04
二人のロマは夜には何軒かの酒場に姿を現した。
そうして次の日の昼間には広場に、という日々が二日、三日と続く。
やがて噂が広まり、広場で彼らがやってくるのを待つ人々が現れた。
それなりの人口を抱える藩都ですら、この噂の速さは並外れている。
彼らがモノマキアに姿を現して、一週間ほども経った頃だろうか。
夜の闇に紛れ、彼らの行方を遮る者たちが、いた。
「はぐれ者。話がある」
そう言い渡して路地を塞ぐのは、四人ばかりの男だ。薄闇の中にぼんやりと、色とりどりのマントを纏っているのが見える。ロマだ。
「……待ちくたびれたわ」
殆ど吐息を漏らすのと変わらない声で、プリムラが呟く。ぽん、とその肩に手を置いて、オーリが口を開いた。
「何か?」
「まず、名前はなんと言う。見ない顔だが、家族はどうした」
「ノウマードだ。ちょっとばかり訳ありでね」
軽く肩を竦めて返す。
「何故、イグニシアの子供を連れている?」
「知人に頼まれて、しばらく預かっているんだ。イグニシア人とはいえ、この子は産まれてすぐにロマに育てられている。特に問題はない筈だ」
僅かに間をおいて、オーリが逆に切りこんだ。
「ロマには縄張り争いはない。何故、そんなことを尋ねてくる?」
基本的に、ロマは定住することを許されない。
フルトゥナ王国が滅亡した直後には、そのような動きもあったが、それらの集落はやがてことごとく焼き払われた。
フルトゥナの民が土地を手に入れ、家に住み、子孫を増やし、一定数の勢力となることを、イグニシア、カタラクタ両王国が忌避したからだ。
そして彼らはロマとなり、流浪の生活を余儀なくされた。
その代わり、とはいかないが、都市において、広場や公園などの公共的な場所で、また、酒場など所有者が許可を出した場所での興行は許されている。それに関しては、領主も、どのような犯罪的組織も口を出さない。よほど、目に余るようなことがなければ。
オーリたちに関しては、クセロが既にモノマキアの組織に手を回しているため、万が一目をつけられるようなことがあったとしても、大した被害にはならない筈だ。
そして、長くても数ヶ月で移動しなくてはならないロマは、都市での縄張りなどは主張できない。
こうして、ロマが他のロマに対して友好的でない接触をしてくることは、あまり例がないことだった。
「縄張り争いは許されていなくても、同じ街にいるものは把握しておきたい。お前は出自がはっきりしなさ過ぎる」
「それに、あの歌は何だ。我々の誰も聞いたことがないし、お前自身、カタラクタでは初めて歌われる、と言っていたそうじゃないか。どうやってあの歌を身につけた」
「イグニシアの方で教わってきただけのことだよ」
口々に詰問されるのに、肩を竦めてオーリが返す。
「イグニシアとは、もう何ヶ月も軍以外の行き来はされていない。嘘をつくな!」
「訳ありだ、と言っただろう。少しは考えた方がいい」
数十秒の沈黙の後、壮年の男が慎重な声を出した。
「お前一人の考えではないというのか。お前の背後にいるのは、誰だ」
すっ、とオーリの視線が冷えた。至極真剣な表情を浮かべる。
「……イェティス様だ」
そして、彼は滑らかに、嘘をつく。
「イェティス様……?」
ロマたちは意図的に薄暗がりに立ってこちらに対峙してきていた。それでも、彼らが動揺した気配ははっきりと伝わってくる。
イェティスのいる本拠地は、フルトゥナのイグニシア側だ。カタラクタにいるロマたちに影響力は少ないのではないか、と思っていたが、どうやら杞憂だったらしい。
「この歌を各地へ伝え、広めるようにと密命を受けている。カタラクタへは、伝手を辿っても私たちが来るのがやっとだった。できるならば、こちらのロマへも協力を仰げ、とのことだ」
「しかし、何故そんなことを」
「詮索する必要はない。私たちは、命令をただ遂行すればいいだけだ。……尤も、推測することはできるが」
「どういうことだ」
思わせぶりな言葉に、考える間もなく問いかけられる。
「あくまで推測でしかない、が。……決起が近いのかもしれない」
気配が息を飲む。人気のないところを選んでいるのに、反射的にかれらは周囲を見回した。
「本当なのか?」
「推測だと言っただろう。だが、今までに、イェティス様がこちらまで手を伸ばされたことがあったか? それに、イグニシアもカタラクタも互いの戦争で疲弊し、手一杯だ。両国で一気に決起すれば、勝機はあるとお考えなのかもしれない」
ごくり、と喉を鳴らす。落ちつかなげに周囲をちらちらと見る。冬の夜だというのに、額の汗を拭う。
オーリの言葉に、面白いようにロマは惑う。
「言わずもがなだが、今のことは秘密だ。特にカタラクタに知られたら、我々はまた虐殺されかねない」
「あ、ああ。判っている」
充分に揺さぶれた、と判断して、オーリは彼らを見渡した。
「あの歌を覚えて、カタラクタ南部へ広めてもらいたい。できる限り、早期に。我々に必要なのは、混乱を引き起こす下地だ。だが、言うまでもなく、この行動には危険が伴うだろう。それを判った上で応じてくれる者がいれば、私が教えよう。昼間はいつも北広場にいるから、声をかけてくれ」
そう告げて、足を踏み出す。自然、行く手を塞いでいたロマたちは横へ避けて彼らを通した。
ひたひたと、押し殺した足音が背後からついてくる。
プリムラが、オーリのマントを小さく引いた。だが、青年は何も反応を返さない。
……まあ、彼が気づいていないとも思ってはいないが。
歩く早さを全く変えず、二人はモノマキアの街路を抜けていく。
やがて、数件の酒場が立ち並ぶ通りに入った。閉じられた扉の奥から猥歌が響いてくる。
ロマの二人連れが通り過ぎた直後、そのうち一軒の扉が大きく開いた。
細身の若い男が、筋骨隆々の大男に喉元を掴み上げられている。大男は、無造作に通りへと若い男を放り出した。
丁度そこを通ろうとしていた男たちが、慌てて数歩引いた。地味なマントを着ているが、ブーツに色とりどりの飾りがついている。どうやらこちらもロマのようだ。
「何しやがる!」
「何しやがる、だ? 人の女に手を出しておいて、これぐらいで済むならありがたいと思え!」
轟くような声で、大男が怒鳴った。よろり、と若い男が立ち上がる。酒場の入口から漏れた光に、頭を覆った布からはみ出た金髪が映える。
「へぇ。あの娘、もうお前には飽き飽きだって言ってたけどな?」
「……っ、てめえ……!」
どすん、と大男が街路に踏み出る。酒場の奥からは、酔客の野次が次々に飛んだ。
怯んだようにそれを見ていたロマたちを、大男がじろり、と睨めつけた。
痴情のもつれとあっては、しばらく喧嘩は終わるまい。通行人は早々に別の道を探すことにしたようだった。
「いたか?」
「いや、いない」
「さほど遠くへ行っていないはずだ。探せ!」
ひそひそと低い囁き声が交わされて、足音が四方へと散る。
酒場の喧騒も、扉越しにしか聞こえなくなった路地裏に、よろめきながら若い男が入ってきた。背を、建物の石壁に押しつける。
「……大丈夫なのか?」
頭上から、小さな声が降ってきた。
「大したこたぁない。派手に見えても実際は手加減した殴り方なんて、おれたちは十歳にならないぐらいで身につけるもんだ」
クセロは彼らが街に出た当初から、ずっと身を隠して傍にいた。二人の安全を保つために。
酒場で騒ぎを起したのは、わざとだ。大男も、実は金を払って協力してもらっている。喧嘩を起して、つけてきたロマを足止めし、その間にオーリとプリムラは手近な建物の屋根へと飛び移り、身を隠していたのだ。
「今夜は戻らない方がいいな。奴ら、ヤサを突き止めそうな勢いだったぜ。東へ三ブロックほど行ったところに、『白鷺亭』って宿があるから、そこに泊まれ。おれの名前を出したら、誰がきてもごまかしてくれる。大将たちには、おれが一応報告しておくよ」
「君たちは本当に色々と気を配るんだな」
呆れたような声がかけられる。
「大将にゃ及ばねぇさ。まだまだだ」
「彼みたいになる前に、真人間に戻った方がいいよ」
「ああ、その忠告は遅かったな。一年半ばかり」
喉の奥で小さく笑う。そのまま、街路の様子を伺った。
「気をつけろよ」
「君も」
そして音もなく、オーリたちは再び街路へと姿を現した。
「ようやくか」
ロマとの接触があった、との報告を受け、グランは安堵したように呟いた。
「一週間だろ? かなりかかったな」
アルマがやれやれといったように口を出す。
「ロマは基本的に臆病だからな。慎重に様子を見てたんだろう」
オーリは、この策を実行に移すにあたって、向こうから接触があった場合のみ、という条件をつけた。あくまで彼らに選択権を与えたい、という意思を譲らなかったのだ。
まあ、自発的な行動でなければ、こちらとしても困る。グランはそれについてはさほどごねなかった。
おかげで屋敷から一歩も出ることができないアルマは、酷く退屈な時間を過ごしていたのだが。
「僕らが動くまでには、まだ時間がかかるぞ。覚悟しておくことだ」
グランがそう言って、アルマは溜息を落した。
「あの、クセロ。その傷を癒しましょうか」
一方、屋敷から出られないことは一緒だが、一度も不平を漏らしたことのないペルルは、気遣わしげにクセロに問いかけた。
今、男の頬は赤く変色し、唇の端は切れた痕がある。
が、クセロはぞんざいに片手を振った。
「ああ、いや、大丈夫だよ。明日、殴った奴らにまた会うかもしれないし、そうしたら不審に思われる」
「ですが……」
見るからに痛々しげな状態に、ペルルは顔を曇らせる。
「見た目ほど痛い訳じゃねぇよ。歯が折れてもいない。姫さんが気にするこたぁないさ」
「それに、その気になればもう自分でも癒せる訳だしな」
グランがさらりとつけ加えた言葉に、クセロは露骨に嫌そうな顔をした。
「そういうことを思い出させるのは止めて貰えねぇかな」
「お前こそ、いつまでも避けて通れるものではないことをいい加減理解するべきだ」
きょとん、と二人を見比べていたアルマが口を開く。
「ひょっとして、竜王の御力をまだ使ったことがないのか?」
「必要ねぇだろ」
ふい、と視線を逸らせて、新米の巫子は返した。
「いやまあ、必要はなかったかもしれないけどさ」
首を捻りかけて、ふと疑問に思ったことを口にした。
「竜王の御力って、どういうタイミングで使えるようになるものなんだ?」
高位の巫子たちが顔を見合わせる。
「竜王に選ばれた時、かな。竜王から額へと御力を注ぎこまれて、僕らは存在を只人から変換される。その時に、何ができるのかも理解できていたような気がする」
グランが考えこみながら、答えた。ペルルが同意して頷く。
「じゃあ、クセロはもう何ができるのか知っている訳だ」
「だからそっちに話題を持っていくのはやめてくれよ、旦那」
げんなりした表情で、地竜王の高位の巫子は頼みこんだ。
「お前はもう少し、色々と割り切れる人間だと思っていたがな」
残念という風ではなく、むしろ面白そうにグランが言う。
「だってよ。何ていうか、その、不自然だろ」
珍しく、僅かに拗ねたようにクセロは返した。
「お前、この面子の中でそれを言うのかよ」
アルマが呆れて呟く。今ここにいるのは、人ならざる力を持つものばかりだ。
「地竜王様は何かおっしゃられていますか?」
「いや。特に何も。おやっさんは、基本的におれに何を与えたかとか、おれが何をするかとかに興味はないみたいだ」
ペルルの問いかけに、金髪の男が肩を竦めて返す。
「風変わりでいらっしゃいますね……」
形容に困ったか、姫巫女は短く返した。
「地竜王の民は一人だけだからな。ひと一人のことなど、竜王には一瞬で把握できるだろう」
「いや、じゃあ風竜王はどうなるんだ? あそこも民は一人じゃないのか?」
グランの推論に、アルマが疑問を投げる。
「いや、風竜王は、本質的には民を持っている。現在、竜王から民へ、民から竜王へ、の加護と信仰のやりとりが断絶してしまっているだけで。それだとて、今後回復することはできる。オリヴィニスがその気にさえなればな。そもそも、風竜王には数千年に渡る民との積み重ねがあって、地竜王にはそれがない。どちらかと言えば、その要因が一番大きいだろう」
「……こういう話を聞いていると、頭痛がするんだよ」
うんざりした顔で、クセロが呟く。
それを真っ直ぐにグランは見据えた。
「お前が手に入れた御力は、既にお前の能力だ。お前が今まで磨いてきた、詐欺や掏摸や押しこみや金庫破りや殺人と同じように。まあ、すぐに慣れろとは言わん。数ヶ月、時間はあるだろう」
能力、と呟いて、クセロは何となく自分の掌を見つめた。




