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愚者の王国

愚者の王国 ~機兵の瞳に映った空は~

作者: 一路傍


 冷凍睡眠コールドスリープの魔法によって――

 その下級貴族の少女は、多くの国民の前で氷漬けに処された。


 身分が低いくせに王子の歓心を買って、婚約まで果たしたせいで国が傾いた、というのが主な理由だった。何より、社交界デビューとなるパーティーで聖女が王子に振られたのも、大きな衝撃だった。


 もちろん、たかが王子の色恋沙汰で傾くほど国も脆くはなかった。


 だが、聖女は世界を救済する気高き存在で、王家はそれを支えるためにある貴重な血統だ。

 そもそも聖女がこの世界に召喚された際には、代々の王子が必ず夫となって、ずっと献身的に仕えてきた。それがこの王国の習わしでもあった。


 その慣習が史上初めて崩れたのだ――しかも、王国は衰退期にきていて、すでに地方では幾つか暴動も起きていたし、折からの飢饉に対する不満で国民感情も爆発寸前だった。また、世界には《呪い》が蔓延する兆候も出始めていた。


 要は、そんな非難のはけ口として、悪役令嬢たる少女への刑の執行が必要とされたわけだ。


 氷漬けとなる期間はおよそ百年……


 目覚めるときには友人など誰も生きてはいないだろうと、少女は告げられた。

 彼女の家族も。財産も。家名さえも。もちろん、婚約した王子も。何もかもが失われているはずだ、とも。


「いっそ、断頭台に送られた方がいいのではないか?」


 刑吏の魔法使いは少女に冷淡な口調で尋ねた。

 しかし、少女は決して首を縦には振らず、眠りにつくことを選んだ。


 なぜなら、少女は無邪気にも、王子の言葉を信じていたからだ――


「約束するよ。いつか必ず君を助けにいく」


 だが、結局のところ、その約束は一向に果たされることがなかった。

 こうして、後の史書に《愚者の王国》と揶揄され、「全ての責をたった一人の少女に押しつけた」とまで記された国家は――この後、わずか数年で潰えることになる。



   ★ ★ ★ ★ 



 花が好きな女の子だった。

 分相応に、ただ静かに暮らしたいと、いつも望んでいた。


「私なんかのどこがいいんですか?」


 そう問われるたびに、王子は言葉に詰まった。


 笑みがとても素敵だ、と百回以上は答えた気がする。

 もちろん、本心だ。ずっと隣にいて、その笑みを咲かせてほしいと願った。

 だが、不甲斐ないことに、それ以外のどこに惹かれたのか、実は王子もよく分かっていなかった。


 そもそも、恋をするのがこれほど苦しいということも――

 少女のそばにいられない時間がこれほど長く感じるということも――


 何一つとして知らなかった。誰一人として教えてくれなかった。


 もっとも、たとえ少女の良さがはっきり分かったとして、言葉にできるとも思えなかった。そんな簡単に言葉に収められるほど、たやすい想いではないはずだ。


 ただ、魔法使いで親友の青年はよく、「お前の恋もどきは単なる逃避だ」と言ってきた。


 たしかに王子としての責務は重かった。その重圧はときに王子を苦しめた。

 会ったこともない聖女に寄り添い、一生仕えるのが王子の役割だなんて、今どき、あまりに古風で固陋ころうに過ぎる。だからこそ、それが王子に課された運命だというなら、いっそ変えてみせようと挑んだのだ……


 結果、そんな思い上がりが少女を氷漬けにしてしまった。


「俺は……あまりに愚かだ」


 王子は少女を助けるどころか、氷漬けにされる瞬間さえ見届けることができなかった。

 塔上の狭くて窓すらない部屋に蟄居を命じられて、その身を魔法でずっと拘束されていたせいだ。聖女との交際を認めない限り、ここから出すことはできないと、父王に厳しく言われた。


 そうして、刑が執行された日の遅くに――


「終わったよ。少女は長い眠りについた」


 魔法使いの青年は塔上の部屋に入ってくるなり、淡々と教えてくれた。

 皮肉なことに、少女を氷漬けにする役目を負ったのは、親友の魔法使いだった。その青年は王子を拘束していた魔法を解くと、さも見下すかのように話を続けた。


「お前が生きている間に、少女が目覚めることは決してない。責務を果たせ。それが王子として、お前に課された人生だ」


 王子はついかっとなって、魔法使いの胸ぐらを掴んだ。


「貴様に何が分かる? 誰かを好きなったこともないくせに――」


 直後だ。

 意外にも、王子は魔法使いに殴られていた。

 あまりに非力な一発だった。魔法しか能がないのだから仕方がない。

 それでも、その拳は王子にとって不思議と重く感じられた……


「お前こそ、何が分かる? 好きになってはいけない人に会うたびに、日々、忸怩たる想いに囚われるこの苦しみ――僕はいっそ、お前のことが憎いよ」


 そこで王子は初めて気づいた。

 王子が身分違いの少女に恋をしていたように。

 親友の魔法使いも、聖女に想いを馳せてしまったのだと。


「もう一度だけ伝える。王子としての立場をわきまえろ」


 魔法使いが出て行った後の狭い部屋で、王子は脱力すると、殴られた左頬をさすりながら自嘲するしかなかった。


「結局、愚か者しかいないのだな……この国には」


 こうして王国は一途な想いの代償をすぐに支払うことになる。



   ★ ★ ★ 



 ついに世界に《呪い》が蔓延はびこりだした。


 呪いとは、全てを反転するものだ――

 それは忘れられた古代の魔法とも、不治の疫病とも、あるいは祓うことのできない憎しみとも言われてきたが、実態はよく分かっていなかった。


 何にせよ、生者は死者に。

 善は悪に。虫や獣は本能のまま、ただ凶悪に。

 呪いにかかったモノは必ず、生ある者を憎しみ、襲い掛かってきた。


 召喚された聖女はそれらを《不全バグ》と呼んだ。

 この世界を創造した神は、一にして全たる存在になろうとしなかった。だから不全が残ってしまったのだ、と。


 もっとも、その言葉を理解できた者はいなかった。

 一番近くで懸命に仕えて、今では当代随一の賢者と謳われる魔法使いの青年でさえも、聖女が発する言葉を全ては分からなかった。


 何より、王子はいまだに少女のために塔上で喪に服していた。


 それは多分に、親友である魔法使いの想いを成就させるためのお節介であったのだが――

 一方で、そんな振る舞いが聖女をしだいに蝕み、また狂わせてもいった。


「なぜ聖女に力を貸さない?」


 魔法使いの青年はたびたび塔上の部屋にやってきた。


「貴様がいれば十分だろう? 何なら父王に誓って、王位なぞ、譲ってやるぞ」

「いらん。大事なのは位ではない。血だ。お前が継いだ貴血が必要なんだ」

「だったら切り刻んで、杯にでも入れてもっていけばいい」

「それができるなら、とうにやっている」


 魔法使いの青年はそう言って、下唇をギリっと噛みしめた。

 王子はその様子を見て、不満げに眉をひそめた。親友こそ、立場など捨てて、聖女に素直に想いを伝えればいいだけだろうに、と。


 だが、魔法使いの青年は苦渋に顔を歪ませながら、意外な言葉を絞り出した。


「好き、というたった二文字の言葉を聖女に伝えるだけでいい。お前の心などいらない。王族として立場の問題だ。聖女のためにも、今度こそ責務を果たせ」

「ふざけるな。心を裏切ることはできない。そもそも、そんな心のこもっていない言葉を伝えて、聖女が納得できるのか?」

「どのみち僕では無理なのだ。お前が伝えることに意義がある」

「そう決めつけることこそ、彼女に失礼ではないか?」

「くそ。この分からず屋が!」

「頭でっかちなのはむしろ貴様だろう!」


 王子と魔法使いは取っ組み合った。

 こうしていつも王子の方がわざと殴られてあげて終わるのだ。

 所詮、魔法使いの拳なのでさして痛くもなかったが、いつか不敬罪で氷漬けにでもしてやると、そんな他愛もないことを王子は密かに考えていた。


 が。


 その日はなぜか、魔法使いの青年は王子の胸ぐらから両手を離した。

 額に片手をやりつつも、よろよろと距離を取って、青年は首を横に振ってみせた。


「理解できん。王子ならたとえ世界の全てだろうと、望めば手に入れられるはずなのに」


 こんな窓もない狭い部屋に閉じ込められた者に向ける言葉か、と――

 王子は含み笑いを浮かべた。そして、堂々と主張する。


「俺が望むのは、ただ一つ――それは少女の目覚めだ」

「僕は心の底から望むよ。その少女がこの世界から消えていなくなることを」


 二人の視線がぶつかった。

 ばち、ばち、と炎が揺らいだようだった。


 だが、魔法使いはふいに目を逸らすと、疲労でずいぶんと丸まった背中を向けた。


「もういい。お前がさほどに固陋だというなら、いっそ僕の方が変わってやる――賢者などではなく、愚者にでもなってやるさ」



   ★ ★ 



 塔上に閉じ込められていたせいで、王子は国内の情勢が分からなかった。

 だから、父王が死んで、塔から出されたときに初めて知った――


 空気がやけに濁っていた。

 花は枯れて、木々も朽ちていた。


 黒いもやのようなものが世界を覆っていたのだ。


 これでは収穫など望めない。

 飢饉はどうなったのか。王子は気が気でなかった。


 しかも、塔から出された王子を誰何する近衛もろくにいなかった。

 兵のほとんどは虚ろとなって、怪しげな魔法使いたちが王宮に跋扈していた。


 暴動は王都でも起きていて、王宮が落ちるのも時間の問題だと言われた。

 父王は広場で首を晒された、と。この王国の半分がすでに呪いに侵されてしまった、とも。


「親友の魔法使いは? それに聖女はどうした?」

「すでにおりません」


 たしかに珍しく一か月ほども塔上に姿を見せなかった。

 まさか駆け落ちするとは――これには王子もむしろ笑ってしまった。

 こんな厳しい状況ではあったが、いっそ二人の門出を祝ってやりたいほどだった。


 王子はすぐに氷柩を見に行った。

 少女は昔の姿のままで、氷漬けにされていた。


 その冷たさに王子は頬を寄せた。こみ上げてくる涙が凍りそうになったが構わなかった。


「誰ぞ、この娘の氷を溶ける者はいるか?」


 王子は声を張り上げた。

 だが、手を上げる者は一人もいなかった。


 すると、怪しげな魔法使いたちの中から、襤褸の布切れを纏った小男が出てきた。


「賢者様の封印は我々では解くことができません」

「そんな答えを聞きたいわけではない!」

「ただ、不確かながら、方法はございます」

「何だ?」

「民を殺すことでございます」


 王子はじっと小男を睨みつけた。

 こんな状況でなければ、すぐに首を刎ねたことだろう。


「民は宝だ。殺めるわけにはいかない」

「最早、民ではありません。ただの暴徒です。父王を追いやった狂人どもです」

「それでも国民に違いない」

「このままでは王宮も占拠され、氷柩も壊されます。少女の体も粉砕するでしょう」


 その甘言に、王子の心はわずかに揺らいだ。


「どのみち戦うしかないのです。ほとんどの民はすでに呪いにかかっています。いずれ死者になるでしょう」

「そこまで……この国は呪いに侵されてしまったのか?」

「はい。ですから、彼らを殺すのは、むしろ彼らを救うためです」

「民……いや、暴徒を殺せば……本当に氷は溶けるのか?」

「正確に言うならば、賢者様の封印は王子がご存命のうちは解けません。王子が亡くなり、その血が注がれたときにやっと氷解します。百年というのはただの目安に過ぎません。しかしながら、王子の気高き血の質に及ばずとも、相応しいだけの血の量が流されれば――」


 小男はそこまでいって言葉を切り、恭しく頭を下げてみせた。


 とはいえ、王子とわずかな兵で暴徒など止められるわけもなかった。

 ただ、小男によるとこれにも方法はあるという――それは魔法ではなく、《魔導》による身体強化だ。

 賢者によって遠ざけられてきた研究で、《魔法工学》ともいうらしい。一時もあれば、貴血を力に変換して、王子の体を無敵の機兵にしてみせると断言してきた。


キングに、ポーンになれと言うのか?」

「言葉の綾でございましょう。どのみち、ルークだったではないですか」

「ふん。物怖じしないやつだ。気に入った」


 小男は悪魔のように卑下した笑みを浮かべた。

 どうせ他に方法もなかった。親友が遠ざけてきたという点が気にかかったが、何なら賢者とまで謳われた男が扱えなかった力でもって、何もかもを一変してみせようと思いついた。


 この世界に聖女を召喚する必要はもうない――

 呪いも全て消し炭にしてみせる――


 そうやって、古臭い運命の轍を王国から一掃してやるのだ。


「世界がさほどに固陋だというなら、俺こそが変えてやる――王ではなく、何もかも破壊する機兵とやらになってみせよう」



   ★ 



 どれだけ殺したか……

 そして、どれだけ経ったのか……


 月日はあっという間に過ぎていった。

 実際に、機兵になってから百年ほどの時はとうに流れたはずだ。


 小男が言った通り、時間の経過だけでは氷柩は溶けなかった。

 もちろん、呪いにかかった国民は殺し尽くした。だが、それだけの血が流れても、氷柩からはせいぜい数滴の水が伝っただけだった。しかも、機兵の力をもってしても氷は削ることができず、割ることもできず、最早、途方に暮れるしかなかった……


 結局、王子の血が必要だというわけか……

 親友は本当に皮肉な魔法をかけてくれたものだ……


「いわば、少女を助けるためには、俺に死ねといいたかったわけだろう?」


 そこまでして聖女と番わせたかったか?

 さほどに愛する女をたかが立場のために差し出そうとしたのか?


「親友ながら、見下げ果てた男だ」


 王子は小さく笑った。


 もっとも、今、王子と氷柩の周囲にいる無法者たちにとって――

 それは到底、笑みには映っていなかっただろう。王子の体はとうに人ならざる機兵になっていたからだ。


 だから、その口ともいえない開口部から漏れたのは――

 ただの呻りか。冷徹な猛りか。もしくは、無機質な嘲りだったのか。


 いずれにしても、無法者どもは王子に襲い掛かってきた。

 この王国にまだ金銀財宝でも残っていると、無駄に信じているのだろう。

 だから王子は戦い続けた。さらなる血を流すために。すぐ後ろにある氷柩を守るためにも。


 すでに小男も、怪しげな魔法使いたちもいなくなっていた。

 だが、王子はその身が起動するうちはずっと血を流し続けようと決めていた。

 眼前にいる無法者どもの血だけでなく、たとえ己の油塗れの黒い血であったとしても――


 全ての民を失った国で、王子はたった一人、愚かにもずっと戦い続けた。


 誰がいつどこで言ったのか――人はこの時代を《暗黒の世紀》と呼んだ。

 あまりにひどい時代だった。地上から四季が失われて、また他国が呪いに対抗するために開発した魔導兵器や変異ウィルスによって自然さえも破壊し尽くされた。


 呪いは空を覆い、光も届かなくなっていた。

 草木は朽ちて、全ての生物が狂ったように変異した。

 生きていくのに最悪の時代――そして、あまりに醜悪な世界だった。


 そんな世界にありつつも、王子は氷柩の冷たさに幾度も頬を寄せた。

 人としての心を保つためだった。生きる意味を見出すためだった。かけがえのない者と共にありたいがためだった。


 それでも、王子は怖かった。もしいつか氷柩が溶けたとして――

 こんな化け物じみた者と、はたして少女は共にいてくれるだろうか、と。


「俺は……本当に愚かだった」


 だが、そんなある日のことだ。

 殺す直前の無法者から、王子は妙な話を耳にした――


 遥か遠方に聖王国なる新興国があるというのだ。

 そこは呪いを寄せつけない、人に残された唯一の楽園らしい。

 しかも、かつて賢者と聖女が興した国なのだそうだ。それが今も残っていて、呪いに抗しているのだ、と。


「そうか。あいつらは責務を果たしたのか」


 王子はそう呟いて、周囲を見渡した。


 空は黒ずんでいた。地は焼け焦げていた。

 川はとうに干上がって、血の跡しか残っていなかった。

 湖は毒で満たされていた。遠雷が落ちて、呪いのもやが幾つも立ち上がった。


 かつての王国は、今では災厄の地と呼ばれていた。

 その中心に鎮座ましましているのは、愚かな機兵と、少女を閉じ込めた氷柩だけだ。


 だから、王子はじっと長らく、その冷たさに頬を寄せ続けると、


「約束するよ。いつか必ず君を助けにいく」


 それだけ呟いて、聖王国に向けて歩み始めた。


 ちっぽけな誇りなど捨てて、助けを求めようと考えたのだ。

 これだけ時代が下ったのだから、魔法も進化して、氷柩を溶かすことだってできるかもしれない。何なら、賢者や聖女の子孫に頭を下げたっていい。もしくは、いっそこの身を捧げてもいい。

 せめて、少女だけは救いたかった……


 が。


 そのときだ。

 王子はふと、遠くの空に何かを見つけたのだ。それは、紛う方なき――


 巨大な竜だった。


 見間違えるはずもない。

 王子は笑った。つい腹を抱えてしまったほどだ。

 もちろん、表情などとうに失っていたが、久しぶりに心に喜色が満ちたようだった。


「そうか……貴様もか」


 王子はそう囁いて、巨竜に向けてゆっくりと進んだ。



   ☆ 



 巨竜が下りたった。

 かつての王城ほどの大きさだろうか。

 今度ばかりは殴られたら、ただでは済まないだろうなと、王子はまた心の内で笑った。


「久しぶりだな」


 王子がそう言うと、竜は矢のような眼光を投げつけてきた。


「先日、聖女は亡くなったよ」

「人の身にしては、ずいぶんと長く生きたのではないか?」

「しばらくして即身仏になったんだ。貴血はなかったから、その身を犠牲にした法術によって、聖王国に呪いを寄せつけないように護国の加護を与え続けてくれた」

「聖女の役目を果たしたというわけか」

「そうさ。結局、お前だけだよ。何もしなかったのは」


 巨竜はそう言って、昔のように王子を見下した。

 王子は「ふん」と肩をすくめると、


「貴様のその姿はどうした?」

「お前と同じさ。守るために強さを欲しただけだ」

「魔導か?」

「いや、ただの魔法だよ」

「ほう。竜になるとはさすがは賢者といったところか……そういえば、かつていかにも怪しげな魔法使いどもがいたんだが、彼奴らはいったい何だったんだ?」

「ろくな連中じゃないはずさ。正体が悪魔だったとしても、僕は一向に驚かないな」

「つまり、俺は悪魔に魂を売ってしまったわけか」


 王子は自嘲して、機兵となった姿を巨竜に見せつけた。


「おかげで、今ではこんな有様だ」

「僕も早々に人の姿を捨てたけど、それでも彼女は共にいてくれたよ」

「幸せだったか?」

「少なくとも、僕はね」

「そうか」


 王子が短く応じると、巨竜は明らかな敵意を込めて鋭い牙を見せつけた。


「ただ、彼女はおそらく、そうではなかった」

「…………」

「だからこそ、お前が憎い。そこの少女はもっと憎い」


 巨竜はそう告げて、一歩ずつ、地揺れと共に進んできた。


「彼女が死んで、新たな聖女が召喚されたときに、いっそ世界の果てで眠りにつこうとしたけれど、憎しみが心を蝕むんだ。もしかしたら、この想いこそが呪いなのかもしれない。今となっては、何もかもが憎い」

「気が合うじゃないか。俺も、運命そのものが憎いぞ」

「立場をわきまえろ。いまだに僕たちを愚弄するつもりか?」

「ここはもともと愚者の王国だ。その最後の国民が愚かでなくて何とする?」


 巨竜の息が触れるほどの距離まで来たので、かえって王子は静かに言葉を続けた。


「最後に貴様に聞きたい。この氷柩を溶かしてはくれないか?」

「安心しろ。僕がお前をここで殺せばすぐに溶けるさ」

「やはり俺の血で溶けるというわけか?」

「ああ。さもなければ、あと千年ほどでも待てばいい。所詮、氷だ。いつかは溶ける」

「つまり、お前を屈服させて、封印を解かせるのが一番手っ取り早いわけだな?」

「残念だが、この身ではもう魔法は使えない。それをろくに解くこともできない」

「やれやれだ。ちなみに、俺を殺したら、貴様はどうするつもりだ?」

「もちろん、その氷柩も壊す。当然だろ?」

「そうか。ならば、仕方ない。決着をつけるときだな」


 二人はそうやって、しばらく睨み続けた。

 時間だけが静かに過ぎた。さらなる闇が下りて、二人の魂を地の底にでも押しつけているかのように、空気はじっとりと重かった。


 だが、意外なことに、王子はその重圧からふいに目を逸らした。


「ところで、もし俺が貴様に勝ったとして――」


 そこでいったん言葉を切ると、王子は空を見つめた。

 その瞳には、どこまでも果てなく続く、闇だけが映っていた。


「千年ほどが過ぎ、氷柩も溶けて、やっと少女が目覚めてくれたときに、世界がこんなに薄暗いようではどうかと思うのだ。せめて少女が生きる世界はもっと美しく、花がたくさん咲いていてほしい」


 すると、巨竜は「ふん」と鼻で息をしてから、


「今日はなぜか気が合うな。お前が僕に勝てるとは少しも思わないけど――」


 そこでいったん口を閉ざすと、巨竜も王子と同様に、彼方にある聖王国へと視線をやった。


「世界はたしかに美しくあるべきだ。聖女がその命を賭してまで守ろうとしたものだ。いつまでも汚れていてほしくはない」


 その直後だ。

 すぐ近くで、おびただしい電光が大地を削るかのように落ちた。

 同時に、呪いがもやのように空へと立ち上がった。そうして、世界を貪り尽くす虚無にも似た、呪いの嵐ができあがったのだ。そんな光景を見て、王子は再度、巨竜に静かに告げた。


「やはり、戦うしかないな」

「ああ、そうしようか」

「俺は、この手で運命に抗う!」

「僕は、この牙で世界に歯向かう!」

「氷柩に囚われた、少女のために――」

「空で見守ってくれている、聖女のためにも――」


 二人はそこまで言って、いったん口を引き結ぶと、もう言葉などいらないとばかりに、互いの拳をぽんと軽く触れ合わせた。そして、親友だった頃のように、共に立ち並ぶと――


 呪いをまき散らす嵐を鎮め、この暗き世界も浄めるべく、ゆっくりと進み始めたのだった。



   ☆ ☆ ☆ ☆ 



 目を覚ましたとき、空の青さに驚いた。


 体が思うように動いてくれない。

 立ち上がるのも一苦労で、息をするのも少しだけ苦しい。


「ここ、は……王国、な、の?」


 記憶は昨日のことのように、まざまざと明らかなはずなのに。

 その記憶にまつわる感情は、なぜかずっと遠く、微かなものでしかない。


「あの、人、は……」


 周囲を探すと――


 すぐそばには小高い丘があった。

 竜丘とでも呼びたくなるような竜の形に似た、とても美しい場所だ。


 そして、桜色の花をつけた大樹もそばに生えていた。

 まるで強風や雨露からしのいでくれるかのようにそびえている。

 どこか傲岸で、図々しく天へと高く伸びているけど、不思議と、やさしい温もりを感じられた。


 そんな大樹や竜丘の草葉のおかげなのだろう。

 空気はとても澄んでいて、ところどころに美しい花が咲いている。


 さらに見ると、大樹の根もとには――

 とうに錆びて、朽ち果てた鉄の破片が幾つも落ちていた。

 ただ、一つだけ大きな塊が墓標のように残っていて、そこにはこんな言葉が刻まれていた。


「愚者一人、愛する人のためにここに眠る。君の笑みが見たかった」


 刹那。


 微かだった感情が一気に咲き乱れた。

 同時に、涙が、ぽろ、ぽろと、とめどなく落ちてくる。


「あ、れ? おか、しい、な……」


 このはげしい感情はいったい何だろうか……

 理解が追いつかなかった。もっとも、あの言葉だけはすぐに脳裏に過ぎった。


 約束するよ。いつか必ず君を助けにいく――


 今になって、その感情の名前が分かった。

 これは、あの人を目にしたとき、いつもこみ上げてきた想いだ……


 身分違いの恋愛についてまわる、希望と絶望。

 もしくは、反発しあう磁石のように二人の間を行き来する、やさしさと哀しみが混ざり合ったかのような複雑な想い――いっそ、やさしい哀しみ、とでも名づけてしまってもいい。今、この世界で芽生えた新種の感情だ。


 少女はぎこちなく笑ってみせた。


 きっとこれは愛ではない。

 また、恋でもない。単なる好きでもない。

 簡単に言葉に収めてはいけない、いわば感傷に過ぎないのかもしれない――


 だから、少女はその鉄塊に向き合うと、


「あり、が、とう……そ、し、て、さようなら、王子」


 それだけ囁いて、手で足をさすりながら、ゆっくりと歩み始めた。

 ささやかな風が流れて、大樹からは桜色の花びらが舞った。墓標のそばの水面に映った空は、涙のようにいつまでも煌めいていた。


(了)


お読みいただき、ありがとうございました。よろしければ、お手数ですが↓にある★評価やブックマークをお願いいたします。


前作の短編「悪役令嬢に花束を」が《再生》をテーマにしているとしたら、本作は《破壊》になります。前作が《女主人公》に焦点を当てたなら、本作は《男主人公》にしています。いわば、アンサーソングのような作品ですので、もし未読の方がいましたら、合わせてお読みいただけると幸いです。


あと、『愚者の王国』として短編をシリーズ化しました。基本的に月に一回の頻度で新作短編を上げる予定です。もっとも、次作は閑話休題的なショートショートができあがったので、来週に投稿する予定です。更新情報などについてはシリーズの扉ページに上げていますので、ご確認くださいませ。


これからも、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

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