第一部 (四)
一旦は押さえた好奇心をるいが抑えきれなくなったらしいのは、菱屋へ向かう道すがらだった。真乃への質問を再開してきた。
「青井様は女の身でありながら、なぜ危険な用心棒をなさっているのですか?」
真乃はそこから来たかと思った。
「私には剣術しか取り柄がないからだ」
迷いの無い真乃の即答にるいは大いに面食らっていた。
「嘘……そんなことないでしょう?」
「本当だ。そんなことがあるのだよ」
真乃は空を見上げた。この日も眩しい夏の青空が広がっていた。空の青い色は真乃の好きな色である。
「昨日も申したが、世間で女のやることと思われていることが悉く苦手なのだ。気がつけば剣術と薪割り以外できない人間になっていた。そなたには信じられぬかもしれぬが、私には剣術しかないのだ。全てはそれを軸に動いている」
「剣術が軸で動いている?」
「この格好も剣を振るいやすいからだ。別に男になろうとしているわけではない」
髪を結い直し、薄化粧にも昨日までより華やかさを感じさせるるいは、真乃の倍の歩数で歩きながら、口も動かし続けた。
「お化粧したいとか、綺麗な着物を着たいとか、思われないのですか?」
「これまでのところ、そのようなことを思ったことはないな。たまに島田髷を結い、花柄の着物を着ないといけないことがあるが、苦痛で仕方がない」
「たまには女の格好をなさるのですね」
「そんな時にはろくな目にあわない」
「がさつな男に絡まれたりするから?お武家様のご息女にはあまり絡んでこないでしょう?」
「そうでもないぞ。自分に絡んでこなくとも、絡まれている女子供を見れば、放っておけない性分だしな」
「破落戸に絡まれやすい女としてはありがたいお話ですこと。女の格好では助けづらいから、お嫌なのですか?」
「素手で倒す分にはさほど変わらぬが、やりこめられた相手がつまらぬ意地を張るのが面倒だ」
「つまらぬ意地?」
「簡単に投げ飛ばされたりすると、てめぇ男だな?男のくせに女の格好しやがって!などとぬかしおるのだ」
ぶーっと、るいは吹き出した。
こちらに向かって歩いていた町人二人がそんなるいを見て、それぞれ自身の成りを確認していた。
「あーっははは!はーはっはっは!ご、ごめんなさい!でも……くっくっくっ……武家女姿の青井様に投げ飛ばされた破落戸が泡食ってる姿が浮かんで……いいきみ!くっくっくっ……」
「そうした連中は男の格好をしていれば、大抵声をかけただけで退散する。この格好の方が手数が要らぬのだ」
るいの笑いが止まった。
「そうよね。あいつらときたら、女だけと見たらからかいにくるけど、そこへ男が現れたら、途端におとなしくなって、あっという間に尻尾を巻いて逃げていく……そうかぁ。青井様ほど強ければ、何処へだって何時だって、堂々と行けるわね。あたしも青井様のように強ければ、あんな男、投げ飛ばして懲らしめられたのに……」
「あんな男?」
「昔、夫婦だった男のことです。十八の時に長屋の差配さんの紹介で隣町に住んでいた三つ年上の大工に嫁いだんです。一見ではおとなしそうな人だったんですけど、これが大失敗!夫婦になってわかったのはとんだ内弁慶だったってことです。酒癖が悪くて、ちょっと気に入らないことがあると、すぐに手を上げて……」
るいが身震いした。
「そなたを殴ったのか」
「あたしだけじゃないんです。おっ母さんまで!離縁したいと思っても聞いてくれないどころか、ますます酷くなって……」
るいの顔が青ざめていった。
女から離縁することができなかった時代である。実家に力があれば男に離縁状を書かせることができたろうが、るいのような長屋暮らしの母娘では、そうした揉め事に頼りにできる仲介者がなかなかいない。
内弁慶ということは、周囲の人はるいの言うことを、その性質の悪さをなかなか信じなかったかもしれない。
「自分一人なら駆け込み寺へ駆け込むけど、おっ母さんを置いていけないし……で、もう殴り殺されるしかないのかしらと思った時に、あいつ、火事で死んでくれたんです。あの時は神様がいると思ったわ。操がどうのと言うけど、絶対に式を上げる前に一緒に住んで、酔っ払った姿や閨で相手がどんな風になるか確かめておいた方が良いですわよ」
るいの顔つきも口調もこれまでで一番真剣だった。
「月並みな返しですまぬが、苦労したのだな」
「火事のおかげで二年足らずの苦労で済んだんですけど、あの二年で五つくらい年を取りましたわ……おっ母さんが病にかかったのもあいつのせいですよ。死んじまってるけど、今でもあたしはあいつを許せない!子供がいなかったから、火事の後、あたしはさっさとあちらの家とは縁を切って、おっ母さんとの二人暮らしに戻って、茶屋で働き始めたんですの。それからは人との関わりも上向いて。大貫屋の旦那様はあいつと違って内でも外でも穏やかでいらっしゃって……大店の主ともなると、人の器っていうのかしら、それがあんなケチ野郎とは大違い」
大貫屋の名前が出たのを機に真乃は気になっていたことを尋ねた。
「今日のこと、大貫屋の旦那は存じているのか?」
「もちろんご存知ですよ。あたくし隠し事はしませんし、旦那様に囲われる前から松三郎と知り合いだったのですもの。松三郎はそりゃあ綺麗な子なんですよ。あたしの自慢の弟分!松三郎は三月前に身請けされて、今日逢う子は寛弥だけど」
真乃は立て続けに二人の名前が出たことに眉間に皺が入りそうになった。
「蔭間は高いと聞いている。仕立物の稼ぎもあるとはいえ、そなたは暮らしに余裕があるのだな」
るいははっきり言おうとしないが、どう考えても菱屋でやろうとしていることは「蔭間買い」である。
「青井様の口からそんな言葉を聞くと、ちょっと変な気分になりますわ。そのお姿では青井様は綺麗な男の子に見えますもの」
「その『かんや』とかいう者と並んだら私の方が男に見えると言うのであろう。松三郎というのは弟分だと?」
「ええ、とっても可愛いあたくしの弟。松三郎とは清い仲ですよ。勘違いしないでくださいね。茶屋で勤めていた時に出逢いましたの。お坊様に連れられて……」
るいの回想によると、その場にいた客も茶屋の者も松三郎に見惚れたそうである。
真乃はるいの話を若干割引きながら聞いていた。
「それが気分が悪そうで、少し休みたくてうちの茶屋へ立ち寄ったっていうから、気の毒に思って、あたしは店主に掛け合って、裏の小部屋で休んでもらえるようにしましたの。それが知り合うきっかけ」
後日、付人である金剛を連れただけで茶屋へ現れた松三郎は改めてるいに礼を言い、二人は少し世間話をした。
その他愛のない会話が弾んだのだそうだ。
兄弟のいないるいは松三郎を弟のように思い、姉のいない松三郎はるいを「姉さん」と呼び、気が合った二人はそれから時々町中や置屋の裏口で会うようになった。そうして三月ほどたった頃、松三郎がるいに頼み込んできた。
「姉さん、お願いだから今度の子の日に私を買ってください。引手に申し込むだけで良いんです。お金はあとから私が返します。姉さんには一文だって出させやしませんから」
訳を聞くと、どうにも嫌な客の相手をしないといけないからだという。先客がいれば断れるが、無ければ受けないわけにいかない相手なのだと。るいは快く引き受けた。本来なら蔭間買いのできる身上ではなかったが、困っている松三郎を放っておけなかった。近所で噂になるかもしれないことなど少しも気にならなかった。
問題の相手が宿下がりしてきた某大奥女中だとわかったのは、松三郎が指定してきた当日のことである。向こうは松三郎を大変気に入ったらしいが、松三郎の方は二度と御免だと思っていたのだ。
「あの子、女相手のつとめが苦手だったんです。元からそうだったのか、そうなってしまったのかわかりませんけど。……青井様はどちらがお好きなのですか?」
突然自分に向いた話の矛先に、真乃は冷たい目をるいに返した。
「そなたが好みでないのは確かだ。松三郎は年増相手のつとめ中心になる前に請け出されたわけだ。めでたし、めでたしだな」
「はっきり仰るわねぇ。ええ、請け出された相手が松三郎の想い人だったから、本当にめでたし、めでたし!請け出されてからは会えずにいるのが寂しいけど、身請けされる前の日のあの子の幸せそうな笑顔ったら!思い出すたび、あたくしも笑顔になりますのよ」
松三郎の笑顔を思い出しているるいの笑顔も底抜けに明るかった。
その時にはもう道の先に菱屋の看板が見えていた。
思い出の松三郎の笑顔に浮かべた明るい笑顔のまま、るいはその暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ」
出迎えた菱屋の女中はるいのあとから顔を出した真乃に目を丸くした。直後にはにこにこ顔になり、「青井様!よくお出でくださいました。ささ、どうぞ」と、るいそっちのけで真乃を案内しそうな風まで見せた。
「青井様は有名なのね」
るいがボソッと言ったのを目端のきく女中は聞き逃さなかった。
「前にここでの厄介ごとを片付けていただいたことがあるのでございますよ」
そこまではるいに向かって言い、そこで真乃に向いて「今度のお仕事はこのお方の?」と尋ねてきた。
真乃は頷いた。真乃もこの女中のことは覚えている。りんという名だ。
「当分の間、このるい殿の用心棒だ」
るいは主導権をとられそうなのが嫌だったのか、女中が更に真乃へ話しかけようとするのを遮るように口を開いた。
「青井様にあたくしの用が終わるまで待っていただくお部屋をお願い」
「あ、はい。青井様にはそこの小部屋でお待ちいただければ……」
「茶ぐらいは頼んでもよかろうな?」
真乃は小部屋へ足を向けながら、るいに尋ねた。
「一杯だけなら、あたくしが払いますわよ。申し訳ありませんけど、二杯目からは白湯にしてくださいな。ここはお茶もお酒も高いから。無駄遣いはできないの」
るいは真乃の耳元でそう囁くと、また松三郎に釣られたような笑顔を復活させ、二階へと上がっていった。
――蔭間買いは無駄遣いではないのか。ま、そうかもしれん。
「おりんさん、茶を頼む」
真乃の声がけにりんは心得顔で裏へ消えた。
るいと入れ替わるように、紫帽子をつけ、薄茶地に花鳥模様を散らした振袖を着た人物と隠居風の町人が階段を降りてきた。振袖の頭は野郎髷だ。
真乃は小部屋に入りかけてなんとなく気になり、その二人を見返った。蔭間を見るのも久しぶりである。百年ほど前には府内の六、七ヵ所にあった陰間茶屋も今では芳町、湯島と芝の三ヶ所だけになっている。一つの置屋が抱えている数も嘗ての半分以下らしい。
良い傾向だと真乃は思っている。残念ながら、遊女の方は減らない。
……が、はっきりと振袖を着た人物の顔が見えた時、真乃は唖然とした。厚化粧した顔に大いに見覚えがあった。




