抗えぬ掟
下山したその足で、俺は後藤千弘さんと、慈許音隆代さんに連れられて、名も知らぬ街角の、何の変哲もない喫茶店へとやってきた。
「さあ、ここだ。ずいぶん歩いたし、腹も減っただろ?」
まー、山道をかなり歩いたからなー。
おかげで目的地から、ずいぶん離れちまったぜー?
「とにかく入りましょ? 膝の怪我を手当てしなくちゃ」
走った時に、何かに引っ掛けたのだろう。俺の膝には、擦り傷が出来ていた。
変身すれば、一瞬で治るんだけど、そういう訳にはいかないなー。なぜなら……
「おいおい大ちゃん。俺とコイツが〝正義の味方〟だから、緊張してるんだろ?」
「うふふ。大丈夫よ、とって食べたりしないから!」
そうなんだ。この二人、あろう事か〝変身〟して、ダーク・ソサイエティの怪人と戦ったんだよな。
……悪い人たちじゃないんだろうけど、俺の正体を、知られて良いかどうかは、まだ分かんないぜ。
「さあ、入った入った!」
喫茶店の看板には〝喫茶ガブロ〟とある。
俺の手を引いて、後藤さんが店の扉を開けると、カランコロンカランという心地よい音が響いた。
「いらっしゃ……ああ、おかえり千弘くん、隆代ちゃん。おや、その子は?」
この店のマスターであろう初老の男性が、カウンター越しに声を掛けてくる。
白髪が少し混じった頭は、チリチリでボサボサ。ギターとタイヤキが似合いそうな感じだぜ。
「ああ、例の怪人に襲われてたんだよ。ホント、危機一髪ってトコだったな」
「そうか、無事で良かった。その件はあとで詳しく聞くよ。ボク、大変だったね。えーっと?」
「はじめまして。俺は九条大作。大ちゃんって呼んで欲しいぜー!」
「はは。元気な子だ。どうだ大ちゃん、何か食べるかい?」
「マスター、その前に……この子、怪我をしてるの」
「おっと、それはいけない。さあ、中へ」
俺は隆代さんに連れられ、店の奥へ通された。
扉を開けた先は、畳敷きの部屋。この奥は、住居になっているようだなー。
『ダイサク、今の状況、タツヤたちに伝えておくかい?』
「ああ、頼んだぜ」
ブルーとの会話が〝普通の人間〟に聞かれる心配はない。
いま俺が小声で会話しているのは、このヒーロー達が〝普通の人間〟かどうか、わからないからだ。
「えっと、救急箱は……ちょっと待っててね?」
隆代さんが部屋の奥へ行った隙に、辺りを見回してみる。パッと見は普通の家屋だけど、普通じゃない所がいくつもあるぜー。
まず、生き物の気配が全くない。
……いや、ペットがいないとか、そんなんじゃないぜ?
窓のサッシや照明器具に、小虫の死骸が無いんだ。よっぽどキレイ好きか、それとも……
「ここが、小さい虫すら侵入できない作りなのか、だなー?」
そして、驚くほどニオイがない。民家には必ず、その家特有のニオイがある。絶対にだ。生活臭ってのは、必ず付くもんだからな。だいたい、畳のニオイさえしないってのは、おかしいだろー。つまり、この場所は……
「民家っぽくカモフラージュされた、偽物の生活空間だ」
そして極めつけは、この部屋のあらゆる物に、見覚えがない。
「……そんな事もあるだろって? ないない。ありえねーんだよなー」
俺の能力〝瞬間記憶〟は、見た物すべてを頭に焼き付けて、絶対に忘れないんだ。
いろいろな場所……店や学校、町中、テレビや雑誌で見かけた物。とにかく全部覚えてる。
でも、この部屋に置かれている品々……テレビ、時計、テーブル、エアコン、カーテン、タンス、ペン、ハサミ、定規、ペン立て、座布団、くずかご……とにかく全部が、初めてみる物だ。
「つまり、これらをどこかで買ったんだったら、全部が〝一点物〟の〝特注品〟だぜ? どんだけ地味好きの金持ちだよって話だ」
なんとなく、それっぽいメーカー名は書いてあるけど、それも全部、見たことも聞いたこともない社名だぜ。恐らく、このニオイのしない畳も、畳屋さんで買った普通の物とは違うんだろう。
「まさか、これ全部〝自家製〟って事か?!」
たぶん、間違いないなー。超優秀な大道具さんと小道具さんが居るんだろう……
あー、隆代さんが帰ってきたぜー。
「おまたせー! あったよ、救急箱。さあ、膝を見せて?」
救急箱も、メーカー不詳だな。その消毒液と……おいおい、絆創膏までかよー!
よっぽど、外の物を持ち込みたくない、あるいは、外部と関わりたくないのか?
「はい、これで大丈夫! 痛くない?」
消毒のあと、絆創膏を貼ってもらった。使用感は普通だなー。
「ありがとなー! もう大丈夫だぜー!」
「そう、良かった! それじゃ、マスターに何か作ってもらいましょうか!」
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店の方に進むと、微かに話し声が聞こえてくる。
うーん。聞こえづらいなー!
「……あ……つ……りの……げ…………てる。……のま……ゃな…………ちこ……らけ…………うを……でひり…………んげ……せよ…………だ?」
「はた………だけは……かせてさいごに……いじ……か、せ…とうい……もりな……う。いそ……いとぎせ……てしまう……っと、戻ってきたみたいだ」
マスターと後藤さんが、会話していたようだ。
遠かった上に小声だったから、会話の内容までは分からなかった。
……と思っただろー?
ところが俺って、断片的に聞こえた声を、脳内で補完できちゃうんだよなー。ちなみに今の会話は、
「……あいつら、かなりの人間を集めてる。この町だけじゃなくて、あちこちから結構な人数を。なんで非力な人間にやらせようとするんだ?」
「働かせるだけ働かせて、最後には怪人にするか、戦闘員にするつもりなんだろう。急がないと犠牲者が出てしまう……おっと、戻ってきたみたいだ」
……となるわけだ。
そうか。周辺地域から人間を攫って、基地の建設をさせているんだなー? ちくしょう! なんて古風な奴らだ。
「よし、それじゃ何か作ってやろう。おまかせでいいかい、大ちゃん?」
……マスターが作ってくれたのは、オムライスだ。おー?! こりゃ美味いぜ。〝まりも屋〟と互角だなー!
「ははは。ゆっくり食べるといい」
「どうだ? マスターのオムライスは最高だろう」
マスターと後藤さんが優しく微笑む。
俺が最後の一口を食べ終わった時、入り口の扉が勢いよく開けられて、少し背の低い、筋肉質の男が入ってきた。
「マスター! ただいま! って、お前らも戻ってたんかい!」
「やあ、おかえり、和久くん」
おー? この人も、お客さんじゃなくて関係者っぽいなー!
理由は〝ただいま〟〝おかえり〟というやり取りと、マスターが名前で呼んだ事。あと〝お前らも戻ってた〟って言ったからな。さすがに部外者じゃないだろ?
「いやあ! 参った参った。あいつら白昼堂々、襲って来やがって……あん? 何だ、このおチビさんは?」
「ああ、この子は大ちゃん。俺たちの仕事先で、怪人に襲われてたんだ」
確定だなー! 怪人の事をしゃべっちまったし。
「おう、そりゃあ大変だったなあ! ワシは土田端和久じゃ。ヨロシクのぉ!」
おいおい。ネーミングが雑になってないかー?
『ダイサク、役割的には丁度よい雑さだと思うよ?』
あー。なんか分かるけどさ。お前のその発言もギリギリだよな、ブルー?
「すまんが、先にメシを食わせてもらうぞ? いらん運動を散々させられて、腹がペコペコでの。マスター、いつものヤツ、大盛りで!」
ん? いつものヤツって、まさか……?!
「ははは。これだろう和久くん? 用意しといたよ」
「おお、これこれ! さっすがじゃのー、マスター!」
カウンターに出されたのは、大盛りのカレーライスだ。
この人、絶対にイエローだろー!




