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難しい顔で、アルデアは数分間沈黙した。
「半年前に王国軍へ休戦を申し入れられたのは、姫巫女、貴女でいらっしゃる」
「はい」
真面目な表情で、ペルルが頷く。
「であるのに、カタラクタを再び戦渦に陥らせるのだと?」
「それではお訊きいたしますが、あの状況で、わが国に勝ち目があったとお思いですか? 二十五万の王国軍を相手に」
アルデアが肩を竦める。
「無理でしょうな」
「火竜王宮の竜王兵が総勢三万。僕の命令で即座にこちらへ駆けつける手筈は既にできている。水竜王宮の竜王兵は、南部のみと考えて、一万。風竜王宮と地竜王宮は組織としては存在しないために、兵力とはならない。対してイグニシア王国軍は、カタラクタ北東部に兵を配しており、二十五万全てがこちらへ向かう訳ではない。そんなことをすれば、北東部で連鎖的に叛乱が起きるだろう」
グランが口を挟む。
水竜王宮に属する竜王兵を叛乱のために参戦させる、という考えに、ウィスクムは酷く動転していた。今も顔色が悪い。
戦線は当然移動するものであり、そうなれば都市にある竜王宮の護りが手薄になってしまう。長く安寧の中にいたウィスクムには、何より保身が大切だった。
もしも、統率者として竜王宮長も従軍するようになどと言われたら、彼はおそらく喜んでその地位を返上することだろう。
「水竜王宮と火竜王宮で、四万。それでは、王国軍の数をどれほど楽観的に見積もっても、太刀打ちできるものではありませんね」
狡猾に、アルデアが告げる。
「だからこそ、貴殿にお願いしているのです。水竜王の民として、カタラクタの王室より賜りし領地の主として、龍神ベラ・ラフマの悪逆たる支配より、土地を、生命を、誇りを、魂を、取り戻さなくてはなりません。もしもここで、我ら高位の巫子をお見捨てになられれば、一年もしないうちに、貴殿は激しい苦痛と屈辱と恐怖の中で、今日のことを後悔されるでしょう」
ペルルが、真っ直ぐに男を見つめて、宣言する。
大義はある。御輿に乗せる、見栄えのいい人材も揃っている。何より、先ほどは言わなかったものの、竜王の巫子と〈魔王〉の裔ならば、戦力としては歩兵数万人に匹敵するだろう。
計算高くなくては、貴族は没落するだけだ。
アルデアが僅かに視線を宙へ向けた。
「私一人では無理ですね。何名、同盟者が必要です?」
「出し惜しみはなしだ、アルデア殿。いるだけ連れてきて欲しい」
グランの言葉に、領主はにやりと笑みを浮かべた。
モノマキア伯爵を見送った時には、もう夜半を過ぎようとしていた。
水竜王の下位の巫女たちが先導する廊下を、ペルルの手を取って歩く。暗がりの中にぼんやりと浮かぶ姫巫女の横顔は、酷く青白い。
「……疲れました」
ぽつり、と呟く声に、無言で小さな手を握り締める。
「ペルル様はこちらに」
巫女の声に、足を止めた。手を離し、ペルルは開かれた扉へ向き直る。
「アルマ」
「はい」
何度か口を開きかけた気配だけがあって、そしてようやく姫巫女が告げた。
「おやすみなさい」
「はい。ごゆっくりおやすみください」
ペルルの背中へ向けて一礼する。
「……無理だと、思います」
低くそう返して、少女は部屋の中へと入っていった。
「アルマナセル様、こちらへどうぞ」
廊下に残された下位の巫女が、おどおどと促した。
翌朝、礼拝に門戸を開いた水竜王宮は大盛況だった。
宿泊した棟の、二階の廊下から見下ろせる街路までが人で埋まっている。
「凄ぇな、こりゃ」
アルマの肩越しに覗きこんで、クセロが感心したように呟く。
「姫巫女を一目見たいってだけで、これだけ集まるとはねぇ」
反対側の肩口で、こちらもオーリが感嘆する。
何故彼らがこうも近くにいるかと言えば、この窓のみが背の高い樹の陰となって、街路から死角になっているからだ。
背後から体重をかけられて、ちょっと苛立つ。
「重い! お前ら、少しは遠慮しろよ」
「え、君なら大丈夫だろ、若いんだし」
「そうそう、おにーさんたちは昨日の疲れがなかなか抜けねぇんだよ」
「……お前らをおにーさんとか言うのはどうかと思う」
「あー、うん、そうだなおれもちょっと気を遣いすぎた」
「お前もだよ!」
「……あの」
屋内であるのをいいことに遠慮なく騒いでいた三人が、ぴたりと動きを止める。
「あの、皆様方、ペルル様がお呼びでいらっしゃいます」
背後に、戸惑ったような、呆れたような顔の下位の巫女が立っていた。
「遅かったな」
まあ、ペルルの呼び出しと言っても、本当のところはグランの用事である。
彼は居間に一人くつろいでいた。所在なさげに、プリムラが近くに立っている。
「ペルルは?」
「身支度中だ。外の様子を見たか?」
「ああ」
返事に頷いて、彼は三人の仲間を見上げた。
「今朝の礼拝は、ペルルが執り行うことになる。お前たち、隠れて彼女の警護に当たれ。あれだけ派手に動いたとはいえ、昨日のことだ。王国軍まで情報が届くにはしばらくかかる。だが、下僕までもそうであるかは判らないからな」
三人ともが、今日は昨日のような正装ではない。上等ではあるものの、さほど派手さはないデザインの衣服だ。
その上に特徴のないマントを着て、しっかりとフードを被る。
案内を断り、礼拝堂に続く廊下を先に立って歩きながら、クセロがごきり、と肩を回す。
この盗賊は、昨夜のうちに密かに竜王宮の全ての建物の造りを把握していた。
「やっぱ気楽でいいやな、こういうのは」
心底そう思っているような声に、オーリが苦笑した。
「まあねぇ。正体を隠してる方が楽だっていうのは、問題なのかもしれないけど」
青年は念のために額のエメラルドを布で覆っている。
「お前らは気楽かもしれないけどな。俺はフードが外れたらどうしようかと思うと気が重いよ」
この薄い一枚の布でしか隠せない特徴に、アルマが溜め息をつく。
「でも君は昨日その姿で堂々と街に来た訳だし、ばれてもお忍びで礼拝に参加してた、って思われるだけじゃないか?」
「……そんなもんかな」
「少なくとも、角が見えたぐらいで生命の危険まではねぇだろ」
首を捻る少年に、年長者たちは無責任に言い切った。
礼拝堂は扉を開け放ち、入りきれなかった人々が中を覗こうと群がっている。
内部は薄暗い。壁際には等間隔に泉が設けられている。そこから流れ出す水が、水路を通り、中央奥の祭壇へと合流していた。吹き抜けになった高い天井の、祭壇の上部に天窓が空けられていて、朝の光が差しこんできている。
アルマナセルはその卓越した視力で、オリヴィニスは聴力で周囲を探ることにした。二人は礼拝堂の二階部分の廊下に陣取り、上から群集を観察している。クセロはさっさと人ごみの中に紛れこんでいった。
ざわめきが、巫子たちの合唱が始まるにつれて静まっていく。
「……ああ。懐かしいな」
オーリが小さく呟いた。彼は礼拝堂に向いた手摺に背をもたせかけ、通路に座りこんでいる。
「それもいいけど、ちゃんと警戒しろよ」
彼とは逆に礼拝堂の内部に視線を走らせながら、アルマが囁く。
「大丈夫、そっちも聞いてる。いま信者は静かだからね。何も不審なことはない」
普段の何割増しで人が入っているのだろうか。動く余地もあまりない人ごみは、彼らが防寒のために着膨れていることもあって、不審な人物やその動きもよく掴めない。
静まりつつあった信者たちが、わぁ、と歓声を上げた。
祭壇の方へ視線を向ける。そこに、高位の巫女が姿を現していた。
純白の聖服に銀とアクアマリンのサークレットの取り合わせは、見慣れたものだ。が、肩からかけられた紺色の布には、数多くの真珠を縫い止めて竜王の姿が描かれている。ペルルに合わせて作られたものではないのか、床に引きずりかねない長さだ。
清楚な姫巫女の姿と、竜王宮の豪奢さを見せつけられて、信者が一際どよめく。
「……君こそ、ちゃんと警戒してるのかい?」
面白そうな声で問いかけられて、慌てて視線をペルルから引き剥がした。
礼拝の内容は、さほど各地で違うものでもない。
竜王の加護に感謝を捧げ、民の幸福と繁栄を祈り、祝福を与える。高位の巫女による礼拝、ということで少々勿体ぶった流れにはなっているが、長時間かかることもない。
ぼんやりと人々を眺めていたアルマの視線が、一点で止まった。
それは出入り口にほど近い場所に立っていた。周囲の人々の中では、長身の方だ。特徴のないマントを着て、フードを深く被っている。
アルマの凝視に気づいたか、じっと祭壇を見つめていた視線をふいに上げてきた。
フードの陰になった顔は、暗さと遠さとで、アルマでも見通せない。
だが。
「アルマ?」
鋭く息を飲んだ少年に、訝しそうにオーリが声をかけた。
しかし、それに対してすら意識を向けられない。
滑らかに、フードの人物は踵を返した。押し合う人々の間をすり抜けて、外へと向かう。
「……待て」
アルマが、廊下を駆け出した。
「アルマ!」
オリヴィニスが慌ててかけた声が、静まっていた礼拝堂に響く。
ペルルが吸い寄せられるように、視線を上げた。二階の壁に跳ね出した廊下を、フードを被った少年が走っていく。
アルマは、突き当たりにある窓を殆ど力任せに開ける。
その下は、礼拝堂の入口横だ。押し寄せる人々を整理するために、竜王兵や巫子が何人も立ち働いている。敷地内にこれほどの人数が散逸しないようにだろう、彼らは信者が横に広がるのを抑えており、窓の下には人はいなかった。
そして、彼らの間をどう抜けたのか、アルマの目指すマントの人物は人ごみを離れ、竜王宮の庭園内へと歩き出していた。
「待て!」
叫ぶと同時に、窓を乗り越える。吹き上げる風が、少年のマントをはためかせた。
礼拝堂は巨大な建築物だ。比率で考えると、スケールを見誤りやすい。
──高い!
思ったよりも二階の窓の位置が上方で、飛び降りた瞬間にアルマが背筋を冷やす。
だが。
ずだん、と何かが鈍く弾けたような音を立てて着地する。柔らかくマントが身体の周囲に纏わりつき、ぱさり、とその背にフードが乗った。
アルマは、予想したよりも衝撃が少なかったことに僅かに驚く。
〈魔王〉の力が成熟したことで、以前よりも更に身体能力が上がっているのだ。
が、そんなことは一瞬で思考の外へ追いやって、少年は更に地を蹴った。
「待て、と、言っている!」
手を伸ばす。数十メートル先を歩く、目的の男へ向けて。
騒ぎに気づいたか、彼らの進行方向から二人の巫女が顔を出した。
「……アルマナセル、様?」
驚いたように名前を呼ばれる。
「そいつを……!」
止めろ、と言いかけて、途中で言葉を切る。
今の相手が、一体どれほどの自制心を持っているのか、アルマには自信がない。
「逃げろ!」
突然そう命じられて、巫女たちの身体が一瞬竦む。
次の瞬間。
彼女たちの目の前、礼拝堂前に集まった信者や竜王兵たちの視線の先で、マントの人物は溶けるように姿を消した。
礼拝が終わり、ウィスクムは憤りを持て余しているようだった。
「全く、なんということをしてくれたのですか! 高位の姫巫女自らの儀式を台無しにされるとは!」
わなわなと手を震わせて、怒声を上げる。
「いやぁ、見たところ、信者の方々は意外と大喜びされていたようですよ? 高位の巫女を身を呈して護る〈魔王〉だなんて、そうそう見られることはないですからね」
手を広げ、無責任にオーリが告げた。
「本当に、それは私も拝見したかったですわ」
残念そうに、ペルルが溜め息をついた。
怒りに身を震わせながら、ウィスクムが一同を見回す。
勘弁して欲しい。
竜王宮長の手前、憮然とした顔を崩せないアルマが、心底そう願う。
眉間に皺を寄せ、グランが片手を挙げた。
「申し訳ない、ウィスクム竜王宮長。これの不始末は、僕から詫びる。見ての通り、アルマナセルはまだ若い。頭に血が昇ると、制止が効かないことがあるのだ」
「それは……、グラナティス様がそう仰られるのであれば」
渋々と、ウィスクムが謝罪を受け入れる。
「だが、不審な男が入りこんでいた、ということはそちらにも報告が来ているはずだ。目撃者は民と巫女、竜王兵を含めて数十人に上っている」
「竜王宮の警備は我々で充分です」
それでも言い募る男に、火竜王の高位の巫子は首を振った。
「龍神の手の者たちは、只人には対処できない。これは、そちらだけでなく、火竜王宮の竜王兵でも同じことだ。高位の巫子そのものか、〈魔王〉でなければ。ペルルは、我々にとっても大事なひとだ。差し出がましい真似ではあったが、理解していただきたい」
そう説明され、ようやく竜王宮長は怒りを静めた。
部屋を出る前に、幾つか嫌味を残してはいったが。
扉が閉まると同時に、笑みを含んだ声でオーリが沈黙の請願を口にする。
「アルマ」
「……ごめん」
グランの声音に、肩を落とし、謝罪する。
「怒っている訳ではない。他にやりようがあったのではないか、とは思っているが。だが、お前は思いつかなかったのだろう? 何があった」
頭ごなしに責められなかったことに、少しばかり驚く。
「礼拝堂に、いたんだ。……エスタが」




