1
嘘だ。
嘘だ、こんなの。
アルセン国騎士、そして騎士団『花鳥風月』の『花』副隊長アルギン・S=エステルの顔から血の気が引いていく。
相手も分からぬ模擬戦を提案したのはアルギンだった。それにはさして深くない理由があるのだが。
なんで。
どうして。
アルギンの顔が青くなったと思いきや、物凄い早さで朱に染まる。
「では、再度確認を。魔法や宝石の使用は禁止、あくまでも武力のみでの模擬戦です。どちらかが戦意喪失の意志を見せるか、こちらの合図で試合の終了。相手を死亡に至らしめるまでの追撃は厳罰です」
向かいに立っているのは、この模擬戦の見届け人の一人である『月』隊長ダーリャと、あと。
「………アルギン、様」
神父であり下級士官の男。長い銀の髪をひとつの三つ編みにした、背が高く細身で、中性的とさえ思わせる美形。この男は硝子細工で出来ていると聞いても、きっと納得してしまうだろう。
彼は優しく大人しい性格をしているが、この日に限っては何か決意したような顔でそこにいた。
模擬戦会場である中庭は、野次馬の声もうるさい。
「お話を、受けてくださって……ありがとうございます」
「っぁ、う、………うん」
ディル。
それが、男の名前だった。
「………アンちゃん、もしかして、貴女の想い人って」
アルギンの隣で、今回の模擬戦の見届け人の一人として見物に来ていた『花』隊長のネリッタ・デルディスが声を出す。その声に何も返事出来ないアルギンが、唇を震わせながら俯いた。
事の始まりは三日前に遡る。
昼の休憩時間に、ゆったりと食事を摂っていた『花』の隊長と副隊長。
そこに現れたのは『月』隊長のダーリャだった。神父として人当たりも良く、皆から信頼されている男。
ネリッタがその来訪を喜び、アルギンに紅茶を持ってこさせようとした。しかし。
「今回私が来たのは、アルギン。貴女にお願いがあったからですよ」
紅茶の為に席を立とうとしたアルギンが、その言葉で動きを止める。
「はぁ? ダーリャがアンちゃんに用事なんて珍しいわねぇ。うちの可愛い副隊長の貸し出しは高くつくわよ」
「その辺りは良心的にお願いしたいのですが……いえいえ、今回ばかりは定価でも構いません」
「へえ?」
人を勝手に金銭でやり取りしないで欲しいのだが、ダーリャは率直に話を切り出した。
「こちらの隊員が貴女に想いを寄せています。どうか将来を視野に入れた形で逢っていただけませんか」
切り出された話の内容に、アルギンよりも先にネリッタが露骨に嫌な顔をする。
「……ちょっと、ダーリャ。止めてよね、ダーリャん所からもそういうの寄越すなんて」
「おや? こういう話はよくある事なのですか?」
「当たり前じゃない。この美貌と性格と地位のアンちゃんよ? ゴミみたいなのが掃き捨てるほど寄ってくんだから」
「ゴミて」
事実だった。
『鳥』からも『風』からも、定期的にそんな話が舞い込んでくる。しかし『風』はさておき、『鳥』からはアルギンの副隊長という地位に重きを置いた縁談しか来ない。
アルギンはまだ結婚には興味無いとして、そんな話は片っ端から断っているのだが。主にネリッタ主導で。
「……アタシは、その、……結婚とか考えてないから、その、すみません」
「一度でいいのです。彼は真剣でして、もし応えて頂けるなら誠心誠意大切にしますから、と」
「……ですが」
結婚に興味ない、なんて、本当は嘘だった。アルギンには一人前に想い人がいる。けれど、相手は年下で、自分が想いを伝えると地位を盾に迫っているように見える気がして、どうしようも出来なかった。
諦めようと、何度も思った。
「お願いします。最近の彼は痛々しく、聞けば貴女に来る縁談に心を痛めていると。縁談は悉くご自分でどうにかなさっていると聞きますが、いつか貴女の理想に敵う人物が出てきた時の事を考えると気が気でないと」
「……随分と熱あげられちゃってるわねぇ、アンちゃん?」
そこまで言われて悪い気はしない。けれど、どうしても素直に頷けないアルギンがいる。
「……誰、なんですか。それ」
名前を聞けたら、考える余地はあった。願えるなら、想い人であればいいとも確かに思った。
けれどダーリャは首を振る。
「お逢い出来るなら、名前を伝えてもいいと。しかし断られるなら、名前を伝える気はないと」
「はー……。随分と消極的ねぇ? 断っちゃいなさいよアンちゃん、名前出せない臆病者に応える時間なんて無いわよぉ?」
「自分の名前を聞かれて断られた時は、辛さで塞いでしまうから、だそうです」
「それでも、よ。本気でうちのアンちゃんに手を出そうってんなら、まずはアタシに話を通してからじゃないと。本当誰よソイツ、アタシが根性叩き直してやるわぁ」
当てが外れてアルギンが困り顔を浮かべる。名前を聞いて、『彼』でなかったなら断ろう―――なんて、そんな考えが見透かされている気がした。
「……年上ですか、年下ですか」
アルギンの質問には。
「……そんなに、年齢は離れていませんよ」
ダーリャがはぐらかすように返す。
「アタシも知ってる奴ですか?」
「恐らく。何度か交流している筈です」
「もしネリッタ隊長がそいつ知ってたら、この縁談には賛成してくれますか」
「………。どうでしょうね? ですが私は賛成しますよ、だから貴女にこの話を持ってきたのです」
「既婚者とか恋人持ちじゃないですよね?」
「まさか。女性の影も無い者ですよ」
アルギンの質問に、ダーリャではなくネリッタが嫌そうな顔をしている。質問するということは、興味があるということだ。
つまり、アルギンは、乗り気。それが感じられてネリッタが唇を曲げる。
「……アンちゃん、まさか、受ける気?」
「………アタシも、叶わない恋をしてるから、ですかね」
アルギンの言葉に、ネリッタが今度は悲しそうな表情を浮かべる。この百面相の上司は、アルギンの恋の相手を今でも知ることが出来ないからだ。
『花』副隊長の恋愛の話を聞いてダーリャも目を丸めた。アルギンは、今の今まで浮いた話ひとつさせたことがない。だから、そんな事自体に興味がないのだと思っていた。
「そろそろ、アタシも別の奴に目を向けるべきかなって……思って。この年で恋愛経験のひとつも無いんじゃ、流石に引かれるでしょ」
「……有り難うございます、彼も喜びます。彼の名前は―――」
「あ、でも条件がありますからね。名前なんてどうだっていいです」
「条件?」
面倒だったけど、譲れない条件がひとつだけある。それで今の今まで断れない縁談は無理矢理破談にしてきた。
「アタシより弱い奴には興味ありませんから。……模擬戦、やってもらいます」
アルギンは、曲がりなりにも副隊長だ。それでこれまで何人もの男を地に伏せてきた。
今回だって同じだ。自分を求める男でも、弱い男のものになってたまるか。
「アタシに勝てる男なら、結婚でもなんでもしてやりますよ」
「………本当、ですな?」
「えー、ちょっと止めてよアンちゃんー。あちらさんが本当に強かったらどうすんのよー」
言いながら、アルギンには自分にとっての最愛の人が浮かんでいた。
彼と結ばれる未来を想像しなかった訳じゃない。でももう、彼のことを考える自分を終わりにしたかった。
せめて彼が、自分と同じくらいか近い地位にいたなら。
せめて彼が、年上か同い年だったなら。
せめて彼が。
彼が、自分を想ってくれる可能性があったなら。
「副隊長、殺すなよー」
野次に我に返る。飛んできた野次は、噂を聞き付けて見物に来た『花』隊の者だ。
誰が殺すかこのボケナス、と内心で毒づいている間に、見届け人である双方の隊長が二人に模造刀を渡す。
「しっかし、副隊長に求婚たぁよくやるぜ」
「美人だからな、わかる。でも下級士官が副隊長相手に模擬戦とか……自殺行為にも程があるだろ」
「勇敢と無謀は違うってな……。俺ら何回副隊長の模造刀でボコボコにされた奴等見てきたよ」
「そこ、うるせぇぞ!!」
耳に嫌でも届く噂話に、噛みつくように叫んだ。途端に口をつぐむ隊員だが、アルギンはきっとこの先奴等の顔を忘れない。
「大丈夫、アンちゃん? 何だったら、今すぐ無効にしてもいいのよぉ? 遠慮なくアイツの胸に飛び込んじゃいなさいよぉ」
「……そんなの、今更、出来る訳無いじゃないですか」
「……でも、試合に変に手心加えたらあいつら全部分かると思うわよぉ。アンちゃんの気持ちが一番大事よぉ」
ネリッタの言葉は有り難かったが、苦笑しながら首を振る。
そう、そうなのだ。
向こうは何年もの間、下級士官としての地位しか持っていない。それはほぼ実力の差とも言える。下手に手加減をしてしまえば、これまで模擬戦で全力を出したアルギンを見てきた輩達からしてみれば全部分かってしまう。自分が言い出した事に手心を加える者だと思われたくなかった。
決心したアルギンに、もうネリッタも言う言葉がなくなって下がっていく。ダーリャも下がって、残った二人の視線が自然と絡み合う。
「アルギン様……」
名を呼ばれるだけで、ぞくりとした。最愛の人の声。
「この三日間が、長く感じられました。私が勝つことが出来れば、私は貴女を……」
模造刀を握る手が震えた。本当に、今この場に誰もいなければこんなもの投げ捨てて胸に飛び込んだかも知れない。
「……ねぇ、ディル」
手の中の無粋なものを捨てる前に、どうしても聞きたいことが出来た。
「何、でしょう?」
「アタシに勝てるって、本気で思ってる?」
「………分かりません」
問い掛けに返る、曖昧な返答。
「ですが、私に残された最後の希望です。希望が残っているなら、縋らずにいられる訳は無い……。何もしないで諦めるなど、出来ませんでした」
「……縋る、って、そんな、大袈裟な」
「貴女に」
初めて聞く、低く震えた声だった。
「……貴女に避けられ始めて。貴女に縁談が届いていると聞いて。どれだけ私の気が狂いそうになっていたかを知っていての言葉ですか……?」
「―――」
「縋っても足掻いても無様でも構わない、貴女が奪われるのを黙って見ているだけなど死んでも嫌です」
「アタシ、は。避けた訳じゃ」
心当たりはあった。
耐えられなくなったのはアルギンの方だ。
叶わないと決めつけて、わざと逢わないようにした。顔を合わせてしまっても、話を早く切り上げた。そんな時、彼の顔を見ることが出来なくて。
「アルギン様、お慕いしています。愛しています……以前から。もう、何年も前から……」
耐えられなくなったのはアルギンの筈だ。
返す言葉を失うが、それをダーリャは模擬戦開始合図待ちなのだと受け取った。
ダーリャの手が上がる。
「始め!!」
「ちょっ……!?」
二人の話を中断させる気がなかったネリッタが抗議の声をあげるが、既に遅い。
アルギンも合図を聞いて、苦い顔をする。心はもう、本気で模造刀を振るえない。もういっそ、本当にこの剣を放り投げてしまおうか。
―――その一瞬の考えは、殺気によって遮られる。
「!!?」
たった一瞬の筈だった。取られる、とさえ思った殺気に、身を守る為に剣を前に構えた。
木造の模造刀が出したとは思えないほど鈍い音と、構えていられない程の衝撃。
目の前に、ディルがいた。今まで見たことのない、肉食獣が獲物を捕捉したような鋭い瞳。
「―――あ」
顔つきが、まるで違う。振り抜いた武器も同じ模造刀の筈なのに重さが段違いだ。
これまで手合わせしてきた中でも、これだけの重みを持たせた者はいなかった。ネリッタでさえも、ここまで全力をぶつけては来なかったのに。
競り合いになると非力なアルギンでは不利だ、それを受け流そうとして模造刀の向きを変える。しかし、その時にはもう遅かった。
一撃。
二撃。
遠慮も躊躇いもなく、次から次に打撃を叩き込まれる。体に直撃を食らわないよう、模造刀で受け止める以外の選択肢が無くなっていた。
気づけば、見物人の野次は完全に消えている。
「うそ、だろ」
想像していたのは、見た目の繊細さに見合った非力なディル。アルギンが押して、押して、どう頑張ってもディルには勝ち目がない姿。
それは今、現実で逆転する。
これで何故下級士官に甘んじているのか分からないほどの腕前で、アルギンが押されている。次来る剣先の予想も出来ない。
解っていても抑えきれないほどの力。
そして気付きたくなかった事に気付く。
―――彼の息、ほとんど切れてない。
取られる。
アルギンは、初めてディルに恐怖した。
「……やだ、嘘でしょ」
ダーリャの隣で、ネリッタが愕然とした様子で声を漏らした。
目の前で繰り広げられているものは何なのか。どちらが副隊長で、どちらが下級士官だ。アルギンも無様とまでは言わないが、ネリッタが遠巻きに見ているだけでも話にならない。
防戦一方、とか、そんな類いの話ではなかった。―――ディルが狙っているのは、アルギンが持つ模造刀のみだ。
「勝負は、決したようなものですな」
ここが戦場であったならば、アルギンの首は既に落ちている。若しくは、胴が切断されている。何度だってその機会があって、でも彼は模造刀ばかりを狙っていた。
模造刀はアルギンが得意としている武器ではないのだが、それでも不馴れ故のお粗末さと、ディルの腕前が滲み出る運びになってしまった。
「ねぇ、なんであの子って下級士官なの。酷くない」
「彼はあまりに優しいですからね、これまで模擬戦といえど本気を出したことはないのです。……ただ、ここまでの腕前なのは私も知りませんでした」
「へ?」
「彼が持つ武器は支給されているメイスのみです。模造刀なんて、今日初めて持った筈ですよ」
「はぁあ!?」
ダーリャさえも冷や汗を流している。彼ともし模擬戦をしたら、勝てる騎士は何人いるだろうか。
荒削りではある。しかし、それを補えるだけの剣の才能があるのも事実。それは間違いなく、アルギンを押している。
―――弾けた。
何度めの打撃音かも分からない。振り上げて、振り抜いて、その繰り返しの後にアルギンの持つ模造刀が半分から先が弾けるようにして宙に飛んだ。
「っ、は」
嘘、と。
アルギンの口が言葉にならない吐息を吐く。
半分しか残らない模造刀で、彼の剣戟を捌ききれる訳がない。
肌に感じる殺気が、現実のものとなって降りかかる。模造刀が折れた時点で勝敗は確実なものになった筈なのに、彼はまだ戦闘体勢を解かない。
剣先が、今度は顔を目掛けてくる。
「―――!!」
その一瞬が、とても長く感じた。
「そ、そこまで!!!」
剣先がアルギンの鼻先に触れるのと、ダーリャの焦ったような声が聞こえたのはほぼ同時だった。
これが戦場だったとしたら、アルギンの命は何回目の剣戟で喪われていただろうか。へなへなとその場に座り込み、全身が震えてくるのを黙って感じるしかない。
「―――アルギン、様」
震えが、止まらない。
その声の持ち主の双眸に捉えられていると知っているから。
その人はその場に模造刀を突き刺して、アルギンの目の前で片膝をつく。
腕の中に抱き留められるまで、それから数秒もかからない。
「約束です。どうか、私だけの人に―――」
「無効試合よ」
歓喜に満ちた声が、ネリッタの声に阻害される。アルギンが顔を上げた先には、悲しそうな表情の『花』隊長がいた。
抱き留める腕は、まだ離れない。
「ごめんなさいねぇ、アンちゃん。貴女に不良品渡しちゃったわぁ。近いうちにまた場所整えて再戦させてあげるから、今日はこれでおしまいにしましょ」
「話が違う。勝ちは勝ちの筈です」
「命令よぉ? ……それとも何、次はアタシに相手になって欲しいってのぉ?」
「それで想い遂げられるのなら、喜んで」
気付けばネリッタの手の中には、新しい模造刀があった。え、とアルギンの声が漏れる。
勝敗の結果は明らかだ。あの模造刀は不良品だとか、そんな言い訳が通じないような無様な敗北。
「……隊長、止めてくださ―――」
「ディル」
自分が無様すぎて、これ以上助け船を出して欲しくなくて、ネリッタを呼んだアルギンの耳にダーリャの声が届く。
「お疲れ様でした、見事な勝利です」
ダーリャの労いに、ディルがアルギンの肩から手を離す。しかしその手はそのまま腕を滑り降り、手を繋いで離さない。
「……お褒めいただき、有り難うございます」
「少々出来すぎの勝利である気もしますが、……ええ、見事すぎて」
ダーリャの眉が、下がっている。
「やり過ぎ、です」
「―――え」
野次馬の視線が、まだ痛い。それなのにダーリャは声を密やかにしながらもまだ言葉を続ける。
「他隊の役職持ち、それも副隊長を人前で完膚なきまでに負かすなど。貴方が騎士であるなり、要職に就いているのならまだ良かった。貴方がやり過ぎたせいで、『下級士官に負けた副隊長』であるアルギンの立場が危うくなるのですよ」
「そ、んな。私はっ、ただ」
「……貴方の実力を侮っていた私の責でもあります。想いがそれほど強いのなら尚更」
「待ちなさいよダーリャ、アンちゃんは本調子じゃなかったの。だから負けたの! うちの可愛いアンちゃんをそんなに弱く見積もらないでくれなぁい!?」
まるで周りに聞こえるように異を唱えたのはネリッタだったが、この場にいた誰もがアルギンの圧倒的不利を見ていた。ダーリャが聞き分けのない同僚に溜め息を吐く。
「……ほう? それで、ネリッタ。本調子でないのにわざわざ模擬戦を開催していただきありがとう……とでも言えば良いのですかな?」
「そうよぉ、心の底から感謝してぇ? ……感謝するついでにダーリャ」
「何でしょう」
「うちのアンちゃんに負い目感じてたり、そっちの若いのの恋を成就させたりしたいなら。クソザラフとサジナイル巻き込む覚悟しなさいよね」
模擬戦をした二人には、何が何だか分からない隊長二人の会話。なぜそこで他隊の隊長の名前が出てくるのだろう。
二・三言葉を交わす二人。突然、ネリッタがディルを見た。
「ま、善戦したのは本当だから、隊長権限で一回の逢瀬なら許したげる」
「……一回」
「嫌?」
目に見えてディルが消沈した。意地悪く問いかけるネリッタには、不満そうにしながらも。
「……いいえ、感謝……致します」
「そ。良かった。てなわけでアンちゃん、明日休暇を取りなさい」
「えええ!?」
「誠心誠意尽くして貰うのよ。最初に尽くして貰った時の事を忘れずにいなさい、どんどん蔑ろにしてきたらそれまでの男なんだからそん時ゃこっぴどく振ってやんなさいねぇ?」
「だ、っ、だからって、そんな、いきなり」
「命令よ。たっぷりご奉仕して貰ってねぇ」
それだけ言ったら隊長の二人は、野次馬を帰らせながら撤収する。だからと言って野次馬達が完全に帰る訳もなく、遠巻きにされながら。
「……明日」
ディルが、口を開く。
「どちらか、行きたい場所はありますか」
尋ねられるその顔がどこか嬉しそうで、アルギンが気恥ずかしくなり目を逸らした。
嬉しそうに見えるのは、自分がそうだからかも知れない。―――こんな状況で嬉しい自分が嫌になる。
「……特に、無いよ」
「では、何か召し上がりたいものは? 欲しいものは」
「……無い」
素直に言えばいい。けれどそれは歳上であり、役職持ちの自分が言う事ではない気がしていた。―――貴方と一緒にいられるなら、何も要らない。
けれどそんな事を正直に言う訳にもいかなくて、彼は困ったように笑う。
「では、私の望むまま―――でも、構わないですか?」
望むまま、と言われてアルギンが首を縦に振る。自分の願いを汲もうとしてくれるのは嬉しかったが、大してしたいことも無い。勝手が分からない、というのも本音だ。
「―――そう、ですか」
何故か彼の頬が薄桃に色付いた。その意図が分からないが、何故か不思議と嫌な心地はしなかった。
繋がった手はそのままで、アルギンが手を引いて解こうとしたが、彼はそれを許さない。
「明日、隊舎のお部屋までお迎えに上がります」
「え、い、いいよ。待ち合わせ場所決めてくれたらそれで」
「私が、お迎えしたいのです」
好いた男からそう言われてしまえば、頬を染めて「じゃあ、頼む」としか言えなくなって。
手を優しく引かれ、二人が立ち上がる。彼はそれから手を離した。
「片付けをしますので、待っていてください。執務室までお送りします」
「そこまでしなくていいよ! ……アタシ一人で戻れるし」
「お送りします」
有無を言わさない彼の発言に、アルギンが言葉を失った。こんなに強引だったろうか。
片付けと言っても、模造刀を端に避けるだけの簡単なものだ。彼はすぐ戻ってくる。
「参りましょう、アルギン様」
「………うん」
再び繋ごうと腕が延びてくる。それを反射的に躱すと、彼の表情は悲しそうなものになった。その表情は反則で、何か悪いことをした気分にさせられる。
「……私の想い、受け入れてくださるのではないのですか? 貴女は、私が勝利したら結婚もすると言ってくれたと隊長からお伺いしました」
「あ、あれは……だって」
まさか本当に想い人が勝負を受けるなんて思ってなくて。その言い訳に言葉を探す。
自分は彼が好きで、でも諦めようとしてて、でも彼も自分が好きで、それで、それで。
「………っ、まだ、……頭が、追い付いてないの……」
勝手に頬が真っ赤になる。
これ以上立場に似つかわしくない醜態を晒す前に逃げたかった。でもそれは不誠実な気がして、手で顔を覆い隠すくらいしか出来ない。
「ごめん、待って。だって、貴方がアタシを好きだなんて、そんなの、考えた事も無かった」
「好き、? ……アルギン様」
その染まる頬に手を添えられて。
「好き、くらいの感情で貴女を想って狂いかけたりはしない。……愛しているんです」
「―――ーー~~~っ……!!!」
「考えが追い付いてないだけなら、待ちます。幾らでも。ですから、どうか私を心に置いてください」
「……ディル」
気持ちが溢れてしまいそうになる。
ここまで耳に心地良い声なんて聞いたことがない。夢ならば永遠に醒めないで欲しいと願うほど。
「手を、取って頂けますか?」
夢だったら、なんて浅ましい願望が形になったものだろうか。秘めていた筈の想いがこれでもかという程に理想を形作っている。それがとても、恥ずかしい。
触れる手は男性のそれだ。頬に触れた手に手を重ねて、俯いた。
上手く息さえ出来ない。それでも、彼が伝えてくれた想いに、何か返さなければ。
「っあ、明日」
好き。
大好き。
愛してる。
その言葉のどれもが、胸の奥から出てこない。喉を通るのを躊躇っている。
「………明日、楽しみに……してて、いい……?」
それが今、口に出来る最大限だった。
彼は再び頬を染めて、嬉しそうに微笑んでくれた。