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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
人の章

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93/252

08

 時間が経つにつれ、港には噂を聞きつけた住民たちが集まってくる。

 慌てて門を閉め、普段はしない、港へ入る人数の規制を始めた。それはそれでまた混乱を招く。

 港の外の建物には、屋根の上まで人が乗っている。この街の建物は、屋根の勾配があるものが少なく、見物には絶好の場所と化していた。

 滅多にない光景に、主に子供たちが楽しそうな顔をしているが、殆どは漠然とした不安と共に船を見つめている。

 一時間ほど経って、竜王宮へ行った使者が戻ってきた。水竜王宮の巫子が二名、同行している。

 港の門のところで執政官と短く話して、彼らは船へと戻っていった。安堵にそれを見守る役人たちの前で、帆船はゆっくりと舳先を港の外へ向けていく。

「どこに行くんだ?」

「帰るのか?」

「判った、竜王宮の桟橋だ!」

 野次馬がわぁ、とどよめいて、次々に街路を走り出した。

 水竜王宮は街の港とは別の場所に、専用の船着場を持っている。そちらに誘導されて、少なくとも責任を負わせられなくなったことに、執政官たちは心底ほっとした。


 船着場は港からさほど遠くないこと、船が係留するには時間がかかることもあって、渡し板が下ろされる頃には、人々は再び街路に集まっていた。

 周辺の家々の屋根に乗り、数人は船着場の周囲を巡る高い塀の上にまで登り、何一つ見逃すまいとしている。波止場を管理している者たちには初めての経験なのだろう、どうにも制止できないようだ。

 水竜王宮から差し向けられた大型馬車が、波止場の中で停まった。

 やがて、甲板に人影が見えて、人々が大きくざわめく。

 先頭に立っていたのは、純白の聖服を身につけた少女だった。額に銀とアクアマリンのサークレットをつけたその姿を、直接見たことはなくても、判別できない民などいない。

 水竜王の高位の姫巫女だ。

 しかし、人々の注意を惹きつけたのは、その手をとって渡し板に足を踏み出した少年の方だった。

 漆黒のマントには、縁に銀の毛皮飾りがついている。片方の肩を露にしており、その下から黒と金を基調にした服が見えた。腰には一本の細身の剣を()いている。靴はこちらも黒の革で作られたブーツだ。それらは、優雅さよりもむしろ勇壮さを意図している。

 しかし何よりも人目を惹くのは、その艶やかな黒髪から生える、一対の長い角だ。明るい灰色のそれは、冬の朝の鈍い光に映えた。

 彼らは、ざわざわとどよめく人々など意にも介していないかのように、静かに桟橋に降り立った。

 馬車の扉を開けて立っている水竜王宮の竜王兵は、明らかに震えている。

 その後にも火竜王宮の竜王兵を含めた数人が続くが、正直殆どの者が注意を向けてはいなかった。

 全員が馬車に乗りこむ。苦労の末に人々に道を空けさせて、馬車はかなりの速度で走り去って行った。




 モノマキアの水竜王宮を統括するのは、ウィスクムという初老の巫子である。

 彼が現在の高位の巫女と顔を合わせたのは、一度きり。彼女の即位の儀に、本宮のあるフリーギドゥムを訪れた時だ。

 各地の竜王宮を統べる巫子たちに混じって姫巫女に拝謁した際に彼が感じたのは、おとなしく、慎ましやかで、控えめな幼い少女である、という印象だ。

 そう、彼女は決して脅威になどなりえない。

 その後の三年間、フリーギドゥムから漏れ聞こえてくる彼女の評判は、それを裏切ることはなかった。

 しかし、今、竜王宮で彼の前にいる高位の巫女は。


「そ……それは、すぐには信じられぬお話ですな。姫巫女」

 額に脂汗を滲ませ、ウィスクムが告げる。

「あら。判りにくかったかしら?」

 可愛らしげに小首を傾げるペルルは、彼の正面に座っていた。周囲に、同行者を従えるようにして。

 彼女が、水竜王宮のトップであることは、形式上議論の余地はない。竜王宮長を差し置いて、同行者をもてなす、というのなら納得はできただろう。

 だが、ペルルはウィスクムと正面から対峙してきた。

 動揺して乾いてきた唇を、小さく舐める。

「その、そちらが火竜王の高位の巫子グラナティス様と、〈魔王〉の(すえ)、レヴァンダル大公子アルマナセル殿でいらっしゃるのは、疑うわけではございません」

 ちらりと、ペルルの右に座る二人へと視線を向ける。

 銀に近い金髪に、銀とルビーのサークレットを頂いた幼い少年は、生真面目な瞳で見つめ返してきている。純白の聖服に巻かれた、真紅と金で織られた帯が目に眩い。

 そして何より、レヴァンダル大公子だ。

 ほぼ黒尽くめの格好で、腕を組み、むっつりとこちらを見据えている。その視線よりもなお、鋭くこちらを威圧するのは、一対の太い角だ。

 正直、彼らを従えた姫巫女に反論する、というだけでウィスクムの度胸は大したものだと言えるのかもしれない。

「ですが、そちらの方が、風竜王の高位の巫子オリヴィニス様だ、というのは、どうにも……。オリヴィニス様は、伝説上の人物ではないですか。しかも、地竜王の高位の巫子、ですと? そのような竜王、聞いたこともない」

 言外に、山師に騙されているのではないか、というニュアンスを滲ませる。何と言っても、彼らはまだ幼い少年少女だ。

 ペルルの左側に座す、オリヴィニス、と紹介された青年は、僅かに面白そうな顔で見返してきた。栗色の前髪の下から、エメラルドの煌きが伺える。身につけているのは、白を基調にはしているものの、緑と金糸で模様が派手に描かれた長衣だ。清廉たる聖服とは言い難い。

 そして、その隣にいる男。

 濃い目の金髪に、緑色の眼。丈の短い上着とズボンは、深い藍色だ。その襟と裾、袖口に金糸で複雑な意匠の刺繍がされている。

 憮然とした表情を浮かべた彼は、竜王を象徴する宝石すら身につけていない。地竜王、とやらが何で象徴されるのかも知らないが。

「確かに、地竜王様は今までその存在を秘匿されていました。が、私たちはそれを解放し、再びこの世界へとお戻り頂いたのです」

「しかし、ペルル様。お言葉のみでは、どうにも判断ができません」

 ウィスクムの言葉に、クセロと紹介された男が鼻で笑った。

「地竜王の顕現を望むのか? どうしても、っていうなら構わないが、竜王の偉大さをお前は直視したことがあるのかよ。ざっと高さ二十メートル、鼻面から尻尾の先までは六十メートルはある御姿だ。最低でもな。この辺り一帯が壊滅してもいい、という覚悟を決めてから言ってくれ」

 ぞんざいに言い放たれた言葉に、鼻白む。

「まあクセロ。ここは一応私の国ですし、乱暴なことは止めて下さいな」

 微笑みながら、ペルルが軽く諫める。

「しかし、証拠が見たいって言うんだろう。そうだな……」

 ぐるりと室内を見回して、クセロは立ち上がった。ふらり、と壁際に飾られていた花瓶を手に取る。

「この世界で、至極不自然な力を扱えるのは、人間では竜王から御力を下賜された高位の巫子のみだ。その点に関して、異論はないか?」

「あ、ああ」

 行動が読めなくて、短く頷く。

 金髪の男は花瓶を手に、彼らの間にある大きな卓へと歩み寄った。無造作に活けられていた花束を抜き取ると、その中身を卓の上へとぶち撒ける。

「なにを……!」

 怒声を上げかけて、言葉が途中で途切れた。

 花瓶の口から放たれかけた水が空中で凍りつき、放物線を描いた格好で止まっている。小さな飛沫が幾つか、卓の上に落下して、硬い小さな音を立てた。

 呆然としてそれを見つめた。まだ寒いこの時期、暖炉には赤々と炎が踊っている。

「地竜王は、大地と共に熱を司る。この程度の御力で、納得して貰えたか?」

 口を半開きにしたまま声が出せないウィスクムを一瞥して、クセロは踵を返した。花瓶に花束を入れて置き直そうとするが、凍りついた水が微妙に重心を狂わせている。諦めて、彼は花瓶を壁にもたせかけてその場をごまかした。

「さて、じゃあ、次は私の証明かな。部屋の中に小さな竜巻を発生させてもいいけど……」

「オーリ」

 たしなめるように、ペルルが口を挟んだ。本気ではないのだろう、微笑を返して、彼もまた立ち上がる。ぐるりと卓を回りこんで、ウィスクムの側に立った。

「これはオーク? いい木だ」

 丸めた指先で、軽く天板を叩く。もう一方の手が、長衣を捲り上げ、その下から短剣を抜き出した。

「ひ……っ」

 小さく悲鳴を上げるウィスクムを気にもせず、オーリはそれを振り下ろした。

 天板の上に広げた、自らの掌の中央に。

「う……」

 眉を寄せ、小さく呻く。ぶづり、と嫌な音がして、掌と天板の間に二センチほど空間ができた。短剣の先が天板に突き立っていて、赤い血がそれを伝い落ちているのが見える。

「な、何を、し」

 ウィスクムは直接的には荒事とは無縁な人生を経てきた。目の前の、血の色と匂いに動揺する。

「よく、見ていることだ」

 そう告げて、ゆっくりと、オーリはその短剣を引き抜き始めた。鋭い刃がその肉から抜けていくにつれ、傷口がすぅっと塞がっていく。

 そして、オーリは彼の目の前でひらひらと掌を何度か裏返して見せた。その皮膚には、薄い傷痕すら残ってはいない。流れ出た血は、もうぱりぱりと固まり、薄く剥がれだしていた。

「さて。私が風竜王の高位の巫子だということに、まだ何か異存があるかな?」

 呆然と、ウィスクムはオーリを見上げ、また正面に座る一行を順繰りに眺めた。

「そろそろ、お話の続きをしてもいいかしら、ウィスクム?」

 穏やかにペルルが尋ねてくるのに、竜王宮長はただ頷いた。


「しかし、ペルル様! そのようなことは前代未聞です!」

 数十分後、ウィスクムは悲鳴のような声を上げていた。

「あら、そんなことはありませんよ。今、私の口から聞いたではないですか」

 にこにこと笑みを絶やさずに、ペルルはそう返してくる。

 その笑顔には、三年前の少女の面影は残っているのに。

 彼女の周囲にいる巫子と〈魔王〉たちは、あれ以来一言も喋ってはいない。

 どんな入れ知恵をされているにしろ、今、ウィスクムと渡り合っているのはペルル自身なのだ。

「ですが、他の巫子とも何の協議もなさらずにそのような」

「間違えてはなりませんよ、ウィスクム。貴方が、真に忠誠を誓うのは誰ですか?」

 僅かに強い口調で、姫巫女が尋ねる。ぐ、とウィスクムが言葉に詰まりかけた。

「……ペルル様です」

 しかし、少女は静かに首を振った。

「いいえ。貴方が忠誠を誓うのは、ただ水竜王のみです。そして、四大竜王ご自身がこの世界を取り戻すようにと仰せです。貴方が異論を差し挟む余地などありません」

 奥歯を噛み締める。

 現在の状況に、不安がない訳ではない。

 カタラクタを支配しつつあるイグニシアが、各地の領主を始め、竜王宮をどう遇するか、全く予測が立っていない。もしかしたら、酷く悲惨な状況に貶められるかもしれないのだ。

 ペルルの話は、そのまま上手く進んでいたとしたら、酷く魅力的だっただろう。ウィスクムも喜んでその元へ馳せ参じたかもしれない。

 だが、第一陣として自らが名乗りを上げる、というのは、また別だ。

 何故この地を選んだのか、と恨めしい思いさえ覚える。

「……ああ。ひょっとして、貴方には竜王宮の長という立場は重いものだったのかしら? そうならそうと先に言ってくれないと、ウィスクム。皆様の前でこのような事態を晒すなんて、幾ら何でもちょっと軽率ね」

 柔らかなその口調に、かっと頭に血が昇りかける。

「……ご冗談を」

 何とか、軽い口ぶりでその場を収める。震える指を、卓の下で固く組み合わせた。


 緊張感に満ちた沈黙を破って、扉を叩く音が響いた。


「誰も通すなと言ってある筈だ」

 扉に目も向けず、ウィスクムは告げた。

「はい、ですが、竜王宮長……」

 扉の外から、気弱な声がかけられた。

「後にしろ!」

 苛立たしげな命令は、しかし更に続けられた声に、途切れた。

「ですが、領主様からのご使者がおいででございます」

 一瞬呼吸を止め、そして長く溜め息をつく。

 朝からあれだけの騒ぎが起きているのだ。今まで、何の催促も来なかったことが意外ですらある。

「少々お待ちください。すぐに戻ります」

 そう言って、腰を浮かせかけたところに。

「いいえ、駄目よ、ウィスクム。使者にはお待ち頂きなさい」

 ペルルはあくまでもにこやかに、そう言い渡した。

「しかし、領主の使者をないがしろにする訳には参りません」

 慌てて諫めた言葉に、ペルルは僅かに考えこんだ。

「そうね。長くなるようならご迷惑ね。一旦お引取り願いましょうか」

「ペルル様!」

 悲鳴に似た声を上げる。

 穏やかな瞳で見つめ返してきた少女が、静かに言葉を紡いだ。

「貴方が今、おとなしく頷けば、全てがつつがなく回り始めるのだけど。すぐにもご使者と会うことができますし、そのままこちらの意図を説明もできるわ。領主殿のご機嫌を損なうことはないでしょう。ああ、でも、貴方に竜王宮長の責務が重すぎるのであれば気の毒ね。副竜王宮長を呼んでいただけるかしら?」

 脂汗を滲ませ、信じられない気持ちでウィスクムは取るに足らないと思いこんでいた姫巫女を凝視していた。



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