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アルセンの方舟 ―repaint―   作者: 不二丸茅乃
first. どんな世界でも愛している人
6/9

6

 日も随分高くなり、『花』執務室でネリッタはざわつく心を抑えきれなかった。副隊長である愛する部下のアルギンが就業開始時間を過ぎても姿を見せていないのだ。

 愛する、と言ってもそれは完全なる親心であり、恋愛に関する感情は一切無い。一緒に飯を食い、時折執務に忙殺され死んだように同じ執務室で寝に入り、向ける想いは最早娘に対してのようなものだ。まるで親が抱くような感情で、その幸せを心から願っている。

 ………その副隊長は昨日、想い人との初めての逢瀬に出掛けていった。ネリッタも中年なので、愛し合う者同士が二人で逢うその先に何が起こるかまでは想像していたつもりだ。しかし、ネリッタの前では勤務態度だけは真面目なアルギンが遅刻などをやらかすとまでは思っていなかったのだ。

 なにぶん初心にも程がある部下だ。もしその身に何かが起きたなら、ネリッタは顔見知りである彼女の育ての親にどんな言い訳をしたものか。

 これが無断欠勤になったなら、同僚のダーリャに何と文句をつけようーーー。そう思っていた矢先、執務室の扉がノックされる。


「アンちゃん!? もうっ、遅いじゃなぁい!! アタシ心配で心配でどうにかなっちゃいそーーー」


 入ってきたのは、待ち人とは違う者だった。

 黒が基調の神父服、絹糸のような銀の長髪は背中で三つ編みにされて揺れている。その顔はまるで人形のように整った美しいもの。

 ネリッタが聞こえよがしに舌打ちする。


「………あぁら、ディル、だっけ? 部屋を間違えてなぁい? ここは『月』じゃなくて『花』の執務室なんだけどぉ」

「存じ上げております。ですので、こうして私が参りました」

「あっそぉ。んで、何の御用?」

「『花』副隊長の遅刻の連絡を。昼過ぎには起こしに行きますので、それまでお待ち頂きたく」

「…………………。あーっそぉ」


 目の前で頭を下げるこの男の存在が不愉快この上無かった。嫌な予感が的中したのだ。


「うちの可愛い可愛い副隊長を遅刻させるまで滅茶苦茶にするなんて思わなかったわぁ。綺麗な顔してケダモノなのねぇ、ディルってば」

「……恐れ入ります」

「褒めてないから。寧ろ大迷惑よぉ、今日の予定が進まないじゃない。どうしてくれんの、それでなくとも本当にアンちゃんが昼過ぎに来るってんなら、丸二日の執務が滞る事になるんだけどさぁ」


 言いながら、ネリッタの視線はディルの手に注がれる。一昨日までは無かった筈の指輪が、婚姻の意味を持つ指に嵌まっていたからだ。それを見て不愉快さが更に増す。


「………本気でアンちゃんのこと愛してんの?」

「……お許し頂けるものなら、私は今すぐにでもあの方と公の場で永遠の契りを結びたいと思っています」

「許す訳無いじゃない。アタシ、アンタのこと殆ど知らないもの。アタシが大事な娘みたいに思ってるアンちゃんに手ぇ出しといて事後承諾とか、ぶっ殺したいくらいだわぁ。丁度いいわぁ、一昨日の続きしましょうか。今なら止めるダーリャもいないし、アンタの事なんかちょいっと揉み消せばそれで終わる」


 ネリッタの不愉快は止まることを知らない。しかし、ディルはその視線を受けて尚、表情も態度も崩さない。


「本当にアルギンを娘のようだと思っているのなら、その幸せを願うことも親心ではないのですか」

「………おい、他隊とはいえ副隊長だ。その呼び捨てを改めろ」

「私がアルギンを幸せにします。お守りします。……決して離れないと誓いましたから」

「改めろって言ってんだよ、聞こえねぇのか」


 いつもは甘ったるい語尾の言葉を使うネリッタが、素の低い声になる。

 それでもディルは臆さない。


「改めません。この呼び方はアルギンの希望です。私は私の妻の願いを最大限叶えて差し上げたい」

「何が妻だ糞野郎。知ったような口を叩くんじゃねぇ、俺の娘誑かしといて生きて帰れると思うな」

「おや、……アルギンの育ての親はエイス様だと思っていましたが」


 ディルが嗤う。


「それとも、アルギンはネリッタ様の種から産まれたのでしたっけ?」


 逆鱗に触れた。

 ネリッタから聞こえるはずもない血管の切れる音がする。瞬間、その手にはトンファーが握られていて熊を思わせる巨体がディルの顔面を狙った。

 速度としては相当のものだった筈が、ディルはそれを難無く避ける。トンファーが壁を砕き、破片が砂利のようになって落ちた。


「………避けるなんて躾が成ってねぇな、流石ケダモノって所かよ」

「そうですね。……アルギンはケダモノの味覚で言えば『至上の甘美でした』よ? 一度でも味わってしまえば、もう二度と手離せなくなる程に」


 恍惚とするディルの表情。その美貌と相俟って倒錯的なものを感じさせる笑顔。

 その表情が癪に障ってどうしても崩したくなって、ネリッタが鼻で笑う。


「テメェみてぇな下級士官が、あの子をよく満足させられるって思うもんだ。そうやって悦に入ってるのはテメェだけかもな? あの子も今頃、テメェみてぇな甲斐性なしに躰を許したこと後悔してるから起きてこれないんじゃねぇかぁ?」

「ーーー今、何と?」

「あの子より地位も無ぇ男が満足させられるのは閨の中だけってな。いや、そもそも演技されてたら満足してんのかも分かんねぇよな、ははっ!!」


 今度はネリッタがディルの尾を踏む。

 いつも穏やかであった筈の表情が、精巧に作り込まれた人形のように表情を無くした。


「……困ります……。貴方が死んでしまっては、アルギンが泣いてしまうではありませんか。勿論その表情も愛らしいでしょうけれど、不要な涙は心が苦しくなる」

「言うなぁ下級士官。土下座でもしたら命だけは助けてやってもいいが。代わりにあの子に二度と近付くな」


 一触即発の空気。互いに折れる気配は一切見せない。

 ………そんな二人の居る部屋に、騒がしい足音が聞こえる。


「っす、すみません!! 遅刻しましたっ!!!」


 ノックも無しに扉を開いて叫ぶその声は、二人が溺愛して仕方の無い存在。

 急いだのか息も荒く、きちんと留められていない首元のボタンと、内側に入り込んだ襟。いつもは後頭部でひとつ結びにされている髪は適当に結ばれて少し乱れている。

 ネリッタが眩暈を覚えた。留められていない服のボタン、その部分から覗く素肌に赤い華が咲き乱れている。


「うわあああああんアンちゃああああああん!!! 酷いわよぅ酷いわよぅ!! アタシアンちゃん居ないと仕事しなぁーーーーーい!!!!!」

「えっ、な、何が!?」


 行動したのはネリッタが先だ。その巨体の何処にその速度が隠されているのか解らない程の早さでアルギンに抱き着く。


「嫌よぉアンちゃんが結婚退職なんてぇ!! アタシが気に入った人はみーんな先に辞めてくんだからぁ!」

「何の話ですか隊長、アタシはそんな、別に退職なんて………」


 言いながらアルギンが随分変化してしまった壁に目をやる。暑苦しく抱き締めてくるネリッタを引き剥がして、一言。


「修理代は自腹でお願いします」

「そんなぁ!? アタシがやったって決め付けないでよぉ!!!」

「そのトンファーで充分な証拠になると思いますけれど」

「うぐ」


 漫才をそこまで繰り広げたあとで、アルギンは漸くディルに気付いた。笑顔のディルに自然顔に熱が溜まる。


「っひ、ディ、ディル、なんでここに?」

「貴女がよく眠っていたので、遅れるとのご報告を。もう起きて大丈夫なのですか?」

「だっ、大丈夫、……っ、じゃ、ないけどっ。でも、仕事だから……無理はしないから、多分」

「本当に? ……疲れたらいつでも呼んでくださいね、帰りをお待ちしていますから」

「う、うん。……遅くなるかもだけど、待ってて」


 柔和な笑みを浮かべて、ディルが退室していく。その後ろ姿にべー、と舌を出す自分の上司を見逃すほどアルギンも鈍くはない。


「………ネリッタ隊長」

「は、はぁい?」

「ディルに何かしたら、アタシ辞めますよ」

「いーーーやーーーーー!!! なんでよ! なんであんな下級士官に一発で落ちてんのよぉアンちゃぁん!! あんな何考えてるか解んない胡散臭い奴!!」

「胡散臭いって……隊長のご自宅に鏡は無いんですか?」

「やめて!! アタシ言ってから同じこと考えた!!! 流石アンちゃん、アタシ達以心伝心ね!!!」


 尚もぎゃいぎゃい喚き散らすネリッタを他所に、壁の破損に目を向ける。

 ここまでネリッタが派手にやらかした所を、アルギンは見たことが無い。その後ろめたさからか、ネリッタが落ち着いた声で話し始める。


「……アタシは反対よ」

「そう、ですか」

「だってそうでしょ、あんだけ強かったら余裕で騎士になれるわ。ダーリャが可愛がってるってことは性格も悪くないんでしょうね。なのにそれで下級士官の地位に甘んじてるってことは、絶対アイツ何かあるわよ」


 それはアルギンも思っていた事だ、前から身のこなしに不自然さを覚えていたこともある。ネリッタの野生の勘はそれを裏付ける。


「……アタシが、騙されてるって言うんですか?」

「そこまでは言いたくないけどぉ。だってアンちゃん、もう戻れない所まで来てるんでしょ?」


 アルギンの指に通されている指輪が、その証。

 もう、彼を知る前の自分には戻れない。胸を焦がす恋情も、抱かれて知った情欲も、胸に優しく湧き続ける愛情も。


「……戻りたくない、って、思うアタシを馬鹿だと思いますか」

「んな事言ってたら今の四隊長全員大馬鹿よ。嫁の為にした事なんてあんな模擬戦の比じゃないわぁ。でもアタシは今のアイツのままならマジで無理。『持てる者の義務』を果たさずに楽に生きてるだけに見えちゃうの」


 その言葉にはアルギンも言葉を詰まらせる。『持てる者の義務』、それは騎士としての考えにも通じるものがある。守るべきものを守る為の騎士だ。それが力を持っている者なら尚更に。


「………楽に生きてるのはアタシも一緒かも。隊長も優しくて、兄さんも支えてくれて、仕事なんて隊長から言われるままにすればいいんだから」

「アンちゃんが自主的に仕事してくれたらそれはそれで嬉しいけどぉ、でもそうなったらアタシの声が届かない所に行っちゃいそうだからダーメ。アンちゃんは良くやってるわよぉ? だから誰よりも幸せになってほしい、それもアタシとしては本心」


 言いながらネリッタは大きい手でアルギンの頭を撫でる。


「………今のアイツとアンちゃんじゃ、アンちゃんが失うものの方が大きいわ」

「……仕方無いですよ、アタシが女に生まれたのが悪い。女ってそういうものでしょう」

「それじゃダメよ。なんで女ってだけで全部面倒事被らなきゃいけないのぉ? 子供生むのは女の体なんだから、それに見合うだけの苦労を男はしないとダメなのよぉ」


 ネリッタはまるで父親だった。育ての親は別に居るが、彼は『兄』として慕われる事を選んでいる。本当の父親を失って久しいアルギンにとっては、ネリッタの存在はとても大きい。


「でもぉ、アンちゃん。ちょっといい?」

「はい?」

「そこの鏡見ておいでなさい。虫刺されが酷いわよぉ」

「虫刺され?」


 ネリッタは何のことか分かってない部下を手の動きだけで鏡前に誘導する。

 ………『虫刺され』を見たアルギンの絶叫が響くまで、あと五秒。




「……うわぁ、最悪」


 夕暮れにばったり会ったソルビットは、アルギンの姿を見るなりそう評した。


「ソルビット、それ滅茶苦茶失礼じゃねぇ?」

「駄目ですよアルギン様、貴女風紀乱れまくりじゃないですか。見えるところには禁止しないと痛い目見ますよ」

「……見てる。今現在進行形で見てるから」


 ネリッタから押し付けられたスカーフで誤魔化してはいるが、もうそれだけで異質な光景で。副隊長としての隊服に、鮮やかな青のスカーフで首元を覆われたアルギンは、それでも隠しきれない部分の肌の赤い花を手で覆い隠しながらソルビットと話を続ける。夕方になってもまだ赤みが引かないのだ。

 場所は廊下、人通りも疎らになった城内。やっと書類の山が半分片付いて、今はそれを他隊の隊長に運ぶ仕事から帰る途中。執務室に帰るまでの道をソルビットは付いてきた。

 『鳥』隊長のカザラフにはもの凄い嫌みを言われた。

 『風』隊長のサジナイルには生暖かい表情で数度頷かれた。

 『月』隊長のダーリャからは立場もあるだろうに平謝りされた。

 あらゆる顔見知りから好奇の視線に晒されている気がした。これまでひた隠しにしていた恋情の行く先も既に筒抜けだ。


「今日のディルの浮かれ具合も凄まじかったですぜ奥さん」

「奥さん言うな」

「もーあれヤバい。歩く公害。指輪自慢しまくり関係公言しまくり。アルギン様のこと密かに想ってた奴等が軒並み早退、ディルのこと好きだった奴等も職務ぐずぐず」

「ナニソレ」

「マジで仕事になってないです。特に『鳥』のぐずぐず具合は最高ですね、酒の肴にエイスさんの所で一杯どうですか」

「やだ怖い、聞きたくない。……隊舎でディル待ってるし、そもそもまだ仕事終わってない」

「そんなんディルも連れてメシですよ。エイスさんにまだ報告してないんでしょ、第三者から聞かされる前に自分達で言っとかないとまずくないですか」

「あ……」


 エイス、というのはアルギンの育ての親だ。

 アルギンは彼に引き取られるそれまでの記憶があまり無い。親を亡くした後、偶然に偶然が重なってエイスに引き取られ、導かれるまま生きてきた。敢えて昔のことを思い出そうとも考えてない。産みの親のことを調べるのは、なんとなくエイスの事を考えると出来なかった。もう父母共に死んでいるのは確実なのだ。

 唯一の不便は誕生日すら覚えてないこと。一応戸籍はあるそうなので、調べられはする。けれどそれさえ気が引けた。

 八割ほどは恩しかない育ての親。兄と呼び慕う彼のことを忘れていた訳ではないのだが。


「……じゃあ、一緒に行こうかなぁ。でもディルって、……『あの事』知ってると思う?」


 ディルにはまだ聞かせていない事がある。

 その兄の話と、自分が仕官するに至るまでの話だ。


「……下級士官ですからねぇ」


 ソルビットも言葉を濁した。


「話していいと思う? アタシ今のところ関わってないけど、それでも?」

「何言ってるんです、家の事を婚約者に話さないのは不誠実でしょ」

「……う」

「それで怖じ気付いて手を引く男にも思えませんし、ねぇ」


 ソルビットの言葉にアルギンの表情が沈む。

 エイスは表向きは酒場である『J'A DORE』を経営している。……しかしその裏では、国家公認でギルドを運営しているのだ。

 勅命に於いて、国家に仇成す者達への粛清を行う。形を取り繕ってその言い方をするが、都合のいい人殺し集団だ。

 アルギンはそんな裏の顔を知ってしまって、エイスにとっての人質のように仕官の道を歩く事になる。


「……不安だなぁ」


 それを知った時の彼は、どんな反応をするのだろうか。無い、とは思いたいが、もし彼が手を離してしまったら。……そんな未来、考えるだけで怖かった。


「何を不安がってるんですか。そんなんで夫婦としてやっていけますかぁ?」

「……夫婦……に、なれるのかなぁ。陛下が許してくれると思う? ネリッタ隊長は『今のままのディルじゃ許さない』って言ってるし」

「あのクソゴミ性癖オッサンまだそんなこと言ってんすかぁ!? 邪魔すんなら全騎士の前で嫁に何しでかして来たか全部ぶちまけてやるって脅して来ましょうかぁ!」

「やめて!!!」


 悲鳴に近いアルギンの声が漏れる。


「……まぁ、『もし』の話は今置いといて。目下邪魔してくるのはネリッタ様だけなんですね」

「………うん、まぁ」

「はー……。子離れ出来ないクソ親父ですねぇ。こういうの『老害』って言うんでしたっけ」

「でもアタシもネリッタ隊長の言いたいことは分かるから。……あんだけ強くて優しくて、そんなディルがダーリャ様のお眼鏡に叶わない訳ないんだよ。……なんで下級士官なんだろうね」

「そりゃ、ディルの性格に難有りだからに決まってるでしょ」


 え゛、というダミ声もアルギンの口から出てきたものだ。ソルビットは逡巡しながらも、言葉を選んで話を続けた。


「………アルギン様はアイツのことべた褒めしますがね。アイツ誉められた性格って訳じゃないですよ」

「な、なんで?」

「『共感』が無いんですよ。びっくりするほど『優しさ』も無い」

「え、き、共感? 優しさ? なんで。ディル凄く優しいよ?」

「『騎士道精神』に反してるんすよ。アイツ、弱いものにも守るべきものにも女子供にも殆ど興味ない。唯一執着したのは貴女くらいなものです。興味ないからこその寛容を、『優しい』とか言うのは笑える冗談ですよ」


 アルギンには疑問符しか浮かばない。

 アルギンから見たディルは優しく、物腰柔らかで、いつも穏やかに微笑んでいる。多少気が弱い気もしていたが、ここ三日のディルはその姿を払拭してきた。


「でも、ディルって『月』がしてる孤児院の慰問とかで評判いいって聞いたけど」

「そりゃー、仕事だからでしょうね。興味ないから子供はこうあるべきって考えが無いんですよ、何されても何言われても笑ってりゃ丸く収まるし」

「え、ソルビットもそんな考えなの?」

「子供かわいいって公言してんのアルギン様くらいです。みーんな仕事だから相手してんですよ、あたしだって『月』に配属されて慰問なんての行かなきゃならなかったら、仕事じゃなきゃ舐めんなクソガキって一発食らわしてるかも」


 アルギンの頭の中は疑問符だらけだ。目の前でわちゃわちゃしてる子供はかわいい。確かに時折クソガキと言わざるを得ない子供もいるにはいるが、大体の子供は小さく愛らしい。

 子供の話はさておき、ソルビットから見たディルがそんな評価とは思わなかった。


「せめて強かったら、そりゃ叙勲も受けられるでしょ。……あたしはアルギン様が負けたって聞いたときは耳を疑いましたけど」

「あー……。うん、アタシだってびっくりした」

「他人事ですね。下級士官に負けてそれですか」

「だって負けたもんは負けたんだし。……あーあ、ソルビットの耳にまで届いてんならアタシの立場も危ういかねぇ」


 そういった話をしながら、もう『花』執務室に着いてしまった。「じゃ、あとで」なんて言いながらアルギンはノックの後に扉を開く。

 一人だけ入り込んだ執務室の中では、夕日が差し込む室内で蝋燭に灯をともしたネリッタが執務の真っ最中だ。書類がまた山のように積まれている。


「書類、お渡ししてきました」

「お疲れ様ぁ、アンちゃん。……あらやだ、アンちゃんからあの雌猫の香水の匂いがするわぁ」

「え」


 思わず自分の服の匂いを嗅いだ。それを見たネリッタが苦笑する。


「………嘘よぉ。声は聞こえたけどね」

「……本当に隊長はソルビットが嫌いですよね、でもアタシはソルビットのこと友人って思ってますから」

「別に良いのよぉ、アンちゃんの交遊関係に口出すなってサジナイルに怒られちゃった」

「サジナイル様がですか?」

「アタシもアンちゃんのこと縛りすぎよねぇ。分かってはいるんだけど……ううん、分かってるつもりで分かってない。いつまでもアンちゃんは危なっかしいアンちゃんのままじゃないのにね」


 ネリッタが珍しく凹んでいる。サジナイルから言われたことが相当堪えているのだろう。同期で同僚のサジナイルは、言葉選びに遠慮がない。


「……分かってる振りだったとしても。アタシはディルのこと反対よぉ。反対なのよぉ」


 呻くようなネリッタの声がする。


「だからねぇ、アンちゃん。ごめん。本当にごめんなさい」

「……その謝罪は何なんです」

「アタシどうしても反対なのよぉ、少なくとも今のディルは本気で嫌なの。何言われたって今のままのディルだけは許せなかったの」

「………ディルに何かしたんですか」

「本当にごめんなさい。ごめんなさい、謝ったって仕方ないんだけど」

「隊長、ディルに何したんですか! 答えてください!!」


 謝り続けるネリッタに、アルギンの怒声が向けられる。心にざわつく何かが駆け巡るが、ネリッタは躊躇うように視線をさ迷わせる。


「………ダーリャと、話をつけたの。カザラフと、サジナイルとを巻き込んで」

「……四隊長で、ですか? 何を話したんです。それとディルに何の関係があるんです」

「時折御前試合組まれるのは知ってるでしょう? あれね、参加者は基本的に騎士だけが対象なんだけど」

「御前試合? ……アタシがいつもハブられてる奴ですね。確かにアタシ強くないけど」

「その御前試合、少し制限を付けて開催を早めようって話をしたの。そうなるように無理矢理話をつけたの。そんで、その中に特例でディルも参加出来るよう捩じ込んだわ」

「っ………はああ!?」

「そんで、優勝者にはアンちゃんとの結婚が副賞として付いてくる」

「ーーー」

「だから参加者は独身騎士だけ、っ、ア、アンちゃん、やめて、ごめんなさいやめて、アタシ死んじゃう」


 その日アルギンは、本気でブチキレたら一人がけソファが案外片手で持ち上がる事を知る。


「ユティス様にはアタシが謝っときますから大丈夫です」

「ごめんなさーーーーい!!!!!」

「婚約者がいる女を景品にしてごめんで許されると思うなぁああああ!!!!!」


 アルギンはぶん投げて破壊した一人がけソファの買い直し代金と引き換えに、その日の定時をもぎ取る事になった。



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