06
明らかに安堵した顔で、オーリは野営地の中を歩いていた。
家長たちに歌を聞かせ、さほど習得に難はないこと、既に一定の観客を集めることに成功していて充分儲けが見込めること、未だ知られていない土地で歌えば競争相手はいないこと、などを全員に納得させたのだ。
これは彼にしてもかなりの力押しで、成功というには少々面映い。
「あれ?」
オーリを先導していた青年が、小さく呟いて立ち止まった。彼らの目前には幾つもの焚火が燃え、数人の年配の女性たちが忙しく立ち働いている。
「おかしいな。ここにいたのに」
青年がぐるりと周囲を見回す。彼がプリムラをここに連れてきたのだ。
「母さん! 先刻預けてった子、どこに行ったの?」
声を張り上げると、一人が顔を上げた。
「その子なら、フラウラが連れて行ったよ」
「フラウラ?」
きょとんとして青年が首を傾げる。
「来る途中に会った娘さんかな」
オーリの呟きに頷いた。
「うん。アクレオの妹だね。どれかの馬車にはいるんだろうから、行こうか」
踵を返して、馬車が停めてある場所へと近づいていく。
様々な色に塗られた箱型の馬車が幾つも並んでいるが、周囲は既に陽が落ちていて見た目の派手さは半減している。
「フラウラ! いる?」
馬車に近寄りすぎずに声をかける。流石は若くてもロマなだけはあって、声量があった。
「なぁに?」
一つの窓が開き、少女が顔を出す。
「先刻、女の子を連れて行ったっ」
「今行く! 待ってて」
青年の言葉を遮り、少女が姿を消す。馬車の外までも聞こえるようなばたばたという音と、少女たちの騒がしい声が響いた。
「……どうかしたのかな」
「元気だよねぇ」
オーリの呟きに、感心した風に案内役の青年が返す。慣れているのか性格なのか、動じていない。
馬車の扉が開き、プリムラとフラウラが姿を見せた。扉の内側からは、くすくす笑いと共に何人もの少女がこちらを伺っている。
「お疲れ様!」
嬉しそうな笑顔で、フラウラが声をかけた。ややむっすりとした顔で、プリムラが肩に手を置かれている。
「面倒を見ていてくれたそうで。ありがとう」
礼儀正しい笑みを浮かべて、オーリが礼を言った。
「いえいえ、大したことじゃ。ほら、プリムラちゃん、お兄ちゃんが来たよ」
「おに……?」
不審げに繰り返しかけた青年の向こう脛を、幼い少女は思い切り蹴りつけた。
「……ッ!」
「ちょっ、えっ、ノウマードさん!?」
のほほんとしていた案内役の青年も、流石に慌てた声を上げる。
「何だって、あたしがここまであんたの世話を焼いてあげないといけないのよ! もう知らない!」
そう、叫ぶように言い渡すと、プリムラは一直線に木々の間へと走り去っていった。月の光も差しこまない中、すぐにその姿は見えなくなる。
「ちょっと、あの、プリムラちゃん?」
おろおろとフラウラが声をかける。
「……、私が追いかけますよ」
苦痛に蹲っていたオーリが、何とか立ち上がった。
「でも、一人じゃ見つからないかも。結構広いんです、ここ」
「大丈夫。見つけられますから。心配しないで」
そう言い残して、青年は軽く走り出した。
背後に遠ざかる少女たちの会話で、大体の経緯が知れる。
プリムラの足音が、少しずつ近づく。
「……何やってんだ、あんた」
呆れたような呟きが耳に残った。
「うるさいなぁ……」
木々の下を通りながら、憮然としてオーリが零す。
クセロは、今日もずっと二人の警護に当たっている。ロマに見つからないように身を隠し、周辺を警戒しているのだ。
何かあれば、小声ででも口に出せばオーリには聞こえる。特定の人物に対する方向性を決めておけば、かなり離れていてもそれは可能であった。
が、オーリの反論は彼には聞こえないのだが。
やがて、プリムラの小さな背中がぼんやりと見えてきた。
「プリムラ」
声をかけると、ゆっくり足を止める。
オーリが枯れ草を踏みしだく音だけが、耳に入った。
「ええと……」
「上手くいったの?」
平坦な声で、少女が問いかけた。
「え?」
「家長の説得。上手くいった?」
プリムラは振り向こうとしない。
「ああ。そっちは大方私たちの要求が通った。明日から、こちらに通うなり泊まりこむなりで指導だ」
「そう。じゃあ、一応言っておくけど、先刻の人」
「うん。大体のところは把握した。面倒をかけてすまない」
言葉を遮られて、プリムラは口をつぐんだ。
「彼女たちは私が何とかあしらうから、君はもうその件に関しては全部私に言え、で放っておいていいよ」
「あしらう……?」
プリムラの硬い声に、内心首を傾げる。
「ああ。応じる訳にもいかないだろう」
「それは、……あの方がいるから?」
名前を濁す。少女にとって、竜王の存在とは、本当に遠い。
オーリが小さく苦笑した。
「それはまあ、私が高位の巫子だ、というのは一番大きいけど。でも、どちらにせよ私は父親にはなれないからだよ。彼女たちに期待させても仕方ない」
次いで発せられたのは、先ほどよりももっと近く、プリムラにも聞こえるような声だった。
「なに、あんた、枯れてんのか?」
「違う! って言うか、君、子供の前でもう少し言葉を選べ!」
即座にオーリは否定する。
別に具体的に言ってねぇだろ、と、姿を隠したままクセロがぼやいた。
「ええと……、その、つまり、私は本来三百年前に死んでいる人間だから」
なんだか切り出しにくくなりながらも、続ける。ぱっ、とプリムラが振り向いた。
大きく目を開いた少女の髪に、片手を乗せる。
「とっくの昔に死んでいる筈の人間が、これから先を生きる子供なんて作っちゃいけないんだよ。それは、とても不自然なことだ」
「だって、オーリ、生きてるのに」
子供、という言葉よりも、彼が本当なら死んでいる、という認識に衝撃を受けたらしい。プリムラが、オーリのマントを掴んでくる。
「ああ。ありがたいことにね。まあ、今までにも言い寄られた経験がなかった訳じゃない。何とかなるさ」
そう、三ヶ月前に言い寄られた相手に比べれば、ロマの少女をあしらうなど容易い。
くしゃ、とプリムラの赤銅色の髪を撫でる。
「さあ、戻ろうか。私たちは、これからまた一芝居だ」
楽曲の伝授は、さほど問題もなく過ぎた。
以前、同じものを教えた風竜王宮親衛隊は、結局のところ、ロマではない。勿論、元フルトゥナの民として、ある程度の素地はあったが、それでも彼らは戦士として生きている。聞いたことのない楽曲の習得には時間がかかった。
しかし、今回の相手は生粋のロマだ。彼らは楽器の演奏を、歌を、踊りを、親兄弟から教えられる訳ではない。生活に沁みこみ、自然に、そして意識的に観察して身につけ、それを生活の糧にしている。
しかも、その相手にオーリは懇切丁寧に教えこんだ。彼らの習得が早いのは、当然のことだろう。
三日もすると殆どが満足できる出来になって、オーリは内心驚愕した。
そして。
「ノウマード! お昼、一緒にどう?」
フラウラが、笑顔で駆け寄ってくる。
ロマの女性たちは踊る者が多く、好んで歌っているものはあまりいない。プリムラが教えるのは、三、四人といったところだった。
その中に、フラウラが入っている。
どうやら、本当は踊る方が得意なようだったが。
彼女はすぐに近づいてくると、実に嬉しげに腕を掴んできた。
が。
「ノウマードはまだ俺に教えている最中だ」
むすり、とした顔で、兄は横から妹の腕を振り解いた。
「えー! 昨日もそうだったじゃない。兄さん、ずるい!」
「何がずるい、だ。こいつの教え方が下手なんだろ」
無造作にオーリをこき下ろして、アクレオは青年の手を引くと踵を返した。
「あ、じゃあ僕も。ちょっと指が追いつかないところがあるんだよね」
ひょい、と横からもう一人がついてくる。初日に野営地を案内してくれた、穏やかなこの青年は、ヘリドニー家のイクトスと名乗っていた。
結局五人ばかりが追加授業に参加して、もう、と声を上げてフラウラが去っていく。
彼らの、若い娘たちに変な虫がつかないように、という防御策が功を奏して、オーリは特に手を打つ必要もなかったのだ。
下手にフラウラを拒絶して、彼らを家族共々敵に回すのは避けたい。実際、ありがたい対応だった。
補習を言い出したのはアクレオだが、彼は実際のところもう教えるところはさほどない。
そしてイクトスは、該当箇所をつっかえがちに、それでも何とか弾き通した。
「お前、こういうの下手だよなぁ」
「格好いい曲だから、ちゃんと弾きたいんだけどね」
周囲にからかわれて、苦笑しながらイクトスが返す。
彼の性格から見ても、戦唄よりも恋唄などの方が向いているのだろう。柔らかい、温かな音を出す青年だ。
彼の目の前で弾いて見せ、そして練習する、ということを何度か繰り返す。
「あ。そうだ。ノウマードなら弾けるかな、パラドゥース版の、アーラ砦の攻防」
イクトスが突然言い出して、全員がきょとんとした。
「あれか? 無理だろ」
呆れたように、仲間の一人が断じる。
それは、三百年前の戦いを題材にした歌曲の一つだ。演奏の困難さで有名で、今まで上演されたものの殆どは簡易に改変されていたものだという。
「確かに、あれはちょっと難しいな。長いしね。一部だけ、やってみようか」
オーリがリュートを構え直す。
次いで奏でられた音に、青年たちは息を飲んだ。
オーリの指が、信じられない速度で弦の上を踊る。
腕が三本なければ無理だ、とまで評された曲を、一見やすやすと弾いていく。
五分ほどで演奏は終わり、食い入るように見つめていた彼らはやっと思い出したように大きく息を吐いた。
「何だ、今の!」
「凄い、何でできるのさ?」
口々に喋りだす若者たちに、肩を竦める。
「まあ、何よりも鍛錬だよ。私は以前、時間が有り余ってた時期があったんだ」
「もう一度! もう一度、やってくれ!」
アクレオが、オーリの言葉など聞いてもいないように、更ににじり寄りながら要求する。微笑を浮かべて、師は再度指を走らせた。
翌日、オーリは数人の男たちと共に東地区にいるロマを訪ねに行った。
北地区のロマたちの指導が終わったら、次に向かう場所である。
既に家長たちから、交流のあるロマへは話を通しているらしいが、オーリが紹介されるのは今回が初めてだ。
街路を、馬でゆっくりと進む。
道連れに志願してきたアクレオが、決意したように仏頂面のまま隣に並んだ。
「ノウマード。妹の気持ちには、もう気づいているんだろう」
はっきりと切りこむのが、彼の流儀らしい。必要以上に刺激しないよう、オーリがゆっくりと頷く。
「それに応えるつもりはあるのか?」
「いや。私にはもう心に決めた相手がいるし、生涯を捧げるのはその相手以外にはない」
きっぱりと、そして実は熱烈なことをさらりと言ってのけた相手に、アクレオがかなり怯む。
「そ、そうか。いや、まあ、それならそれでいいんだが」
視線を彷徨わせてそう返してくる。何度か咳払いをして、ようやく続く言葉を発した。
「あー。知っているとは思うが、ロマの女は大体情熱的だ」
「ああ」
「妹は、俺たちが今後も街に残ると思ってる。だからまだ急いてはいないが、実は数日中に街を出ることは、いつばれても不思議じゃない。ノウマード。あんたが、昼も夜もなく俺たちを指導していて、殆ど眠っていないのは知っている。時々、野営地で仮眠を取っていることも」
「大したことじゃないよ」
アクレオが何を言いたいのか判らず、とりあえず返事をする。が、相手は数度首を振った。
「これは純粋に忠告だ、ノウマード。今日からは、休むのなら宿に戻った方がいい。後が無くなったと知ったフラウラが、夜這いをかけてくる可能性がある」
「よ……っ!?」
流石に予想外の言葉を聞いて、オーリが絶句する。
彼は若くして高位の巫子の座に就いている。竜王宮内の権力闘争を目の当たりにし、王や族長ともそこそこのつきあいを維持した。そして、イグニシアの侵攻に対して最後まで抵抗し切った。戦場を一人で駆け抜け、敵陣に乗りこんだこともある。
時折、グランは彼の政治経験の薄さを揶揄するが、実際にはかなりのものではある。ただ、グランの三百年を経たそれが並外れているだけで。
まだその地位に就く前は、先の高位の巫子に連れられて各地を巡った。色々な人と会い、世間を知ったつもりではいた。それでも、出会う民は全て彼らを巫子として扱ったので、確かに色めいた経験は少ないかもしれない。
所謂、『羊飼いの娘』のようなことなど、話にしか聞いたことはない。
悪名高いイグニシアの王女ならばともかく、普通のロマの娘がそこまで決意していようとは、正直、考えてはいなかった。
今度は自分がオーリを動揺させたことに奇妙に満足したように、アクレオはぽん、と相手の肩に手を置いた。
「まああれだ。お前の操が護られるように、俺も一応努力をするさ」
「……君の言葉に、私がどれほど心強いと思っているかしれないよ」
何となく肩を落とし、オーリは礼を述べた。




