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「ではこちらで」
「待って?」
九番街の宝飾品店でまた問題が起こる。これまたこういう店に全く縁の無かったアルギンが、その場違い感に気後れしていた。
飾られている水晶は、本物か。結晶をそのまま運んできたような大きさのそれは店の中心で燦然と輝いている。
店に入った時から、店員が二人に声をかけてきた。そしてそのまま席に通される。指の細さを測られて、あれよあれよという間にディルは「結婚指輪を」と言って、店員はピンからキリまで一式を用意してきた。全部が全部対になっている。
好きなものを選んでください、と言われるがままにアルギンは値札も見ずにひとつ手に取った。銀色の指輪に花の彫りが入り、花弁の中心に小さな宝石が埋め込まれたものだ。きれい、と溜め息を吐いたアルギンをディルは見逃さない。
……そしてディルは即決する。焦ったアルギンがそれを制止させたが、時既に遅く。アルギンの目の前で金貨が二十五枚動いた。その額の大きさに、それなりの給金を貰っていても根が庶民なアルギンの口から引き攣った音が漏れる。
「本当は屋敷までとも行かなくとも、家は用意したいのですが……今はそこまでの給金は頂いていませんので、待たせるかも知れません。これが暫くの間、貴女への想いの証になれば、と」
「待ってよぉ……」
即決された指輪は、商品として並べられたものの中で比較的安価とはいえ入店して十分足らずでアルギンの手元に来た。専用の箱と紙袋に入れられ、二人はすぐ退店することになる。
移動時間の方が遥かに長かった。移動中も二人並んで色々な話をして、今までの両片想いの間の時間を埋めようとしていた。気付けば時間は昼の二時を過ぎていて、空の太陽も傾き始めている。
なんだかむず痒い。次から次に与えられる愛情は、これ以上無いと言うほどアルギンを充たしていた。
「………ディル、無理してない?」
「無理とは?」
二人並んで、今度は十番街ーーー城の方角に向かう。どちらかが『次』を決めた訳ではない。けれど二人の足は、自然そちらに向いていた。
「失礼な話だけど……多分、アタシの方が俸給良いよ。ディルがこれだけアタシを大事にしようって思ってくれるのは嬉しいけど、でも、無理されるのは嫌だなぁ」
「無理なんて……、……いえ、そうですね。無理していたかも知れません。……貴女に避けられ始めてからは、ずっと」
アルギンが押し黙る。その話題は出来ればまだ避けておきたかった。
「最初は貴女を想って眠れなくなりました。次に、食欲が無くなりました。声が聞きたくて、話をしたくて、笑顔が見たくて……なんだっていい、貴女に逢えて、話が出来て、笑顔が見られるなら。側に居られるなら、触れられるなら、……貴女と、結ばれるという願いが叶うのなら。だから、アルギン。こんなものは無理でもなんでも無い。寧ろ私か今まで抱いていた願いを叶えているのです」
藪をつついたら蛇が出た。その蛇の愛情は重くて、ちょっとだけ怖い。
怖いけど、嬉しいと思う心も確かにあって。
「……今日からは、無理なんてしないでね」
「勿論、です」
「約束だから」
昨日の朝までは思ってもなかった自体だった。
けれど、それがとても嬉しかった。
隊舎は『花』『鳥』『風』『月』の男女ごとにそれぞれ分かれている。基本的には城より近い場所に住居を持たない単身者のみの入居で、結婚する者は通例として城下に所帯を持つ。下級士官なら二人一部屋、騎士からは一人一部屋が与えられる。中は身支度を済ませて寝るだけの広さしかないのは身分問わず共通である。
ディルは「少し身支度をしてから改めて伺います」とだけ言って、自分の隊舎に戻っていく。アルギンはそのまま自分の部屋に向かった。
部屋の鍵を開けようとして、違和感に気付く。
………空いてる。
「っげぇ、もう戻って来たんですか」
中にソルビットがいた。鍵穴を良く見てみれば、酔った日に鍵で引っ掻いてつけたのと違う新しい傷がある。……鍵開けされていた。
無言で部屋の中を見てみる。
今日部屋を出ていった時より小綺麗にされていた。
一輪挿しに花が活けられていた。
小さなテーブルには果物籠とティーポット、カップとソーサーが置かれていた。
ご丁寧にベッドには赤い花弁が散らされていた。
そこに鎮座している白とオレンジ色の二色からなる透ける素材で出来た下着。
「ぶち殺してやるからそこになおれ」
「なんでディルいないんです!? 折角あたし準備したのに!!」
「何考えてんだ馬鹿!! こんな露骨な真似したら引かれるだろ!?」
「あの男が引くわけないじゃん!! 言っときますけど昨日のアイツの浮かれっぷり相当ヤバかったんですからね!?」
初耳情報を齎されてアルギンの息が止まる。
「もう皆ドン引きですよ本当どんだけアルギン様のこと大好きかって話で。アルギン様あのあとすぐ退勤したから知らないでしょ、あのダーリャ様が声も掛けられなかったんですから」
「頼む、アタシの心臓が持たないから止めてくれ」
「止めるもんですかこんな面白い話。早く結婚してやってくださいよ、多分今アルギン様が求婚したら喜びの余りに倒れますよ。あたしはそれがとっても見てみたい」
「……あー」
その予想は半分当たりで、半分外れ。訝しむソルビットに、さっき宝飾品店で買ってきたばかりのものを見せてやる。専用の小箱に入った、対の指輪。
聡いソルビットは一発で分かってしまっている。これが、将来を誓い合うための指輪だと。
「はーーーーーーーーーーーーーー!!!!!?」
「う、うるさいぞソルビット!!」
「ちょっと待って! 怒濤の展開!! 最高!!! あとは子供ですね!!!!」
「まだ早いわ阿呆!!!」
昨日からの怒濤の展開に一番困り果ててるのはアルギンの方だ。まだ兄にも報告できていない。
報告。結婚。……子供。
もしそうなったら、アルギンはどうすればいい。彼と一緒になりたいのは本心だけれども、アルギンには今持ち得る全てを擲つ覚悟まではなかった。
それに。
王家は、それを許してくれるのだろうか。
「早いもんですか、適齢期過ぎてんのにそんなぐずぐずしてるのアルギン様くらいです」
「でもアタシ達、まだ交際一日目ってな訳で」
「それが? 政略結婚なんて交際零日がゴロゴロしてますよ。それともぉ? 結婚するまでぇ? お色気にゃんにゃん無しぃ? ハッ、賭けてもいい。それ絶対無理ですよ」
無理だと言われてアルギンが憤慨する。しかしソルビットは何かの確信があるかのように言葉を止めない。
「な、訳で。ちょっと下着着替えてください」
「なんでだ!?」
「今度ディルに訊きますんで。『アルギン様の下着の触り心地はどうだった?』って」
「ぶち殺してやるからそこになおれ」
アルギンの顔は真っ赤だ。その顔を見ながら、ソルビットが渋い顔をする。
「アルギン様、口紅剥がれてます」
「え? ……あ、ああ。まぁ、ちょっと食べてきたから、多分その時に」
「そうですか。……あたしはてっきり、接吻のひとつやふたつしてきたのかと」
「殺す!!!」
「あのですねぇ」
ソルビットの溜め息には失望が混ざっていた。
「幾ら日中とはいえ接吻のひとつも無しで、自信無くなったりしないんですか」
「………え?」
「女として求められないのを不安に思わないのかって聞いてるんですよ。惚れた相手なんでしょ、触れたいって、触れられたいって、本当に思わないんですか」
それは、思う。
一番好きで、大好きで、愛する人。触れて触れられて、彼の隣を独占できたらどんなに幸せだろうか。彼の指が手や肩だけでなく、頬、首、それからーーーそこまで考えて、思考の恥ずかしさに首を振る。
「……思うよ。思う、けど。でも、それって、良いことじゃないよね」
「何がですか。まさかアルギン様、その歳で赤ちゃんはキャベツ畑から産まれてるとか言いませんよね? アルギン様の親もディルの親もきっちりエロいことしたから産まれてんですよ、エロいことに愛が付いてくるなら良いことじゃないですか」
「少しは恥じらえよぉ!」
「アタシが何十人と寝てきてるって思ってんです、恥じらっても処女膜は戻らないんですよアホらし」
男性経験に於いてはソルビットは桁違いだ。その『宝石』と呼ばれる美貌と肢体でどれだけの男を手玉に取ってきたか。引き際も弁えているらしい彼女には、性に関する嫌悪感はまるでない。
「性欲はイキモノなら当たり前の欲求です。時々精神的な繋がりばかり声高に主張する輩もいますけどね、そういう高尚なのはアルギン様は止めといた方がいいですよ。……アルギン様、今日が一番『女の顔』してます」
「お、女の顔?」
「性欲と男女の愛情が別物な訳ないでしょ。アルギン様の中で、それが本当に別物だったなら、アルギン様はディルを露骨に避ける必要は無かった訳で。ただ想ってればいいんですもん、そこに想いが叶う叶わないは関係しない筈です」
「………よく分かんないよ、そんなの。だって、好きな人とは……一緒にいたいと思うもんじゃないのか」
「それ、ネリッタ様にも同じこと言えますか」
「…………う」
ネリッタ。ネリッタ・デルディス。『花』隊長だ。
確かに彼に向ける敬愛は、ディルに向けるそれとは確かに質が違っている。ネリッタの嫁自慢は笑顔で聞けるが、それがもしディルの嫁自慢だったとしたらーーー発狂しかねない。
「はー……。処女のひとつやふたつくらいあの男に捧げてくるかと思ったら、こんな時間に戻るんですもん。折角あたしが用意したのに」
「………だもん」
「ん?」
「………ディル、身支度してから………ここ来るって言ったもん」
それを聞いたソルビットの顔たるや。
「おめでとうございますアルギン様!!!!!」
「……うるさいっ」
「身支度って何でしょうねぇ? 冷静になろうとして一発抜いてくるとか」
「お前本当にぶち殺すぞ」
下世話な笑顔のソルビットを横目に、アルギンがその場でワンピースを脱いだ。その脱ぎっぷりは恥じらいも何もなく。眼前に露になった下着に、ソルビットが溜め息を吐いた。
「………本当、今度買い物一緒に行きましょ。明後日とかどうです」
「明後日は定時にしか上がれんぞ」
「いいですよ、馴染みの所なんで開店しとくよう話つけときます。アルギン様のそれ、見てると訓練中の女どもの顔しか浮かばないですから」
随分な言われようにアルギンが憮然としながら全部脱いだ。裸を晒したのは一緒に湯浴みをしたこともある仲だからなのだが、今回ばかりは苛立ちと捨て鉢感が強い。寝台上の下着を身に付けると、視線は自然姿見に移動する。
こんなものを纏う日が来るなんて思わなかった。頼りない肩紐、布面積だけは広い筈なのに、透ける素材が主でほんの一部分しか隠さない下着は体の曲線を朧気に見せている。まじまじ見てたら恥ずかしいだけなので、急いでワンピースを被り直した。脱いだ下着は洗濯籠の奥深くに埋める。
「……こんな商売女みたいな格好、二度としないからな」
「大抵の男が喜ぶから商売女はそんな格好してるんですよ。でも、自分の女がそそる格好して喜ばない男っていないと思いますが」
シワになってないのを確認しながら服を払う。外側はこんなに清楚なのに、一枚下はあんな蠱惑的な下着。その差にアルギンが違和感しか覚えない。そんな姿を見ながら、ソルビットが不躾にアルギンの鞄を漁って、出してきたのは朝に渡された口紅だ。それを塗られて、再び艶めいた唇になる。
「包装紙って思えばいいんですよ。肝心なのは中身でも、包装が綺麗だと嬉しいでしょ」
「……そんなものなのかな」
男女の機微はよくわからない。半ば諦めて、体をベッドに投げ出した。
ひどくねむい、気がする。けれどソルビットの次の声で、眠気など遠い彼方に吹き飛んでいった。
「あ、ディル」
「!!!」
その言葉は窓の外を見ながらのものだ。アルギンも覗いてみると、彼は隊舎の中に入ってくる所だ。
「はー、手土産に花のひとつでも持ってくるかと思いきや丸腰ですねぇアルギン、さ、ま………」
アルギンの顔は、ソルビットが言葉を失うほど真っ赤だった。
「………………この色ボケども……」
最早ソルビットには、それ以上を連ねる気力さえ起きなかった。扉に向かって歩いて、それから振り返る。
「んじゃ、あたしはもう帰りますんで日和ったりしないでくださいよー」
「ひ、日和るなんてそんな」
「根性出すんですね。それじゃ」
扉が開いて、ソルビットを飲み込んで、閉じる。……足音が聞こえた。
『おお、ディルじゃん。愛しの方とのお約束?』
『……ソルビット様。何故こちらへ?』
『アルギン様に逢いに来るのに理由いる? ……そーそー、ディルの耳に入れたい事があってさぁ』
廊下で二人が話す声が聞こえた。気になって聞き耳を立ててみる。
『昨日さぁ、アルギン様早上がりしたじゃん? それ、あのあとの浮かれ具合めっちゃ酷かったかららしいんだよねぇ』
『う、浮かれ?』
『聞いてないの? もう乙女の溜め息連発、ポカミスし放題、何言っても心ここにあらず。見かねたネリッタ様から追い立てられるように帰らされたとか』
「ソルビットおおおおお!!!!」
「あははははは!!!」
怒声を響かせながら扉を開けたが、ソルビットは既に笑いながら廊下の向こうまで駆けていっていた。………残されたのは、顔を赤く染めたアルギンと、同じ顔色のディルのみ。
暫く無言でその場に立ち尽くしていた二人だが、アルギンが文字通り背中を押しながら二人は部屋に入っていく。
「ったく……ソルビットの馬鹿!」
扉を閉めて鍵を掛ける。もう誰も邪魔が入らないようにしたかった。ソルビットの手に掛かれば鍵開けなんて簡単にされるのだろうが、それ以外の者の侵入を拒めるのならそれでいい。
部屋の中には一人掛けソファがひとつだけ。そこは彼に勧めて、自分はベッドに座るつもりだ。折角なのでお茶を飲んでしまおう。カップに出したお茶はローズティだった。
「これ、ソルビットが用意した奴だけど……どうぞ」
彼の前にカップとソーサーを出す。
「色々、その……なんか……部屋の中、変な細工されててさ………。変なのあっても気にしないで欲しいなぁ。ソルビットの悪戯だから」
「そ、そうですか」
「うん……」
「………………」
「………」
「……………」
二人の間に微妙な沈黙が漂う。この沈黙に、どうしても甘い空気を感じてしまうアルギンが、耐えきれずに首を振る。
今流されたら終わる。終わらないけど色々なものが終わる気がする。それでなくともまだ日は落ちきってない。落ちきったらどうだという話でもないが。
ベッドに座って、沈黙を掻き消す。
「……ねぇ、ディル」
もう間が持たない。話題はこの際なんでも良かった。
「は、はい。何でしょう?」
「………もう、二人きりだから。言っちゃおうかと思って」
どうせお互いしか聞いてない。恥ずかしい話ではあるが、『後で』と話すのを先送りにしていたもの。
「アタシが、ディルを避けてた理由」
「ーーー」
「ごめんね。本当のこと言うとどうしても知られたくなかったんだけど……でも、黙ったままディルとどうこうなれるとも思わなくて」
「……聞かせて頂けるん、ですね」
「うん、……あのさ」
話したくない。
聞いてほしくない。
こんな、心の醜い部分。
「ディルがモニカに告白されたの聞いてたの」
「え、……そんな、私はあの時!」
「すっごく嫌だった。……告白、断ったのも聞いてた。でもアタシ、すっごい辛くて」
「何故……? 私が断ったのを知っていて、何故」
「………アタシね。モニカと同じ事考えてたんだぁ」
ディルが言葉を失った。息を飲む音が、こんなに耳に痛い。
「ディルが地位低いのをもし気にしてたら、アタシがなんとかしてあげられる。それでもし、アタシのこと気にしてくれたら嬉しいな、って。地位があったら、もう少し仕事でも一緒にいられる時間も増えるかな、って。……だから、モニカへの振り文句、全部アタシ宛に聞こえたの」
「アルギン、私は、そんなつもりであの方に言った訳では」
「他に好きな人がいる、って、……あの時言ってたよね」
「それはっ……」
「分かってる。今なら分かるよ、それが誰だったか。でもね、その言葉は全部アタシの心をへし折ったの。顔なんて合わせらんなかった。話なんて出来なかった。後ろめたくて、自分が恥ずかしくて、……だから、アタシはアタシを保つために、ディルを避けた。諦めようとした」
自衛の手段が良いものだとは言えない。けれどそれで精一杯だった。叶うと思えなくなった想いだ、八方塞がりだった。
ディルが立ち上がる。その姿を、今は見ていられない。
「まぁ、今考えるとそんなの無理なんだけどね。……ソルビットとディルが話すだけで妬けてくる。ディルに気がある女がディルを見るだけで嫉妬する。モニカのことなんて、今だってどうにかして懲罰房に突っ込んでやれないかなんて考えてる。こんだけ胸が苦しくなるのに、諦めるなんて到底無理。それもそうだよ、だってアタシどんだけディルに片想いしてたって話で、」
言葉が途切れる。
その腕に、胸に、しっかりと抱き留められて。
「………片恋の長さを競うなら、私も負けませんよ」
「……ディル」
「すみません。貴女を誰にも譲って差し上げられません。無理です、貴女の視線の先に、他の誰かがいるなど。いつか貴女の手を取るかも知れない顔も分からない誰かを、私は心から憎んでいた」
耳から伝わる彼の想いは、じんわりと胸に染みてくる。この男が憎しみを抱くなんて、考えたこともないしそんな風には見えない。嫉妬して、嫉妬されて、色々考えていたのがなんだか馬鹿みたいに思えてきた。気持ちは同じだったのだ。
「……愛しています、アルギン。愛しているんです。貴女と、共に居たい。……永遠を、誓いたい」
「……ディル」
「指輪を。……どうか、その指に通す幸福をいただけますか」
指輪の箱は鞄の隣の紙袋の中だ。それを伝えると、ディルの体が離れた。箱を手に取り、ディルはアルギンの指輪、アルギンはディルの指輪を手にする。
「ーーー『新郎ディルは、新婦アルギン・S=エステルを生涯の伴侶とし、病めるときも健やかなる時もこれを支え、敬い、愛し、死が二人を別つまで共に在ることを』、……誓います」
それは結婚の儀式の時に神父が述べる言葉だ。ディルはその言葉とともに、アルギンの指に指輪を通す。
「『新婦アルギン・S=エステルは、新郎ディルを生涯の伴侶とし、病めるときも健やかなる時もこれを支え、敬い、愛し、死が二人を別つまで共に在ることを誓いますか?』」
神への誓い。それに震える指をなんとか誤魔化し、ディルの手を取る。
「誓います」
アルギンの返事は、もうとうに決まっていた。ディルの指に指輪を通し、満願の喜びを込めて抱きつく。これが正式な儀式でないにしろ、互いの想いは同じなのだ。
「アルギン」
躊躇うような声が聞こえる。
「……貴女に、触れたい」
声が掠れていた。
「………アタシ、も」
アルギンだって声が掠れている。
目を閉じたのはアルギンが先だ。頬に手が添えられ、吐息が肌に掛かる。
唇が触れたのは、ほんの一瞬。慎み深い口付けの後は、すぐに顔を離された。
アルギンが薄く目を開く。……ディルの顔はまたもや真っ赤だ。先程唇に塗られた口紅が移っている。
「ディル、だ、大丈夫?」
「………すみませんアルギン」
「ど、どうしたの」
「素数を数えています」
「なんで!?」
「今すぐはこれ以上を望むつもりはないのです。物事には順番というものがあります、そして今これ以上となると私の理性がもちません」
目の前で狼狽する年下の未来の夫は悲惨なくらいの有り様だ。……そこで悪戯心が湧いてしまったのは、ソルビットに『魔法』をかけられたせい。
相手の肩に手を置いて、そのままベッドに引きずり倒す。
「アルギン!!?」
声が既に悲鳴だ。腕力で勝てるとは思わないが、その両手首を押さえさせてもらう。
「まだアタシ聞きたいこと聞けてないからさ」
「き、きっ、聞きたいこと?」
「フジの花言葉ってなんなの?」
ここまで反応が面白いと、もっと悪戯をしたくなる。真っ赤な頬に軽く口付けて、熱の具合を確かめる。唇の形の口紅が頬につけられた。
「夫婦になるのに、隠し事されるのは嫌だなー……。信頼関係って大事だよね? ディルだってそう思わない?」
「お、もっ……思い、ます、思いますがっ!」
「聞きたいなぁ。ね、旦那様」
精一杯の猫撫で声で、再び唇に唇を触れさせる。軽い口付けの筈なのに、真っ赤な顔で視線を泳がせるディルをもっと見ていたくなった。
「アタシ、ソルビットから話に聞くだけだから上手くないと思うけど。言わないならこのまんま続けるよ?」
「っ………!!」
「素数よりアタシのこと考えてよ。そんでアタシに花言葉教えて。それから、……」
自分の顔も真っ赤なくせに。
「……抱いて、ほしい」
「……! ……!!!」
「理性とか、どうこうよりも。嫌じゃないなら、アタシを抱いて。アタシのココまで、全部ディルのものにして」
言いながら腹部ーー子宮のある辺りーーに触れる。アルギンとしては自分なりに頑張った挑発だった。
しかしーーーそれは思った以上に効果的だったようで。油断していたつもりは無かったが、軽くころりと体制を変えられる。気づけば自分が背中をベッドにつけていた。
「………もう、止まりませんからね」
ディルの息が僅か荒くなっている。服のボタンが一つずつ外れ、服が乱れるその光景に息を飲む。この『月』所属の下級士官はその姿さえもとても美しい。
「………『決して離さない』。フジの花言葉、です」
「……うわ、情熱的」
「聞いたからには、離れないでくださいね」
「勿論」
愛情も、性欲も、独占欲も。最愛の人が抱くその全てが自分に向いているという感覚は、言葉に出来ないほど嬉しくて。
「アタシも、離さないから」
両腕を広げて来訪を待つ。
太陽が沈んだ。
今からは月の時間だ。