがギルドに来てほしいって?」
「は、はい。ここに来る途中に呼び止められまして」
「そうか……っ! おっしゃあ! きたぁ!!」
「うるさい、バカイル!」
拳を突き上げて叫んだカイルさんを、赤と白のギンガムチェックの三角巾を頭に巻いた女性店員が注意した。奥のパン焼き窯の前にいる、杖を振って火加減を調節していた魔法使いが、その声にびくっと体を震わせていた。
「のんびり食ってる場合じゃねぇ……! 行くぞ!」
「はひっ」
カイルさんは、残っていた黒パンを急いで完食。僕も同じように分けてもらったパンを口に詰めこんで、差し出してきたカイルさんの手に乗り、肩の上に移った。
走りだしたカイルさんは、爽やかな笑顔を浮かべていた。
「いよいよだ……いよいよだぞ、マリネ!」
「〈シルフィウム鉱山〉に入山する許可が下りたんでしょうか?」
「ぜってーそうだ!……そうだよな? 俺、別にペナルティ受けるようなことしてねぇよな? な!?」
「大丈夫だと思いますよ?」
昨日と今日はお供していなかった時間帯もあったので、分かりませんけど。
走って向かった〈冒険者ギルド〉では、アイリーンさんが受付窓口で待ち構えていた。「お早い到着ですね」と言って、一枚の書類を差し出してきた。
上部に書かれている「入山許可証」の文字を見て、カイルさんと無言で顔を見合わせ、無言で拳を同時に突き上げた。触手の先を少し丸めて作った拳では、拳とは言えない? 雰囲気で分かってくれ。
「よし! すぐにティムとオリヴィアにも伝えるぞ!」
「はい!」
それから、僕はカイルさんと一旦別れた。ティムさんが働いている図書館と、オリヴィアさんが働いている喫茶店では、前者の方が断然近いらしく、そちらを任された。
ただ、図書館は行くのが初めてだ。ティムさんからもらった地図を頭に叩き込んであるので、主要な施設の場所は分かる。問題は、魔物の自分が入れる場所かどうかだ。
カイルさんは特になにも言ってなかったから、おそらくは大丈夫――否、分からないな。興奮して、「図書館は魔物NG」だと忘れている可能性もある。とりあえず、建物の前まで行ってみよう。
人気のない路地裏を選んで通り、やってきた〈キャラウェイ王立図書館〉。頂上が見えないほど高くそびえたつレンガ造りの建物。「王立図書館」と名乗るくらいだから、国中で出版されているありとあらゆる本や貴重な資料などが集められているのだろう。
入口へと続く道は、手入れが行き届いた庭園に囲まれていた。漂ってくる花の香り。木々の枝葉が風に揺れてこすれる音。噴水から流れる水の音。中に入る前から、静かに読書をするための空間が演出されていた。
こそこそ隠れながら入口までいくと、注意喚起の看板がいくつか立っていた。そして、「魔物禁止」の文字を見つけて愕然とする。
否、当然といえば当然だ。貴重資料が保管されている場所に、おいそれと魔物が入れるわけがない。紙媒体の資料はデリケートで、火や水はもちろん、強い力にも弱いのだから。
仕方がないので、なんとか『カモフラージュ』を駆使して入ってみた。擬態しながらも、人が近くを通ったら止まって息を殺して、慎重に進んでいく。
さて、ティムさんはどこだ?
この広い建物中を探していたら、あっという間に日が暮れてしまう。サーチ関係のスキルでも持っていたらよかったのに。
「あら? そこにいるのはいつぞやの魔物ちゃんじゃない?」
背後で声がして、おそるおそる振り返る。
その正体を見て、心配が杞憂だったと安堵する。〈リンジー魔物研究所〉のミランダさんだった。耳に髪をかけながら、しゃがんでこちらを覗きこんでいる。
「こんにちは、ミランダさん。僕、マリネという名前をもらいました」
「可愛い名前。元気そうでよかったわ。それで、どうやって入ってきたの? ここ、魔物が入ってこれないように魔法がかけられてるはずだけど?」
「魔法……? そうなんですか? 全然分かりませんでした」
首を傾げながら答えると、ミランダさんは不敵な笑みを浮かべて、「そうなんだ……」と、意味深に呟いた。
「それで、図書館になにか用事? 本を借りにきたわけじゃないよね?」
「実は、うちのパーティーのメンバーの人に急ぎでお伝えしたいことがあって」
「ああ、ティムくんね。カイルくんに言われたの? まったく……魔物禁止エリアに一人で行かせるなんて、考えなしなのは相変わらずねぇ」
ミランダさんは、苦笑しながら腕に抱えていた数冊の本を抱えなおした。
「ティムくんがどこにいるか、知ってるの?」
「実は、知らないので困ってたところです」
「そうなの。じゃあ私が連れてってあげる。ちょうどさっき探してた本を見つけてもらったばかりだから、まだ同じところにいるんじゃないかな」
「いいんですか?」
「もちろん。できればそのスキル、もうちょっと近くで見てたいし」
ミランダさんは持っていた本を一旦床に置いて、水をすくうときのように両手をくっつけて差し出してきた。「よろしくお願いします」と一言断ってから、そこに乗る。
「本持ちますよ」
「いいよ。この本、厚くて重い――」
床に置いてあった本を、ひょいと持ち上げる。ミランダさんが目を丸くした。
「ああ……惜しいことしたわ……もっとそばに置いとくべきだった……」
「え?」
その怪しげな呟きはばっちり聞こえていたけれど、「なんでもないよ」と誤魔化されたので、聞こえなかったふりをした。
肩に乗って、『カモフラージュ』。それを確認したミランダさんは、資料が展示してあるエリアをさくさく進んでいった。
ずらりと並ぶ、ミランダさんの身長――おそらく百六十センチをぎりぎり超えるくらい――よりもはるかに高い棚。どこの棚も、ほとんど隙間なく本が収められていた。すべての棚を見て回るには、一日では到底足りないだろう。
「あ、いたいた」
迷わずまっすぐ進んでいったミランダさんが、立ち止まった。
僕にも分かる、見覚えのあるローブを着た後ろ姿の人。間違いない。ティムさんだ。
「ティムくん」
「なに? またなにか探してんの?」
「ううん。はいどうぞ」
本を棚に戻す作業をしていたらしいティムさんは、ミランダさんを見つけて少しだけ眉を寄せた。その顔の前に、頭をむんずとつかまれて突き出される僕。『カモフラージュ』を解いた。
「っ!? ちょ、ばか! なにやってんのさっ」
ティムさんが慌てて、ミランダさんから僕を受け取り、棚の奥へと入る。そして、通路に背を向ける体勢になった。
「……ここ、魔物禁止エリアなんだけど」
「すみません。急ぎでお伝えしたいことがあって、来ちゃいました」
「来ちゃいました、じゃないよ」
ティムさんは、通路を一度振り返った。ミランダさんが棚から本を出して広げ、横目で合図してきた。他の人に見えないようにガードしてくれているようだ。
「はぁ……いいから、早く言って」
「〈シルフィウム鉱山〉の入山許可が下りました!」
「……それだけ?」
「えっ? はい。そうですが」
ティムさんは項垂れて、その場に片膝をついて大きくため息をついた。
なぜだ。カイルさんはあんなにも喜んでいたのに。
「あのさ。それ、本当にすぐに知らせなきゃいけないことだった?」
「だと思ったのですが」
「今から急いで準備して、今日中に支度が整ったとしても出発できるのは明日だよ。日が暮れてから険しい山に登るばかがどこにいる? 仕事から帰ったときに伝えてもよかったとは思わない?」
「…………」
「そういうだめなところは似なくていいから」
ぐうの音も出ません。
ミランダさんに頼んで外まで連れていってもらい、きちんとお礼をして別れた。
そして、いつもの食事処〈カモミール亭〉にいくと、同じようにオリヴィアさんに諭されたらしく、項垂れたカイルさんを見つけた。
似た物主従でもいいじゃないか。褒め言葉だ、褒め言葉!
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