12
「よくおいでくださいました、姫巫女」
アルデアがペルルの手を取り、その甲に軽く口づける。
「お招きありがとうございます、アルデア殿」
にこやかに、ペルルが返す。
僅かに迷ったが、アルマはモノマキア伯爵夫人に手を差しのべた。躊躇った様子もなく、夫人がその上に手を載せてくる。
内心、彼女の豪胆さに感心しつつ、挨拶を交わす。彼女は好奇心に満ちた視線で彼を見つめていた。
「ようこそ、アルマナセル殿。妻はずっと君に会えるのを楽しみにしていてね」
アルデアが握手を交わしながら、そう告げた。
「まあ、だってあの伝説上の〈魔王〉のお血筋でいらっしゃるのでしょう? まさか、そのような方にお目にかかることができるだなんて、思ったこともなかったですわ」
夫人の現す感情には、侮蔑や怯みが一切ない。
彼らの家族は、あとはパッセルという名前の息子が一人。十三歳であると紹介された。少年は、興奮に目を煌かせ、アルマを見上げてきた。
一行はその後、モノマキアの領主に連れられて他の賓客に紹介される。スクリロス伯爵は愉快そうにサピエンティア辺境伯は気難しげに彼らに対応した。流石に初対面の領主たちからは、僅かに値踏みされるような視線を向けられた。
やがて、大広間に流れていた音楽が変わる。ざわめきがさざ波のように起きる中、緊張した面持ちで、アルマは傍らの少女を見つめた。
「踊って頂けますか、ペルル」
「勿論ですとも、アルマ」
にこやかに返されて、二人は手を取ったまま広間の中央へと歩き出す。同様に集まってくる人々の視線が向けられるのを自覚する。
ペルルとの一回目のダンスを死守することが、グランの厳命だった。
基本的に、最初のダンスは女性をエスコートしている者が踊るのが慣例だ。別段警戒することはないと思うのだが。
──もし万が一、領主だのその息子だの、断りにくい相手から申し込まれてしまったらどうする。奴らの協力は勿論重要だが、ペルルに必要以上に親しくされる訳にはいかん。水竜王はまずこちらの味方だということを確実に印象づけろ。もしも誰かに出し抜かれでもしたら、その角を鋸で切り落とさせるぞ──
つまりは暴力に屈した訳である。
かなり頑丈になったとはいえ、流石に鋸で切られても大丈夫かどうかを体験するつもりはない。
向かい合って、ペルルがこちらを見上げてきた。期待と不安の混じった顔に、安心させるように小さく微笑む。
ペルルはまだ十四歳だ。巫女、という立場を除いても、本当はデビュタントには少し早い。
正直、未経験者が一日で踊れるようになる訳がないのだが、昨日試してみたところ、彼女は充分な腕前を持っていた。
訊くと、フリーギドゥムの竜王宮で、若い巫女たちがこっそりとダンスの練習をしていた時期があったらしい。
舞踏会、というものに対するペルルの憧れは、その辺りからきていたのか。
巫女である以上、実際に経験することなど諦めていただろうに。
尤も、アルマもまあ似たような境遇ではある。
ダンスは、貴族として幼い頃から叩きこまれたものの一つではある。が、彼の血筋から、パートナーの申し込みをして受け入れてくれる姫君など存在しなかったのだ。
判りきったことであるから、試すことすらしなかったが。
つまり、舞踏会において女性と踊るのは彼も初めてだ。
曲が変わる。二人は、格式ばって礼を交わした。
踊っているのは、若者たちが多い。儀礼的に、領主夫妻たちも加わってはいるが。
紹介者である領主たちがいなくなり、その間に勝手に近寄ってくる郷司たちもいない。勿論ダンスの申し込みをする訳もなく、残った巫子たちはくるくると回る華やかな人々をぼんやりと眺めていた。
僅かに、オーリが身を屈める。
「アルマに命令したのは、本当に牽制のためだったのかい?」
何のことだ、と言いたげにグランは片方の眉を上げた。
「いや。微笑ましいなぁ、と思っただけだよ」
素知らぬ顔で続けたオーリに、幼い巫子は溜め息をついた。
「……少々の役得があったところで、誰も怒りはしないだろう」
「勿論だとも、グラン」
曲が変わり、頬を紅潮させたペルルとアルマが戻ってくる。
「楽しかったか、ペルル?」
「はい、とても!」
グランの問いかけに、満面の笑みでペルルが返した。そうか、と幼い巫子が僅かに笑みを浮かべる。
保護者か、と内心思いながら、アルマは肩の力を抜いた。
再び、モノマキア伯爵夫妻に連れられて、今度は貴族たちへ紹介される。
が、相手の人数が多く、取り囲まれているうちに、彼らはやがてばらばらになってしまっていた。
見ると、グランとクセロ、そしてペルルとオーリが共にいる。
まあ、ここまで来たら後は交流だけだ。舞踏会が初めてだとはいえ、貴族とやりあった経験は皆にある。不安があるとするとクセロだろうが、だからこそグランは傍から離さないでいるのだろう。さほど心配はしないでおく。
そして、アルマ自身も貴族に取り囲まれていた。自分は、巫子たちに比べれば重要人物ではない、という自覚があるだけに、内心戸惑う。
「カタラクタへようこそ、アルマナセル殿。こちらはいかがですかな」
どこぞの郷司と言って、妻と娘を紹介した壮年の男が尋ねてきた。正直、人が多すぎて既にアルマは覚えるのを諦めている。
「この時期に、雪が積もっていないということは驚きました。今頃イグニシアの王都では、夜のうちに五十センチは積もっているでしょうから」
まあ、と貴婦人たちが驚く。
何度も訊かれた話題だ。土地のことや天気の話題は無難なだけに便利である。
音楽が調子を変える。
「一曲終わったようですな」
「そうですね」
意図が読めず、とりあえずそう返す。郷司はそれからしばらく粘り、その後すごすごと他の貴族へ場所を譲り渡す、ということが繰り返された。
ひょっとして、同じ相手が何度も寄ってきているんじゃないだろうか。普段と別方向の気遣いに疲れ始めて、そう考える。
が、ある郷司はちょっと違った。思い詰めたような表情で、口を開く。
「このようなことをお願い致しますのは非常に不躾であるとは存じております。が、アルマナセル殿、どうぞ我が娘と一曲踊っては頂けませんでしょうか」
周囲の貴族たちが、ざわめく。
父親からとはいえ、女性の側からダンスを申し込む、というのは考えられないことではある。
「いや、しかし」
「どうか、一夜の思い出として、娘の胸に刻ませてやりたいのでございます」
「ですが、ご息女がお嫌でいらっしゃるのでは」
何だ、一夜の思い出って、と内心訝しみながらも反論する。
「とんでもございません」
父親がそう言いきって、娘に視線を向ける。華やかな若草色のドレスを纏った少女は、見たところアルマと同年齢といったところか。頬を染め、もじもじと上目遣いに見上げてきている。
少なくとも、父親の面目を潰そうとすることはないようだ。これで彼女が実は嫌悪感を持っていても、恨まれるのは自分ではなくて父親だろう。
色々と諦めて、片手を少女へ差しのべる。
「踊って頂けますか?」
「……はい!」
しずしずと広間へ足を向けるアルマたちの背後で、押し殺した囁きが広がっていった。
音楽に乗って、滑らかにフロアを巡る。
「……その、はしたない娘だとお思いにならないでくださいませ」
少女が、伏目がちに呟いた。
「とんでもない。少々驚きましたけれど」
父親があのようなことをよくやらかすのであれば、彼女も苦労するだろう。相手取る貴族その人でないこともあって、アルマの対応はやや柔らかい。
「貴女こそ、私のような者と踊らねばならなくなって、申し訳ない」
「そんな……! アルマナセル様と踊ることができているだなんて、まるで夢のようですのに」
「そうですか?」
僅かに首を傾げて尋ねる。
「そうですとも! アルマナセル様は、イグニシアの大公家の長子でいらっしゃるのでしょう。王家の血と、あの英雄、偉大なる〈魔王〉アルマナセルの血を引いておられるなんて、まるで伝説そのものに手を取られているようですわ。本当に、私、今にも気を失ってしまいそう」
王家の血、と言っても、三百年前に王女を一人娶っただけではあるのだが。
ともあれ、貴婦人というのがか弱いものである、という知識はあったが、そんなに簡単に気絶しかねないというのは大変だ。アルマは、いつ倒れられても何とかなるように、彼女の腰を支える手に僅かに力をこめた。
彼女の方も、そっと身体を寄せてくる。
「……あの、アルマナセル様。水竜王の姫巫女様とは、ひょっとして、ご婚約されていらっしゃいますの?」
「姫巫女と? まさか」
思いもしなかった問いかけに、即座に返す。
そもそも、彼女が竜王の巫女という時点でありえない筈だ。だが、舞踏会へ出席するなど、確かに色々と型破りではあるので、その辺りで疑念があるのかもしれない。
彼女の名誉のために、しっかりと否定しておかなくては。
「私には許婚がおりますし、ペルル様とは一切何も」
「許婚?」
驚いたように見上げられる。この年頃の貴族の子弟としては、さほど珍しくもないことなのだが。それこそ、一応地位としては彼は大公の嫡子であるのだ。
「はい」
「そうですか……。お綺麗な方なのでしょうね」
憂いを帯びた声で呟かれた。
「さあ、どうでしょう。一度も会ったことがないので」
会ったことどころか、今現在の許婚がどこの誰だということすら知らない。
従軍からこっち、忙しすぎてそれを聞いている時間がなかったのだ。一年近く経っているし、そろそろ以前とは替わっていても不思議はない。
「ご存知ないのですか?」
「こういうことは、家同士で決まるものですし」
明らかに気のないアルマの言葉を聞いた少女の唇に、僅かに笑みが浮かんだように、見えた。
曲が終わり、少女を父親の元へ送り届ける。
なにやら口を開きかけた父親を、文字通り押し退けるように一人の貴族が割りこんだ。
「アルマナセル様、次はどうぞうちの娘とダンスを」
「いや、うちの妹と」
「いやいや孫娘と」
「四人姉妹と」
口々に要請しながら押し寄せる貴族たちに、アルマは反射的に一歩退いた。
結局、立て続けに六曲は踊っただろうか。
保護者に押しつけられた令嬢たちは、ほぼ似たような態度で、似たようなことを話してきた。
勿論多少の違いはあったが。おとなしく、ただ柔らかに笑んでいるか、積極的に朗らかに笑んでいるかの差ぐらいしかない。
正直、彼女たちの区別もあまりつけられなかった。
ある令嬢と踊り終わったところで、オーリが待ち構えているのに気づく。
「アルマナセル。グラナティスが戻ってこいってさ」
「グラナティスが?」
視線をぐるりと向ける。
人ごみの向こうで、クセロが片手を挙げるのが見えた。肝心のグランは小柄なせいか、判別できないが。
「判りました。……では皆様、うちの巫子が呼んでおりますので、一旦失礼致します」
丁重に一礼する。周囲から、残念そうな声が漏れた。
「また後でお話してくださいませね」
「ええ、是非に」
言い置いて、踵を返す。面白そうな顔で、隣を歩くオーリが見下ろしてきた。
「人気だねぇ」
「物珍しいだけだよ。冬の間の、いい話の種になる」
簡単に返してきたアルマに、僅かに驚いたような表情になった。
「何か?」
「……いや。まあ、一つ忠告しておくと、酷く怒っているからね」
「怒ってる? グランが?」
心当たりがなくて、問い返す。
「ていうか、……まあいいか」
もうじきに皆のところへ辿りつくせいか、オーリは言葉を濁した。
何を怒っているのだろう。一人はぐれてしまったからかとも思うが、別にそれはわざとではない。
そもそも、舞踏会の目的は貴族たちとの顔合わせだ。できる限り多くの貴族と会った方がいいことを考えれば、手分けする、というのはいい手でもある。
グランは気難しいが、話が判らない相手ではない。まあとりあえずは大丈夫だろう、と踏んでおく。予測できない原因なら、それこそ考えても仕方がない。
彼が長年の経験から得た対策に、無駄はない。
相手がグランであったのなら。
クセロが立っていたのは、壁際の小さな戸口の横だった。その奥に設えられた小部屋に、グランとペルルが座っている。
ここは舞踏会の参加者が休息を取ったり、個人的に談笑したりする場合に使われる部屋だ。
「どうした? 疲れたのか?」
戸口をくぐり、僅かに心配になって尋ねる。彼らは、舞踏会という場は初めてだ。疲労も感じるだろう。
「いやまあ、確かに多少は疲れたが」
珍しく、グランが歯切れ悪く告げる。
ならば、ペルルの方だろうか。視線を向けると、姫巫女は一瞬それが合ったところでふい、と顔を背けた。
「お疲れですか、ペルル?」
僅かに身を屈めて、訊く。
「いいえ。私は、貴方と違って踊り続けてはいませんもの」
ペルルの返事に、内心首を傾げる。
「そうですか。それならば、いいのですが」
アルマの言葉に、はっとしたようにペルルは見詰めてきた。僅かに訝しんでいるだけの表情を認めて、顔を強張らせる。
「ペルル?」
「知りません!」
鋭く言い置くと、少女は立ち上がった。そのまま、バルコニーに通じる扉から出て行ってしまう。
「ペルル!」
慌てて後を追おうとするが。
「駄目だ、アルマ。お前は行くな」
グランが溜め息混じりに止めてくる。
「何でだよ、あんな格好で外に出たら」
もう夜更けだ。気温は酷く下がっているだろう。扉に手をかける。
「オーリ。行ってくれ」
「君たちは私を何だと思っているんだろうねぇ」
呆れたように呟いて、それでも青年はアルマを軽く押し退け、ペルルの後を追った。
「……なんで俺が行っちゃいけないんだよ」
むっとして、アルマが問いかける。
「僕を信用しろ。今は、オーリの方が上手く対処してくれる。……お前も、いい加減にしないか」
部屋の隅で、壁にもたれかかるようにして背を震わせていたクセロに、うんざりしたようにグランは告げた。
「じゃあまあ、旦那には俺が上手いこと対処しておこうか?」
頬に笑みを残し、僅かに涙さえ滲ませながら、クセロが申し出た。
「いい加減にしろ」
投げやりにグランは念を押す。訳が判らず、憮然としたまま、アルマは手近な椅子にどすんと腰を下ろした。
「そう言えば、お前、怒ってたんだって?」
どうもそうは見えない相手に問いかける。グランは心底疲れたように片手で目を覆い、クセロは今度は遠慮なく爆笑した。




