さとるの恋
さとるは、はしっこいガキだ。
いつも人からどういう風に見られているかを計算して、場合によっては嘘泣きでぽろぽろと泣いて見せることさえ出来る。一番そばにいるお母さんでさえ上手に騙すことが出来るんだから、大人なんてちょろいもんだ。
さとるの根底には、そんな思いがあった。
そう言うガキだから、女の子の扱いもうまい。何か欲しいものがあると、いろんな手管を使って、女の子に買わせてしまうのだ。こういう才能と言うのは、生まれついてのものなのだろう。
さとるは誰にも教わることなく、人の内懐に入り込む術を身に付けているのだ。
しかし、そんなさとるも、もちろんただの男の子だ。
近所のうるさいいじめっ子だとばかり思っていた年上のみどりさんが、中学生になったとたん、会うたびに綺麗になってゆくのが、 どうにもこうにも気になって仕方ない。
「俺は人より賢いから、少し大人の女のほうがつりあうんだ」
などと生意気なことを考えて、何かにつけてはみどりさんについて歩くようになった。みどりさんも中学生になってからは、さとるをいじめない。それどころか、自分で作ったおいしいお菓子をさとるに呉れるようにさえなったのだ。
それに、甘えてみても、すねて見せても、嘘泣きをして見せても、みどりさんはいつもやさしく笑っている。昔みたいに、決して怒鳴ったりしない。
さとるは早く大人になりたくて仕方なかった。なんだかんだ小学生の自分が相手にされていないことを、敏感に感じ取っているのだろう。
早く大人になって、みどりさんをお嫁さんにしてやろう。
それがさとるの一番の野望だ。
しかし、みどりさんはいつもやさしくて、それでいて、いや、それゆえに、凄く遠くに行ってしまったような気にさせられる。さとるは歯がゆい思いでいっぱいだった。
それはやがて、単純な変化を見せてゆく。
幼く、それゆえに純粋な思いは、いともたやすく攻撃衝動に変わるのだ。
さとるは、みどりさんの一番大切なものを壊してやると決心する。
いつもやさしく笑っているみどりさんが、大切なものを壊されて泣き出す様を想像すると、なんだかとてもドキドキしてくる。さとるはみどりさんが一番大切に思っているものを知るために、今まで以上にみどりさんにくっついて歩いた。
それは比較的簡単に見つかったが、しかし、壊すのは容易というわけには行かないものだった。
みどりさんの一番大切なもの。
それは、サッカー部のキャプテンのひろし君だったからだ。
いつかさとるに呉れたお菓子だって、ひろし君にあげるための練習だったと知れば、さとるの破壊衝動に拍車がかかるのも無理はない。
しかし、ひろし君は中学三年生だ。身体も大きいし、頭だって学年で10番に入る。とてもじゃないが、ケンカして勝てる相手じゃない。 さとるが太刀打ちできる相手ではない以前に、相手にさえしてもらえないだろう。
それからいつも、頭の中でひろし君をやっつける作戦を練りつづけた。
しかし、なかなかいい考えが浮かばないまま、さとるはいつもイライラしていた。
そんなある日。
みどりさんとひろし君が、仲良く学校から帰ってくる光景に遭遇する。
さとるの頭の中は、嫉妬や悔しさでいっぱいになった。一足飛びに大人になれない歯がゆさ。何でもできるひろし君への嫉妬。イライラ、もやもやしたものがいっぺに膨れ上がってゆく。思わず飛び出して、二人の前に立ちはだかってしまった。
「あら、さとる君。どうしたの?」
みどりさんがいつものようにやさしい笑顔を見せた。
さとるはそれにはかまわずに、ひろし君に歩み寄ると、いきなり大声で怒鳴り始めた。
「みどりさんは僕のお嫁さんになるんだ! みどりさんだって、今はおまえが好きだけど、僕が大人になれば、絶対僕を好きになるはずさ。みどりさんに近寄るな! おまえなんか、みどりさんお婿さんにはふさわしくないんだぞ!」
呆気に取られるひろし君のそばで、みどりさんは固まってしまう。さとるがどうのこうのではなく、自分のひろし君への思いが、そのセリフから容易に察せられてしまうと言う事実に、慌てふためいてしまったのだ。
そんなこととは露知らないひろし君、さとるの顔を覗き込みながら笑って言った。
「君はみどりちゃんが 好きなんだね? 大丈夫だよ、みどりさんと僕は結婚するわけじゃないから」
そのせりふを聞いて、みどりさんはうつむいてしまう。
やがてみどりさんの肩が、小刻みにゆれ始めた。
呆気に取られる二人の前で、みどりさんはついにしゃくりあげ始めた。
ひろし君は驚いて、みどりさんを一生懸命慰める。やがて、自分の言葉がみどりさんを傷つけたと悟ったひろし君は、大きく息を吸い込むと、勇気を振り絞って言った。
「ごめんよ。この子を傷つけるといけないと思って、つい、思ってもいないことを言っちゃったんだ」
みどりさんは顔を上げてひろし君を見た。ひろし君はその目を見つめ返してはっきりと。
「僕は、みどりちゃんが好きだ」
みどりさんは、驚きに一瞬、身を硬くする。
それから今度は嬉しくて、さっきより大声で泣き始めてしまった。
事の成り行きに呆然としていたさとるは、ここで初めて状況を把握した。
願いどおりみどりさんは泣いてしまったが、ちっとも嬉しくない。
それどころか、みどりさんとひろし君をくっつける羽目になってしまったではないか。
しかし、そこは人一倍こまっしゃくれで、はしっこいさとるだ。
突然にやりと笑うと、ひろし君に向かって偉そうに胸を張る。
「へへへ、うまくいった。みどりさんがおまえのことを好きなのがわかったから、俺がヒトハダ脱いでやったんだ。うまいお菓子を食わせてもらった、一宿一飯の恩義ってヤツさ」
時代劇で覚えたせりふをトンチンカンに使いながら、さとるは精一杯虚勢を張る。その虚勢を指摘するほど、ひろし君は子供ではなかった。なんたってもう、中学生なのだから。
「そうだったのか。さとる君はすごいな。僕らなんかより、よっぽど大人だね。おかげで僕とみどりちゃんは、今までよりずっと仲良くなれたよ。ありがとう」
その言葉に満足そうにうなずいたさとるは、くるりときびすを返すと、一目散に走り出す。涙が流れ出す前に、この場を去らなくてはならない。それが、さとるなりの美学なのだ。
走って、走って、走って。
裏路地をめちゃくちゃに走りながら、さとるはいつのまにか大声で泣き出していた。
いつもの嘘泣きじゃない。
胸が張り裂けそうな想いから自分を守るための、純粋な涙だ。
泣いて泣いて泣き尽くし、ようやく足が止まる。
ここまで来れば、もう、大丈夫。
さとるは、涙をぬぐって無理やりに笑ってみた。
胸が少しだけちくりとする。
「よし、来年のために、偵察に行こう!」
わざと大声を張り上げると、さとるは中学校に向かって歩き出した。
その後ろ姿は、すでにいっぱしの男だった。