この者に安らぎを
部屋の隅には、何も居ない。
というか、グリーンにだけ見えているのか。
火は、すぐそこまで迫っている。急いでおじいさんを連れて脱出しなくてはならないが……
「ブルー、何か居るか?」
『わからない。生物は存在しないが……』
ブルーにも感知できない〝何か〟が、グリーンの指差す先に居るようだ。
「神の名に於いて命ずる。姿を現せ!」
グリーンの言葉と同時に、パン! という音が響き、続いて青黒いモヤが部屋の隅に浮かんだ。徐々に、ヒトの形になってゆく。
『マズイな。タツヤ、あれは霊体だ。今のキミでは関わることが出来ない』
「霊?! やっぱそういうのも居るのか!」
『しかも、良くない方向のエネルギーを蓄えているようだ。厄介だね』
ブルーが厄介とか言うなんて。……そんなにヤバイ相手なのか。
『もう少し、私との融合が進めば、キミも霊体と同じステージに立てるのだが、今はどうしようもない。悪意を持った霊体の攻撃は、直接、キミの魂を削ることが出来る』
マジか! 怖いな、霊体!
「大丈夫です。僕に任せて下さい」
グリーンはそう言うと、霊体に向かってゆらりと一歩進み、話し掛けた。
「神の名に於いて命ずる。答えよ!」
また、パン!という音が響く。
「黒く染まりし魂よ。何故悪意をもって現世に縛られるか?」
『憎い。その男が憎い! 私の人生を! 私の家族を奪った! 憎い! 憎い! 憎い!』
「神の名に於いて命ずる。答えよ!」
同じ様に、パン! という音が鳴る。
「語れ! 仔細に渡り、汝の全ての暗き思いを神の御前に並べよ」
『その男は、騙した。子が、妻が、悲しみの内に息絶えた! 私はその男を許さない! 許さない! 燃やす! 全て燃やす! 憎い! 憎い! 憎い!!』
「神の名に於いて命ずる。答えよ!」
パン! という音が響く。多分、このフレーズが、霊体への干渉のトリガーなのだろう。
「神は全てを聞いている。更に語れ! 汝の全てを語れ!」
『うう……私は……私はその男に雇われていた。信頼していた。精一杯働いた。なのに、なのに、そいつは私を解雇した!』
リストラ……か? だが、妻と子どもが息絶えたと言うのは些か穏やかではないな。
「神の名に於いて命ずる。答えよ」
パン! という音が響く。グリーンの口調と、霊体の口調、どちらも徐々に穏やかになっていく。
「汝の思いは、神が全て聞いている。語れ。語れ。語れ」
『息子は病気だった。重い病気だ。治療には金が必要だった。私は身を粉にして働いた。妻も働いた。長いつらい日々が続いた。だが、家族3人は生きていた。生きているだけで幸せだった』
先程までの悪意に満ちた雰囲気は、収まりつつあった。
『私は、その男に相談した。息子の病気の事を。治療に金が掛かる事を。その男は、治療費を肩代わりしてくれると言った。歓喜した! 感謝した! だが次の日、私は解雇された。次の年、息子は死んだ。その次の日、妻も、死んだ。その次の日、私も死んだ』
「違う! 違うんじゃ!」
いつの間にか、おじいさんが意識を取り戻していた。
『何が違う! お前は私を騙した! お前は私達を殺した!』
「聞いてくれ! ワシはあの日、確かに……」
『黙れ人殺し! 憎い! 憎い! 憎い!!!』
悪意が渦を巻く。中心の霊体が真っ黒に染まっていくのがわかる。
「神の名に於いて命ずる。ただ見よ! 耳を傾けよ!」
パン! という音と共に、霊体の動きが止まる。
『見ろと言うならば見よう。聞けと言うならば聞こう。その男の最後の姿を! その男が何を語るのかを! 恐怖に歪んだ顔ならそれは心地よい。命乞いならそれも心地よい』
霊体を取り巻く邪気は、濃く、重く、部屋全体を黒く包んでいる。
「さあ、彼に話して下さい。何があったのかを、全て」
静かな口調でおじいさんに言った。グリーンは、〝精神感応〟で、全部、知っているようだ。
「ワシはお前に、子どもの治療費を出す約束をしたあの日、部下に金を渡し、全てを取り計らうように命じた。翌日、部下から、お前の息子の病院に、治療費の支払いを済ませたとの報告を受けた」
『な……んだと……』
「その日、お前は会社を去った。ワシが金を出した途端、お前が裏切ったのだと、そう思った」
『馬鹿な……そんな馬鹿な!』
「裏切ったのは、部下じゃった。お前の息子の治療費を着服し、お前を解雇したのは部下じゃ……ワシはその事を、お前が自ら命を絶った数日後に知った。遅かったんじゃ!」
ポロポロと涙を流し、跪いて床を叩くおじいさん。
『嘘だ! 嘘だ! 嘘をつくな!!!』
「本当です。それはきっと、あなたが一番良く分かっているでしょう」
「本当にすまなかった! もっと早く気付いていれば、お前を……お前の家族を救う事が出来たんじゃ……!」
邪気は全く感じられなくなった。霊体は、青白い光を放ち始めている。
『私は……とんでもない事をしてしまった……ああ……許してください、社長』
「お前は何も悪くない。悪くないぞ! ワシの方こそ済まんかった。済まんかった」
触れられない者同士が、解り合い、心で手を取り合う。
「……神の名に於いて。この者に安らぎを与え給え」
天井がボヤけて、青空が現れた。雲間から光が差し込み、2つの霊体が現れた。やがてそれらは人の姿になる。
『ああ……まさかそんな……』
「奥さんと、息子さんだ」
レッドが呟く。3人とも、穏やかな表情だ。
「あなたはもう、苦しまなくていい。安心して行きなさい」
『ありがとう。ありがとう。どうか、社長を、よろしくお願いします』
「任せておきなさい。僕と僕の仲間は無敵です。社長は必ず守りますよ」
『ああ……お前たち、やっと、一緒に……』
3人は、天高く舞い上がり、光の中に消えていった。




