12話 ときどき休憩して体力を回復させましょう
朝起きて、金魚鉢から出て体を拭いていると、同じテーブルになにかが無造作に置いてあった。交差した口金があり、少し長い紐がついている小さながま口ポーチだ。昨夜、僕が寝るまではなかったはずだ。
不思議に思い、それをしげしげと眺めた。この世界にもがま口が存在していたとは。あれは日本特有の物だとばかり思っていたのに。
「んー……あーもう朝か……」
眠っていたカイルさんが、大きく伸びをしてベッドから起きあがった。髪が渦を巻いている。ひどい寝癖だ。
「おー……それ、お前の」
「えっ?」
カイルさんは寝ぼけ眼のまま、置いてあったがま口ポーチを取って、紐を斜めにして僕にかけた。くびれた部分に紐がフィットして、触手の動きを邪魔しないちょうどいい長さだった。おかしい。体のサイズを測られた覚えはないぞ。
「うし、ぴったりだな。さすが俺」
「これは……?」
「お前の給料入れとく用。ちゃんと昨日の分も入れてあるからな」
がま口を開けて確認すると、確かに昨日もらったのと同じ枚数の銅貨が入っていた。
「……これ、カイルさんが作ったんですか?」
「そうだよ。おかげで昨日っつーか今日はちょっとしか寝てねぇけど」
カイルさんがもう一度腕を天井に向けて伸びて、大きなあくびをした。
「そんな……どうしてそこまで」
「嫌なのか?」
「嫌なわけないです。う、嬉しいです、すごく」
「じゃあいいだろ」
カイルさんは平然とベッドから立ち上がって、軽くストレッチを始めた。
茶色の無地で、デザイン性はそこまでないシンプルなポーチだが、店で買ってきた物だと言われても信じるくらいの出来で、縫い目もまっすぐできれいだった。これを一晩で作ってしまうなんて、器用にも程がある。
「金は必要になったら頼る。それまでは、お前が稼いだ分はお前が持ってろ。入りきらなくなったら……まぁ、そのときに考えるってことで。いいな?」
「は、はい」
「よし。じゃあ飯行くか」
ストレッチを終えたカイルさんは、歯を見せていい笑顔で僕を手に乗せた。
従魔として契約が済んでいる身なので、命令口調で言われるとなぜか反論できないのだ。カイルさんはもちろんそれを知っていて、「お前が持ってろ」と言ったのだろう。
なんだか胸の辺りがぽかぽかしてきて、僕はカイルさんの手から肩へ飛び乗った。ずっと大事に持っていよう、と思いながらポーチを撫でてから、言った。
「カイルさん、ポーチ職人に転職する気は?」
「ねーよ!」
そちらの方が稼げる気がするのだけれども。
◇◇◇
朝食を終えると、今日も各々の仕事場に出勤していった。〈シルフィウム鉱山〉への入山許可については、カイルさん曰く「そろそろ下りるんじゃねぇかな」とのことだ。
そうであってほしいところだ。アルバイトしていると、むしろこちらの方が本業な気がしてきてしまう。いえ、違います。僕らは冒険者! と、胸を張って言いたい。
採用された〈薬のミョンミョン〉へは、カイルさんが一応挨拶を、と言うので、今日だけ一緒に出勤した。子供扱いか。
「よう、ばあさん。元気か?」
「あらぁ。カイルちゃんじゃないの。ずいぶんご無沙汰だわねぇ」
昨日とまったくといっていいほど同じ姿で、ケイティさんはカウンターにちんまりと座っていた。薬屋ではなく、むしろ駄菓子屋のおばあちゃんのようである。
「そりゃご無沙汰に決まってんだろ。俺らもうBだぜ?」
「そうねぇ。強くなったのねぇ。こないだまでしょっちゅうお薬買いにきて、お金ないない言ってたのにねぇ」
「いや、こないだっていつの話してんだ。もう何年も前の話だろ」
「あら、そうだった?」
うふふ、と口に手を当てて静かに笑うケイティさんは、所作がどこか上品だった。ご年配の方に対する言い方ではないかもしれないが、育ちの良さを感じるとでもいうべきか。実はとある名家のお嬢様だった、なんて背景があったら面白いな。
「いいんだよ、俺の話は。うちの従魔が世話になるっつうことで、挨拶しにきただけだから」
「今日からよろしくお願いします」
「はいはい。マリネちゃんだったわね。こちらこそよろしくね」
改めて挨拶しつつ、ケイティさんが僕を憶えていてくれて少し安堵する。一応一人で店を経営しているわけだから、そんな心配はいらなかったか。
挨拶を済ませると、カイルさんは自分の仕事へ向かった。「昼はいつものパン屋でな」と、言い残して。
「まずはなにをしたらいいでしょうか?」
尋ねると、ケイティさんはすぐ横の棚からいそいそと新しいティーカップを出してきて、そこにポットでお茶をいれた。
「さぁどうぞ」
「はい、いただき……ま、す?」
「アルニカっていう珍しいお茶でね。知り合いからいただいたのよ。魔物さんでも飲めるから、どうぞ。遠慮しないでね」
言いながら、蓋がしまっていた丸い缶を開ける。中に詰まっていたのは、色々な形をしたクッキーらしきお菓子だった。
「こっちもいただきものだけど、よかったら」
「はい、ありがとうございます……いえ、あの、いいんですか?」
「お客さんがこないうちはのんびりしていればいいのよ。それまでは、ゆっくりお話聞かせてちょうだい」
ケイティさんは笑って、湯気がゆっくりと立っているティーカップを手にとった。
なるほど。おばあちゃんと談笑しながら待機して、お客さんがきたら応対するのか。なんて素晴らしい職場だろう。時間に追われている余裕のない人こそ体験すべきではないだろうか。
熱そうだったので、息を吹いて少し冷ましてからカップを持ち上げる。「アルニカ」といった知らない名前らしいが、赤みが強い茶色をしている点から、紅茶の一種と思われる。花のような優しくていい香りがふんわりと漂っている。
その香りを堪能してから、一口飲んだ。渋みは強くなく、すっきりとした味わいだった。
「わあ……美味しいです」
「それはよかったわ」
こちらもどうぞ、とクッキーを勧められたので、一ついただいた。甘さは控えめでかなり硬めだったが、美味しかった。紅茶ともよく合った。
いただいてばかりは申し訳ないので、せっかくだから僕がここに来るまでの話をしてみた。ケイティさんは興味深そうに、海の中で生活するタコの話を聞いてくれた。目が閉じているかのように細めているので、頷く仕草が舟をこいでいるかのようにも見える。
ついでに、店名にある「ミョンミョン」についても聞いたが、「特に意味はないの。てきとうにつけただけだから」だそうな。いいのか、それで。
そんな、おばあちゃんとの楽しいひとときを過ごしてばかりいたわけではない。客が来ると、頼まれた薬品を運ぶ役を担っていたのだ。小瓶の傷薬一箱一ダース入りをまとめていくつも注文してきた大口の客もいたので、なかなかの重労働だった。
「サラが言ったとおりだったわねぇ。マリネちゃんがいてくれて、ホント助かるわぁ」
「そう言っていただけて、僕も嬉しいです」
「うふふ。あら、そろそろお昼ね。マリネちゃんはどうする?」
「〈パン屋ケルプ〉に行こうかと」
「そう。じゃあいってらっしゃい」
昼休みのつもりで、一旦抜けて〈パン屋ケルプ〉へと向かった。カイルさんはもう着いているだろうか。
「お待ちください」
もうそろそろいつもの店の看板が見えてくるところで、背後から声をかけられた。僕に対してではないだろうと思いつつ、一応振り返った。
すぐ後ろに立つ、長方形の眼鏡をかけ、体のラインに沿った皺一つない服を着こなす女性。人間の世界風に言えば、厳格な女性教師、または敏腕秘書とでもいうべきか。そんな人が、僕に用なんてあるわけが――
「カイルさん率いる『レジェンズ』の皆さんに、お伝えしたいことがあります。一度ギルドへお越しください」
あったみたいだ。
女性をまじまじと見て、思い出した。この人は、〈冒険者ギルド〉の窓口にいる人だ。僕が加入してから初めて行った〈アルカネット遺跡〉のクエストのとき、諸々の手続きでお世話になった。名前は知らないけれど。
「今すぐの方がいいですか? カイルさんと落ちあってからでは遅いでしょうか」
「いいえ。急ぎではないので構いません」
「分かりました。じゃあ、すぐ伝えて伺うようにします」
「よろしくお願いします」
「念のためお名前をちょうだいしてもいいですか?」
最後に尋ねると、教師風の彼女は一瞬固まって、それから訝しげに睨むように目を細めた。
ああ、しまった。人に名前を聞くならまずは自分が名乗ってからするべき、だな。
「すみません。僕はマリネといいます」
「……存じております。私はアイリーンと申します」
「アイリーンさんですね。ありがとうございます。失礼します」
一礼して、踵を返して足早に〈パン屋ケルプ〉へと向かった。背後にいたアイリーンさんの鋭い視線が、いつまでもこちらに向けられているようで、なんだか居心地が悪かった。