推しの幸せをお願いしたら異世界に飛ばされた件について2
「無理だ」
ごろごろとベッドを転がりながら口からこぼれました。推しが同じ屋敷にいるのでですよ。襲いにいっていい?
いやいやいや、そんな対象ではありません。遠くから幸せを願っていますっ! 誰か彼を幸せにしてあげてくださいっ!
うん、これが正しいんです。
物理的に触れる距離というのはやばいですよ。理性ががりがりと削られている音さえ聞こえるようです。
あたしの緊張が移ったみたいに、クルス様もちょっと緊張しているようでそこからものすごくぎこちなくなりました……。
結果、不自然なくらい距離を取ってお話しすることになりました。
良く目があうので、お互いに意識しまくりなのだけはわかっていてですね。逆に気まずいって言う。
すこぉし、見られている感じが違うのはわかるんですよね……。
まあ、男性ですし、こんな森に引きこもってればとは思いますけど。
そんな顔していると襲いにいきますよ?
おっと理性がお休みしてますね。
……色々想像して、自分の変態さを理解したような気がします。まずですね、部屋着ってのを貸してもらってる時点でくんかくんかしたのでアウトでしょう。
苦い煙草の匂いがちょっと残ってました。
ヘビースモーカーのはずなのに全くあたしの前では吸ってませんけど。ただ、匂いが残っているのでどこかで吸ってきたんだとは思うんですよね。
咥え煙草ってえろいと思います。ぜひとも拝みたいです。結構、ごつい手なんですよね。冷たい指先を思わず思い出して赤面します。
……襲いたいとか考えてますけど、実行なんて不可能なのはわかってます。一瞬で卒倒しそうです。
妄想力だけはたくましくて困りますね……。
今は色々あって舞い上がっているので、落ち着いたら後悔するようなことは慎みたい所存です。
しかし、ですね。半年も一緒とかなんですか。ご褒美が過ぎませんか。むしろご迷惑をかける気しかありませんよ。
今だってぎこちなくなって、お互いまともに名乗ってもいないってのが現状ですからね。黙って部屋の掃除して、食事の好みなんてのをぽつりぽつりと話たりしておしまいです。
それ以上? 現実的にですか? いやー、そんなのって。
「むーりーっ」
転がりすぎてベッドから落下しました。
痛いやら恥ずかしいやら。もそもそと元の場所に戻ります。今度は枕を抱くことにします。
それから少しして、扉を叩かれました。
「なにかあったか?」
「……いえ、寝相が悪くて」
扉を開ける勇気はありませんね。なにせ相手もきっとパジャマですし。そうでなくても部屋着でしょうから。
色気にやられます。
「それならいい。おやすみ」
「……おやすみなさいっ!」
ああ、クルス様におやすみなさいってっ! きゃーっと転がりたいですが、先ほどのことを考えると身悶えるしかありません。
……本当に明日から生きていけるんでしょうか。
別な意味で死にそうなんです。
案の定と言いますか。寝れるわけもなく、翌日眠い目をこすり起きることになりました。
そして、なぜだかクルス様も眠そうに起きてきました。あたしは昨日の服をそのまま着てきたのですが、彼はパジャマのままです。
原作設定のままですか。そうですか。
寝癖がつくからってナイトキャップしてるんです。可愛いんです。忘れたときに寝癖がつくんです。
うぐぅとか変な声が出そうで口元を抑えてうつむきました。
「……、笑うなら笑え」
「い、いえ、そのかわいいです」
呆れたような顔をされてしまいました。いい年した大人がとからかわれるシーンがありましたね。確か。
唯一のサービスカット! と思ったものでした。
「着替えてくる」
こんなうっかり一度で済んでしまうんでしょうか。可愛いので次回も期待してしまいます。
さて、一通りの説明は昨日のうちに受けていたので、顔を洗ったり身支度を調えるのには困らなかったんです。
しかし、食事についてはどうしたらいいのかわかりません。
ご都合主義といいますか、コンロがありました。竈などで作れと言われたら途方に暮れます。主食はパンや麦がゆやジャガイモ、一部麺類だそうです。パンと言っても発酵したものはお店で買うもので個人の家ではあまり作られないとか。
クルス様は家では甘くないクレープとパンケーキの中間くらいのものを食べているそうです。小麦だけでなく、雑穀が混じったものが多いそうです。
昨日の食事もそのパンケーキと腸詰め、ゆでた野菜程度でした。生鮮品は何日かに一回、近くの町に買い出しに行くそうです。
面倒になったらただひたすらに蒸かしたジャガイモに塩かバターで済ませるそうです。なぜ蒸かすかというと忘れても鍋は焦げてもものは焦げないからだって言ってました。
……人としてどうかとは思いましたが、キャラ的にらしいと言いますか。
微妙にマッドサイエンティストな匂いがぷんぷんしてました。ほっとくと好奇心でヤバイ物を作り出しそうっていうんですかね。
もし続編があったら、うっかり敵側で出てきそうな予感がするっていうかですね。
今までの経験が訴える不安感がぬぐい去れません。なにか予兆があれば阻止する気はあるんですが、できるんですかね。
「……どうした?」
「へ? ええっと、ごはんをどうすればいいのかと考えていました」
思ったよりもずっと考え込んでいたようです。着替えて戻ってきたクルス様に変なものを見るように視線を向けられているといたたまれません。
今日は昨日よりきっちりとした格好でした。
シャツのボタンはきっちり閉めていますし、三揃えっていうんですかね。ベストとジャケットも着込んでます。格好いい。
「教えるから、来い」
いや、本当に一々きゅんときますね。リアルな推しってこんな破壊力あるんですか。そうですか。出来ることなら本の外に出たいです。ばくばくする心臓がヤバイですって。
気がついていないのか、そんな振りなのかわからないですけど、顔をのぞき込むようにするのは反則なので。
顔をとっさに両手で隠します。いや、ほんと見れた顔では……。
「そう」
一体なにを納得したんでしょうねっ! 怖くて聞けません。ちょっと笑っている気配はするんですけど、見上げれば既に背中を向けられていました。
気合いを入れて追いかけます。この屋敷、微妙に広くて、キッチン兼ダイニングとリビング、客用の応接室と別れています。さらに客間は四つもあるそうです。
さっきまでいたのはリビングだそうです。ただし、結構乱雑に色々なものが置いてありました。ソファから手が届く範囲内に色々あったのでごろ寝しながら、なにかしていたのがありありと想像できます。
片付けるのが面倒だったものが部屋の隅に地層をつくっているのですが、ほとんど紙類なので埃の温床である以外の面倒はなさそうです。
ナマモノがあると大変ですからね。色々と。
この部屋には煙草の匂いはしなかったので、やはり紙類があるところでは吸わないのでしょう。
クルス様は慣れたような動作でジャケットを脱ぎ、ダイニングの椅子にひっかけ、シャツの袖をまくっています。行き届いているではないんですが、最低限はなんとかなっている感じが出来る男って感じです。
……実家のだらしない兄や弟を見ていると本気で思います。父は子供たちが家を出たあとになにか始めたらしいです。出来のいいアイシングクッキーを送られてきた時には女子力について悩みました。
なんで、ハイヒールとか香水瓶とか可愛いのっ! おいしかったです。
「さて、チーズの残りとハムがあった、気がする。それから、野菜は酢漬けくらいしかないな」
「……きちんとしてますよね。ここ」
「食料の管理はうるさかった」
さらりと言われました。ああ、そうでした。
今日は、いつ、なんでしょう?
おそらくは終戦したあとなのでしょうが、どのくらいたったんでしょうか。浮かれた気分に水をかけられたようですが、むしろ最初にそれを考えないのが本当に正気じゃないと言いますか。
渋い顔してしまいますね。自分に失望します。
その顔は都合良く背後にいたので、彼には気がつかれていないはずです。棚の奥からなにか引っ張り出してくるのが、すこぉし不安ですが。
「店で買ったものだから、それほどまずくはないはずだ」
「ちょっと怪しい感じしますけど」
キュウリって色抜けるんでしたっけ? それ、食べれます?
「いつ買ったかな」
首をひねっているので廃棄していただきました。もったいないかも知れませんが、あたしはお腹を壊したくありません。
昨夜の腸詰めも少し怪しく思えてきますが、今更仕方がありません。
「冷蔵庫は動いているから大丈夫」
……冷蔵庫もあるこのご都合主義な感じが、まあ、和製ファンタジーっぽいですよね。大変ありがたいです。
ワンルームに設置されているような小さいものですが、本気でありがたいと思います。
でも不安なので最初にハムの味見させてもらいました。おいしかったです。
ちょっと厚めのクレープにハムとチーズをのせて二つ折りにしたものが今日の朝食になりました。
チーズはエメンタールって言うんですかね。あの穴のあいてるチーズ。それを厚切りにしたのでカロリーってと思ったことは内緒です。
あたしができたのはお茶の用意くらいです。言われるままに用意していたので用意したうちにはいるのかどうか……。
お茶と言いますが、紅茶ではないようです。ハーブティに近い感じでしょうか。知っている匂いに似ているんですが、思い出せません。
ほうじ茶とかそんな感じのものにレモンの風味がして、独特の癖がありました。場合によりミルクを入れたりするそうです。
ダイニングテーブルは昨日片付けた成果があり、食事するくらいのスペースはあります。
しかし、この家、どこにでも紙類が転がってますね。片付け前は謎の機械っぽいものとかプレートも同じくらい転がっていましたが、それらは回収されたようです。
「いただきます」
「……いただきます」
神妙な顔でクルス様は言ってました。ここらへんの礼儀は同じっぽいんですよね。ごちそうさまも言うみたいです。
「今日は町まで行く」
「はい。行ってらっしゃいませ」
だからきちんとした格好してたんですね。魔導師っぽい格好は目立ちます。特別製のローブで武装しているのも見たくはあるんですけど、そんな事はない方がいいです。
そして、クルス様がちょっと困った顔をしているので、きっと返答間違えたんでしょうね。どこぞのメイドさんのようにご主人様とか言えば良かったでしょうか。マジで怒られそうなので控えたんですけど。
「……あー、一緒に行くんだが」
「は? あ、荷物持ちですか」
「……生活用品その他。服もいるだろう?」
ものすごい残念な生き物を見るように見られました。はっ、これはかなりの負担をかけてしまうのでは。借金が増えた気がします。
しかし、着替えは必要です。致し方ないとはいえ、のーぱんというのは……。いえ、ひっそり洗って寝るときに干したので朝には乾いておりまして良かったです。本当に。
そう言う意味でも昨夜は扉を開けるわけにはいきませんでしたね。
「それで、名前はなんていうんだ?」
困ったように言われて、名乗っていないことを思い出しました。お互い昨日はいっぱいいっぱいだったんだと思うのですよね。きっと、たぶん、あたしだけではないと思うんです。
「アリカ。アリーとでもお呼びください」
あんまり好きじゃないんですよ。自分の名前。亜璃歌とか言うんです。その意味するところが、在処、ということらしいです。
友人知人にはアリーって呼んでで通してます。まあ、大体、あーちゃんって呼ばれましたけどね。
「アリーね、覚えた。……アリカも可愛いとは思う」
今、致命傷を喰らった気がしますよ?
手のひらクルーしますよ? いいです。推しが可愛いって言うなら、アリカって名前も可愛いのです。
クルス様はちょっと迷ったように、クレープの残りをつついています。
「エリック・クルス。エリックでいい」
……は?
えっ、ええっ!
クルス様、家名の方だったのですね……。知らなかったです。そしてわりと普通のお名前なんですね。
「師匠から引き継いだものだから、家名ではない。一門のものはみなクルスの名を継ぐ。仕事のときはクルスに統一しているから、依頼人の前では呼ばないように」
……疑問が顔に出ていたようです。今まで個人名は名乗られていなかったということでしょう。お仕事なので。
あたしはお仕事ではないので名前を呼んでも良いと。
ハードルが高すぎて呼べる気がしません。
「わかりました。え、エリック様」
「……様はいらない」
「助手兼家政婦なら、これでいいのでは?」
舌打ちされたっ!?
え、呼び捨てオッケーってハードルあげすぎじゃないですかっ! むり。今ですら、顔赤いと思うんですよ。気がついてください。是非とも。
「外では、呼ぶなよ」
念押しされました。ああ、人からそう呼ばせているなんて見られたくないんですね。嫌だなぁ勘違いですか。そうですか……。
「了解です」
疑いのまなざしが痛いです。
「それで、どういう設定がよろしいので?」
「……設定?」
「ええ、今まで一人で暮らしていたのに、急に誰か連れてきたらなにか不審に思われませんか?」
「知人」
「それでもいいんですけど、勘違いされるんじゃないですか」
「は?」
「いいんですけど」
大事なことなので二度言いました。身の程知らずですね。いや、本当に。
年頃と言えるかはわかりませんが、まあ、男女が一つ屋根の下に暮らしているってこの世界的にどうなんですかね。
ある程度の雇用関係ならともかく知人では、なにかあるなんて勘ぐられますよ。兄弟とか遠縁とかそんな言い訳の方がまだマシではないでしょうか。
ようやく思い至ったようで、絶句して顔が赤くなっていくのをみているとそんなに嫌がられてもいない気がして微妙です。
是非とも他の素敵な方と一緒になっていただきたいんですよ。結論的には。役に立たないあたしではなくて。
ちょこっとの幸運で一緒にいれるだけで十分ですって。
それ以上とか死にます。あたしの許容量を超えます。むりですって。
「まて、考える」
「ところで、そのクレープ、可哀想なことになっているので食べてあげたらいかがでしょうか。穴だらけですよ?」
迷った分だけつつかれているのか。
クルス様は複雑そうな顔でもそもそ食べています。……うっ、かわいい。
「兄弟弟子を一時預かりした、で通そう。簡単な知識は教える」
「はい」
まあ、妥当なところでしょうね。食事を終えて、片付けをし、お出かけとなりました。
……なんかこう、一緒に片付けしていると新婚さんみたいとか過ぎったんですけど、だいぶ、ダメになってきてますね。
最初からダメはダメなんですが。
契約が終わったらさっさと出て行きましょう。そして、微妙な距離の友人あたりを目指します。近いのはちょっと困るんです。
そんな思惑は、某主人公の突撃やら兄弟子襲来やらお師匠も来るしっ! なんてことで延期になることはこの時にはとても想像出来なかったんですよ……。
「無理だった」
同じ屋敷に女性がいる。
夜になったら、うそだろー、と頭を抱えたくなった。好意ではなく下心がもたげてくる。押せばいけるのでは? と思うのがどうしたものか。
無防備にいるのが悪いと責任転嫁して、手出しをしてしまおうかと考える。
彼女の名前すら、まだ聞いていない、というのにである。
間違いなく欲求不満である。
「……ん」
なにかが落下した音が聞こえた。それほど大きな家ではないので、大きな音を出せば聞こえる。
気になる。
すごく、気になる。
気になるついでにちょっと見たい。自分の服を着ている女性ってのを。
……欲望がストレートすぎる。誰でもいい感がぬぐい去れない。
それは契約期間が半年としたのにぎくしゃくどころでは済まない大事故にしかならないだろうに。少し悩んだ。
結局、言い訳を用意して、扉を叩いた。
「なにかあったか?」
「……いえ、寝相が悪くて」
決まり悪そうな声が聞こえた。扉の開く気配のなさにほっとして、同時に失望した。
「それならいい。おやすみ」
「……おやすみなさいっ!」
寝ていたにしては元気そうな声だった。首をかしげながらも戻るしかない。
煙草でも吸うか。
何となく、室内で吸う気にはならず外に出る。
この煙草には鎮静作用と感覚を鋭くする効果が付加されていた。同種のものは他にもあったが、やたらと甘ったるくてあわなかった。
もう必要はないだろうが、やはり手放せない。
戦場は遠い。あの抑えがたい高揚感と破壊衝動はもう、遠い。
あれは既に終わったことだ。
あれから半年。引き留められもしたが、ここにいて良かった。
思いつくままに改良を重ね、効率を重視した呪式の数々は人のいる場所には置いておけない。
廃棄しないのは、ただの未練だ。
魔素を使って世界に言うことを聞かせることが魔導師の仕事だ。魔動式と呪式はあまり明確に区別されていない。かつて魔術師と呼ばれていた頃の名残と言われている。
魔導師はある種の才能は必要とする。血統では選ばれない。
何千という人の中から餞別される。初等教育の最初にテストされ、少しずつ選ばれて、最後に残って告げられるのだ。
そのときには他の道はない。
野良の魔導師でも魔導協会にはつながれている。
英雄と呼ばれた少年に付き合ったのも最初は協会の意志だった。真っ当に名乗る気もなく、次などないと思ったからこそクルスなどと名乗った。
さて、彼女にはどう名乗ったものか。
しばらくは滞在させる彼女にはどの名を名乗るべきか。いつも通り、クルスで済ませても良いと思う。
「どうしたもんかな」
紫煙をくゆらせて、溶けていくそれを目線で追う。
名も知らぬ彼女はどこから来たのかもわからない、不審そのもの。謎で怪しくて、全く悪意は無く、むしろ好意だけが見える。
自分の感情を隠すどころか思い切り振り回されているので、妙に気構える気も無かった。
悪い気はしないと思うくらいには、人恋しくて欲求不満だったのだろう。
だから、滅多に名乗らない名を告げても良い気もしてきた。
生きている者でその名を呼ぶ者はいない。
……ああ、でも、ご主人様、なんて呼ばせても楽しいかも?
ふと邪念が浮かんできた。
結構真剣に検討してしまったことは絶対にばれたくない。
翌日、町に買い物にいくと言えば、お留守番宣言されたのは意外と言えば意外だった。
女というものは買い物が好きと思っていたからだ。荷物持ちと言い出すのもおかしい。もっともそれは彼女が自分の必要な買い物があると気がついていなかったせいだった。
朝食のあとに買い物にいくことにした。
町までは意外と遠い。
いた方が良いと押しつけられた馬を飼っているので、いつもは乗っていくのだが。
「おっきいですね……」
今日は厩舎のほうにいたのでわざわざ探しに行かなくても良かった。
馬を見て彼女は目を丸くしていた。
大型種らしい。頑丈で従順で、補給用馬車に使用されていた。だぶついてあまったんだと思う。なかなかに大食らいだ。幸い森の中で食料には事欠かないが、冬はどうしようか悩んではいる。
名はまだない。
馬具などをつけるのも特に嫌がらないのでとてもありがたい。軍馬はわりと気が強いので気に入らないとそう表現する。
「乗れる?」
聞けば首を横にぶんぶんと振られた。
黙って踏み台の箱を用意した。実はいつも使っている。乗馬なんてスキル持ち合わせていないのでどうにか乗せていただいている、と言う態度で挑むしかない。
甘いもので機嫌がとれると聞いたので、出かける前とあとに角砂糖を用意している。
先に乗って、次にどうにか引っ張り上げる。誰かを前に乗せるのは初めてで、不安がもたげてくる。
「ひぃっ」
手を離してくれない。
「た、高くないですかっ! お、落ちるっ!」
「落とさないから、少し黙って」
ういと小さく呟かれた。おそらく同意、なんだろう。どこの言語なんだろうか。
……ところで、真っ赤になってうつむかれるような事をした覚えはない。一体なにがその態度になるのだろうか。
道中は、あわわと腕に抱きつかれることもあったが順調にはついた。少し馬車や車でも買おうかと考えた。
「おしり痛い」
眉を寄せてさすっているのが、目の毒だ。
「次はお留守番します」
このあたりの町はまだ通行証などは求められない。だが、どこかで身分証でも入手しないとあとで面倒な事になる。
王都は出て行く者には寛大だが、入っていくのは今は厳しい。
今は呼ばれることもないが、用事がないわけではない。一月くらいならばよいが、場合によっては半年以上帰らない。
その間放置して置くわけにはいかないだろう。
「どこにいくんですかっ!?」
わくわくしたような顔で見上げてこられると微笑ましいもののような気はする。
実際はかなりの面倒ごとしかなさそうなのだが。
「うぎゃ」
頭をわしわしとかき混ぜてやった。
なんだか言い難い気持ちに苛立ったのは確かだ。
全面的に信用してます、みたいな目が嫌なんだ。
「櫛とか欲しいです。あと結ぶ紐」
「迷子になるなよ」
「はいぃ」
全く自信がなさそうな返事だった。
この日、いつもは郵便を受け取りに行くが、今回はいいかと次に回したことが、後々面倒を連れてくるとは思いもしなかった。
ええと、作者は書いてて楽しかったです。