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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
人の章

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05

 翌日の午後、いつものようにオーリとプリムラは北広場に向かった。

 子供たちを含めて既に二十人ほどの人間が待ち構えていて、顔見知りになった何人かが手を振ってくる。

 彼らによって、場所ももう取られていた。馬車が通る道からは外れた、雑音の少ない場所だ。

 周囲に迷惑になりつつあるのかもしれない。あの話にロマが乗ってくるにしろこないにしろ、そろそろ河岸を変える頃か。地元の人間に煙たがられ、追われる前に。

 内心の思いをよそに、笑顔のままリュートを構える。

「さて、何から参りましょうか?」

 口々に曲名を上げる観客の後ろ、かなり離れた位置に数名のロマの姿があった。




 夕暮れの街路を、ロマの先導に従って歩く。

「昨夜から昼までの間で、とりあえず賛同したのは五家族だ。他の三家族は、あんたから話を直接聞きたいと言っている。モノマキアの中で、他の居留地にいるロマに話をつければ、もっと増えるだろう」

 迎えに来たのは、昨夜と違ってまだ若い青年たちだ。態度は様々だった。素直に家長の決定に従っている者、逆に反感を持っている者、この状況を楽しんでいるような者まで。

「充分だ。ありがとう」

 短く礼を述べたオーリに、その面々から一様に少しばかり驚いたような視線が向けられる。

 彼らが辿り着いたのは、広い公園だった。木々の間に、住居にもなる馬車が幾つか停められている。

「お帰り、兄さん!」

 声を上げて近づいてきたのは、一人の少女だった。歳の頃は十七、八か。興行から帰ってきたばかりなのか、目が覚めるような衣装を着ており、この寒さに惜しげもなく腕や脚の肌を晒していた。艶やかな黒髪は念入りに手入れされているようだ。近くに来ると、ふわり、と花の香りが広がる。

「フラウラ。馬車に戻ってろよ」

 一人の青年が、顔をしかめて告げた。が、少女は全く気にした様子もなく、しげしげとオーリを見上げてくる。

「こちらが昨夜言ってた人?」

 苦い顔のまま頷き、青年はオーリを振り返る。

「俺の妹だ。フラウラ。こっちがノウマードと……」

「プリムラだ」

 幼い少女の肩に手をかけて紹介する。小さくプリムラが会釈した。

「よろしく、プリムラ。ノウマードもどうぞゆっくりしていってね」

 そう言って少女は鮮やかに笑う。

「ほら、もう帰ってろ。俺たちは家長たちと話があるんだから」

「なによもう。けちー」

 笑いを含んだ視線で兄を見ると、小さく指先を振ってフラウラは踵を返した。小走りに、馬車へと戻っていく。

「ここには、女性が多いのか?」

「あ?」

 オーリの問いに、兄と名乗った青年が睨みつけてきた。

「歌が歌える女性だ。あの歌で女性のパートを歌えるのは、プリムラしかいない。歌って貰えるならありがたいが、子供に教えられて素直に従ってくれるだろうか」

 フラウラの後姿を見ながら、思案げに言う。まじまじとその様子を見つめ、おそらくは彼は純粋に使命のことしか頭にないのだと思ったか、青年は小さく頭を振った。

「どっちにしろ、家長の言うことには従うさ。心配ない」

 そう告げると、彼は再び草むらの中に足を進めた。


 オーリらが連れてこられたのは、一つの焚火の前だった。

 滑らかに一礼するオーリに、じろじろと値踏みするような視線が集中する。

 そこには、八人の男女が円を描いて座っていた。年齢は幅広い。四十代という壮年から、七十は越えているだろうという老年まで。

 基本的に、ロマの序列は年齢で決まる。経験を積んだ者ほど、敬意を受けられるのだ。外見は二十代のオーリなど、若僧扱いも同様だった。

「お前が特使か」

「ノウマードと申します。こちらはプリムラ」

 うやうやしく述べた言葉に、鼻を鳴らす音が被る。

「その娘は、向こうへ連れて行け。イグニシアの人間に聞かれたくはない」

「彼女は赤ん坊の頃からロマに育てられています。イェティス様とも面識があり、排斥はされておりません」

 だが、家長たちは頑なだった。

「全てはお前から話を聞いてからだ」

「構わないよ」

 小声で、プリムラが囁く。近づいてきた、人懐こそうな青年が手を差し伸べた。

「母さんたちのところに連れて行くよ。今、夕飯を作ってるんだ。そこなら暖かいし、何か食べられるだろう」

「ありがとう」

 青年はにこにこと何か話しかけながら、馬車の方角へとプリムラを連れて行った。子供の扱いには慣れているようだ。

「さて、それでは話を聞こうか」

 ずしり、と重い言葉が響いて、オーリは家長たちへ向き直った。



 プリムラは、焚火から少々離れたところに椅子を置かれ、その上にちょこんと座っていた。周囲では、中年の女性たちが忙しく料理を作っている。

 数家族が集まったことで、おそらく男たちはこの後宴になるのだろう。

「……あの、お手伝いしましょうか」

 居心地が悪くて、申し出てみる。

「あら、いいのよ。ごちゃごちゃしていてごめんね」

 だが、あっさりと断られた。

 一応、プリムラは客という扱いになっているのだろう。手伝いどころか、自分たちの調理の邪魔になる、とも思われている。だが、それ以上に、調理の場にイグニシア人を近づけたくはないのだ。

 家族以外のロマと一緒になると、よくあることではあった。

 少しばかり寂しさがこみ上げて、膝の上できゅ、と拳を握る。

「あ、いたいた! プリムラちゃん!」

 だが、突然高い声が響いて、驚いて顔を上げた。

 先刻(さっき)声をかけてきた少女が、笑顔で近づいてきている。彼女はまだ衣装を脱いでいない。

「これ、フラウラ! ちょっとは手伝いなさい」

 母親らしき女性が声を上げるが、彼女はそれをぐるりと避けて近づいてきた。

「えー。嫌ぁよ、踊って疲れてるのに。それより、こっちにおいでよ。おばさんたちの間にいるより、おねーさんたちと一緒にお話ししましょ」

「え、あの、でも」

 いきなりたらい回しにされて、母親たちの様子を伺う。

 彼女は娘が手伝わないことには不満のようだったが、プリムラがいなくなることに反対はしていないらしい。

「失礼をするんじゃないよ」

「大丈夫大丈夫」

 明るく笑って、フラウラはプリムラを強引に立たせた。そのまま、馬車の一つに向かう。

 扉を開けて、中に垂れ下がる何枚もの布を掻き分けた。独特の香の香りが湧き立つ。

「来たわよ!」

 中から、わっと歓声が上がる。

 馬車の中には、五人ほどの少女がいた。思い思いに服を選んだり、髪を結い上げたり、頬紅を差したりしている。

「これがその子?」

「ほんとにイグニシア人なんだ」

「服、似合うもんなのねぇ」

 口々に話しかけられて、力ない笑いを浮かべた。

 プリムラには、数人の姉がいた。ロマの少女がどういうものか、大体は判っている。

「はいはい、黙って! びっくりしてるじゃない」

 フラウラがびしりと制止して、プリムラを中へと入れた。部屋の真ん中に、クッションを集めて作った席に座らせる。

 少女たちはフラウラが場を仕切っていることは少し面白くないようだったが、抑え切れない好奇心で闖入者を見つめていた。

 プリムラのすぐ傍に、フラウラが座る。ずぃ、と顔を寄せてきた。

「あんまり時間がないから、はっきり聞くわよ。あのノウマードって人、独身?」

 きゃああ、と周囲で黄色い声が上がる。

 ……以前、グランは諍いというものは、それが顕在化する前にどんな手を打ったかで大体の勝敗は決まるのだ、と言っていたことがある。

 プリムラは幼く、また少女でもあったので理解できるとは思っていなかったかもしれない。

 だが、年頃の姉たちを持っていた彼女は、それをよく知っていた。

 ……これは、女の戦いの前哨戦だ。



 議論は白熱する。

「この男の申し出に応じられないとしても、被害は確実にこうむるではないか。決起してそれが失敗に終われば、カタラクタは確実に我々を虐殺しにかかるぞ。その時、無関係だと言い張って聞き入れられるものか」

「だが、この生活にこれ以上耐えられるのか? 我々にも、安息の地が必要だ。僅かな自治区を得られる程度でも」

「我らは満足しても、王国はそれに満足しないだろう。更なる迫害は避けられん。今の我らが勝利するなど、どう考えても無理だ」

「腰抜けが! 奴らのお情けに縋って、そうして一生を終えられればいいというのか!」

 既に自分の手が離れたところでの議論に、オーリは内心溜め息をつく。

 王や族長、というものがない、家族単位の人々がこれほど纏まりにくいものだとは、正直予想していなかった。

 多数の人間を纏め上げる者には、それなりの思考の道筋がある。感情をある程度排し、利益と不利益を天秤にかけ、集団に対して最善の道を選ぶために。

 三百年前、オーリはさほど王や族長たちとは親しくしていなかったが、彼らの苦労を今更ながらしみじみと偲ぶ。

 いっそ自分が巫子だと身分を明かし、彼らを纏め上げてしまおうか、という誘惑にも駆られるが、実際にはそのつもりはなかった。自分の心情的にもできないことだが、それを今やってしまうとグランの策が確実に水泡に帰す。

 決起する、ということは(ほの)めかさない方がよかったか。少しばかり、性急に過ぎたかもしれない。

 だが、この先、グランの策が進めば、彼らには確実に被害が及ぶ。その前に、心構えだけでも持っていて欲しかったのだが。

 とりあえず、この場を収めなくてはならないだろう。オーリは静かな、しかし張りのある声を響かせた。

「皆様、申し訳ございません。少々情報の行き違いがあったようですね。イェティス様は、今後王家に対して決起する、などと明言されてはおりません」

 戸惑った呟きが、幾つか漏れる。

「しかし、昨夜お前と話した者たちは……」

「ですから、行き違いがあったようだと。私としても、推測など軽々しく口にするべきではありませんでした。お騒がせ致しましたことはお詫びします」

 深く頭を下げる。ざわざわと、不審げなざわめきが起きた。

 彼らが互いにいがみ合うよりは、オーリ一人を猜疑の目で見る方が、ずっとましだ。

「イェティス様の要請は、ある歌を広めていただきたい、とのことだけです。歌を一つ歌い続けることで、どうして王国より迫害を受けましょうか」

 口ごもるように、家長たちは言葉を飲みこんだ。

「ふん。イェティスなど、若僧がいい気になりよって」

 ぶつぶつと文句をつける者も一人はいたが。

 イェティスがいるのは、大陸の反対側だ。カタラクタに名前は知られていても、権威はさほどでもないのだろう。

「ともあれ、とりあえず歌をお聞き頂きましょう。その後で判断してくださればいいかと」

 さらりと流して、オーリはリュートを手に取った。



「ええと、結婚、はしてなかったと思うよ。でも、心に決めた人はいるって聞いたかも」

 少女たちの勢いに押されながら、プリムラが口を開く。

「婚約者持ちかぁ」

「その人、どんな人?」

「どんなっていうか、よく知らないかな」

 正直なところを話す訳にもいかないので、とにかく当たり障りなくごまかすことにする。

「じゃあ、今一緒にいる訳じゃないのね。彼は何ヶ月か、ひょっとしたら何年かこっちにいるだろうから、充分時間はあるわ!」

 フラウラが勝ち誇ったように拳を握った。

「いやあのそれは……」

「なに、そんなにいい感じの人なの?」

「だって、なんだかミステリアスでどきどきするんだもの」

 フラウラが頬を染めて告白する。

 ロマは、移動していたり、地方の村々を渡っているうちは、出会いというものが殆どない。

 他の家族と交流することができる、ある程度大きな都市での滞在期間は、年頃の若者たちには格好のチャンスであるのだ。

「ミステリアスは結婚には不向きよー?」

「それに、結局イグニシアの人でしょ? 色々大変そう」

「向こうに住むのも、ちょっと不安だし」

「つまるところあれよね。どれだけ稼げるかと、どれだけ私の言うことを聞いてくれるかよね」

「やだもう、夢がないわね!」

「そうそう、一人で来てるみたいだけど、家族は?」

「い、いない、みたい。でもほら、財産もないよ。馬車も持ってないから、身一つで馬で移動だし」

「そんなの、若い人なら珍しくないわ。むしろ持参金を積む必要がないかも」

「歌は上手い? 演奏は? 人あしらいは?」

「博打とかにのめりこんだりしてる?」

「酒癖が悪かったり、こっそり暴力振るったりしないかしら」

「浮気性だとかは?」

「むしろあなたになびいたら浮気じゃない」

 やだー、と少女たちは笑い声を上げる。

 リアルだ。

 ここ数ヶ月お仕えしている主人が慎ましやかであることを、実は時折歯がゆく思っていたりもしていたのだが、今は何となくその少女が懐かしい。

 が、現在のプリムラの任務は、オーリの補佐である。何とか諦めさせられないかと、彼女は更に言葉を発した。

「あの、でもね、悪いけど本当に望みはないと思うよ。その人に心底惚れこんでるっぽいから、オー……」

 うっかり、本名を口にしかけて、慌てて言葉を切る。ロマの少女たちは、それに不審そうな視線を向けてきた。

「お?」

「お……、お兄ちゃん、は」

 かなり苦しいごまかし方だったが、彼女たちは微笑ましげに見つめてきた。

「お兄ちゃん取られちゃうんじゃないかと思ったのかな?」

「やだもう可愛いー!」

「えええええ、そ、それはないよ!?」

 年頃の娘たちの発想に驚愕する。

 プリムラが、オーリと彼の竜王とが共にいるところに居合わせたのは、一度だけ。フルトゥナを覆っていた呪いを解いた時だった。

 だが、あの地にいる間、オーリは殆どの時間を祭壇の間で過ごしていたし、その後も折に触れて仲間たちからその仲のよさを揶揄されている。彼自身、臆面もなくそれを認めていた。

 望みなど、微塵もない。

 想いが受け入れられたとしても、それはあくまでも竜王の巫子として、民に対するものだろう。

 ……何だかちょっとばかりイラッとして、プリムラは口を噤んだ。

 少女たちは、今日ここに集った若者たちの噂話に忙しい。

 やがて、細く開いていた窓から、遠くに歌声が聞こえてきた。




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