09
一行は、豪奢な部屋へと通された。幾つものソファや卓が配置され、飾り棚が置かれ、壁には何枚もタペストリーが下げられている。暖炉には暖かい炎が踊っていた。
扉が閉められた後、グランが、意味ありげにオーリを見上げる。
「我が竜王の御名とその誇りにかけて」
風竜王の高位の巫子が呟いたと同時、すぅっと空気が澄む。
「範囲は?」
「部屋の中。壁の向こうで幾ら聞き耳を立てていても、何一つ聞こえないよ」
頷いて、グランは手近な椅子に腰かけた。
「お見事でした、ペルル」
幼い巫子が声をかけると、アルマに手を取られて椅子に座ったペルルが、薄く頬を染めた。
「上手くできたかしら」
「予想以上ですよ、ペルル様」
オーリも手放しで褒める。
水竜王宮に乗りこむにあたって、何よりも優先すべきものは支配権の掌握だ、とグランは主張していた。
──少々高圧的でも構わない。権力を棍棒のように振り回し、傍に近寄らせないことだ。そもそもは貴女のものだった権利を、奴らは勝手に掠め取っている。竜王から認められた支配権を取り戻せ。誰が最も高き者であるのか、心底から思い知らせるべきだ──
少しばかり困ったように、ペルルが口を開く。
「私、あのように他の方とお話しするのは初めてだったのですが。その、何と言うか、かなり気持ちのいいものですね」
オーリが柔らかな笑みを浮かべる。
「私たちはああいうのが好きでね」
壁際に立っていたクセロがにやにや笑いを深めた。
アルマが、露骨に深く溜め息をつく。
「お前らは若者に悪影響を与えることしかできないのかよ」
ペルルがウィスクムへ対して突きつけた弁舌は、その殆どがこの数ヶ月、周囲の男たちが振るい続けた論調だった。
静かに、おとなしく、慎ましやかに彼らを観察し続けた姫巫女は、この機において見事にそれを応用してみせた。
「全くだ。ペルルに悪い仲間が増えてしまって、水竜王には詫びておかないとな」
グランが素知らぬ風に返す。
訳知り顔で笑いあう仲間たちを、会議に同行できず、ドゥクスと共に廊下で待機していたプリムラが、酷く胡散くさそうな顔で眺めていた。
「さて、問題はあの竜王宮長だが、どんな調子だ?」
グランに尋ねられて、オーリが思案げに眉を寄せる。
「使者と一緒に領主を訪ねるようだ。伝言では手間がかかりすぎると踏んだらしいね。領主の城塞まではちょっと距離があるけど、まあ聞こえないことはないだろう」
竜王の恩寵を充分に利用するつもりらしく、オーリはソファのクッションの間で身体をくつろがせた。
領主は、竜王宮の晩餐にやってくることになった。
その直前に、仲間うちでひと揉めする。
「おれはいなくたっていいだろう。これ以上こんな格好でいたら、いい加減窒息しちまう」
上着の襟を引きながら、クセロがグランに訴える。
彼らの正装は、トルミロスの館にいる間に仕立てさせていた。
前日の早朝、港を出発した船は、沖合いで待ち構えていた正式な火竜王宮の帆船と合流した。そちらへ乗りこみ、諸々の打合せを経ると共に衣装を渡されてから、クセロはそれに文句をつけてばかりだ。
半ばうんざりした顔で、グランが諫める。
「莫迦を言え。地竜王の巫子が不在でどうする。領主が来ようと来まいと、どちらにせよ竜王宮の者たちとの晩餐はあったんだ。むしろ、相手が少なく済んでよかっただろう」
同席者は、彼ら以外にはウィスクムと領主のみだ。大食堂で、下位の巫子たちと共に摂る夕食よりは確かに少人数だが。
「偉いさんと顔を突き合わせて食事なんざ、食べた気がしねぇよ」
「心配はいらん。お前を拾った直後に、マナーの類は一通り叩きこんだ筈だ」
さらりとクセロの憂慮を言い当てる。
「……あん時は、いつどんな場面でゴトになるか判らないからとか言っておいて、結局こういうことを見越してたんだよなぁ……」
肩を落とし、力なく呟く。
「今、こういう場面で仕事になっているだろう。間違ってない」
「あああもう嫌だこの大将」
絶望したように低く呻く男を、グランは不思議そうに見返す。
「お前はそういう細かいことを気に病む人間ではなかったと思っていたがな」
「細部に気を配らないで、いい仕事はできねぇよ」
心なしか誇らしげに返したクセロに、頷いた。
「なるほど。ならば、細部に気を配りつつ臨め。それでお前の気が楽になるのなら、自由にするといい」
背を丸め、地竜王の高位の巫子は更に呻き声を上げた。
モノマキアの領主、アルデアは五十代半ばの男だった。黒髪には、少々白いものが混じり始めている。茶色の瞳は明るく、南部の人間らしく陽気さは伺えたが、しかし傲慢と狡猾さは隠せていない。
そう、彼は生まれついての貴族だ。
アルマは、ほぼ無意識に警戒感を募らせる。
領主が竜王宮の一室に通されたところで、ペルルが出迎えた。
「ようこそおいでくださいました、アルデア殿」
彼女の姿を眼にして、領主が僅かに驚く。話には聞いていたのだろうが、十四歳の少女が高位の巫女である、というのは、やはり驚異であるのか。
「お招きありがとうございます、姫巫女。それにしても、これほどお美しい方であったとは、我ら水竜王の民は幸運だ」
さらりと発せられた賛辞に、ペルルが僅かに頬を染め、目を伏せる。
「皆様をご紹介いたしますね。こちらが、火竜王の高位の巫子、グラナティス殿」
順番に、ペルルは竜王の巫子を紹介していった。それぞれ挨拶を交わし、手を握りあっていく。
最後に少女の笑顔がこちらへ向いた。
「そして、レヴァンダル大公子アルマナセル殿」
領主は、紹介されるまで、視線を一切彼へと向けなかった。この異形の角が目を惹かない訳がないのに。かなりの自制心だ、とアルマは判断する。
「カタラクタへようこそ、アルマナセル殿」
「歓迎いたみいります、アルデア殿。焼け野原になっていないお国の都市は初めてですよ。なかなかよいところのようだ」
初めて、アルデアの顔が引き攣った。
クセロが竜王の巫子としてある以上、竜王兵を除けばアルマのみが彼らの護衛役となる。
──奴らはどうせ、〈魔王〉と面識がある訳じゃない。ひたすら強情で頑固で剣の鞘の中でしか物事を考えられないような、扱いづらい相手として振舞え。度が過ぎたら僕らが何とかしてやる。安心して、遠慮せずに、やれ──
再上陸前にグランに命じられて、少々気が重くはあった。
しかし、先手を取ることが重要だというのは同意見だ。
カタラクタ侵攻に際して、王国軍に〈魔王〉の裔が参戦していたという情報を、彼らが得ていない訳がない。
自分たちは、侮られる訳にはいかないのだ。
席次を、水竜王宮は酷く悩んだらしい。
単純に領主を招くのであれば、彼が主賓となる。
しかし、他国の竜王宮関係者が訪れるのは異例なことだ。ここはカタラクタの者として水竜王宮と領主がもてなす側に回るのか、又は各竜王宮が領主をもてなすことになるのか。
最終的には竜王の巫子たちを、『ペルルの身内』として扱うことにしたらしい。
主人の席にはペルル、その右の席にアルデア、反対の左側にグラン。そのまま隣に、オーリ、クセロ、アルマが続く。こちらが領主に要請する立場ではあるし、不満はない。
アルデアが夫人を同伴してこなかったのも異例ではあるが、この場合は仕方がない。席が偏ってしまうので、アルデアの横にはウィスクムが座った。
晩餐自体は、穏やかに進んだ。話題は剣呑なものは避けられ、各出身地のもの珍しい事柄や風習などが披露された。
クセロも、言葉少なに食事に集中することで、何とかへまをしないで済んでいた。彼の緊張がアルマにうっかり移りかけていたりしたが。
緊張といえば、ウィスクムは晩餐の始まりからずっと緊張している。幾度となくワインを飲み干し、頻繁に汗を拭いていた。
食事が終わり、本来ならばここで大人の男のみが別室へ、という流れになるところだが、今回は全員で移動する。
蝋燭の数を抑えた、温かで居心地のいい雰囲気の部屋で、皆が思い思いに腰掛ける。
「……さて。お話を、承りましょうか」
アルデアがゆったりと促した。
「全ては遥か昔、一万年前に遡ります。三竜王の他に地竜王が存在し、彼らが世界を循環させていました。しかし、その世界に、龍神ベラ・ラフマが出現したのです」
ペルルは、伝承にある一万年前のできごとをアルデアへ伝えた。
ベラ・ラフマが封じられ、地竜王が眠りについたことまでを聞き、アルデアは小さく唸る。
「ここ数週間、城下で頻繁に聞かれる流行唄をご存知かな。ほぼ、今のお話と同じ内容ですが」
「まあ、そうなのですか。私たちは今朝方カタラクタに戻ってきたものですから、初めてお聞きしましたわ。一度拝聴したいものですね」
軽く驚いたような顔で、ペルルが返す。何やらもの言いたげにアルデアは眉を動かしたが、しかし沈黙を選んだ。
「その後、封印された龍神は、イグニシアを手中に収めようと動き出しました」
ペルルの言葉に続いて、グランが口を開く。
「奴は、僕が知る限り五百年ほど前から活動し始めている。無論、龍神自身は封じられて自ら動くことはできない。故に、人間に力を与え、下僕として使っている」
「下僕……。巫子のようなものですか?」
アルデアの言葉に、あからさまにグランは嫌な顔をした。
「一緒にされたくはないのだが、そうだな、概念としては似たようなものだ。龍神に心酔し、忠誠を捧げ、その野望を達成するべく動いている。奴は少しずつイグニシア王家に取り入り、支配力を強め、そして三百年前、フルトゥナへと侵攻した。目的は、風竜王とその高位の巫子を無力化することだ」
アルデアが小さく目を見開く。視線の先で、オーリは苦笑していた。
「そのために〈魔王〉アルマナセルを召還し、戦場に投入し、〈魔王〉を介して、龍神の呪いがフルトゥナの地に満ちた。あれがオリヴィニスのかけた呪いだ、と言われているのは、悪質な謀略だな。
そして風竜王と高位の巫子が封印されて殆ど世界に影響を及ぼせなくなり、先の戦役でイグニシアがそれなりに受けた痛手が回復したと見て、一年前に、今度はカタラクタへと侵攻を始めたのだ」
「それは……」
領主が驚きの声を上げる。ウィスクムも固く手を握り合わせていた。
「目的は想像に難くない。水竜王とその高位の巫女を封じ、あわよくば抹殺せんが為だ。王家は〈魔王〉の裔であるアルマを従軍させるように要求してきた。僕は、条件をつけた上でそれを飲んだ。つまり、高位の巫女を火竜王宮に引き渡すように、と」
「その要求は、聞き及んでいます。人質だとばかり思っていましたが、まさか」
夜になって、気温は下がっている。勿論暖炉には火が入っているが、暑いほどではない。しかし額に脂汗を滲ませて、アルデアは言葉を発した。
ウィスクムには、この辺りはかなりざっくりとではあるが話している。昼間領主の屋敷を訪れた際にそれはアルデアへ伝わっていた。今はそれよりも詳しく説明されているとはいえ、大した演技力だ。
「彼女を保護するためだ。高位の巫女さえ無事であれば、下僕如きに竜王は封じられはしない。まして滅されることもない。道中、何度か王家が彼女を攫おうとしたようだが、未遂に終わっている」
「アルマのおかげですね」
微笑んで、ペルルが口を出した。驚いたような視線が少年に注がれる。頬が緩みそうになるのを我慢して、憮然とした表情を維持した。
「ペルルがイグニシアに到着し、我々は共にフルトゥナへ風竜王を解放しに向かった。結果、オリヴィニスはフルトゥナから脱出でき、現在は風竜王の御力も彼を介して世界へと流れ始めている」
アルデアの目が、やや狡猾な光を生じた。
「では、現在、フルトゥナの地は呪いから解放されているのですか?」
憂いを帯びた表情で、オーリは首を振った。
「残念ながら、呪いはまだ健在なのですよ。それでも、私が自由に動けるようになっただけでも事態は好転しましたが。龍神を滅することができれば、呪いも解けるのではないかと期待しています」
おお、と領主は気の毒そうに呟く。
フルトゥナを覆っていた呪いが消えたことはしばらく公表しない、と、グランとオーリはかなり早い時期に取り決めていた。
もしもその事実が広まれば、イグニシア、カタラクタ両国の貴族、農民、ならず者、そしてロマが雑多に侵入し、無人の都市は強奪され、土地は乱雑に切り取られ、秩序はないも同然の状態となるに違いない。
仮にあの土地に、将来誰かが住み着くのであれば、まずそれは元フルトゥナの民であるべきだ、という点で彼らは意見の一致をみている。
更に、そのようなことで、今、世界を混乱させるのも避けたかった。
イェティス率いる風竜王宮親衛隊には事実を知らせたものの、彼らには固く緘口令を敷いてもいる。決して国境には近づかないように、と言い含めて。彼らが迂闊に動けば、あの土地へやってきているロマたちにも知れ、そうすればすぐに全世界へと広まるだろう。
それでも生命の危険も顧みずに国境を越えようとするものがいないとも限らない。事実、手つかずの財宝を夢見て無謀な行動に出た人間は、三百年間絶えたことがない。
現在、それについては、風竜王に対処を任せている。そのような不届き者は、幻覚を見ながら数日は荒野を彷徨うことになるだろう。
グランが話を戻す。
「その後、我々は眠りについていた地竜王を目覚めさせた。その辺りは、竜王の秘儀を必要としており、他者へたやすく口外することはできない。ご了承いただきたい」
まあ、贔屓目に見てもかなり強引な手法で、各竜王から巫子までの全てを捩じ伏せたのだ。あまり自慢はできないだろう。
モノマキア伯爵は、それに関しては一応頷いた。しかし。
「地竜王、という存在を、我らは全く存じ上げない。ただ言葉で説明されても、その竜王を崇め、認めることができるかどうか。口さがない者たちの中には、貴方がたを疑う者も出てきましょう」
遠まわしに探りを入れてくる男に、面倒くさくなったようにクセロが片手を振った。
「地竜王に会いたいってんなら、会わせてやってもいいさ。けど、あんたは他の竜王に会ったことがあるんだろうな? 違いも判りゃしないのに、片方だけ見たところで何が納得できるんだ?」
嘲りを含んだぞんざいな言葉に、アルデアが僅かにむっとした。
「クセロ」
短く咎めてから、グランが視線をアルデアへ向ける。
「礼儀知らずで申し訳ない。これは、僕が秘密裡に育てていた巫子でな。そのせいか、このような場での振る舞いがまだよく判っていないのだ」
クセロが、ふい、と視線を逸らせる。アルマの方からは、彼が来客から見えない角度で笑いを堪えているのが伺えた。
「どちらにせよ、地竜王が顕現されるには、広い土地が必要だ。できるだけ人目につかないところがいい。民を無闇に恐慌に陥らせるのも気の毒だ。そのような場所をご用意いただければ、拝謁は可能ではある」
「何とかなるでしょう。私の狩猟場ならば条件に充分当て嵌まります」
「ならば、折を見て」
そう告げて、グランは僅かに身を引いた。
ペルルが、小さく息を吸う。
「今後、我らは、四竜王の御名とその誇りにかけて、この世界を欲し、地獄に変えんとする龍神に対して宣戦布告を致します。龍神の軍勢がイグニシア王国軍である以上、戦場はカタラクタとなりましょう。我らの世界を取り戻すため、アルデア殿、お力をお貸しいただけませんか」




