1.魔王、敗北する
「くそっ……いててて」
黒く禍々しい全身鎧に身を包んだ魔王はむっくりと身を起こした。
「なんなんだよ。勇者強すぎだろ。まったくもう……」
自分が倒れていた黒い石造りの大きな魔王城の玉座の間を見回す。
既に略奪の限りを尽くされ、何の飾り気もないむき出しの壁、破れた窓に、ひらひらと引きちぎれ、焼け焦げたカーテンが風に揺らぐ。
「魔王さま――――!」
ベルが飛んでくる。全長二十五センチ、背中に透明な羽が四枚生えた妖精だ。魔王の側近であり、この魔王城の管理責任者でもある。なぜかメイド服を着ている。
「無事だったかベル」
「はい、おっしゃる通り隠れていましたから。またやられましたね魔王様……」
「言うな……」
「ご命令くだされば魔王城の全システムを使って勇者を倒すお手伝いをさせていただきましたのに……」
「それならもうとっくにやっただろ。魔王城の地脈エネルギーが枯渇しかけている今はもう無駄だ。無理するな」
痛む体を撫でさすって、魔王は立ち上がり、玉座に座りなおす。
張られていたはずのビロードまで剥がされ、魔王が剥き出しの石に座らなければならないというところに魔王城の貧窮ぶりが見て取れる。
「お体は大丈夫ですか? 魔王様」
「大事ない。……今回の被害は?」
「ポーションが七本、エリクサーが二本、金塊が三個、銀塊が五個……」
「根こそぎだな」
「食料庫の小麦粉一袋、ジャガイモ、ニンジン、大根二本。あと鶏舎のニワトリが二羽やられました」
「そんなものまでもっていくのか勇者は!」
改めて勇者の強欲さに魔王は嘆かわしささえ感じていた。
「庭で鍋にしてパーティーの連中で食ってましたよ」
「鍋はどうした?」
「洗わず放置されていました……」
「なんと無礼な連中だ……。勝手に借りた上に洗いもしないで帰るとは」
「ひどい連中ですねぇ。ちょっと強いからっていい気になって」
「いや、強いどころではない。余が全くかなわないのだからな」
もうだいぶ回復した魔王が石の玉座で頬杖突いてうなだれる。
「魔王様は魔法も武力も最強で、なにより不死身、なのにどうしてこうなっちゃうんでしょうねえ」
「いやあの馬鹿力でぶん殴られたら気も失うわ! 何なんだよアレ! ありえないわ! どんな魔法も跳ね返すわ効かないわ、攻撃しても怒るだけだし、痛がりもせん。それに聖剣とあのパワー、あんな勇者どうしようもないだろ……」
歴代最強と名高い勇者のチートっぷりに頭を抱える魔王様。
昔は互角であった魔族と勇者。そのパワーバランスの抑止力から暗黙のうちに守られていた不可侵がここ百年程の勇者の急激なチート化によりバランスが崩れたのだ。なんでも「レベルアップ」というものが発見されてからというもの、勇者は素の実力以上に、レベルアップすればいくらでも強くなることができるようになってしまった。今の勇者が何代目かは知らないが、数代前ぐらいからそういうことになっているのだ。
そのため、勇者はただレベル上げのためだけに、それまで以上に過激に魔物を狩るようになり魔物の急激な絶滅と、魔族の衰退を招いている。
なんでも当代勇者はレベル99でカンスト(カウンターストップ)。これ以上レベルが上がらないんで、金を稼いでは豪遊の毎日だそうで。王都の経済も勇者が稼いでくる金や財宝、魔物の素材で潤うので空前の好景気。そりゃあただ魔王や魔物から略奪するだけで投資がほとんどゼロなんだから景気が良くなるのは当たり前である。勇者が豪遊することで国に落とされる利益は大変なもので、流通する金貨や銀貨も増え、勇者を柱とした経済成長構造ができていた。ただ略奪されるだけの魔王にしてみればたまったものではないが……。
「……魔王様も魔物や人間を狩っていればレベルアップできるかもですよ?」
「そんなことあるわけがない。自分のレベルアップなど、そのために命を奪われたり、絶滅させられていい者がいるわけがないわ。そんなんだったら昔の魔王がとっくに人間を滅ぼしておるわ。守るべき魔族や魔物を魔王が狩ってどうする。怖いことを言うなベル」
「その魔族も魔物もほとんど絶滅させられてしまいましたし……。だいたい魔王様は既に十分お強いですし」
「勇者にやられる一方なのにか。皮肉を言うな」
「勇者、倒れた魔王様の首にガシガシ剣振り降ろしていましたよ。それで平気な魔王様もすごいですって」
「平気じゃないって……それで首が痛いのか。ま、斬り落とされなくて幸いだ。首を切られなかったのは、まあ鎧のおかげかもしれんな」
「聖剣が全然刃が立たないもんですから勇者たちもあきらめちゃって、腹いせに魔王様を何度も蹴り上げていましたよ」
「敗者に対する礼がなっとらんな。野蛮な連中だ。いてててて……」
「湿布持ってきます」
「頼む」
多くの魔物が歴代の勇者によって滅ぼされ、魔王の領地とされていた土地は人間たちの侵略を受け次々に収奪され、その勢力は弱まるばかり。
「もう魔王なんていらないんじゃないかこの世界……」
自身の存在意義がもう無いんじゃないかと思う。
「もうやめようか魔王……」
「そんなこと言わないでください」
救急箱を持ったベルが飛んできて、鎧を脱いだ魔王の首筋と脇腹、それに背中にかいがいしく湿布を貼ってくれる。
「だってあいつら毎年やってきては魔王城の財産根こそぎ持ってっちゃうだろ」
「魔王城を修繕するための資金としてコツコツ貯めた金とかも全部ですからね」
「またやり直しか。いい機会だ、どうせやり直すなら勇者のいない遠い所で……」
「私は反対です。反対したいです。やられっぱなしなのは我慢できません」
「とにかく一度話し合ってみよう。四天王を呼んでくれ……」
翌日、連絡されて四天王たちが集まった。
「魔王様! ご無事でしたか!」
駆け寄ってきたのは……いや、泳いできたのは水の四天王のサーパスだ。
この魔王城にはあちらこちらに水路が引いてあるが、サーパスはその地下水路を潜り抜けてやってくる。この魔王の玉座の間にも小さい池、噴水が置かれていて、人魚の彼女はここから会議に参加する。
バランスのとれた白い体に形の良い豊かな胸を小さな布で隠し、腰の低い位置にだけひらひらと布を巻いた先は尾びれになっている。塗れた長い髪から水が滴って色っぽい。
「大事ない。いつものことだからな」
「おいたわしや魔王様……」
「またやられたのお? 魔王様」
ひゅるるると風を巻いて現れたのは風の四天王のスワン。
透けそうな羽衣を部分的に体に巻いて、こちらもスレンダーながらなかなかのプロポーションだ。引っ張ればはらりと落ちそうなその羽衣が危なっかしい。
「仕方ないだろ。強さのケタが違うわ」
「魔王様の取り柄って、絶対死なないことぐらいだもんねえ」
「悪かったな」
なにげに毒舌なスワンである。
「アタシたちを呼ばないからだよ。全員でいっせいに攻撃すればあるいはさ……」
心配そうに歩み寄ってくるのは炎の四天王のファリア。魔王の身長を超える大柄で褐色の肌に赤い髪、鍛え上げられたアスリート体形の体が女性とは言えたくましく、その美しいプロポーションを誇示するようにわずかなガードがされたビキニアーマーのみを装着する。胸のアーマーはちとサイズが足りていないようではみ出しているが。
「……」
その後ろからちょこんと顔を出してこちらをにらむ土の四天王マッディー。
ゴシック調の黒いドレスから伸びた細い脚、幼い黒髪の十歳ぐらいにしか見えない少女。無口で滅多に発言せず、ただ話を聞いているだけの場合が多いのだが、その表情は魔王に言いたいことがあるようである。
「ダメだ。あの勇者にはお前たちもかなわない。余はやられても死なずに済んでいるが、お前たちが手を出せば簡単に殺されてしまうだろう。皆の得意な魔法も全く通用しないしな。レベル差というやつだろうか……」
「魔王様の魔法が何一つ効かないんだもんね。私たちじゃ手も足も出ないよね」
スワンが額に手を当ててがっくりすると一同うなだれる。
「余は……もう魔王をやめようと思う」
「魔王様!」
「勇者と対等でいられない以上、余にはもう魔王の資格がない。世界を二分して維持することができないのだ。この世界はもう人間の物同然だ。現実を見よ」
「それはそうかもしれないけど……」
「我らはもう魔族の長たる資格なし。余の配下もお前たちだけになった。この世界の片隅で、勇者に見つからぬようひっそりと暮らしてゆこう……。人間の村の片田舎でも離れ小島でもどこでもよい。引っ越しの準備をせよ」
……一同、地に伏して涙する。
それは魔王城最後の夜であった。
次回「2.魔王、夜逃げする」