第6話 東西冷戦 -日本南北戦争- 第3節
日本民主共和国と日本国との南北戦争が開戦して1年と2ヶ月が経過した1952年8月。戦線は双方ともに膠着状態に陥った。自衛隊と国連軍は首都・大阪を奪還するも東京を中国軍によって解放された。徳原委員長ら日本民主共和国政府の関係者らは札幌を首都とし、徹底抗戦を宣言した。
日本国 福岡
「総理、航空自衛隊の戦闘機が日本空軍機に撃墜されました」
「またか・・・もう戦線は動かないし・・・どうすれば・・・」
毎日のように被害報告が飛んでくるこの状況に吉川総理には疲労と仕事が整理整頓出来ない人の家のように積み重なって来てしまった。
「北日本との講和。人命もそうだが相手との講和も重要だ」
休み休み仕事をしていると国際連合から一件の通達があった。
「総理、国連から通達です。【日本国と日本民主共和国は早期の和平もしくは休戦協定を1年以内に結ぶべし。期限超えの場合は両国へ国連軍が進軍する】と書いてあります」
「1年以内に停戦か和平だと・・・!?出来なければ両国を強制的に侵攻する?!」
しかし、吉川総理は気を取り直し和平に向けた交渉を続けていくことを決意した。これからは1953年1月1日までをダイジェスト方式で書いていく。
6月26日 ソ連太平洋艦隊 日本海で実弾演習開始
6月29日 ソ連 東ドイツに参戦要請
7月3日 東ドイツ ソ連の要請を承認
7月7日 日本空軍 米軍普天間基地を攻撃
7月8日 米国政府 普天間基地攻撃を受けて報復を表明
7月11日 国連軍 東京上陸
7月16日 米空軍 日本空軍百里基地を攻撃
7月19日 中国軍 渋谷空襲
7月27日 陸上自衛隊 名古屋占拠
8月2日 日本陸軍 再度大阪占領
8月7日 航空自衛隊 日本空軍千歳基地を爆撃
8月10日 日本空軍 福岡爆撃
8月16日 国連安全保障理事会 中ソに撤退命令
8月20日 中ソ両政府 国連安保理の命令を拒否
8月25日 国連 日本両国に停戦・和平案締結要請
1年以内に応じない場合、両国を占領統治を行うと発表
8月29日 日本民主共和国政府 国連の要請を拒否
9月4日 日本国政府 国連の要請を受理
9月15日 国連軍 東京再奪還 中国軍撤退
9月23日 米英豪軍 東北上陸
9月28日 カナダ軍 一部部隊の撤退を表明
10月3日 米軍 根室上陸
10月9日 日本民主共和国政府 国民徴兵を開始
10月13日 国連軍 日本民主共和国の軍需工場を爆撃
10月21日 米軍 根室制圧
10月26日 ソ連軍 札幌に部隊増員
11月7日 中国軍 撤退表明
11月16日 カナダ軍 完全撤退を表明 国連軍離脱
11月23日 海上自衛隊 北日本海にて日本海軍と交戦
11月28日 国連軍 関東・中部地方制圧
12月5日 国連軍 大阪奪還
12月10日 ソ連太平洋艦隊 ウラジオストクに帰港
12月17日 日本国政府 日本民主共和国に停戦要請
12月26日 国連軍 東北制圧
12月29日 ソ連軍 撤退表明
1953年
1月1日 米軍 北方領土上陸
1953年に入り、日本国側が優勢となった。日本民主共和国の領土は残り北海道のみとなった。しかし、ソ連軍が撤退しても徹底抗戦を続ける日本軍に国連軍は再び本土に押し戻された。後一歩のところであったが惜しくも届かなかった。
「総理、中ソ軍が撤退したことにより我々は優勢です!」
「おぉ!そうか!それで戦況は?」
「」戦況は一進一退の攻防戦です。本土に押し戻された部隊もあれば北海道に上陸できた部隊もあります。今は報告を待つしか・・・」
「そうか・・・分かった・・・」
残り数ヵ月で国連軍による武力制裁が課せられる。それまでに停戦したいが日本民主共和国政府側は中々提案に首を縦に振らない。そして戦況はさらに動きが無くなった。
1月22日 仏印豪軍が撤退表明
1月26日 日本国政府 日本民主共和国政府に降伏要求
2月3日 日本民主共和国 降伏要求を拒否
2月15日 国連軍 札幌空爆
2月26日 ニュージーランド軍 国連軍離脱
3月4日 日本国政府 日本民主共和国に停戦・和平要請
3月13日 日本民主共和国 日本国政府の要請を受諾
3月15日 自衛隊部隊に行動停止命令
3月17日 日本軍 戦闘停止
3月22日 自衛隊・日本軍の捕虜交換成立
3月26日 米軍 占領地から撤退
4月2日 国連軍 解散
4月5日 日本南北休戦協定締結
1953年4月5日、日本国と日本民主共和国は2年に及ぶ戦争が休戦した。吉川総理はようやく休戦できたことに安堵した。一方、ソ連や中国に見捨てられた徳原委員長は休戦要求に応じざるを得なかった状況にあった。
そして同日13時、日本国の大阪にて日本南北休戦協定が締結された。
「これより日本南北休戦協定締結に向けた会議を開始する」
日本国側からは自衛隊の最高司令官である吉川総理と阿部自衛隊統合幕僚長と伊勢防衛相と西東外相が出席した。日本民主共和国側からは徳原委員長と比屋根国防相と井上陸軍長官と大橋外相が出席した。国連からは国連軍最高司令官のマルティネスと副司令官のジョンソンが出席した。
そして、何時間もの協議の末日本南北休戦協定が締結された。締結内容は以下の通りである。
【日本南北休戦協定】
●これは極東における軍事休戦に関する一方国際連合軍司令部総司令官と他方日本民主共和国軍最高司令官および中国人民志願軍司令員とソ連軍司令員との協定である。
●本協定有効日 1953年4月6日
●締約国 日本国政府 日本民主共和国 国際連合極東派遣軍
●内容
・日本民主共和国と日本国の国境線は新潟・長野・静岡県境付近とする。
・両国は不可侵を約束する。
・日本民主共和国は日本国に賠償金を支払う
・日本民主共和国は小笠原諸島・北方領土・佐渡島の米国が統治することを約束する。
・日本国は日本民主共和国との貿易を再開する。
等である。日本民主共和国の主権は東中部・関東地方・東北地方・北海道の主権が認められたが佐渡島・小笠原諸島・北方4島の主権を失った。
一方、日本国は米国と日米安全保障条約と日米地位協定と日米防衛協力を結ぶことになる。また、日本国の主権は西中部・近畿・中国・四国・九州地方が主権と認められた。
「これにて日本南北休戦協定を終了します」
このようにして2年に及ぶ日本南北戦争は休戦した。日本国は今後西側諸国と共に、日本民主共和国はソ連と中国の支援を受け、両国は別々の道を歩んでいくこととなった。
日本南北戦争 被害内容
日本国側・・・自衛隊員 7万2600人
民間人 5万1600人
車輌 700両
航空機 530機
艦船 300隻
日本民主共和国側・・・日本軍軍人 12万6800人
民間人 6万9000人
車輌 360両
航空機 440機
艦船 390隻
国連軍側・・・国連軍軍人 24万700人
車輌 1500両
航空機 380機
艦船 50隻