14
翌日の午後、馬車の支度ができた、とのことで、正面玄関へと向かう。
領主たちと挨拶を交わし、世間話などをしているところに、駆けこんでくる姿があった。
「アルマナセル様!」
見ると、パッセルが息を荒げて立っている。
「パッセル殿? どう……」
「今日は午後のお茶をご一緒してくださるお約束だったではないですか!」
投げつけられた言葉に、数度瞬く。十数秒して、ようやく、前日の会話を思い出せた。
「お忘れだったのですか?」
「ああ、いえ、その、申し訳ない。今日も仕事がありまして」
酷くがっかりしたような、非難するような視線に、怯む。
アルマは、同年代の同性の友人、というものがいない。まして年下となると、関わったことすらなかった。
この少年にどう対処していいのか、想像もできない。
更に、パッセルが何か言い募ろうとしたときに。
「どうしたのかね、パッセル」
傍らから、アルデアが近づいてきた。
「父様……」
「伯爵、その」
しかし、パッセルはかなり大声を上げていた。既に事情は察していたのだろう。
「お客人に我儘を言うものではない。アルマナセル殿は大事なお役目でいらしているのだ。ききわけなさい」
「だって……、お約束を」
礼儀正しいもてなし役ではあるが、パッセルにとっては厳格な父親なのだろう。力なく、そう呟く。
しかし、無言でじっと見下ろされて、とうとう耐えられなくなったか、突然踵を返して走り去った。
「これ!」
アルデアが叱責するが、足を止めない。数秒それを見送った後、伯爵はアルマへ向き直った。
「不肖の息子で申し訳ない、アルマナセル殿。ご迷惑をおかけした」
「いいえ、私も、お約束を軽くし過ぎました。ここしばらく時間がないことは思い至ってもよかったものを」
互いに謝罪しあったところで、父親が小さく笑う。
「あれは、先日貴公にお会いしてからというもの、その話しかしていない始末だ。よほど嬉しかったのだろう。私からきつく叱っておきますので、いずれ時間が空いた時に少し話してやってくださらないか」
「それは構いませんが」
おそらく、訝しい気持ちが表に出ていたのだろう。
「どうか?」
「いえ。……何故、私と会って嬉しいのだろうと思っただけで」
アルデアにまじまじと見詰められて、少々身の置き所がない気分になる。
「カタラクタでは、〈魔王〉アルマナセルは英雄として尊敬されているのですよ。国と国とがぶつかるような戦は、あれ以来三百年なかった訳ですし。若者たちは、その英雄譚に血を騒がせ、姫君たちは王女との恋物語に胸をときめかせる。正直、私も初めてお目にかかった時には、平静であったとは言い難い」
彼の説明に、内心唖然とする。
そんな風に見られているなどと、思いつきもしなかった。
だが、そうすると、先日の舞踏会で自分に群がってきた貴族たちの態度にも合点がいく。
あの、違和感を覚えずにはいられなかった、彼らの友好的な視線に。
「それは……、光栄です」
とりあえず無難にそう返す。全く実感はないが。
「そのご様子では、お国ではそうでもない?」
するり、と、滑らかに、しかし鋭く切りこまれる。
「三百年の間、向こうでは色々ありましたので」
が、アルマは簡単にそれをかわした。
僅かに眉を上げただけで、アルデアは振り返った。
「もう我々だけのようですな。参りましょうか」
頷いて、二人は馬車に向けて歩き出した。
モノマキア領主の狩猟場は、馬車に乗って一時間ほど行った先にあった。
街からやって来ていたウィスクムや郷司たちと合流する。
護衛を、馬車や御者と共に、かなり下がらせた。ドゥクスら火竜王兵たちが、威圧的にそちらに同行する。この地方の権力者のみが、この場に残った。
その地形は、カタラクタとしては典型的な、なだらかな丘が連なる形だった。所々に木立はあるが、森、というほど木々は密集していない。
「どれぐらいの広さが必要ですかな」
「おそらく、ここで何とかなるでしょう」
尋ねられて、グランが自信たっぷりに答えている。
雑多なざわめきが、グランに促されてクセロがふらりと離れていくのに気づいたか、徐々に小さくなっていく。
隣に立っていたペルルが、アルマのマントを引いた。視線を向けると、小さく背伸びをし、唇を寄せてくる。
「気をつけて、アルマ。地竜王様は、一切手加減をなさらないおつもりだわ」
「用心しましょう」
囁いて悪戯っぽく微笑む少女に、小さく返す。
数十メートル離れたところで、ぴたりとクセロは足を止めた。
遠くから、雷の音が聞こえてくる。
この季節に、と訝しく思って空を見上げた。
薄い雲が空の殆どを覆っている。だが、広く見渡せるどこにも、雷雲の気配はない。
また、雷が鳴る。
不安そうに、貴族の男たちは周囲を見回した。近くに建物はなく、雷雨を凌ごうとすると、馬車まで戻るしかないのだ。
しかし、次の瞬間、まるで突き上げられるかのように、大地が揺れた。
そう、あれは、雷ではない。地鳴りだ。
貴族たちが、転倒したり、尻餅をついたりして、次々に地面に這いつくばる。
悲鳴やうろたえた声が上がる中で、竜王の巫子たちと、アルマのみが平然と立ち続けていた。
……実は、地震だけが理由ではない。彼らが立っている周囲だけ、ほんの少しの幅で重力が小刻みに変動しているのだ。
それによって、人々はますます立ち上がることが困難になっている。
勿論、巫子たちはその範囲から外れているのだが。
地竜王も芝居がかったことが好きになったなぁ、と、密かに感心する。
やがて、轟音と共に、クセロのすぐ真横で広範囲に土埃が舞った。
吹きつける風に、貴族たちが砂塗れになって咳きこむ。
そして、その土埃が晴れた時には。
体高二十メートルは下らない巨大な姿で、地竜王が顕現していた。
カタラクタの民が、呆然と、異形の竜王を見上げる。
薄曇りだった雲が風に散った。やおら差しこんだ明るい陽光が地竜王の背に生える巨大な水晶に反射し、虹色の光が瞳を射抜く。
黄金色の瞳が、ぎょろり、と周囲を睥睨した。
砂粒一つ身に纏わず、素知らぬ顔で、オーリが滑らかに一礼する。グランも、胸に手を当てて頭を下げる。ペルルが聖服の裾をつまみ、優雅に膝を曲げた。
アルマは、一人、傲然と立つ。彼は〈魔王〉の血を引き、世界で唯一、竜王に膝を折らない家系の生まれだ。
土の上に蹲り、頭から砂を被った誇り高き貴族たちは、意味をなさない言葉を呻きながら、ただそれを見上げている。
「さあ、お望みの地竜王エザフォスが降臨だ。存分に、服従の意を示すといい」
満足そうに笑んで、クセロがそう言い放った。
最も早く立ち直ったのは、歳の功か、サピエンティア辺境伯だった。顔を上げ、じっと竜王を見詰める。
「地竜王、であらせられるか」
異形の竜王の口が開く。鋭い、巨大な牙から、この距離であっても視線を剥がせないでいるようだ。
『うむ。我が地竜王エザフォスじゃ。皆の者、大儀である』
周囲の空気をびりびりと震わせる声に、殆どの者が身を竦める。
一般の民は、そもそも通常竜王が高位の巫子以外に声を発しないことを知らない。
竜王が顕現される場に居合わせることなど、ほぼあり得ないのだから。
それでも、貴族たちの表情は畏怖に溢れていた。竜王との戒律を知る者である水竜王の巫子、ウィスクムは、目に見えてがたがたと震えている。
『うぬらが龍神と戦う者らか。あやつは慈悲を持たず、容赦を知らず、節度を弁えぬ。解放されれば、即座に欲望と衝動のまま、世界を蹂躙するであろう。樹々を枯らし、河を干上がらせ、獣は飢えて倒れ、その腐敗が地に満ちるであろう。親は潰され、子は裂かれ、人という種は完全に消えうせることとなろう。それを阻もうとは、さぞかし皆、勇者揃いであることよの』
地竜王の言葉に、不安げに視線を交わす。
「わ……、我々は、指揮官となる者だ。直接、龍神と戦うことは」
慌てたような声が漏れて、尻すぼみに消えた。
くつくつと、含み笑いが響く。
『そう怯えることはない。龍神と直接対峙するは、まず我らが巫子と〈魔王〉の子だ。我ら竜王は巫子たちに全面の信頼を置いておる』
無表情を保つ訓練、というのはやっておくものだ、としみじみ考える。
『ぬしらが戦うは、龍神が配下の人間どもじゃろう。あやつを崇拝し、その手足となって動く者の力を削ぐことは、充分龍神の力を減らすこととなる。殺すも誑かすも、好きにせよ。只人相手じゃ、余裕であろう。じゃが、ぬしらが役目を果たせぬならば、巫子は斃れ、我ら竜王が再び奴と戦わずをえぬようになる。ならば、おそらくこの大陸の大半が海に沈むこととなろうな』
凄みを増した声で告げられて、貴族たちは一様に青褪めた。
ゆっくりと、地竜王が一同を見渡す。
『我ら四竜王と、その高位の巫子たちは、ぬしらに多くの期待をしておるのだ。龍神が復活を阻み、それを滅殺するために、ぬしらの末永い幸福と繁栄のために、全身全霊をもって励むがよい』
地竜王の姿が消えてしばらく、今度は後方から地響きが近づいてきた。
放心していた貴族たちが、びくりとして振り返る。
「旦那様!」
「ご領主様、ご無事で!」
しかし、向かってきていたのは、下がらせていた馬車や護衛たちだった。口々に自分たちの主人を呼びながら突進してくる。
最後尾で、ゆったりと馬を進めてくるのは火竜王兵だ。一行の傍まで来ると、ドゥクスがひらりと下馬する。
「何か問題があったか?」
「地竜王さまは、実に説得力のあるお方ですからね。もう少し声を張り上げたら、アエトスまで届くのではないかと思いましたよ」
さらりとドゥクスがとぼけてみせる。
「それは困るな」
イグニシアの王都まで存在を主張しかねなかったことに、素直にグランが感想を返した。
「地竜王を見て、逃げ出す者たちはいなかったのか?」
少しばかり感心したように、オーリが問いかけた。
「幾らかは試みようとしたようですな。ですが、そのような振る舞いを見逃す訳には参りません。忠義に悖ります」
素知らぬ顔で、ドゥクスが返答する。
「お前は本当に役に立つ男だな」
僅かに笑みを浮かべて、グランが言う。うやうやしく、竜王兵隊長は身を屈めた。
その日、彼らは早々に逗留先へ引き取った。
賓客であるサピエンティア辺境伯とスクリロス伯爵とは晩餐にも顔を出さず、やや寂しげな雰囲気で過ぎた。
時折、アルマはパッセルからの視線を感じたが、彼が見返すと少年はすぐに目を逸らせていた。アルマとしても、彼にどう対処していいか判らず、そのままだ。
酷く疲れた気分で、部屋へ帰る。今日は早めに休んでしまおうかと上着を脱ぎかけたときに、扉が叩かれた。
居間に着くと、竜王の高位の巫子たちに混じって、モノマキアの領主が談笑していた。
「これはアルマナセル殿」
「伯爵」
一礼して、椅子に腰掛ける。
「おくつろぎのところをお邪魔して、申し訳ない」
形ばかり、アルデアが詫びる。
「晩餐の場では話せないことでも?」
抜け目なく、オーリが水を向ける。
「大したことではないのですけどね。今晩、我が来客が自室に引き篭もっていたでしょう」
意図が読めずに、曖昧に頷く。
「彼らだけではありませんが、街の門が閉まる前に出発した早馬は、十三組あったそうですよ」
「……ほぅ」
グランが、低く、呟いた。
「軍を動かすのなら、どれほどの人数を性急に集めることができるかが大切ですからね。知らせが戻ってくるまで、まあ三日はかかるでしょうから、こちらはあまり急がなくてもよさそうですが。残りの何人かは、よほど肝が太いのか、又は今頃寝台に潜って震えているかのどちらかでしょう」
小さく笑い声を漏らしながら、アルデアは続ける。
地竜王に拝謁した今日、この領主が他の者たちのように全く慌てていない、ということは、既にその準備は終えてしまっている、ということだ。
地竜王の実在を確認するまでは信用できない、と告げていたにも関わらず、先に打てる手は打っている。
なるほど、グランがこの地を選んだ訳である。
「まあ、こんな時間にお邪魔したのは、他に用事もあったのですよ。アルマナセル殿」
半ば自分の考えに耽っていたアルマは、ふいに声をかけられて我に返った。
「これから数週間は、我らは忙しくなるでしょう。軍を編成し、進行計画を立て、補給の算段をつけなくてはなりません。現状、三家の領主とその配下のみが協力すると仮定しても、カタラクタでは近年なかった規模です。今後、更に賛同者が増えることを望むならば、更に決定すべきことは増える」
「はい」
殆ど意見を発することはなかったが、アルマは一応イグニシア王国軍で司令部に属していた。その繁雑さは見知っている。
「故に、これから数週間、午後は殆ど潰れることになります。ですので、お茶会は午前中に催すことになりました」
「………………は?」
穏やかに笑んでそう知らされて、アルマが小さく声を漏らす。
「しばらくの間、夜会などは控えますし、午前中でも支障はありませんね? こちらは皆様朝が早いと聞いておりますし」
「いやあの伯爵?」
唖然として相手を見返す。
「これから忙しくなる、というのは、貴方の認識ですよね? 更にその上、ですか?」
「勿論、連日とは申しません。彼らもそのうち飽きるでしょう。息子には、これ以上失礼をしないようにときつく叱っておりますし。勿論、他の皆様もご参加ください」
とばっちりを受けて、オーリが苦笑している。
お茶会、というのは、主に女性やまだ社交界へ出ることが許されない年齢の子供を対象に催すものだ。勿論その区分は厳密なものではないし、大人の男性が参加してもとやかく言われることはないが。
アルマは何年も前から社交界へ出ているし、とりあえず名目上現在は大公の名代である。少しばかり場違いであるが、幸か不幸か、まだ若いことでごまかしは効く。
「我々が顔を出しては、皆様気詰まりでしょう。ペルル、巫子の代表として行ってくれるか?」
グランが柔らかく提案する。
「私がですか?」
ちらり、とペルルがアルマに視線を向ける。
自分に何を伝えたがっているのか判らずに、そのまま見返す。
「それは、ペルル様がご一緒頂ければありがたいですが」
この言葉は本心だ。少しは、周囲からの矛先も逸れるだろう。
それに、にこりとペルルは笑って口を開いた。
「ええ、では、お言葉に甘えまして」
「ありがとうございます、姫巫女」
大仰に礼を述べて、アルデアは引き取っていった。




