奥歯に物が引っかかったような
ドイツの首都、ベルリン。
過去に、様々な歴史的トラブルに見舞われたこの都市で、最も有名なのは、1961年に出来た〝ベルリンの壁〟だろう。
1989年に崩壊するまで、東西ベルリンを隔て続けた壁は、今はもう、一部を残すのみとなっている。
「……という事で、ブルー。もう、壁は無いよ?」
『タツヤ。さすがにそれは私も知っている。私が言ったのは、このベルリンにある〝次元断層〟の事だ』
あら。壁違いだったか。
「次元断層?」
『そうだ。地中のずっと奥深くだし、大したサイズじゃないんだけど、遠隔で修正出来ないので、気になっていたんだ。ずっとね』
「それって、修正出来ないと、何か問題があるのか?」
『そうだね。ちょっとだけ、気持ちが悪いんだよ』
ブルー曰く〝奥歯に、ずっと物が引っかかっている感じ〟らしい。
お前、奥歯が無いのに、よくその例えが出たな。
……あれ、すっごく気持ち悪いんだよ。
『ということで、申し訳ないが、私の用事を先に済ませて良いかな?』
「もちろん。なんか聞いてるこっちまで、奥歯辺りが、むず痒いよ。さっさと片付けよう。」
ブルーと会話しながら、ベルリン中央駅の改札を抜けた。
僕とブルーのやりとりを聞いて、クスクス笑っている彩歌と、不思議そうにしている4人。
そう。今日、ベルリン観光に行くと聞いて、ライナルト、ダニロ、ラウラ、ハンナの4人は、案内役を買って出てくれたのだ。
『……っていうか、世話になったし、当然だよな!』
今日のために、わざわざ買ってくれたのだろう。ピカピカのガイドブックを片手に、ライナルトが言った。
『そうよ。ハンナの、命の恩人なんだから!』
ラウラは、昨日の冒険者スタイルとは一転して、かわいいスカート姿だ。
『おとうさんも、おかあさんも、昨日の事、覚えてなかったよ! 呪いも解いてくれたし、魔法ってスゴイ!』
ハンナは、彩歌の手を握って、嬉しそうにしている。
『あ、もちろんだけど、僕もみんなも、昨日の事は誰にも言ってないからね!』
うん。信用してるって、ダニロ。
「……で、ブルー。目的地はどこ?」
『ショッセ通り沿いにある、墓地だよ。すぐに終わらせる』
墓地か。まさかまた、ひと悶着とか無いだろうな。
『墓地だって。ショッセ通り沿いってわかる?』
一応、4人に聞いてみる。
『……墓地? 何でまたそんな……あ! もしかして、地球を守るためか!』
嬉しそうだな、ライナルト。
『いや、ちょっと、地球の奥歯に、物が挟まっていてね。気持ち悪いらしいんだ』
『ふふ、なにそれ! 正義の味方って、そんな事までするの?』
ラウラが笑うのも無理は無い。確かに今回のは、正義とか、あんま関係ない気がする。
まあ、ブルーもすぐ終わると言ってるし、行こうか!
『タツヤ、ここから東方向だ。歩いて20分ぐらいだよ』
インヴァリーデン通りを、東北東に進む。
いかにもドイツらしい、ゴツゴツした建物の間をすり抜け、右に曲がるとショッセ通りだ。
『タツヤさん、見て! また、電車が車と一緒に走ってる!』
彩歌が指差した先に、黄色い車体の路面電車が走っていた。
そう言えば、アムステルダムでも同じように騒いでいたな。
『日本では、そんなに珍しいの?』
彩歌の顔を覗き込むようにして、質問するハンナ。彼女は、ずっと彩歌と手を繋いでいる。
『無いこともないけど、あまり見掛けないな』
僕がそう答えると、驚いた様子の彩歌。
『ええ?! 日本にもあるの?』
もしかして、魔界には無いんだろうか。
『機械仕掛けの乗り物は無いよ。飛竜か馬だね』
彩歌の頭の上で、ルナがそう言った。本当にファンタジーな世界なんだな、魔界。
『……日本の路面電車といえば、九州とか、京都とかかな。あ、東京にもあったかも』
あとは、知らない。それに、僕も実物を見たのは、小学校の修学旅行で京都に行った時だけだな。
……あ、そっか、巻き戻ったから、6年生になったら、もう一度行くんだ。
『ドイツはね、路面電車、すっごく多いんだよ!』
ラウラが、自慢げに言う。
そういえば、修学旅行の時、大ちゃんに聞いた気がするぞ。ドイツは、ほとんどの街に、路面電車があるとかなんとか。
……いやそれより、やっぱ〝飛竜〟の方が気になる。サラッとスゴい対抗馬をぶっ込んで来たな、ルナ。
僕たちは、人と車と自転車と路面電車が行き交う、ショッセ通りを、南に進む。
『タツヤ、着いたぞ。この奥だ』
広い通りに面し、塀に囲まれた墓地。
僕たちは、その敷地内をブルーの指示通り進み、断層があるという地点の真上まで辿り着いた。
『ふむ……ああ。なるほど。そういう事か、実に興味深い』
ブルーが勝手に納得している。次元断層の原因を見つけたらしい。
『タツヤ、ちょっとだけ、手伝ってもらえるかな?』
『はいはい、どうすればいい?』
『えっと、丁度、今、ダニロの右足がある辺り、思いっきり、殴ってくれない?』
ショック療法らしい。おいおい、大丈夫なのか?
『キミの力が、真っ直ぐ地中に行くように細工したから、周囲に、ほとんど影響はないよ。とても軽い地震が起きたと感じる程度だろう』
ふーん。まあ、そういう事ならお安い御用だ。
『ダニロ、ちょっと、そのままそのまま』
僕は、ダニロの右足の辺りに、印をつけた。これでよしっと。
『ちょっと揺れるみたいだから離れてて。ああ、それぐらいで良いと思う。よし、思いっきり行くぞ。 せーの! アース・インパクト!』
力の限り、地面を殴りつけた。
ドン! という大きな音が鳴り響き、マンホールぐらいのサイズに穴が空く。
……おっと。危うく落ちる所だった。
『すげぇ……!』
ライナルトがボソっと呟く。正直、自分でもそう思った。
轟音が、地下深く降りていく。体に感じるか感じないかの地震も、遠ざかって行くようだ。
やがて、揺れは収まり、音も聞こえなくなった。
『タツヤ、ありがとう。断層は修復できた。えっと、ちょっと待って』
マンホール大の穴は、奇妙な音と共に、元通りに塞がる。
そして、地中から、ポコンと、ひと振りの剣が吐き出された……何だこれ?
『わからない。それが、今回の〝次元断層〟が出来た原因のようだ。多分、この世界の物ではない』
異世界の剣だって? お前、奥歯にこんなのが挟まってたのか。そりゃ、気持ち悪いよな。
『タツヤさ、さっきから、何やってるんだ? その剣を取りに来たのか?』
ダニロが、不思議そうにしている。
『あ、いや。まさか剣が出てくるとは思わなかったんだけど……まあ、これで用事は完了だ』
僕は剣を拾った。やけに豪華な装飾が施された剣だ。
これなら小学生が持っていても、オモチャぐらいに思ってくれるだろうな。
……いつぞやの金属バットのように、リュックに差しとこう。
僕は、剥き出しの刀身に、スポーツタオルと上着をぐるぐる巻きにして、リュックサックから、はみ出る感じに片付ける。
『よし! タツヤ、アヤカ! ここから先の案内は、任せてくれ!』
ガイドブックを右手に、先導し始めるライナルト。
『ああ、よろしく頼むよ!』
僕たちは、墓地を後にした。
この時はまだ、リュックサックに差したこの剣が、どういう物なのかも知らずに。




