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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
人の章

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87/252

02

 アウィスに着いたのは、翌日の午後遅くのことだった。

 馬たちは補給船の方に乗せることにしたらしい。物資を移動させて船倉が空いているからだろう。

 渡し板を慎重に馬に渡らせている竜王兵たちを、オーリが甲板からぼんやりと眺めている。

 細い、銀の糸のような雨が、しとしとと全てを濡らしていた。

「ノウマード?」

 衣擦れの音で、相手が甲板に出てきたのには既に気づいていたが、声をかけられてやっと振り返る。

 そこにはペルルが一人で立っていた。小さな顔を縁取る亜麻色の髪に、真珠を散りばめたように水滴が光る。

「ご機嫌よう、姫巫女」

 向き直って、小さく一礼する。

「ありがとう。でも、そうでもありません」

 力なく笑って返してくる。少女の顔色は、確かに少々宜しくない。

 ペルルは隣に歩み寄って、船の外に視線を向けた。ゆっくりと、オーリもそれに倣う。

「……思えば、貴方と二人きり、というのは、珍しいですね」

 ぽつり、とペルルが呟いた。

「そうですね」

 ペルルの傍には常時プリムラがいるし、アルマもかなりの時間を一緒に過ごしている。

 だが、今、彼らがペルルを慕う気持ちはともかく、立場としては対立してしまっている。共にいるのは、気詰まりでもあるのだろう。

「……逃げ出しましょうか」

 船縁に頬杖をつき、気だるげにオーリが漏らした。

「どうやってです?」

「なんとでもなりますよ。あの馬を奪って、(またが)ってしまえば、もう誰も私には追いつけない。どこにだって、行きたいところへ行くことができます」

 全く本気ではない証拠に、酷くつまらなそうな口調で続ける。

「そうですね。そう、できればいいのでしょうね」

 ペルルもそう返す。だが、彼らはよく判っていた。

 グランは、例え竜王の高位の巫子が自分一人だけであったとしても、この先の策を躊躇なく行動に移すであろうことを。

 侵略国側の巫子が、自らの王家の軍を糾弾する。強制力はともかく、インパクトだけは充分だ。

 そして、カタラクタの領主たちの不満が危険なほどに高まっているのなら、容易くグランを利用しようとするだろうことも、予測はついた。

 それが、火竜王の高位の巫子の思う壺であることなど、知りもせずに。

「全く……。グランを見ていると、私は三百年一体何をやっていたのかと、情けなくなりますよ」

 小さく吐息を漏らしながら、オーリがぼやいた。

 この三百年、グランは政争に明け暮れると同時に、この一連の策を練っていたのだろう。

 考えうる全ての状況を考慮し、考えつく全ての関係者の性格に応じて。

 今まで彼らが辿ってきたこの道の他に、何十、何百の道筋を考え、そして潰してきたものか。

 オーリは、この三百年の殆どを国内に封じられていた。どれほど胸の内を憎悪と復讐への渇望に焦がしたとしても、動けず、情報も手に入らない以上、何もできないも同じだ。

 それでも、自分がグランと同じ条件にあれば、もう少し民が救われる道もあったのか、と思わずにはいられない。

 その時点で悔やんでいる限り、思考は前へは向かわない。

 それを思い知らされたのは、しばらくの間沈黙していたペルルが口を開いた時だった。

「ノウマード。私は、逃げません」


 その強い口調に驚いて、少女の横顔を見つめる。

「イグニシア軍が侵攻してきてからずっと、多くの人々が色々なことを話してきました。どう行動すればいいのかと、その方の意見を。一番多かったのが、逃げ出すという提案でした。勿論、彼ら自身も恐ろしかったのでしょうが、私がかつての風竜王の巫子のように殺されて、竜王を封じられてしまうのではないか、という恐れがあったようです」

 きょとん、として見返してくるオーリに気づいて、僅かに笑みを零す。

「私は逃げませんでした。貴方のように踏みとどまって戦うことはできませんでしたが、私が人質となって戦を終わらせることが、一人でも多くの民を救うことだと思ったからです。その選択を、私は今まで一度たりとも後悔したことはありません」

 誇りに満ちたその顔に、ふ、っとオーリは自嘲する。

「姫巫女はお強くていらっしゃる。私は、後悔していますよ。何から何までを。後悔してばかりで、逃げてばかりだ」

 彼女の強さを若さ故だ、と評したら、きっとペルルは怒るのだろう。今は。

 大きく溜め息を落とし、そして風竜王の高位の巫子は、ぐぅ、と長く伸びをした。

「さて。最前線で最後まで踏みとどまった粘り強さで、少しは頭を絞りましょうか」

 ペルルを見下ろして、苦笑してみせる。

「お知恵を貸して頂けますか、ペルル?」

 ぱっ、と少女の顔が明るくなる。

「ええ。グラン様は、全く聞き分けがないわけではないのですもの。きっと、上手くいきますわ」

「そうですね。年長者として、あの小生意気な子供の鼻を明かしてやりますよ」

 微妙にかみ合っていない会話を交わしつつ、かれらはようやく船内へと足を向けた。




 アウィスを発って二日間。彼らはずっと議論を続けていた。

 思いつく限りの提案をし、討議し、突き詰め、そして諦める。

 殆どの発案は、既にグランによって考えられ、破棄されていたために、その流れはさほど滞ることはなかった。

 とはいえ、この幼い巫子は、それら全ての案を現在の状況に当てはめて考慮し直す、という手順を一つ一つ踏んでいった。当初、彼の策を拒絶した二人の巫子が、少なくとも冷静に討議の席に着いた、という意思に感謝を示しているのだ。

 アルマは殆ど発言しなかったし、クセロに至っては徹頭徹尾面白そうな顔をして座っているだけだ。

 一旦休憩、として取った時間に、オーリは力なく卓の上に上体を投げ出していた。

「全く、君は、これだけの考えを全部頭の中にしまってあるのか?」

 感心して、というよりもむしろ非難するような口調に、グランが肩を竦める。

「書き記しておいては、敵の手に落ちる可能性がある。竜王宮に密偵が入りこんでいないなど、楽観的な考えは持っていない」

 その答えに、アルマが少しばかり驚く。彼は、火竜王宮を絶対的に支配していると思っていた。

「まあ、僕の策が、最善ではあっても万全ではないことぐらい判っている。カタラクタの領主に助力を請うても、相手が乗ってくるとは限らない。そもそも、謀反は大罪だ。すげなく追い返されるぐらいならともかく、こちらの首を土産に龍神に取り入ろうと思うかもしれない。話を持ちかけた領主の一人にでもそのつもりがあれば、目論見は崩れる。おそらくは、最悪の形で」

 流石にこちらも疲れたように、グランが零す。

「でも、君はそれに対しても手を打っているんだろう?」

 皮肉げに、オーリが問いかけた。

「誰かがやらなくてはいけないことだ」

 短く、幼い巫子が返す。当然のことのように。




 モノマキアの港に、フルトゥナ側から入港するのは不審を招く、という理由で、二日前から進路を北東にとった。放物線を描くようなルートで、結果的に北西から港に入る形になる。

 二艘の平底船は、さほど人目も引かぬまま、港に近づいた。舟を下ろし、ある桟橋に向けて漕いでいく。

 桟橋に作られた見張り小屋へ近づくと、舟上の竜王兵が声をかける。尤も、今は一見ただの水夫にしか見えないが。

 姿を見せた男と数分話し合って、男は小走りに桟橋の先端へと向かった。大きく手を振り、桟橋へと誘導する。

 小屋からはもう一人の男が走り出た。そのまま街へと通じる門へと向かっていく。

 綱をもやい、しっかりと係留したことを確認する。渡し板を下ろして、ドゥクスが桟橋へと降り立った。誘導していた男が、小さく頭を下げる。

「ドゥクスだ」

「お待ち致しておりました。皆様は馬は?」

「載せている。街へ出るのに、何か手続きでもあるのか?」

「商品を運び出さない限りは、特に。訪れた人間をいちいち管理できるほど、港の執政所に人手はありません」

 ドゥクスがおもむろに頷く。

 馬と馬車を船から降ろすまで、一行は船室から出なかった。馬車も、桟橋の外から視線を遮るような形で停めている。

 人目を忍んで馬車に乗ったのは、グランとペルルの他にはドゥクスとアルマだ。フードを被っていても、ふとしたことで脱げてしまうかもしれず、角を晒け出す恐れがあるためだった。勿論、馬車の中でもフードを深く被っている。

 クセロとオーリは馬に乗っている。オーリは再び額のエメラルドを布で覆っていた。クセロの頭の上に、ここ数日で見慣れてしまった地竜王の姿はない。

 一行の先頭を進むのは馬車で、手綱は桟橋にいた男が取っている。プリムラはその隣にちょこん、と腰を下ろしていた。

 がたがたと揺れながら、港と市街地を隔てる門をくぐる。開きっ放しのそれは、多くの人や荷車が出入りしており、見張りらしき人間は数人だけだった。それも、荷が乗せられた荷車を止めて、書類を確認している程度だ。

 アルマたちも軽く呼び止められるが、御者が身軽に降り、馬車の後ろ、荷物を載せるための扉を開け、中が空っぽであることを確認させるとすぐに解放された。

 市街地を進む間、そっと窓から外を覗き見る。

 人々の表情は明るくないが、冬場の屋外、となるとそれも不思議はない、とイグニシア出身のアルマは判断する。子供たちの歓声は時折聞こえてくるし、街路にイグニシア王国軍の姿はない。戦場から王都への帰還途中、王国軍が駐留していた街に立ち寄った時の様子とは違う。

「……不満が渦巻いているようには見えないな」

 小さく、アルマが呟いた。

「不満が見えないのなら、見えるようにするまでだ」

 グランがそれに返した。ここ数日の会議の結果決まった方針は、更に策謀の色が濃くなっている。

「お前が楽しそうで何よりだよ」

 頬杖をつき、投げやりにアルマは応えた。



 住宅街の中でも閑静な一角、かなりの敷地を有する屋敷に、馬車は辿り着いた。門番が既に待ち構えていて、大きく門を開く。

 屋敷の玄関の前にも、数人が待っていた。最も上等な服を身につけた男が、車寄せに入った馬車の、わざわざ街路側へと回りこんだ。

 そちらの扉からはドゥクスが降りてくる。

「おお、実に久しぶりだな、ドゥクス! 来てくれて嬉しいよ」

 差し出された手を、薄く笑みを浮かべてドゥクスが握る。

「世情が世情だけに、あまりこちらへ寄れなくてな。変わりはないかね?」

「散々だ。今年の小麦は不作でね」

 二人の男が大声で小麦の収穫高と市場の愚痴を言い合っている間に、残る来訪者たちは屋敷へと静かに通された。彼らの後から、ドゥクスたちも騒がしく入ってくる。

 玄関の重い扉を閉めて、ようやく彼らは大きく息をついた。

「ご無沙汰しております、グラナティス様」

 深々と、屋敷の主人が一礼する。

「ああ。いつもよくやってくれているな。今回は世話になる」

 鷹揚にグランが頷いた。

 ここは、モノマキアにおける火竜王宮の拠点だ。

 出迎えた男は火竜王の巫子の一人で、トルミロスという。イグニシアの商人と身分を偽り、モノマキアで商売を続けている。ここ五年ばかりは利益も上げている、と船の中でグランは説明していた。

 カタラクタの要所には、こうして火竜王宮が密かに人を入りこませていた。それを聞かされた時に、ペルルは酷く驚いたものだったが。

 次いで、ハウスメイドにマントを渡したアルマにトルミロスは向き直る。

「お初にお目にかかります、アルマナセル様。お父上はお元気でいらっしゃいますか」

「父を知っているのか」

 少しばかり驚いて、尋ねる。角を隠すことなく晒している少年に、特に動揺した風でもなく男は頷いた。

「以前は、王都の本宮におりましたので。貴方様がお生まれになる前にこちらへ参りましたから、随分と長くお会いしておりませんが」

「そうか。父は、一年ほど前に少々怪我をしたが、もう治っている頃だろう。次に会ったら、貴方のことを話しておこう」

 次に会うことがあるかどうか。ちらりとそんな考えがよぎるが、アルマはそう口にした。

「さあ、このようなところで長話とはいきますまい。奥へどうぞ」

 通されたのは、中庭に面した応接室だった。明るい光が差しこむが、外から覗かれる心配はない。

 グランが改めてトルミロスに向き直る。

「アルマの紹介の必要はないな。では、こちらが水竜王の高位の巫女、ペルルだ」

 ペルルが優雅に一礼した。胸に手を当て、トルミロスも頭を下げる。

「噂に違わずお美しい。陋屋(ろうおく)ですが、どうぞ存分におくつろぎください、姫巫女」

「ありがとう、トルミロス」

 柔らかな笑みを浮かべ、ペルルが応じる。

「こちらが風竜王の高位の巫子、オリヴィニス」

「伝説の巫子とお会いできるとは。ようこそ、オリヴィニス様」

 差し出された手を、苦笑してオーリは握る。

「単に長く生きていた、というだけだよ、トルミロス」

「そしてこれが、クセロ」

「グラナティス様の秘蔵っ子ですな」

 にやりと笑む部下に、グランが眉を寄せた。

「お前は本当に情報通だな」

 火竜王宮でクセロを使い始めてから二年も経ってはいない。もう二十年ほどカタラクタにいるトルミロスが知る筈もないのだ。

「貴方が私をここへ送りこんだのは、小麦の流通をこの手に握らせるためではない筈ですよ、グラナティス様」

 一見恭しく告げる男に、溜め息を漏らす。

「そうそう、それで、こいつは地竜王の高位の巫子だ」

 しかし、続けられた言葉に、トルミロスは鋭く息を飲んだ。

「どうしてもそれを紹介しないといけないのか、大将?」

 苦々しい顔で、クセロがぼやく。

「事実だからな。お前も慣れ始めた方がいい」

 涼しい顔でかわしたグランを見下ろし、そしてクセロとトルミロスは顔を見合わせた。

「貴方とは色々と語り合うことができそうですな、クセロ様」

「様は止めてくれ。年季の時点であんたには適いそうもない」

 力ない笑みを浮かべて、二人は軽く手を触れ合わせた。

 一通りの紹介は終わったが、椅子を勧められない。戸惑う一行をよそに、グランはトルミロスを見上げた。

「頼んでおいた用意はできているか?」

「はい」

 頷いて、火竜王の巫子は仲間たちに向き直った。

「よし。では全員、これから入浴だ」




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