第4話 東西冷戦 -日本南北戦争- 第1節
1951年6月23日、日本代理戦争が勃発した。史実では1950年6月に勃発した朝鮮戦争ではなく東西に分断された日本民主共和国が日本国の南北軍事境界線のある福井・岐阜・愛知県境から侵入した。
日本国 大阪 首相官邸
「総理!緊急事態です!北日本が我が国に侵攻を開始!現在滋賀県長浜市、舞鶴市、四日市付近を攻撃中です。すぐに防衛出動を!」
吉川総理は北日本の侵攻情報を受けて、米国政府に支援を要請した。また、自衛隊全部隊に対して防衛出動を発令した。しかし、近畿を管轄する陸上自衛隊第1師団は凄まじいスピードで進軍してくる北日本軍の攻撃に耐えきれず各地で撤退が相次いだ。
その後、米国政府は侵攻を受け在日米軍に戦闘命令を発令した。一方の北日本を支援するソ連は静観の姿勢を示した。しかし、在日米軍の対応が遅かったのか後退を余儀なくされた。
これに対し、国際連合は日本民主共和国に軍事制裁を加えるため国連軍の派兵を決定した。国連軍の編成には英・米・仏・蘭・韓・豪・印・カナダ他14ヶ国が参加した。安全保障理事会にてアメリカの強行で編成された。
日本南北戦争が勃発してから一ヶ月が経過した。日本国政府は大阪が陥落したことにより首都機能を福岡に移した。吉川総理は反転攻勢に出るために戦力を整えるべく自衛隊の強化を実施した。
日本南北戦争 時系列(6月25日~7月25日)
1951年6月25日 日本民主共和国軍 日本国側に越境
日本国政府 自衛隊全部隊に防衛出動命令
米国政府 在日米軍に出動命令
6月26日 国際連合安全保障理事会 国連軍派遣決定
6月29日 滋賀県陥落 在日米軍中国地方後退
7月2日 日本国側死者400人に
7月5日 三重県陥落
7月6日 日本民主共和国 京都北部占領
7月10日 日本国政府 福岡に首都移転
7月12日 在日米軍・陸上自衛隊 大阪にて日本民主共和国軍と交戦開始
7月13日 自衛隊殉職者数600人越え
7月15日 米空軍 名古屋空襲
7月18日 海上自衛隊 日本海にて国連軍と佐渡島上陸作戦開始
7月22日 航空自衛隊 日本民主共和国軍小牧基地爆撃
日本民主共和国軍戦死者1000人越え
7月24日 日本海軍 大阪湾にて艦砲射撃敢行
7月25日 国連軍追加派遣決定
「相手が今のところ一歩上手か・・・厳しいな・・・」
福岡市に政府機能を移した吉川総理は大阪の激戦の行方に注目していた。滋賀・三重県が陥落し奈良県も陥落寸前である。
「総理、反転攻勢をするとおっしゃっていましたが一体何をするのですか?」
「よく聞いてくれた。それは横須賀上陸だ。横須賀上陸作戦を国連軍との共同で上陸し、敵海軍施設等を占領し東京・名古屋・新潟・東北から一気に畳み掛ける。ソ連の出方次第ではあるがな・・・」
総理は防衛庁長官と国連軍司令官との話し合いで横須賀上陸作戦を提案した。敵首都を電撃的に占領し最終的に北海道制圧も視野に作戦計画は進んでいるのである。また、着々と支援物資が届いている他、日本民主共和国軍の侵攻速度が落ちてきていることから今がチャンスだと判断した。
「今やらないと我々は負ける・・・」
吉川総理は覚悟を決めた。一方その頃、日本民主共和国首都・東京では徳原委員長はゆっくりくつろぎながら話を聞いていた。
「戦況はどうなっているのかな?」
「ここ1カ月の戦況を一言で申し上げますと順調で逆に怖いくらいです。現在敵首都・大阪で攻防が続いている状況です。しかし我々が勝つでしょう。ですから委員長は安心して戦勝の一報をお待ちください」
「うむ。楽しみにしているぞ」
徳原委員長は日本列島が共産主義国家としてひとつになることに期待に胸を踊らせた。しかし、開戦から3か月経った9月、大阪が陥落した。3ヶ月以上に及ぶ長い抵抗は北日本の勝利に終わった。近畿を3ヶ月で落とすことに成功した。
9月25日時点までの戦闘経過
7月27日 国連軍 大阪攻防戦参戦
7月30日 日本民主共和国軍 京都南部制圧
8月4日 海上自衛隊舞鶴基地陥落
8月7日 日本国政府 台湾に支援要請
8月9日 中華人民共和国 日本民主共和国へ支援表明
8月12日 航空自衛隊 日本民主共和国空軍厚木基地を空爆
8月13日 自衛隊殉職者数1300人を越える
8月15日 日本民主共和国軍 奈良県侵入
8月19日 国連軍 佐渡島占領
8月25日 イギリス軍 大湊基地空爆
8月28日 小笠原諸島に米軍上陸
9月1日 韓国空軍機 日本民主共和国空軍機に長野県上空で撃墜される
9月2日 韓国政府 日本民主共和国に宣戦布告
9月5日 アメリカ軍 千葉県九十九里上陸作戦敢行も失敗
9月12日 横須賀基地にソ連太平洋艦隊到着
9月14日 日本軍 奈良県制圧完了
9月18日 日本国首都大阪陥落
9月21日 国連軍 函館に上陸するも失敗に終わる
9月22日 ルクセンブルク、スペイン、ニュージーランドの国連軍参加表明
9月24日 日本民主共和国 神戸・姫路占領
9月25日 日本民主共和国 淡路島攻略開始
日本南北戦争開戦から4か月が経過した。近畿地方全土が陥落したが吉川総理は来年内に奪還作戦を敢行する。しかし、自衛隊の残存戦力もそう多くはないのは承知の上である。
「総理、大規模奪還作戦はいつにしますか?」
「1月1日。ここで勝負をかける。ここで失敗したらこの国は終わり、共産主義の風が舞う」
自衛隊と国連軍による大規模な奪還作戦と逆侵攻作戦は1月1日。世間では元旦のこのタイミングで勝負を仕掛ける。向こう側も元旦や三ヶ日で気を緩めているところで攻勢をしていく計画である。ここからは12月31日までの出来事を記していく。
9月27日 中華人民共和国 中国軍の派遣決定。札幌に駐留
10月2日 国連軍14万人に増員
10月8日 海上保安庁巡視船「はたかぜ」、日本民主共和国海軍駆逐艦「蒼栄」と衝突し沈没
海上保安庁長官 報復措置を表明
10月12日 日本民主共和国陸軍 香川上陸 兵庫制圧
10月14日 米英軍 東京にミサイル攻撃開始
10月17日 米海軍第7艦隊 日本民主共和国海軍駆逐艦隊撃破
10月28日 岡山・鳥取・香川陥落
11月1日 ソ連陸軍 名古屋に配置
11月4日 淡路島陥落
11月10日 日本民主共和国軍を日本軍と呼称表明
11月13日 フランス空軍 日本空軍入間基地を爆撃
11月14日 徳原共産党委員長 人民動員命令を発令
人民動員命令により日本民主共和国国民30万人動員
11月19日 GHQ最高司令官・マルティネス 米国政府に東京に核兵器使用を申請するも却下される
マルティネス最高司令官解任
11月27日 日本民主共和国 福岡にミサイル発射
12月1日 航空自衛隊戦闘機部隊 ソ連空軍に全機撃墜
12月4日 日本国政府 日本民主共和国に停戦要求
12月5日 日本民主共和国 日本国政府の停戦要求を拒否
12月10日 インド 両国の仲介を表明
12月14日 米空軍 横浜上空で空戦
日本空軍 空戦により戦闘機7機墜落、横田基地を空襲
12月17日 国際連合 両国の捕虜交換を要請
12月22日 日本国政府 12月25日までのクリスマス休戦を要請
12月23日 日本民主共和国 日本国政府のクリスマス休戦要請を承認
12月25日 クリスマス休戦終了 日本民主共和国 戦闘再開
12月28日 日本民主共和国比屋根国防相 ソビエト連邦政府に核兵器発射要請
12月29日 ソビエト連邦政府 比屋根国防相の要請を拒否
12月31日 国連軍 自衛隊との反転攻勢前日準備開始
大晦日、吉川総理は明日からの反転攻勢に備え全自衛隊部隊に激励の文書を送った。一方、戦局は良好ではあるが日本軍の侵攻速度や攻撃能力の衰退が激しくなっていることに感づいた徳原共産党委員長は焦りを見せ始めた。