番人(下)
頭がボーッとする。
ここは……〝試練〟の扉の中?
「な、何だ? 私は……いったい?」
辺りを見回すが、景色がかすんで、ピントが合わない。
……私は、何をしていたんだっけ?
「ナナみヤ、気がツいたノか」
この声は。
聞き覚えがあるぞ。コイツは確か。
「ん……あ、ああ。悪魔か…って、おいおい! なんで競技場から外に出て来てるんだ? 吸血鬼に知られたら、ヤバいだろ?」
え? ……んー? いや。そうじゃないな。
コイツがここにいる理由って、何だったかな。
「おマエ、大ジョウぶカ?」
あんまり、大丈夫じゃない。頭いてぇし。
「……ん? えーと? 私は何をしていたんだ?」
悪魔のとなりに、ガキが居る。
あ? こいつは……!
「悪魔さん、一分ぐらいで終わるから、待っててね?」
「なンか知ラんが、分かったゾ」
……思い出した! このガキ、競技場を!
「おい、こら悪魔!」
「…………何ダ?」
「何だじゃない。お前、なんでそのガキと普通に会話してんだ?」
「こワいから? ……だっタんだケど、もう大丈夫。コイつ、優シくて、好き」
はあ? 何を言ってるんだ?
「……1分ダケ、マて。すグニおわル」
話にならんな。このガキ一人に、ここまでされたんだ。私も処分される可能性だってある。
……この悪魔は確実に〝処刑対象〟だから、とりあえず私が殺して、手土産にしておくか。
「ダメだよ? それは僕が許さない」
ちっ。寝てるのかと思ったら、起きてやがった。
っていうか、コイツ、たまにこうやって目を閉じてるけど、何をしてるんだ?
「えへへ。ないしょ!」
本当に得体が知れないな、コイツ。
しかし、あんな規模の魔法、見たことないぞ。千体近い〝眷属〟を一瞬で消したり、競技場を粉砕したり……しかも、呪文の詠唱をしているように見えなかった。
……そういえば、コイツらのリーダーも、喋れないはずなのに、普通に魔法を使っていたな。どういうヤツらなんだ?
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「えへへ。七宮さんが左で、僕が右だよね!」
そう言って、あのガキは勝手に右の扉に入っていった。
やれやれ。これじゃ〝案内人〟の立場が無いな。
……ってちょっと待て! 分身はもう作ってあるけど、甲冑を着なきゃならないんだぞ。
急いで左の扉に飛び込み、まっ黒な鎧を装備する。
「あーあ。今日殴られた腹のあたり、ヘコんで、ヒビまで入ってるよ」
分身魔法は、再詠唱には半日かかる。私は〝分身側〟の記憶もいらないからな。いつも、効果時間が切れて自然消滅するまで、観客席に座らせてあるんだ。
……少々遅れていっても、アイツがうまく誤魔化してくれてるだろう。
試練の直前に分身すれば、私から引き継いだ〝新鮮な記憶〟で、最適な〝煽り文句〟を言ってくれるんだが、まあ今回は仕方ないな。
「ククク。ようこそ、最終ステージへ!」
分身の声がかすかに聞こえてきた。あのガキ、速すぎるぞ。
兜を片手に、闘技場への狭い通路を走る。くそ! 相変わらず重いな、この鎧!
……ふう、到着。
よし、ここからは威厳と風格を漂わせながら……扉をゆっくり開けて、闘技場内に入る。
「お前も、ここでゲームオーバーだ。〝たっちゃん〟と同じようになあ! ククク、アハハハハ!」
さすがは私の分身。初めてあのガキを見たとは思えないほど、上手い煽りだ。
と、次の瞬間、ガキは分身の方に手のひらを向けた。
「えへへ。ちょっとうるさいよ?」
パァン! という音が響き、私の分身が弾け飛ぶ。
おいおいおいおいおい! 何だ? いま、何が起こった?!
「何って……うるさいし、いらないから、消しちゃった」
なっ?! コイツ、いったい何を言って……?
「分身さんは、いらないでしょ? 僕は〝番人〟の〝七宮さん〟と戦うんだから」
あのガキは、黒光りする甲冑に身を包んだ私を、ニコニコと見ている。
……気づかれている! なんでアイツ、番人が私だと知って……?
「ぜーんぶ知ってるよ? だから、分身さんはいらないし、声も変えなくてもいいからね」
やっぱコイツ、普通じゃない……! だいたい、さっきの分身に放った攻撃も、見たことのない魔法だった。
……だが、結果は変わらないぞ! どんな攻撃だろうと、私に当たり次第、コイツの負けだ! 私は〝案内者〟なんだからな!
「うーん。七宮さん、ちょっと聞いて?」
かぶっていた兜が、メリメリと音を立てる。
「もうそれ、いいから」
菓子の袋を破るように、私の頭から左右に引きちぎられた鋼鉄の兜は、空中でグシャグシャに丸められて真上にすっ飛び、天井に突き刺さった。
「うわあっ?!」
「七宮さん。静かにしてよ。僕、怒ってるんだからね?」
何なんだよ、コイツ?! ……ワケが分からねぇ!
「……七宮さん。さっきから、僕の〝力〟の事を〝攻撃〟って言ってるよね?」
「な、なに? 何を言ってるんだ?」
ガキは、やれやれと言った表情で続ける。
「たとえばね? 〝お母さん〟が、悪いことをした〝子ども〟のお尻をたたくのは〝攻撃〟なの?」
「……は?」
「〝動物さん〟が、あぶない場所に行こうとした〝子ども〟に、二度と行っちゃダメって、ちょっとだけ、噛んだり、引っかいたりして教えるのは〝攻撃〟なのかな?」
「何を言ってるんだ? そんなのは……」
「そうだよね。やりすぎちゃダメだし、暴力はいけないけど、いま言った2つは〝愛〟なんだ」
話がまったく見えてこないぞ? このガキ、いきなり何の話を始めた?
「……分からないんだね。悲しいし、残念だから、もっと分かりやすく説明するよ?」
一瞬、ガキの姿がゆらいだ。
右の頬に衝撃が走り、視界がグルグルと回転する。
「かはッ?!」
全身に痛みが走り、続いて右頬を、死ぬほどの激痛が襲う。
……口の中が血の味で一杯になった時点で、いま自分がされた事を理解した。
「ゲボッ! が、がかっ……?」
平手打ち?! すさまじい威力のビンタを、右頬に食らって、私は宙を舞い、地面に転がされたのだ。
しかし、この部屋の特殊効果で、ズタズタになった私の頬は、みるみる回復していく。
「ククク。や、やったな? この私に攻撃したな? 〝案内者〟である私に危害を加えたら……」
「僕は〝攻撃〟してないよ?」
ちょ! まっ?!
しただろう?! いまのが〝攻撃〟じゃないなら、何だって言うんだ!
「えへへ。それはね〝愛〟なんだ」
……は?
「もう一度やるから、よーく味わってね?」
今度は、左の頬に強い衝撃を受けて、さっきとは逆に視界が回る。
「グベッ?!」
痛い! 痛いいいい! 頬骨が! 骨が折れッ!
「分かる? 七宮さん。もう一度言うね? 〝お母さん〟が、悪いことをした〝子ども〟のお尻をたたくのは〝攻撃〟かな?」
おびただしい量の血が、私の周囲に撒き散らされる。
こ、これと、お仕置きの〝オシリペンペン〟を、まさか……まさか同じだとでも?
「……まだ分からないんだね? もう一回、いくよ?」
ちょうど完治した右の頬に、さっきと同じ衝撃が走り、視界が回る。
「グベッ?!」
血しぶきがスローモーションで宙を舞う。
私は受け身など取ることも出来す、ゴロゴロと無様に転がった。全身に痛みが走る。
「七宮さん〝動物さん〟が、あぶない場所に行っちゃダメですよって〝子ども〟を甘噛みするのは〝攻撃〟なのかな?」
私の顔をのぞき込んで、ニコニコ笑うガキ。
……ど、どうなってる?! コイツいま、何度も私に攻撃を!
「……そっか。まだ〝攻撃〟と〝愛〟の違いが分からないんだね。それじゃ、もう一度」
頬の激痛と、回る視界。
何なんだ? 何なんだよこれ!
痛い! 痛い! 痛い!!
「僕はね? 〝攻撃〟できないんだよ?」
な、何を言ってるんだ? お前、さっきから私に……
痛だあああい!!!
「まだ、分からないんだ。でも大丈夫だよ。僕、七宮さんが分かるまで、教えてあげるからね!」
アイツが、にっこりほほえんで、近づいてくる……!
や、やめ! それ以上私に攻撃しなぶべええエエエエエッ!!
「僕はね? 〝愛〟しか与えられないんだ。だから、七宮さんがいま感じている痛みも〝愛〟なんだよ? もっと! もっと僕の〝愛〟を受け取って! そして気付いてよ!」
……やめて! もう、もうやめてくれ! 死んでしまう! もうひどい事しないでゲベベェエエエエエエ?!
「〝ひどい事〟じゃなくて〝愛〟だよ? その痛みは、七宮さんの〝罪〟から生まれた物なんだ。だから、すべて受け止めて! そうすれば、七宮さんも救われるんだよ!」
死ぬ! 死ぬから! 何が愛だ! 拷問じゃないか! やめて! やめてください! おねがいでゲボぉぉぉぉッ?!
「七宮さんが死んじゃったら、つまりそれは〝死〟こそが救いで、死ぬことによって〝愛〟を受け取れたって事になるんだよ? だから僕の〝愛〟で、死んでもいいんだよ!」
……いや、だ。やめ……やめて! ごめんなさい、ゆるし、ゆるして……! おねがいです!
「えへへ。ちょっとだけ、分かってきたんだね、七宮さん! 僕、うれしいよ!」
……あ、ああ、はい! わか、わかりまし、ゆるして、もらえ……るの?
「ううん? ダーメ! ……だって、さっき僕が葬送った〝眷属〟さんたちのうち、94人が、まだ七宮さんを許してないんだ。いまも七宮さんの後ろで、怒ってるよ?」
94……人?
ま、まさかそれは、私が以前、ここに誘い込んだ人の数……?!
「僕の分の〝愛〟は終了でいいかな。僕ってやさしいよね! それじゃ、ここからは、94人の魂を救うための〝裁き〟を始めるよ」
さ……〝裁き〟って?
「あ、説明するね。〝裁き〟も〝攻撃〟じゃないし〝危害〟でもないよ? 〝試練〟のルール違反じゃないから安心だよね! えっと、例えば神さまがリンゴを……」
ひいぃぃぃぃ?! 何をいってるの? なんで神さまとか言い始めたの、この子?!
「……っていうのは〝攻撃〟だと思う?」
分からない! さっきのより、もっと分からないぞ!
「あれ、七宮さん、これも分からないの? じゃあ、分かるように教えてあげるから、手を出して? 人差し指から順番にいくよ?」
あ、いや……だ……や、やめ、やめて……!
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ?!




