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アルセンの方舟 ―repaint―   作者: 不二丸茅乃
first. どんな世界でも愛している人
8/9

8

 面倒だ。

 本当に、面倒だ。


 大恩ある人の指揮下でなければ戦争などという余興に出るものか。

 領土を守るための聖戦などという耳障りのいい言葉を並べられたが、その聖戦とやらで散った命はどうなる。

 既に戦死者は名前でなく数で示されるようになった。しかしその中に、地位ある者の死体がないのは知っている。上で指揮さえしていればその指揮官の代わりに死んでいく命を、なんだと思っているのだろう。


 ディルは戦場の土煙の中で蠢く最前線を見た。

 沸き上がるのは恐怖でも高揚でもない。ただの虚しさ。

 ディルは静寂を好む。出来たら、側に誰もいないのが望ましい。面倒事も嫌いだから、何があっても笑って受け流すだけ。『気が弱く争いを好まない』、そんな評価が下されるのが有り難かった。

 支給品であるメイスを地面に突き立てる。重いだけで使い勝手の悪いそれは、自分に危険が及んだ場合にのみ振るう。そしてその時、『振るう姿を見たものは決して逃がさない』。それが自分の静寂を守る唯一の手段だった。


 戦線は帝国側の戦線崩壊を以て静寂に戻る。追撃せずに自陣へ帰還する戦列はどこのものだったか、それにすら興味がない。………ディルがいるのは戦線から少し離れた丘だ。下級士官程度、ひとりいなくなった所で戦争は滞りなく進む。この場所で待機をしているのは自分の意思だったのだか、その時首元に違和感を感じて振り向いた。


「ーーー誰だ」


 それは隠しきれない殺気だ。声に誘導されるように、斥候らしき三人の姿が現れる。

 所詮、斥候。所詮三人。ディルがメイスを握った。


「こんな場所で出遭うとは、運の悪い」


 ディルは今、ひとりだ。それはディルとしても好都合で。

 目撃者である味方ごと敵を消したのは一回や二回ではない。だから別に罪悪感も覚えることはないのだが、面倒事が増えないだけマシだった。本当にその程度の考えしかなかった。

 メイスを片手で持ち上げようとした、その瞬間。


「っぐ!?」

「があ!!」


 ーーー斥候が、矢によって地に伏せる。


「な、っ、くそ、応援か!!」


 ディルはその矢が飛んできた方向を見た。


 銀髪の女だ。

 長い銀髪を後頭部で一纏めにした凛と敵を見据える女のその手は、既に三本目の矢をつがえている。瞳の色は灰と土を混ぜたような銀茶、弓射る構えは低い腰。

 三本目を放つ指。しかし、彼女の姿を捉えた斥候はそれを躱し、その銀色へと肉薄した。


「ーーーはっ」


 鼻で笑う声は、彼女から出た。


「三人がかりでうちの国の奴を取ろうなんざやらせるかよ!」


 即座に、彼女は武器を短剣へと持ち変える。その短剣は、陽光を反射して輝きを増した。

 斥候の攻撃は彼女に当たらない。避けた時に、彼女の髪が艶やかに翻る。

 短剣での横凪ぎ、それから突き。最適化された動きではなかったので戦場慣れしている訳でなさそうだが、その動きに斥候が倒れる。

 ーーー静寂が、再び訪れた。


「大丈夫!? ………っえ、ちょっと、血ぃ出てるじゃんか!!」


 彼女が駆け寄ってくる、その瞬間に静寂が壊された。

 彼女はディルの血に塗れた手を取る。それから、荷物の中の消毒薬を手に持った。しかしそれは少し前についた返り血である事を知られたくなくて、そっと手を引いた。


「……この程度、ご心配には及びません」


 うるさい女だ、と、その時は思った。


「それより、ありがとうございます。私一人だったらどうなっていたか」


 社交辞令として心にも無いことを口にするのも慣れた。しかし女は強情だった。


「そんなんいいから。治療しないと駄目、化膿したら大変だ。いいから手ぇ貸せよ、消毒薬の予備はあるから」


 再び取られる手。遠慮もなしにぶちまけられる消毒薬。……ぶちまけられた消毒薬は、その大半が地に降りかかる。

 何故、と思った。その手が震えていたのだ。


「……あ、ごめん。……ごめん」

「何故」


 何故、謝る。


「………はは。恥ずかしい話、だけどさ。いまので、はじめて、ひと、ころしたんだ」


 その女の矢には、躊躇が無かった。短剣もだ。ディルがその意外性に、僅かながら目を開く。

 戦闘力としては強い筈の女だが、実戦は初めてなのだろう。どんな歴戦の覇者でも最初は新兵、そんな言葉が頭に浮かぶ。

 女はディルの手を清め、傷を探す。ーーー返り血だと、気付かれたか。


「傷、ないね?」


 面倒事は嫌いだった。

 この女が下手な勘繰りをする前に、消した方がいいだろうか。

 メイスを握る手に、そっと力を込めていく。柔らかい女の体なら、撲殺とはいえあまり苦しませずに殺せるだろう。


「良かった、怪我じゃなかったんだな」


 ーーーそんな考えは、その言葉と笑顔で霧散した。


「名乗るのが遅れたね、こっちは『花』の第八短弓部隊所属のアルギン。……お前さんその服、『月』の所属だろ?」

「………ええ」

「そっか。良かった、本当は一人で不安だったんだ。ちょっと休憩したくてここまで来たんだけど、なんか、お前さんが、囲まれて、るの、見て、……みて」


 アルギンと名乗った女の息が荒くなる。ぐ、と堪える声がした。その行動にはディルも覚えがある。新兵特有の、初めて人を殺めた事に対する拒否反応だ。


「大丈夫ですか」


 ここで、この女を放置すると後々の方が面倒になる。その程度の打算で声を掛けたけれど。


「………ごめん」


 吐き気を堪えた彼女は、泣きそうな笑顔で言った。


「大丈夫、お前さんを守れたんだ。この苦しみも勲章だよ」


 それは一輪の花のような笑顔で、言葉は何のてらいもない純粋な喜びに聞こえた。


 二人の出逢いは、戦場で起こったのだ。




 懐かしい昔の夢を見たディルは、今日もまた自分のものではない狭い寝台で目を覚ます。

 起きると必ず隣にいる女へと視線を向けた。最愛の婚約者は、いつものように眠っている。その銀の髪を数度撫で梳いて、起こさぬよう寝台から立ち上がる。日もまだ登らぬ時間だ、昨夜も乱れに乱れた彼女には疲労が残っているだろう。

 金食い虫である、宝石で出来た義足は今日も異常無し。この足のことを知っている者は少なく、つい最近まで愛しの人にも秘密にしていた。

 これもまた支給品である神父服に袖を通す。初めは他隊の副隊長の部屋になど、転がり込まぬようにと自分を律していた筈のディルだった。しかし彼女に流されるままずるずると一緒の時間を過ごすうち、部屋の中にはあっという間に荷物が増えた。自分の共用部屋に帰るのも、週に一回あるかないかになっている。

 そうして身支度を整えていると、んん、と唸る声が聞こえた。その声の主は自分の隣を手で探り、誰もいないと解るとその場所をバシバシ叩き始める。そうして身を起こす彼女は、何も衣服を身に付けていない。


「……んー……ディルいないぃ……また負けたぁ……。ディル起きるの早いぃー……くやしいー」


 寝惚けた甘ったるい声。そんな彼女の側に寄り、額に口付ける。今日も寝起きの最初の言葉が自分の名前である事実に、どうしようもない程の喜びを感じながら。


「アルギン、おはようございます」


 そして、彼女に一日の最初に聞かせる声も彼女の名前。


「おはよぉー……。ディル今日も完璧……格好良い……結婚して………」

「勿論。幸せにします」


 とろんと蕩けた求婚の言葉は、寝惚けた時にしか聞けないと分かっていて誠意を以て返す。

 朝から髪を三つ編みに結い顔を洗い、見た目だけは禁欲的な神父としての姿を見せるディル。そんな彼が見せる人間的な側面は、アルギンしか知らない。あと例外的にソルビット。

 アルギンはそんな婚約者に手を引かれ、寝惚け眼のまま床に足を下ろす。全裸のまま微睡むアルギンには羞恥など無かった。

 誘導されるままに顔を洗い、差し出されるまま服に袖を通す。勿論下着もだ。目がなんとか開いてきた所でアルギンがディルに振り返る。


「………やだなぁ」


 目が覚めての第一声がそれであることに、ディルが言い知れぬ違和を感じた。


「何が、ですか?」

「今日でしょ、御前試合。やだ。アタシ今日ディルと一緒にいたい。すっぽかしてどっか遊び行きたい」

「駄目ですよ」


 ディルの苦笑とともに、提案は否決。むくれたアルギンは洗顔の時用の髪の仮結びを外して、今度はしっかりと髪を上げる。結び終わる頃には、いつもの『副隊長アルギン』だ。


「………一番大事な男が御前試合に出るっていう、この心労を分かってよディル」

「一番大事な貴女の身がかかっているのですよ、私の気持ちも察してください」


 アルギンは今日の御前試合で、優勝者との結婚が決まる。

 そんな要らない手を回したネリッタは、最愛の部下であるアルギンにこの二ヶ月の間すげなく扱われて干し葡萄状態。しおしおといった擬音も聞こえてきそうなほどの憔悴ぶりだ。


「…………誰が何言ったって、アタシはディルと結婚したいもん」

「そうですね、私も同じ気持ちですよ」

「………………………。………本当に?」


 それはいつものやり取りだった、筈だった。アルギンが聞き返してくる以外は。

 それを不思議に思っていると、アルギンはそっと、遠慮がちに抱きつく。いつもの力強さは無い。


「あの、さ。アタシ、これまでずっと考えてたの。ディルが負けたらどうしようって」


 何を、と、聞き返すことが出来なかった。

 その声が震えていたから。


「アタシ、今日が来るのが凄く怖かった。一番大好きなディルいるのに、他の男と結婚することになったりするのかな。アタシ、隊長にとって、そんなに簡単に気持ち無視して誰かに嫁がせられる程度の使い捨ての駒だったかなぁ」

「アルギン、それは」

「……………ディル、もし貴方が負けたら。……貴方は他の女見つけて、貴方だけでも幸せになってね。でもアタシ、耐えられそうにないから、出来たらアタシの知らない女と、アタシの知らない所で幸せになって」


 何を、言っているのだろう。

 震える声が紡ぐのは、二人の離別。自分の言いたいことだけ言ったアルギンは体を離す。


「……そうなった時は、国を出て駆け落ちすると言ったでしょう?」


 ディルの胸中に、どす黒い感情が渦巻く。こんな日になってから、今更何を言うのだ、と。そんな弱音、今まで冗談めかしてしか言ってこなかったのに。

 今更誰かに渡すなど考えられない。非公式であるが将来を誓い合った。未来永劫、互いの隣にいるのは互いだけ、そう約束した。

 その誓いを、約束を、反故にしようと言うのか。そんな事ーーー許さない。


「……無理だよ。アタシ、不器用だから、多分ここでしか生きられない。ディルだって、知らない土地で生きてくなんて大変でしょ。……大丈夫だよ、ディルなら。だってそんなに格好良い。優しくて、アタシが惚れた最高な男で……」


 アルギンが顔を覆う。泣いてるのは、知っていた。


「………だから、次の相手も、すぐ………見付かるから」


 泣いているばかりの女だったら、惚れなかった。

 弱音ばかりの女だったら、興味はなかった。

 国を出て駆け落ちを、と言ったのは本心だ。その時はそれを言うのが最善手だったからだ。だってーーー知られたくなかった。

 弱い自分を気にかけて欲しかった。

 地位の無い自分に気さくに話しかけて欲しかった。

 地位も何も要らないから、彼女と話す時間が欲しかった。自由が効く下級士官の立場はとても便利で気楽で、静かで、でも。


 惚れてしまったのだから。この強くて弱い女に。


「………アルギン。今日が御前試合の日でさえなければ、そのような事を言う貴女に何をしたか分かりません」


 ディルは知っていた。聞かされていた。そして、言うなと言われた。


 『ーーー御前試合で優勝したらぁ、それなりの地位に就いてもらうわぁ。今までのお上品な猫被り、ぜーんぶ剥いでもらうわよぉ。それが嫌ならアンちゃんには二度と近付かないで。あの子をアンタの猫被りの犠牲にしないで。本当に惚れた女の為なら、血反吐の一回や二回くらい垂れ流しなさいなぁ』


 これは、ネリッタなりの檄なのだ。

 本気を出さない男には、アルギンは渡さないと。今まで本気を出さなかったツケを、最悪な形で支払うことになる。

 ………けれど。


「貴方が愛してくれた私は、そこまで弱くありませんよ。私が優勝したらその足で婚姻の書類を出しに行きましょうね」


 それでも構わないとさえ思うのは、何を引き換えにしてでも欲しいと思う相手のことだから。

 尚も顔を覆って泣くアルギンをそっと抱き締めて、頭を撫でる。こればかりは、口で何と言うよりも実物を見て貰った方が早い。


「特等席で、どうか私を応援してください。……他の男を応援したら嫌ですよ」


 泣き続けるアルギンは、何度も頷いた。その胸中にあるのは何なのだろう。喜びであれば嬉しいが、失望や絶望でなければいい。

 ディルは確かに気が重かった。しかし、自分を想って苦しむアルギンを見ているとーーー仄暗い喜びが、胸に溢れそうになる。




 今日の御前試合は城の外にある広場で行われる。

 有事の際には城壁の外にあるその場所に全軍が整列する。その場所は広く、城のテラスから一望も出来る場所だ。

 この日の為に用意された御前試合会場は、公式なものといえど参加者が少ない為に、通常であれば使う筈の闘技場ではない。しかし観戦者は多かった。というより、敷物を引いて酒を持ち込み、まるで宴会の余興を見るかのような心持ちのものまでいる。……今回も一応御前試合の筈なのだが。

 御前試合の参加者は32名。例年より遥かに人数の少ないそれらは比較的年若く、全員が独身。そして、参加者はディルを除けば『鳥』と『風』の所属ばかりだ。名前を見れば、以前アルギンに縁談の打診をしてきた者も数名いる。そんな相手の名前を見るのも、アルギンにしてみれば気が重い。アルギンに勝てない相手だったのだ、ディルになんて勝てる訳はないのだが。

 有難い事に、今回王家からの開会の挨拶は無い。若い騎士ばかりというのもあり、戦争の本番でなしに変に重圧を掛けることはないという配慮だ。


「それでは、今一度。それぞれ使う武器は自由。刃を潰してありますが、素材は本物と同じです。使用武器は事前申請と違わぬ物であるか最初に確認して頂きます。四肢損壊、死亡に到るまでの追撃は厳禁。相手の戦意喪失の意思表示、或いは審判側からの攻撃中止命令で試合を終了してください。それを越えての追撃も失格です」


 今回の審判役は、『月』隊長のダーリャと『風』隊長のサジナイルだ。サジナイルは既に煙草を咥えて面倒そうにぷかぷか紫煙をふかしている。

 整列してダーリャの確認を聞いている騎士達の中で、ディルだけが異質だった。それぞれが指定された革鎧や胸鎧であるというのに、ディルだけが神父服。見物人の中にはそれを指差して笑う者がいて、アルギンが殺意籠る視線で睨み付けてやっと収まる。

 王族はテラスから悠々と会場を見ているが、アルギンとネリッタは特等席として簡易ではあものの椅子を用意されている。誰がそんな事を思い付いたのか、白いマーガレットで花冠を作られて、それがアルギンの頭に乗っていた。革鎧の副隊長に、不似合いの花冠。勝者への副賞としての、最低限の『包装』。


「あ、あの……。どう、アンちゃん。昨日眠れた?」

「私事でしたら後日お願いします」

「いやんアンちゃん冷たぁい!!!」


 ネリッタのおどおどとした態度は、それこそ反抗期の娘に対する父親のようだった。

 二ヶ月の間ずっと冷たくすげなくされているのに、それでもネリッタはアルギンに話しかける。


「………武器の調整ねぇ、ディルのが一番手間取ったらしいわよぉ」

「武器、?」


 その名前が出て漸く、アルギンが反応を返す。


「だいたい本人への確認もその都度してるんだけどぉ。……凄いらしいわよ、ディル。何がとか教えてくれなかったけど」

「…………」


 二人の会話は会話にならず、やがてダーリャの声が響いて溶ける。


「最敬礼!!」


 その声に、整列する御前試合参加者のみならず、その場にいた全員がテラスに向かって立ち上がり敬礼をした。その言葉に考えるよりも先に体が動いて、アルギンもネリッタも同じく敬礼をする。

 テラスにいる王族は、見える範囲で言えば国王であるガレイス、嫡子である『風』所属のアールヴァリン。あとは王族ではないが、『鳥』の隊長であるカザラフと上級騎士が側に控えている。


「ーーーでは、第一試合。『月』隊ディル、『風』隊ゾリュー。こちらへ」


 呼ばれて広場の中心に出た二人を、アルギンは唇を曲げて見ていた。

 『風』のゾリューといえば、不真面目と断罪出来ない程度の不真面目な男だ。のらりくらりと面倒事を躱し、勤務態度も良くはない。そんな男程度と結婚などまっぴらごめんだ。

 ゾリューの武器は槍を模した長棒のようだ。対するディルはーーー刃を潰した、片手剣?


「……隊長、あれが『凄い』って訳ですか?」

「ーーー」

「……隊長?」


 ネリッタから返事がないことを訝しみ、アルギンがちらりと視線を向けた。……ネリッタはその場で悶えていた。


「アンちゃんが! 二ヶ月ぶりに!! 隊長って!!! 話し!!!! かけて!!!!! くれたぁ!!!!!!」

「………もういいです」

「いやん冷たくしないでアンちゃん愛してる。……まぁ一戦目は楽勝ってところでしょうね」


 楽勝、だろうか。アルギンだっでそれなりに腕に覚えがあったが、ディルの今の相手だって一応は騎士なのだ。

 曖昧な笑顔で苦笑するネリッタを見た。その時、ダーリャの口から開始の合図が叫ばれる。


「始め!!!」


 瞬間、アルギンの鼓動が弾けるように音を大きくする。そして、その瞬間を、ネリッタの方に視線を向けていた事で見過ごしてしまった。

 普通であれば歓声や野次が響く、御前試合第一回戦。

 アルギンはその不気味な静けさに、漸く気付いた。


「…………え」


 試合が、既に終わっていた。

 たった一撃ぶんの時間しか目を逸らしていなかった筈だ。なのに、ゾリューは伸されて地面に転がっている。


「っそ、そこ、まで!」


 ダーリャの合図が数秒遅れで響いた。

 立っていたのは、ディルだ。


「………うそでしょぉー」


 呻いたのはネリッタ。ネリッタはちゃんと、ディルの勇姿を視界に収めていたらしい。

 ゾリューが医療部隊の手によって担架に乗せられて運ばれていく。放置されていた長棒は顔を苛立ち全開にしているサジナイルが回収した。

 息さえ切らさぬディルは、アルギンへ顔を向ける。そしていつもの笑顔を浮かべると、一礼して待機場所へ。


「クソゾリュー!! テメェ覚えてろ、次の失態でテメェから騎士の位剥奪してやんよ!」


 『風』隊に泥を塗ったゾリューに対して、サジナイルがブチ切れている。苛々しながらその長棒を地面に刺した。

 それから始まる第二・第三試合。それらには全く花が無い。泥臭く、時間だけを消費する試合が始まって、暇を持て余していたアルギンの所に飲み物が運ばれてくる。


「お疲れ様でぇす」


 甘ったるい声でカップを差し出すのはソルビットだった。


「げぇ、雌猫!」

「お疲れ様ですネリッタ様ぁ。初戦だけは痛快な試合で見てるぶんには大変楽しいですねあはははははっ!!! 毒入ってないので一杯どうですか」

「んもう、要らないわよぉアンタからのなんて! ………に、しても。本当にアイツ以外の試合が生温くて嫌ね、うちの奴等がこんなのそのそ動いてたらアタシ直々に一から指導し直してやるってのに」


 アルギンはソルビットから飲み物を受け取り、それを一口。花の香りがするお茶だった。

 飲み物を渡しに来ただけの筈のソルビットは、離れていかない。どうも飲み物を口実に特等席に来たかったらしい。


「……でも、ディルがこんなに余裕なのも今だけですよね」


 第十一試合までが昼前に終わる。そこそこ順当なものが勝ち上がっていた。

 ………そして始まる、第十二試合。その時、会場の空気さえ変わる。


「……ああ、あの子ねぇ」


 姿を見せたのは、『鳥』所属の剣士だ。カラスの濡羽色の黒髪、藍色の瞳に目を引く長身。本物の王子であるアールヴァリンが氷の国の王子の美貌だとしたら、彼は陽光の国の王子という出で立ちだ。

 カリオン・コトフォール。騎士家系のコトフォール家の三男坊であり、その剣の腕前は次期『鳥』副隊長、或いはそれ以上の地位に就けると噂されている。その強さに勝てずとも負けぬ者は、独身・既婚を問わず極少数。なお、ネリッタは勝てなかった側の人間だ。


「あの子がアンちゃん狙ってるなんて聞いた覚えが無いわねぇ。雌猫、知ってる?」

「んなまさか。アイツ、いつぞや例の国の王女誑かしたとかで大変な事になったでしょ。アルセンじゃ浮いた噂のひとつも聞かないです」

「よ、ねぇ……。アンちゃんに鞍替えするような奴でなし、……なんで…………」

「御前試合ってことに意味があるんじゃないですか。副賞じゃなくて。アタシみたいな副賞じゃなくて。アタシみたいな売約済みの副賞とかじゃなくて」

「いやぁんアンちゃん!!」


 そしてダーリャの手が上がる。


「始め!!」


 ネリッタも、アルギンも、ソルビットも。

 その結末だけは予想していた。

 カリオンが開始の合図と同時に地面を躙る。そして走る、というより跳躍という表現が正しい位置移動。

 手にした武器は刃を潰した片手剣。見た目はディルのそれと似ている。

 相手はいきなり詰められた距離に防御の構えを見せるが、しかし。


「破っ!!」


 その防御姿勢は容易く破られた。カリオンが振り抜いた剣の重さに耐えきれず、体勢が崩れる。

 カリオンが再び、地を踏む足に力を籠める。それからの体重移動で、鈍い音を立てて加えられた二撃目に相手は地に沈んだ。

 試合時間は一分掛かったろうか。神速の動きに、会場はディルの時と違い、沸いた。


「………分かりやすい強者にゃ歓声上げんのなぁ……」


 アルギンの不機嫌が募る頃、カリオンが不意にアルギンを見た。全参加者がそれぞれ一回ずつの試合を終え、今から少しの間休憩が挟まれるようになっている。……これは丁度いい、と、アルギンが視線を少し離れた休憩所に投げる。それから、カリオンを見ながら顎で誘導。

 カリオンは苦笑するだけ。

 アルギンは自分の椅子に、邪魔に思っていたマーガレットの花冠を置き去りにして移動する。




「お前さんさぁ、何でだよ。御前試合に出るなんて聞いてねぇよ」

「詰め寄るのは勘弁してくださいよ、アルギン様。以前から決まっていたのです」


 その休憩所には、給仕担当の女従が数名と医療部隊の者が三人。そこに今回の御前試合優勝の大本命と優勝者への副賞が並んで来たので待機していた面々は皆驚いている。

 カリオンとは顔馴染みだった。時折顔を合わせては、ディルの時とはまた毛色の違う話をする。いつか偉くなる人種だろーなーとは思っていたが。


「決まってただぁ!?」

「以前より、打診を頂いておりまして。『御前試合で優勝したなら隊長の座を譲る』と。……カザラフ隊長から」

「はぁ? ……え、カザラフ様が? おっちゃんでなく?」

「おっちゃん、……。ベルベグ副隊長は、隊長の座を辞退されました。『全騎士団の長となるには力不足です』、とか。コンディ家とコトフォール家の軋轢も加味されての事かも知れませんが……」

「おっちゃんが力不足たぁ面白ぇ冗談じゃん。んで、お前さんはそんな副隊長の力不足さえものともせずに隊長になるつもりなの? 厚顔とか言われない?」

「そうならないよう努力していますよ」


 女従がカリオンとアルギンの二人に茶を運んできた。アルギンは既に飲んでいるのでそれを辞退し、カリオンは礼を言って手に取る。


「………今回優勝しようと、アルギン様を娶る気はありませんから。どうぞ件の彼とお幸せに」

「あ、本人の目の前でそんな事言う? ……まぁ、……うん」

「今回の御前試合は幾ら公式とはいえ、状況がいつもと違います。これで隊長の座を頂けるとは思ってないので……ですが、本気は出しますよ?」


 カリオンはアルギンの心境を理解していて、それでも笑顔を浮かべる。


「彼との試合は、とても楽しそうだ」





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