生徒と先生と
僕、栗栖和也が膝をついて息を荒くしている理由は、もちろん強い力でたくさん攻撃されたのもあるけど、それ以上に、覗き見た〝兄妹〟の記憶による物が大きい。
うーん。やっぱり、まだ無理だったみたい。
ほんのちょっとだけ記憶を辿れたけど、2人の魂を救うには足りないよ。
「あれ? 栗っち、どうしたのん?」
「ガハハハ! 腹でも減ったか少年!」
廊下の向こうの暗闇から、この緊迫した状況を完全に無視した声が響く。
ユーリちゃんともう一人。満面の笑みを浮かべながら近付いてくるのは、ブルーさんが言っていた〝蘇毬の戦士〟さんだよね。たしか〝リクオさん〟だったかな。
ちなみに、とても悪い霊になってしまった兄妹は、ユーリちゃんたちの足にしがみついてズルズルと引き摺られているよ。
「えっと……2人とも平気なの?」
ピタリと足を止めたユーリちゃんは、両手でお腹のあたりを撫でてから、にっこり笑って答える。
「やー? 私は平気だよ。さっき晩ご飯を食べたばかりだから!」
「いやいやユーリ。栗っちが聞いているのは、お前が腹減ってるかどうかじゃないぜー」
大ちゃんの言葉に、ユーリちゃんとリクオさんは顔を見合わせて首を傾げているよ。
うーん。やっぱり悪い影響をぜんぜん受けてないみたい。ビックリだよね。
でも、それはあの2人が平気なだけで、他のみんながピンチな事に変わりはない。
「返せ」
「返せ」
この旧校舎は〝神様の領域〟になっている。
そして兄妹の望みを、この場所の神様である〝七不思議〟が叶えたから、僕は2人の魂を救う事ができない。
兄妹の望みは、この校舎に居続ける事。〝七不思議〟と一緒に居続ける事。それを神様が許したんだから、僕が勝手にあっちに送っちゃ駄目なんだよ。
理由は……えっと、ごめんね。説明したいけど、たぶん〝神様〟にしか理解できないと思う。
おかしいよね。当の〝七不思議〟たちは、2人が救われる事を願っているのに。
「返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ……」
「ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない……」
兄妹は、ユーリちゃんとリクオさんの足にしがみ付いたまま、何かをブツブツと呟き続けているよ。
「……なあ栗っち? さっきから聞こえる〝返せ〟っていうのは、ひょっとしてアレの事じゃないのかー?」
大ちゃんがリクオさんの担いでいるものを指差す。やっぱり大ちゃんにも聞こえちゃってたんだね。
「うん。そうなんだけど……」
2人はとても怒っているよ。だからきっとアレも見えていないんだと思う。
大ちゃんの指さした先に視線を移し、不思議な顔をするユーリちゃんと、それに気付いて首を傾げるリクオさん。
「ふむ? そういえば、これは何処へ持っていけばいいのだ?」
そう。リクオさんが左肩に担いでいるのは、とっても大きなピアノ。
「彼は何者なんだ? プロレスラーとかなのか?」
先生が頬を引きつらせて首を傾げているよ。
まあ、グランドピアノをあんなに軽々と肩に担げる人は、そうそう居ないよね。
「返せ」
「返せ」
目の前にあるのに、兄妹は気付かずに〝返せ〟と訴え続けている。
リクオさんの担いでいるのが〝七不思議〟のひとつであるピアノなのに、怒りのせいで、何も見えてないんだね。
「……ごめんね。なんとかキミたちを送ってあげたいと思ったんだけど、僕の力不足だったみたい」
ユーリちゃんたちを攻撃できないと気付いたら、きっと兄妹は大ちゃんと先生に襲い掛かる。
そしてこのままだと、たくさん集まって来た悪くて怖い子たちが、何も知らない人たちを襲い始めてしまう。
かわいそうだけど、力づくで消してしまうしかないよ。
僕は右手を兄妹の方へ差し出して、意識を集中させる。
「ダメだ栗栖くん!」
兄妹の前に立ちふさがったのは、とても苦しそうな顔をした先生だった。
ごめんね先生。この校舎は、まだあの兄妹が〝居てもいい場所〟のままだよ。
だから、僕が終わらせなきゃ。
「先生、危ないよ。そこをどいて」
この旧校舎のすべてを〝自ら識る〟事によって、先生が兄妹を助けたいと願えば、それはこの場所から2人を開放するための〝力〟になる筈だった。
先生の願いが掴んで、僕の力で引き剥がす。それが、あの2人の魂を救う唯一の方法だったんだ。
でも兄妹の心は、僕が思っていた以上にこの校舎に縫い付けられてしまっていたよ。
「……どかない」
先生は両手を広げたまま、必死の形相で叫ぶ。
「この子たちは、この学校で、初めて家族の暖かさを知ったんだ! 授業を受けたり、給食を食べたり、遊んだりしたのがとても楽しかったんだ!」
肩で息をしながらも、先生は兄妹を庇うように両手を広げたまま僕を見つめている。
……あれ?
「先生はどうして、僕が読み取った〝兄妹の記憶〟を知っているの?」
「さっきのは、栗栖くんが僕に見せたんじゃないのか?」
不思議だよね。先生は霊感もない普通の人なのに、僕と一緒に兄妹の記憶を覗く事ができたなんて。
でもね、そういう奇跡は起こるんだよ。だってここは〝神様の領域〟なんだから。
「ううん。きっと先生の願いが2人と繋がったんだよ。だから……」
兄妹は救える。
ほら、もう変化は始まっているよ。
『……おじちゃんはだれ?』
『もしかして、先生ですか?』
いつの間にか、先生のすぐそばに兄妹が立っている。
さっきまでの怨念に満ちた霊の姿ではなく、生前の姿だよ。
「え? あ、アハハ。そうだよ、先生だ。この学校の先生だよ」
少し驚いた様子の先生は、それでもすぐに笑顔で2人に向き直って腰を落とす。
『先生。僕たち、大切な何かを探しているんです』
『みつからないの! でも、なにをさがしていたのか、わすれちゃったの!』
「……それは、アレじゃないかな?」
先生が指差すと、リクオさんは担いでいたピアノをゆっくりと床に置いた。
それを見た兄妹が、満面の笑みを浮かべる。
『あ! そうだよ! ねえ、お兄ちゃん!』
『そうか、そうだった。僕たちは……!』
2人はぜんぶ思い出したみたい。
先生のおかげだよ。これであっちへ送ってあげられると思う。
「先生、スゴいねえ。僕、本当に驚いちゃった!」
無理だと思った。
この領域で僕が直接出す力は、彼らを救う方向には絶対に働かないのが分かっていたから。
それは先生も同じで、想う事はできても助ける事はできない筈だった。
けど、先生は奇跡を起こしたんだ。
「スゴくなんかないよ。僕は……」
先生は俯いてしまった。
そうだよね。亡くなった2人を生き返らせる事なんかできない。だから救えない。そう思ってしまうかもしれないけど……
『先生、ありがとうございます』
『せんせい! ありがとう!』
先生に向けて、兄妹が笑顔で言った言葉がすべてを語っているよ。
想いが。本気で想う心だけが、兄妹を悲しみや苦しみから救えるんだ。
「この子たちを、送ってあげてくださいますか?」
突然響いた声の方を見ると、そこにはいつの間にか人体模型が立っていた。
「えええっ?! な、なんなんだよー! ビックリしちゃったじゃんかー!」
「ガハハッ! 最強の戦士がなさけないぞ!」
ユーリちゃんのリアクションを見て、リクオさんが豪快に笑う。
「どうか……2人を……」
「どうかこの子たちを頼みます」
「おねがい。おねがい。おねがい……」
色々な方向から優しげな声が響いてくるよ。〝七不思議〟さんたちは、みんな兄妹の事を想っているんだね。
「ふたりとも、ごめんなさい。私がいなくなったせいで、つらい思いをさせてしまったのね」
言葉のあとに、ポロンとピアノの音が聞こえた。
兄妹は、フワリとピアノに近付いて首を横に振っている。
『ううん。帰ってこれてよかったね』
『おかえりなさい、ぴあのさん』
2人はクルリとこちらに向き直ると、深々と頭を下げた。
『先生、みなさん。本当にありがとうございました』
『ありがとうございました!』
僕が向けた視線に、能勢先生はコクリと頷く。
「それじゃあ、送るね」
僕が両腕を掲げると、兄妹をまばゆい光が包み込んていった。




