プロローグ 『白雪』
そこには、一本の桜の樹があった。
雪のように儚くも、美しい花を咲かせる桜の古樹。
軽い気持ちで足を踏み入れた森の中で道に迷い、適当に歩いていたら辿り着いた場所に、その満開に花を咲かせた桜の樹はあった。俺が両手を広げても届くかどうか怪しい太い幹に、遥か彼方まで、と表現したくなるほどに高くまで伸びる梢。その周辺には木々は生えておらず、その樹だけが異様に孤立している。
そして、花を咲き誇らせるその樹の根元には、先客がいた。
桜色、と表現するのがふさわしい髪を背中に流して『彼女』は胸の前で手を組みながら、祈るようにどこか優しい歌を歌っている。雪のように白い肌に整った顔立ちはどこか幼さを残しており、彼女の口から紡がれる美しい旋律に合わせるように、周囲から木々の葉擦れの音が重なり、きれいな重奏を奏でていた。
「……『白雪』」
それは、俺の眼前にそびえる桜の銘。
この辺りではそう呼ばれている、樹齢五百年を超えるとされる山桜だ。
けれどこの桜があるのが森の奥深くであることと、その森が迷いやすい地形をしていることもあり、まるでお伽噺に出てくるような存在として語り継がれている。
……本当にあったんだな。
昔、近所に住んでいた物知りなおばあさんに聞かされたことがあり、知ってはいたものの実在するとは思ってもみなかったものだ。
なんて考えながら樹を見上げていると、ふっと歌声が途切れる。
視線を樹の根元――先ほどまで歌っていた少女へと向けると、ちょうど開かれた瞳と目が合った。
「……え?」
彼女は宝石のような紫色の瞳で、きょとん、とこちらを見つめてくる。
その瞳には、本来なら存在しないはずのものを見つけたような、そんな感情を思わせる色が映っていた。
「「…………」」
お互いに見つめ合ったまま、無言。
少女は呆然とこちらを見つめてきて、それに対してこちらもその紫色の瞳を見つめる。
……一体どれくらい、俺たちはそうしていただろう。
長い、永い時間、そうしていたような気もするし、ほんの一瞬だったのかもしれない。そして、先にその沈黙を破ったのは少女だった。
「……あ、え?」
一目で戸惑っていることがわかる。
彼女の表情には、やっとのことで驚きの色が浮かんできて、彼女の発した第一声は、
「――に、人間?」
と、驚きと戸惑いの入り混じる、なんとも反応に困るものだった。
はじめまして。月桂といいます。
書き始めから今年で二年目、まだまだ新米の域を出ない物書きです。拙い文章ですが、誰か一人にでも「この物語、好きだな」と思っていただければ幸いです。
……それと、短編で提出しようと思ったのですが、微妙に長いので連載とさせていただきました。
*変更点
改行後、一つずつ開けさせてもらいました(こちらのミスで、なかったので)。