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「ええと、つまり君はリディックに行くつもりなんだよね?」
少女ーークリスの話をそこまで聞いたとんがり帽子の青年は、確認するように尋ねてきた。
「……そうです」
まだぐずぐずと鼻をすすりながら、クリスは答えた。
大泣きした後、青年に慰められて、これまでのことを話したのだ。
村長にはくれぐれも注意するように言われたが、クリスは疲れ果てていたし、ひどく心細かったのだ。
それに。
(なんとなく、怖い人には見えないし)
心の中でつぶやき、クリスは青年を見た。
青年は何かを考えるかのように首をかしげている。
のんびりした口調といい、どこかとぼけた雰囲気の人だ。
「えっと、君……ああ、名前は?」
「あ、クリス……クリスティーナ・フロイズンです」
まだ名乗っていなかったことを思い出し、クリスは慌てて答えた。
「良い名前だね。僕はロバート。本当はロードバード・クックフェルト・ガルナクラン。……長いでしょ。よく舌を噛みそうになるんだよね。自分の名前なのに」
明るく笑うロバートにつられてクリスが少し笑うと、青年は嬉しそうに言った。
「良かった。ようやく笑ったね」
「あ……」
そういえば、とクリスは口元を手で押さえた。
ロバートはにこにこと微笑んでいる。
なんだか恥ずかしくなって、クリスはごしごしと顔を拭ってごまかした。
そんな彼女をロバートは優しい眼差しで見守っていたが、ふとその形の良い眉をひそめた。
「でも、ちょっと納得出来ないな。バーツ村からリディックに行くなら、こことは逆方向なんだよね」
首をかしげ、ロバートは不思議そうにクリスに尋ねた。
「どうしてこんなところに来ちゃったの? それに、どうして一人なんだい?」
「それは、あの、すごく不思議なことが次々起こって……」
クリスはロバートと同じくらい首をひねりながら答えた。
「不思議なこと?」
「いきなり、たくさんのカエルが飛び出してきたり……」
その時のことを思い出し、クリスは無意識に腕をさすった。
狭い道いっぱいのカエルは、まるで緑色の巨大な生き物のようにゲコゲコケロケロと蠢き、うるさい上に不気味だった。
「……そっか」
ロバートの表情がわずかに強ばるが、クリスは気がつかない。
「あと、まだ春なのにあちこちから蛍みたいな光が出てきたり……」
「……うん」
「空は晴れているのに何度も雷が落ちたり……」
「…………」
「それで馬はすっかり怯えちゃって、おまけに、道に迷ったみたいで何度も同じところを通るし」
「…………」
「仕方ないから、って今日は森の中で野宿することになったんです。でも……」
「……でも?」
何故か複雑な顔をしているロバートを前に、クリスはあの時のことを思い浮かべた。
皆で野宿の用意をしていた時だ。
ーービュウウウウ
突然の突風。
うわあ、と身を縮こませたクリスの胸ポケットから、何かが飛んだ。
白い何か。それは、クリスが大事に持っていた祖母の手紙だった。
ーーおばあちゃんの手紙!
「待って!」
もちろん、クリスは風に乗って飛んでいく手紙の後を追った。
しかし、手紙は何故かあと少しというところでいつも風に運ばれていって……。
「気がついたら、全然わからない所に来ていて、たくさん、転んじゃって服ぼろぼろだし……お腹、すいたし……」
クリスの顔が今にも泣き出しそうに歪む。
それを見たロバートは慌てて口を挟んだ。
「う、うん。わかった! わかったよ。……ごめんね」
「?」
(ごめんね? なにが、なんだろう)
思わず涙も引っ込んで、クリスはきょとんとロバートを見上げた。
「えっと、どう言ったらいいかな。ああ、そうだ。君……クリスは、おばあちゃんの手紙はちゃんと取り戻せたの?」
しょんぼりとクリスは首を振った。
頑張って追いかけたのに、駄目だったのだ。
するとロバートはひとつ頷いて、にっこりと笑った。
「大丈夫、ちょっと待っててね。ーーほら、皆。悪戯なんてやめて、返してあげなよ」
「え、あの……?」
(だ、誰に言っているんだろう?)
突然空に向かって呼びかけたロバートにクリスが驚いていると、ふわりと風がなびいた。
「うわあ……!」
クリスは思わず感嘆の声を上げた。
風が、きらきらと月の光を受けて踊っている。
クスクスと聞こえているのは、ひょっとして精霊の笑い声だろうか?
「ーーあっ」
ひらりと、白い何かが飛んできた。それは、ふわふわと飛んで、クリスの膝の上に音もなく舞い降りる。
「おばあちゃんの手紙……!」
目を丸くするクリスに、ロバートはとんがり帽子を片手で上げて、気取った笑みを見せた。
「もう一度、自己紹介するね。……僕はロバート。≪ 風 ≫の魔法使いだよ」
ロバートの言葉に合わせて風が笑いながら渦を巻き、まるで歌声のように夜の森に響き渡った。
ーー風の主を讃えるかのように、朗々と。
風にあおられてロバートのとんがり帽子がふわりと揺れる。
「あらためて、よろしくね」
月光に長い金の髪を煌めかせ、彼は柔らかい微笑みを浮かべていた。