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 ーーあれは、そう三日前のことだった。


 クリスは一人きりの家の中、あちこちを掃除していた。

 これから、しばらくの間家を空ける。

 いつ帰ってこれるかわからない。

 だから、最後に家を綺麗にしてから発つことにしたのだ。


「おばあちゃんがいつも言ってたもんね。旅立つエーメは跡を濁さない。だから、使いっぱなしは止めなさい、って」


 さて、後は使い終わった箒を片づけて、と思った時だ。


「ーー本当だよねえ」


 ドアの向こうからシェルナおばさんと、ドグナーさんが話す声が聞こえてきた。


「突然だったねえ……まさか、いきなり倒れるなんてねえ……」

「ミツカ婆さんも、もう年だったからなあ」


 溜め息をつく口調の二人。

 シェルナおばさんは、隣に住む世話好きな奥さんで、クリスもよく面倒をみてもらっていた。

 ドグナーさんは、この小さな村で唯一馬車を持っている、雑貨屋の店主だ。

 そして、ミツカ婆さん。

 彼女はたったひとりのクリスの肉親だった。

 ……十日前に亡くなってしまうまでは。


 クリスは両親のことをよく知らない。

 顔も思い出せないくらい幼い頃に亡くなったからだ。

 クリスにとって家族とは、ミツカ婆さんをさした。


 ーーおばあちゃん。


 無意識に手にした箒を握りしめ、クリスはうつむいた。

 ただ一人の肉親を失ってしまった悲しみは、深い孤独感を伴って少女の心を傷つけていた。

 今この瞬間も、ふと気を抜くと涙があふれてしまいそうになる。

 クリスは何度も深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けた。

 その耳に、軽いノックの音が届く。


「クリスちゃん、そろそろいいかい?」


 まるでタイミングを見計らったかのように、シェルナが声を掛けてきた。


「は、はい。すぐ行きます」


 クリスは急いで箒を片付け、目を何度かまたたいてから鞄を手にした。

 行ってきます、と心の中でつぶやいて、ドアを開ける。


「ごめんなさい。用意、できました」


 家の外で待っていたのは、シェルナとドグナーだけではなかった。

 他の村人も見送りに来てくれている。

 なんと、普段は多忙過ぎてめったに顔を見せない村長の姿もあり、クリスを驚かせた。

 そんなクリスを、シェルナは心配を濃く滲ませた顔で見つめる。


「最後に掃除して行きたいなんてね、あんたらしいけど。……本当に行くのかい?」


 クリスは小さく、だけど決意を込めてうなずく。


「はい。あたしが魔術学校に行くことをおばあちゃんが望んでいたなら……頑張ってみたいんです」


 ーー魔術学校

 大陸中央から西に向かったところにある、歴史ある魔術師養成機関である。


 読み書きを教える一般的な学校すら、大部分の庶民にとっては憧れの領域であるこの世界では、そのさらに上、魔術を学べる学校なんて、夢のまた夢、なのだ。


 クリスの胸ポケットには、祖母ミツカからの手紙が大切に仕舞われている。

 ミツカが亡くなった後、遺品を整理していた時に見つかったこの手紙は、クリスに宛てたものだった。

 どうやら、ミツカは自分が亡くなった後、クリスがどうなるのかを日頃から心配していたらしい。


 その手紙には、自分になにかあったら、魔術学校にいる知り合いを頼るようにと書いてあった。

 寝耳に水の話だったが、クリスはじっくりと考え、魔術学校に行くことにしたのだ。


「しかし、ミツカ婆さんが魔術学校に関わりがあったなどと聞いたことがないぞ。……本当に、なにかの間違いじゃ無いんだろうな?」


 念を押すかのように村長がクリスに問いかける。

 それに答えたのは、あきれ顔のシェルナだった。


「ちょっと村長、あんたそれ言うの何度目だい? いくら羨ましいからって、しつこすぎだよ!」


 シェルナの言葉に、あちこちから同意の声や忍び笑いが聞こえだす。

 村長が小さな子供の頃、魔術士に憧れて屋根から箒に乗って落ちたことを、村人なら誰でも知っている。

 今ではこのアルシェ村の有名な語りぐさだ。


 真っ赤になって怒鳴りかけた村長だったが、クリスや子供達の視線に気付き、咳払いで冷静さを取り戻した。


「いや、まあ、本当の話ならいいのだよ。だがな、クリス」

「はい」

「……この村は小さい。皆が顔見知りで、長い付き合いだ。ある程度は大目に見てくれるし、困ったことがあったら誰かが助けてくれる。しかし、村の外になるとそうはいかん」


 そこで村長は心配そうな眼差しをまだ幼いクリスに向けた。


「……世の中にはいろいろなことがある。悪いことも、そうでないこともな。お前のように小さな子供を騙す悪い人間もいるだろう」

「はい」

「いいか? これだけは覚えておくんだぞ。もしなにかあったら、すぐに帰ってきなさい。この村はお前の村なんだからな」

「……はい」


 村長は、まるで自分の子供に対するかのように、真剣に言い含める。

 その真剣さが嬉しくて、クリスの瞳に涙が浮かんだ。


「……良いこと言うじゃないか! 村長のくせしてさ!」


 シェルナが軽口をたたくが、その目は赤く、涙で潤んでいる。

 それに気付かぬふりで、村長はふん、と鼻をならした。


「なんだ、その、くせしてとは?」

「そのまんまの意味だよ。あーやだやだ。ちょっとばかり良いこと言ったからって、調子に乗ってさ。昔は村から出たがって家出してばっかだったくせに」

「なっ、何十年前の話だ!」


 村長が真っ赤になって言い返し、皆がどっと笑う。

 別れがしめっぽいものにならないようにと、誰もが明るく振る舞っていた。


 幼いクリスを一人で旅出させるのは心配だが、魔術学校に通える機会など、滅多に無い。

 ならばここは笑顔で送り出そうと、村人達の意見はまとまっていた。

 むろん、村長のように心配する者も居るのだが。


 友達とも涙ながらに別れを惜しみ、いよいよ出発となった。


「魔術学校は遠いから心配だね……。バーツ村まではドグナーが送ってくれるけど、その後のことは覚えているかい?」


 不安そうなシェルナにクリスは大丈夫、とうなずいてみせた。


「まずはリディックの街までの馬車に乗せてもらって……それから、村長さんの親戚の人を頼れば良いんですよね?」

「うむ。私の従兄弟が店を開いているからな。手紙に、次の街までの馬車を頼んである。無くすんじゃないぞ」

「はい」


 クリスがもう一度しっかりうなずくと、ドグナーが御者台を示した。


「バーツ村までは、俺がちゃんと送るからな。さ、そろそろ乗りな」

「……はい」


 ああ、もう出るのかと、クリスは表情を引き締めた。

 寂しさや不安が胸に広がる。

 ずっと暮らしていた村を出て、一人で旅をするのだ。

 ……怖くないわけがない。

 だけど。


 クリスは大きく息を吸い込んで、にっこりと笑った。

 お日様に向かって咲く花のように。


「ーー行ってきます!」


 何があるかわからない新しい世界。

 それをクリスは見てみたいと思った。

 祖母が見せたかったものがあるなら、見に行こうと思った。

 だからクリスは大きく手を振って、馬車に乗り込んだのだ。


 ……まさかその三日後に、こんなことになるとは思いもせずに。 

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