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第四章 白銀の雫

筆者の私情により、連続連載できませんでした。すみません。

代わりに二話、連続投稿です。

「……はぁ」

 家のリビングにあるソファに腰掛けると、自然とため息がこぼれた。

 ……一体、何回目のため息だろうな。

 なんて考えるだけで鬱なりそうなほど、この一週間のうちにため息を吐いたことだろう。そして今回のため息の原因は、母さんの一言にある。

「浩之、変わりましたねぇ」

 と、つい先ほど言われたことに起因する。

 ……なぜこんなにも、サクラのことを思い出すようなことばかりが起こるのか。

 学校のプリントの件だったり、電話越しに助言されたり、今回のこれだって、俺が変わったのだとしたら、すべてサクラのおかげなのから。

「……春からでしょうか? 何かいいことでもあったんですか?」

 ふふふ、と嬉しそうにして、そう訊いてくる母さん。

 その言葉遣いは、ほとんどが敬語。

 ……母さんはもとからこんな感じだったけど、俺が色覚異常なんて厄介なものを背負い込んでからは、拍車がかかったように敬語で話すことが目に見えて増えたんだよな。

 最近はこうして『家族の会話』ができるまでに関係が回復したものの、もとからそうだったからか、どうしても敬語は抜けないのだ。

 ……にしても、どうして毎回、そこまで正確に憶えてるんだろうな。

 春からってことはその頃から急に変わったということだろうか? そんな実感はないものの、こうして母さんと普通に会話ができていることも、サクラのおかげなのだからかなり変わったのだろう。

 だけど、この状況でその話をされるのは……まさに、傷口に塩、状態なんだがな。

「……ないことはないけど、いまはその話題に触れないでくれると助かる」

「ふふ、恋ですか? まさに『青春』ですね」

 のほほんと、母さんがなんかとんでもないことを口走っている。

「違うっ!」

 即座に否定を入れてみるも、何が楽しいのかより一層、母さんは楽しそうに微笑む。

「まぁ、がんばってくださいね」

「……だから」

「はいはい。ご飯できたから、冷めないうちに食べてね」

 ふわふわと浮いているような、そんなことを思わせる口調で、話をはぐらかす。

 毎回毎回、確信に触れるような切り出しから始まって、俺が反応するなり、何かをしようとするとすぐに話を切り上げる。そして、こちらにそのことを意識させて、それについて自分で考えさせてくる。

 ……それを天然か、計算してやってるかは、わからないんだよな。

 もし後者なら、何とも恐ろしいものである。

 なんて考えている自分にため息を吐きながら食卓に着くと、両手を組んでその上に顎を乗せている母さんと目が合った。

「――それで、相手はどんな子ですか?」

「……って、まだ続けるのか?」

 げんなりしつつも訊き返すと、

「はい。面白そうですから」

 と、満面の笑み。

 眩しいほどのその笑顔に若干、頬が引き攣るものを感じつつ、諦めるべきだと判断する。……はぁ、駄目だこりゃ。こうなったら話すまでこの話題が続くんだろうな、と。

 なんて苦笑しつつ、箸を取って夕飯に手をつけ始めた。

 テレビで流れている天気予報では「今夜は雪が降るかもしれません」と、アナウンサーが満面の笑みで話している。それを無感情に眺めながら夕飯を口に運んでいく。

 サクラ、泣いてないだろうか。

 『雪』という単語を聞いて、樹の下に一人でいるであろうサクラのことが脳裏をよぎる。彼女はあれでもかなりの寂しがり屋なので、一週間も一人にしてしまっているから、今頃は一人で泣いているかもしれない。

「……いま、好きな子のことを考えていましたね?」

「…………」

 なんというか、心の中を覗かれているような気がする。

 魔女か何かの末裔じゃないのか? という疑いの眼差しを向けると、母さんは面白そうに、じっとこちらを見つめ返してくる。

「それで、ここ最近……一週間くらいですね? その相手と、喧嘩でもしましたか?」

「…………」

 ここまで正確に言い当てられてしまうと、本当に怖いし、何とも呆れる。

 俺の行動のすべてを把握している……なんてことはないだろうし、心を読まれている可能性は……精霊が存在する時点で、ありえるのか?

 こちらの反応に満足したのか、ふふ、と微笑んで、母さんは種明かしをしてくれる。

「正確に言い当てられる理由は簡単ですよ? 浩之はすぐ、感情が表に出ますから」

「……そうか?」

 これでも、できるだけ感情は表に出さないように心掛けているつもりなんだが。

「……はい、と言っても、浩之の様子を見ていれば普通にわかりますよ。浩之は感情を隠しているつもりでしょうけど、私にはバレバレ、です」

 家族ですから、と妙に納得のいく理由を提示してくれた。

「これで種明かしは終了です」

 ぱち、と笑顔で両手を合わせると、母さんはふっとその表情を優しいものへと変えた。

「……それでもしも、浩之が好きな人……大切だと思っている人と喧嘩をしたのなら、しっかりと謝って、仲直りをしてください。何があったのかはわかりませんけど、それがその子にとっても、浩之にとってもいい結果につながるはずです」

 絶対に、後悔だけはしないようにしてくださいね、とまで言い添えてくれる。

 ……やっぱり、そうなるんだよな。

 結局のところ――仲直りしなければ後悔する、という部分だけは変わらない。仲直りをしなければ問題を解決するどころか、何もできないのだから。

「……ありがとう」

 これで決心がついたよ、と母さんに告げる。

 ……どんなことがあろうとも、最後までサクラと一緒にいる、と言う決心が。

「ちょっと出かけてくる」

「……はい。行ってらっしゃい」

 母さんは何も言わずに、そう微笑みながら送り出してくれた。




 決心を鈍らせないためにも、すぐに『白雪』へと向かう。

 それ自体には何も言うところはないのだけれども、明かりになるものを持ってくるのを持ってくりゃよかったな、と後悔し始めている。

 なにせ、向かうのは森の中。

 ただでさえ獣道、と呼べるかも怪しい道を通ったりするのに、明かりなし、とは『若干』方向音痴な俺にとっては無理難題と言ってもいいかもしれない。

「……でもまぁ、行くしかないよな」

 さっきから雪もちらついてるしな。

 雪の中、夏服のように薄手の服にコート一枚ではさすがにつらいだろう。それにこのまま引き返したら、絶対に許してもらえなくなるような、そんな気がする。

 記憶にある『白雪』までの道のりと、どうにか見える獣道を照らし合わせていく。

「……雪、か」

 真っ白な雪がふわふわと、視界の端をゆっくりと降りてくる。

 喧嘩する前なら、心を動かされたかもしれないな。

 けど、こうして色の欠けている瞳を通して見ると、感情が揺らぐことはない。……ただ漠然と、雪が降っている、と『認識』することしかできない。

 瞳に映る色と、感情の機微が比例しているかのように、色が欠ければ欠けていくほど、感情が失われていくように感じることすらある。

 ……さすがに、気にしすぎだろうけど。

 なんて馬鹿らしいことを考えていることに、苦笑してしまう。

 この色覚異常の原因は、医者の話によると、過度なストレスなどの精神的なものらしい。つまりは、俺の感情に比例して色の見え方が違うようなもので、間違っている、と断じることができないのが怖いところでもある。……ない、よな?

 そんな白と黒に彩られた世界に、サクラは色を与えてくれた。

 感情と色、それらが比例するというのなら、彼女のおかげで感情が戻ったことになる。

 母さんとの関係が回復したのも、周囲に馴染み始めているのも――すべては、サクラが世界に色をくれたから。

「……本当に、すごいよな」

 たった一人の少女のおかげで、再び『日常』を歩むことができている。

 そしてその日常の中心にいるのは、サクラ。

 こうして俺がここにいるのも、日々を過ごせているのも、怒りを感じているのも、悲しく思っているのも……すべて、サクラが原因なのだから。

 ――『白雪』と一緒に消えていなくなる?

 はっ、知るかよ、そんなこと。

 受けた恩を返すまで、絶対に離れてなんかやるかよ。もしいなくなる、って言うんなら、最後まで話し相手にでもなってやる。


 ――話せるわけない。話したら会いに来てくれなくなる。


 ――でも、この子が枯れることも、私が消えることも、私にはどうしようもない。


 ――私だって、私だって消えたくないんだよ。


 あぁ、思い出すだけで嫌になる。

 信頼されてなかった?

 どこがだよ。

『ずっと一緒にいたい』

 最初っから、サクラはそう言ってくれてるじゃねぇかよ。

 それなのに疑って、勘違いして……ふざけんな、俺。

 自身への怒りをふつふつと煮え滾らせながら、通いなれた獣道を抜けると『そこ』にようやく辿り着く。

けれど最初、俺は道を間違えてしまったのかと、そう思わずにはいられなかった。

 そこにあったのは、俺の知っている桜の大樹ではなかったのだから。

 満開の桜の花を咲かせているわけでも、青葉を茂らせているわけでも、葉を散らした樹があるわけでもない。

『……知っているかの、なぜ桜の樹なのに『白雪』と呼ばれているのか』

 いつだったか、小さい頃に近所のおばあさんに聞いた話が蘇る。

 それは『白雪』と呼ばれるこの樹の、銘の由来。

 初雪のときにだけ、かの大樹は花を咲かせるらしい。――雪のように白い、白銀の花を。


 ――そこにあったのは、純白の光に包まれた一本の樹。

 そこに咲くのは、白雪が集まってできているかのような、白銀の花々。

 その雪の花びらが煌き、風に舞うように、純白の花びらが光の雫となって散っていく。


「――やっときた」


 鈴の音のような、凛として透き通った声。桜色の髪とともに、桜の髪飾りが揺れる。

 白銀の花々を咲かせる『白雪』の下に、彼女は膝を抱えるようにして、こちらを見つめていた。その宝石のような紫色の瞳には涙をためて、嬉しさと寂しさを混ぜたような感情を宿している。

 目元が赤く腫れている様子からして、ずっと泣いていたのだろう。

 そうさせたことに歯噛みするも、そんなことをするためにここに来たのではない。

「……ひろゆき、本当に、遅いよ」

 呟きとともにサクラの頬を、一筋の涙が流れていく。

 その姿は儚げで、初めて彼女の後ろにそびえる大樹を見たときを思い起こさせた。

「……本当に、ごめん」

 深く頭を下げる。

 一緒にいるためなら何でもする、そう心を決めてきた。誠心誠意、言い訳もなにもせず、許してもらえるまで心から謝り続ける。

 俺はそれ以外に仲直りの方法を知らないし、他にいい方法があるとも思わない。

「……ひろゆきは、一体、何をしていたの?」

 ぐずつきながら、こちらをしっかりと見据えて訊いてくる。

「……ずっと、迷ってた。悪いのは俺だってことは理解してて、ここに来ようともした。けど、そうするとあの話を思い出して……情けないことに、怖くなった。サクラと一緒にいられなくなることが怖かった」

 この子と一緒に消える、そう告げられたとき、足元が崩れていくように感じた。

 初めてできた大切な場所。

 それがなくなると知って、俺は冷静でいられなくなった。サクラがいなくなったら、きっとまたあの色の世界に戻る、そんな確信があったから。

 ……それで意味もなく、怒鳴り散らして、サクラを傷つけた。

 だけど――

「……私も、私も怖かったよ。ひろゆきが私のことを嫌いになっちゃったかもしれない、もうきてくれないかもしれない……ずっと、そう思って……怖かったんだよ?」

 サクラは羽織っているコートの裾を震える手で握りながら、心情を吐露してくれる。

 ……やっぱり、俺って馬鹿だよな。

 ――俺なんかよりずっと、サクラのほうが苦しいに決まっているのだから。

「……謝って済むような問題じゃないのはわかってる。許してもらえないかもしれない、けど本当にごめん。二度と、こんなことはしないから、許してくれ」

 つたないながらも、心から思っていることを言葉にしていく。

「……ほん、と?」

 サクラは涙のたまった瞳で、こちらを見つめる。

 そこには、信じられないという感情と、信じたいという二つの感情が混ざっている。

「……俺なんかに何ができるかはわからないけど、やれることは精一杯やってみる。もし何もできなくても、最後までサクラと一緒にいる、って決めて――」

 ふわり、と。

 すぐそばで桜色の髪が揺れて、気づけばすぐそばにサクラがいた。

「……ひろゆきは、私を嫌いに、ならない?」

 すがるように、支えを失わないように、サクラは瞳を不安に揺らして見つめてくる。

「ああ、当たり前だろ。俺はサクラのことを嫌いになったりはしないよ」

 サクラほど、誰かを大切に想ったことはないのだから。

「……本当、ですか?」

「本当だよ。……もし、嫌いになっていたら、ここにいない」

 サクラは、じぃ、とこちらの真意を探るように、瞳を覗き込んでくる。

「……嘘、じゃないですか?」

「ああ」

「…………信じても、いい、ですか?」

「そうしてもらえると助かるけど、サクラが決めてくれ」

 判断をサクラにゆだねると、ふふ、と微笑んでから、悩むような仕草を見せる。

 しばらくして、サクラは先ほどより嬉しそうな表情に、いたずら好きな子どものような色を映して、

「……ひろゆき。私を嫌いにならないでくれて、本当に――ありがとう」

 ぎゅっ、とサクラが俺の体に手を回して、抱きついてきた。

 そのサクラらしからぬ、大胆な行動に虚を突かれて固まっていると、彼女はそのまま、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「……私は、ひろゆきと一緒にいると、楽しかった。私が消えても……その気持ちだけは、本当のことだから、あなたと出会えて、初めてこんなに嬉しかった。だから――」


「――ありがとう」


 サクラの頬を伝う涙は、白銀の花々の光を受けて銀色の雫となり、落ちていく。

 こちらに抱きついたまま、嬉しそうな、見ているだけで幸せになれるような笑顔を見せてくれた。




 春の暖かい陽光の中、俺はいつものように『そこ』にいた。

 桜も蕾を膨らませて、そろそろ花を咲かせるかな、と思わせる季節になっている。

「……もう、春だな」

 蕾を膨らませている『白雪』を見つめつつ呟くと、感慨深いものがある。

 ――『彼女』と出会ってから、もう一年ほど経つのだから。

 長いようで短い、本当にそう思わせる、懐かしくも楽しい一年間だった。

「――春、ですね」

 俺の呟きに応えるように、隣から澄んだ声が聞こえる。

 そちらに目を向ければ、桜色の透き通った長髪が陽光を受けて輝いていて、そこに桜の髪飾りが映えている。

 サクラはこちらの視線に気づいて振り向くと、宝石のような紫色の瞳に俺を映した。

「…………」

 サクラは何も言わずに、じっとこちらを見つめてくる。

 それに居心地の悪さを感じつつも、彼女が何か大切なことを言おうとしていることだけはわかるので、こちらも何も言わずに待つことにする。

 一年も一緒に過ごしているからか、サクラの考えていることは嫌というほどにわかる。

 ……もとから、サクラがわかりやすかったからな。

 と、心の中で苦笑しながら呟いておく。

「……あ、あの、いい天気……です、ね」

「そうだな。雲一つない快晴、って感じで」

「は、はい。えぇと……」

 サクラの言葉に応える、すると言葉を探して黙り込んでしまう。

 ……さっきから、この繰り返ししかしてないな。

 何かを話そうとしている、けどその話をうまく切り出せない。

 サクラなりにタイミングを計っているのだろうけど、それが相手に伝わっては意味がないような気しかしないんだよな。

 話そうとしている話の内容には、大体の見当はついている。

 ……けど、それはサクラの口から聞かないといけない。

 そうしなければ意味がないし、サクラのここまでのがんばりを無駄にするのも嫌だから。

「……ここで、初めて会ったときのこと、憶えていますか?」

 すぅ、と息を吸ったかと思うと、意を決したように話し始める。

「ああ、憶えてるよ。あのときはサクラが急に隠れたり、不思議な人、って言われたり、どう反応すりゃいいんだよ、って困った気がする」

「……あぅ、ごめんなさい」

 サクラも思い出したのか、顔を赤くしてうつむく。

「それで、次に会ったら『私はこの樹の精霊です』とか言い出して、信じられなかったな」

「……それが普通、ですよ。最初から信じられていたら、逆に警戒したと思う」

 ほんわかとした穏やかな表情で、嬉しそうにサクラは語る。

「そうかもな。……それでも、一緒にいるようになってから、気づけばあの話も信じてたんだよな。サクラは本当にこの樹の精霊なんだな、ってさ」

 そう信じられるようになったのは、一体いつからだったろう。

 その答えはもう記憶の彼方、思い出すこともないかもしれない。

 けど、サクラが精霊である、ってことは、記憶に深く刻まれている、揺るがない真実。それだけでいいだろ、とどこか納得している自分に、呆れてしまう

 サクラも俺の呟きに、嬉しそうに微笑んで空を――『白雪』を見上げた。

「……本当のことを言うと、あのとき、私は怖かったんです。……精霊だって話しても、信じてもらえないかもしれない、信じるふりをしてまた裏切られるかもしれない、って。――でも、ひろゆきは違った」

「…………」

「ひろゆきは、私の話を笑わずに真剣に聞いてくれた。……それだけでも嬉しかったのに、それからも普通に接してくれて、ずっと一緒にいてくれた」

 そう思い出を語るサクラの表情は、とても楽しそうだった。

 ……けど、俺にはそれがどこか無理をして、楽しそうにしているように思えてしまう。

「色んな話をしたり、一緒に遊んだり、ひろゆきと出会ってから、毎日が楽しくなった」

 そこまで話してから、そっと寂しげな微笑を浮かべる。

「……でも、ひろゆきと一緒にいて楽しい、って本当の意味で気づいたのは、喧嘩をして会えなかったとき。……一人でいるのが寂しくて、楽しかったんだ、って気づいたの」

「……ごめん」

「大丈夫だよ。それで私は本当の気持ちに気づけたから、」

 ふっと、サクラは言葉を切って、こちらに顔を向ける。


「……ひろゆきと一緒に過ごせて、私はとっても、とっても――幸せでした」


 と、サクラは満開の笑顔を咲かせ――た、わけがない。

 ここで本当に幸せそうに笑っていたなら、俺も素直にその気持ちを受け取ったと思う。けど、泣きそうになりながら、悲しげな笑顔を浮かべて、幸せでした、なんて言われても、説得力あるわけないだろ。

 精霊である以前に、どこまでも純粋で、寂しがり屋なんだよな。

 ……付け加えんなら、どこまでも嘘が下手、ってところか。

「……もういい」

「……え?」

 俺の言葉に、サクラは困惑した表情で固まる。

 そりゃそうだろうな、騙し通せてる、って思ってるんだろうから。

「……もう、無理して笑わなくても、いいから」

「む、無理なんかして――」

「……俺はもう、サクラのそんな顔は見たくないんだよ」

 悲しそうな表情をするところも、泣いているのも見たくない。

 ……けどそれ以上に、その感情を押し殺してまで無理をして笑っている姿なんて、誰が見たいと思うんだよ。

 サクラの頬を、美しいとさえ思える涙が流れる。

「……なん、で、そんなこと、言うの?」

 消え入りそうな声。

 きっとサクラはその答えをわかっている。だから、俺は何も言わない。

「……私、消えたく、ない、よ。……消えたくなんて、ない、よぉ」

 堪えきれなくなったのか、涙とともに本心を明かしてくれる。

 抑えるように、胸の前で手を重ねて言葉をゆっくりと、たどたどしくも紡いでいく。

「……ずっと、ひろゆきと一緒に……ぅ、いたい、よ」

「ああ」

 泣きながら必死に想いを伝えようと言葉を紡いで、それに応えるように頷く。

「……まだ、やりたいこと、いっぱいある、から……」

「俺だって、一緒にやりたいことがたくさんあるし、一緒にいたい」

 サクラと一緒に、この森から出たことはないのだから。

「そうだな。……一緒に街に出たり、色々な場所に行ったりしたいな。学校の案内とか、本物の打ち上げ花火を一緒に見に行く、ってのもいい」

 言葉を探しながら、思いつくことを片っ端から上げていく。

 一緒にやりたいことは数え切れないほどあるし、それを何一つ、終わらせていない。

 サクラは俺の言葉に、嬉しそうな笑顔を見せる。

「……ありがとう、ひろゆき。これでやっと――決心がついたよ」

「……決心?」

「……うん。ひろゆきとお別れする、決心」

 そうサクラは寂しげに微笑みながら、告げる。

 ……やっぱり、そうだよな。

 わかっていたこととはいえ、こうして言葉にされると本当なんだな、と理解させられる。覚悟はしていたつもりだけど……結構、つらいな。

 サクラはおもむろに立ち上がり、そっと労わるように『白雪』の幹に触れる。

すると、淡い桜色の光が大樹を包む。

「……これから、ひろゆきに最後の贈り物をします。どうか、受け取ってください」

 サクラの想いに呼応するかのように、『白雪』を包む光が輝きを増す。

 ざぁ、と風に揺られて、視界を埋め尽くすような桜色の花吹雪。

 そうして『白雪』の蕾が一斉に花開き、青空を覆い尽くすかのように咲き乱れていく。すべての花が開き切ると、空をどこまでも美しい桜色に染め上げる。

 それは俺が人生で見たどんなものより美しく、儚げで、綺麗だった。

 花が咲くのを確認するように見つめていたサクラは、そっとこちらへと目を向ける。

「……私にできることは、この子に花を咲かせること。それだけだから、最後の贈り物はやっぱり満開の桜に――ひろゆきが好きだと言ってくれた『桜』にしましたっ!」

 瞳の端に涙を浮かべながらも、満開の桜を見せつけるように両手を大きく広げて、サクラは今度こそ満開の、いままでで一番嬉しそうな笑顔の花を咲かせていた。

 それは『白雪』の花のように美しく、儚げな笑顔。

 けど、その笑顔は俺の知っている彼女の笑顔の中で、一番嬉しそうで、輝いていた。

「ひろゆき。いままで本当に、ありがとう。私はひろゆきのことが――」

 サクラは微笑み、それと一緒に彼女の体も『白雪』と同じ光に包まれる。


「――大好きでしたっ!」


 それは彼女の、心からの言葉。

 どこまでも純粋で、素直な気持ち。

 彼女の表情には一切の心残りはないように、俺の瞳には映った。

「……ああ、これで、本当に心残りなく消えられる」

 どこか安心したような表情で、サクラはそう呟きをこぼす。

 その呟きとともに、彼女を包む光が眩しいほどに輝きを増していく。

「……本当に、お別れ、みたいだね」

 自らの体を包む光を見て、寂しそうに微笑む。

「……そう、だな」

 引き止めそうになる衝動を、俺は歯を食いしばって堪える。

 ここで引き止めたら、彼女の決心を鈍らせることになってしまう。

「それじゃ、最後にこれを渡しておくね」

 サクラはそう言いながら、おもむろにずっと付けていた桜の髪飾りを外した。

「これを見たら、私のことを、少しでいいから思い出してください」

「……っ、思い出すも何も、俺はサクラのことを忘れない」

「……ありがとう」

 サクラは俺の手のひらに、そっと髪飾りを置いた。

 その髪飾りは仄かに熱を宿していて、彼女の想いが込められているような気がした。

「……最後に一言、いい?」

「……なんだ?」

 最後、という言葉に心が痛むけれど、無視する。

「ひろゆきは、ずっと優しいひろゆきのままで、いてね」

 優しい微笑みを浮かべて、そんなことを言ってくる。

「……なんだよ、それ。そんなこと言うなよッ!」

「ふふ、すみません」


「――さようなら、ひろゆき」


 彼女の表情は、嬉しそうな微笑み。

 サクラは桜の花が散るように『白雪』とともに、その姿を散らしていった。

 そして、そこに残されたものは樹齢五百年を超える大樹の生えていた大きな切り株と、一人たたずむ俺だけ。

 彼女たちの最期を見届けてから、形見のように残された髪飾りを胸に抱いて、

「……ありがとう、サクラ」

 と、彼女の笑顔を思い浮かべながら、呟いた。


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