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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
人の章

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86/252

01

 バルコニーに出て、外部を眺める。なだらかに続く丘には、今、細かい雪がしんしんと降りしきっていた。

 フルトゥナはまだ暖かかったなぁ、とぼんやりと思う。

 かの地にいた時間の大半は、湖の上だった訳だが。

 船に乗っていたのはほんの二十日間ほど、しかも海ほど波は荒くもなく、時折地上にも上がっていたのに、ここへ来た直後はしばらくの間ゆらゆらと世界が揺れていたものだ。

 彼はその後、ぼんやりと一人物思いに(ふけ)った。

「お寒くはないのですか」

 背後から、懐かしくも背筋が伸びる声がかけられるまで。





 湖を西へと向かう船の中で、その会議は始まった。

「アウィスについてからのことを、話し合おうと思う」

 グランが、ぐるりと仲間たちを見回しながら、口を開いた。

 その表情は、僅かに曇っている。

「我々はイグニシアを発ってから、風竜王を呪いから開放し、史実に残されてすらいなかった地竜王を目覚めさせることに成功した。この不可能とでも言うべき探索を果たすことができたのは、全て、皆が力を貸してくれたおかげだ。このグラナティス、心の底から礼を言う」

 まずは堅苦しく、そう述べた。何かを感じ取ったのか、オーリですらそれを茶化そうとはしない。

「さて、この後、我々が目指すのは、ここだ」

 卓に広げられた地図の一点を示す。

 カタラクタ王国の、フルトゥナとの国境に近い、港街モノマキア。

「我々は、ここモノマキアから、龍神ベラ・ラフマ率いるイグニシア王国軍に、叛旗を翻す」


 火竜王の高位の巫子の言葉がその場に沁み渡るまで、数分間沈黙が満ちた。

「王国軍、に……?」

 一時的にとはいえ、属していた組織の名を告げられて、心が騒ぐ。

「いや、ちょっと待ってくれ、グラン。思い違いをしていたらまずいから、はっきりとさせよう」

 眉間に皺を寄せ、オーリが提案する。

「叛旗を翻す、というのはつまり、反乱軍を編成する、ってことか?」

「そうだ。イグニシア王国軍は、進軍したのは水竜王の本宮のあるフリーギドゥムまでだ。その後、司令部は支配と戦後の協定を確固たるものにするため、カタラクタ王国の王都、カルタスへ移動している。カタラクタの東部だな。自然、そこからカタラクタ南部にかけては殆ど王国軍は駐留していない。国が負け、これから他国の支配下に入る、という鬱屈した空気だけがある。フルトゥナの前例を思い、怯えてもいるだろう。自ら闘ってもいないのに負けた、という、釈然としない気持ちもだ。

 僕達は、そこで、今回の戦い、及び三百年前のフルトゥナとの戦いがイグニシア王国自身の意図ではなく、龍神ベラ・ラフマの野望に衝き動かされたものである、と四竜王の名のもとに宣言する。龍神を(たお)し、カタラクタを解放し、世界に平和をもたらすために」

 グランの言葉に、徐々にオーリとペルルの顔色が青褪める。

「……君は、再び戦争を起そうというのか」

「グラン様!」

 自らの身を呈して終戦に持ちこんだペルルが、悲鳴に近い声を上げる。

 だが、グランは動じない。

「他にどんな手段がある。龍神は、今度こそ完全に滅さなくてはならない。地竜王を非難するつもりは毛頭ないが、僕はこの先の世界に奴を残しておくつもりはない」

『気にするな、カリドゥスの子よ』

 鷹揚に、地竜王が返す。

 火竜王の高位の巫子は、それに軽く目礼した。

「私達が自ら、龍神を斃すということだってできる。いや、その方がずっと容易い筈だ」

 オーリの言葉に、グランは小さく溜め息を漏らした。

「平和というものは、竜王から、天より与えられるものではない。民の知らぬところで、巫子が奪い取るものでもない。現在、民に与えられているものは、侵略者としての汚名と、敗北者としての屈辱だ。僕たちだけが闘っても、それは世界から消えはしない。全てが龍神の企み故であったのだという真実を知らしめ、そして、民自身が汚名を(そそ)ぎ、勝ち取らなくてはならないものだ」

 断固として、グランは断言する。

「民が、死ぬぞ」

 低く、囁くようにオーリが言う。

「そうだな」

 さらりとグランが返した。

「何を簡単に言っている! 君が相手取るのは、君の民だろう!」

 両手を卓に突き、立ち上がり、身を乗り出して、叫ぶ。

「竜王に従っていれば、こんなことにはなっていない」

 しかし、それに対して返された、あまりにも淡々とした声に、更にオーリが激昂する。

「彼ら、民の多くが従っているのは、龍神じゃない。王だ。王に従うのも、また、民の義務だろう。彼らが竜王に従っていないからと言って責められる筋合いは一切ない。君は、龍神に全てを押しつけているだけだ。君の、政治闘争に、民を巻きこむな!」


 風を受け、ぎいぎいと船が軋む。

 しん、と静まった会議室で、グランはただオーリを見つめ返していた。

 激情に駆られていた青年が、僅かに平静さを取り戻すのに伴い、理解の色が目に浮かぶ。

「……そうか。君は、これを待っていたのか。私やペルルが、イェティスと共に君の元を離れて行くことができなくなるだけの時間を」

 オーリが、自分と同じ疑問を持っていたことを知って、アルマが少しばかり驚く。

 地竜王が現れた日に、この策を話せなかった理由。今日も、会議の開始が遅くなっても焦りを見せなかった、理由。

 今朝、進路を(わか)った船とは、もう、互いに数十キロ以上は離れているだろう。どうやっても、この船から抜けだす手段はない。

「お前たちがそんなことをするなんて、僕は思ったこともない」

 グランは自信を持って告げた。

「でも、考慮しなかった訳もないよね。幼き巫子」

 世間で囁かれる、そのグランの二つ名は、嘲りではない。三百年を生きる彼への、恐れだ。

「お前は僕を買いかぶりすぎている。オリヴィニス」

 小さく笑って、グランが呟いた。

「私は協力いたしかねます。グラナティス様」

 そこへ、凛とした声が、冷たく言い渡した。

 ペルルは、再びあの鋼のような目の光を取り戻している。

「私は、この身を人質として捧げることで、カタラクタに和平をもたらしました。戦闘が続き、民が死ぬのを止めるためです。ここにきて、再び戦端を開き、休戦を無に帰すとおっしゃるのであれば、私はこれ以上の協力を拒否いたします」

 水竜王の姫巫女の、このような強い意志を目にした者は少ない。皆、少々驚いたような顔で少女を見つめている。クセロが、小さく口笛を吹いた。

「ペルル。貴女のやったことは、無駄ではない。イグニシアの王国軍は、国内の全ての領主から兵士と指揮官を徴用し、運用している。対するカタラクタは、一度の戦闘に参加していたのは進軍先の領主の兵のみだった。兵士の数が、桁違いだったのだ。あれでは、カタラクタに勝機はない。一刻も早く休戦すべきであった」

「ですが、貴方はまたそれを再開させようとしているのでしょう」

 グランの辛抱強い説明を、一言で否定する。

「今回は違う。王国軍の進軍は止まり、今後戦端が開かれるにしても、時間はある。カタラクタ南部の領主たちが同盟を組み、多くの兵士を集めることができる。対して、王国軍は今までに支配し、駐留している土地から兵を()くのは難しい。進軍していた当時のような軍勢は望めない。そして、竜王による、世界への大義がこちらにある。失われた誇りを取り戻せる。兵士達の士気は、こちらの方が高い。充分に勝利を見こむことはできる」

「勝敗の問題ではありません。民を死なせることなど許さない、それだけです」

 頑なにペルルが主張する。僅かに、グランの奥歯が軋んだ。

「それを、貴女の民が本当に望んでいるとお思いか。他国に屈従し、不当なる支配を受け入れ、蔑まれ、自らの境遇の全てをそれに転嫁する、卑屈な民に変えたいとお望みか! 我々は、自ら勝ち取らなくてはならないのだ。例え、その為に血を流したとしても」

 グランと、ペルルの視線が、強く絡み合う。

 そこに、辛辣な声が横から放たれた。

「我々、じゃない。彼ら、だ。君は、血を流さない。一滴たりとも」


 オーリの言葉に、グランは小さく目を見開いた。

 そこで、ひらり、と卓の端から片手が上がる。

「あのさ」

 ある意味呑気な声で、地竜王の巫子が割って入った。

「クセロ。よせ」

 短く、グランが抑止する。

「違うよ、大将。そっちじゃない。心配すんな」

 クセロが簡単に言い訳し、視線を向ける三竜王の高位の巫子たちをぐるりと見回す。

 全く、気後れを見せることもなく。

「おれは、自分の民もいないし、持つ気もない。今のところ、多分まだイグニシア人だ。で、一介の底辺層の民から言わせて貰いたいんだがね。ちょっとは現実的に考えなよ。このままいけば、俺はイグニシア人として、ロマに会っても、カタラクタにいたとしても、侵略者として憎悪される。おれ個人は、どっちの戦にも関わっていないのに、だ。理不尽じゃねぇか?

 逆に、ロマは、今後もずっと流浪の民として蔑まれ続けるだろう。敗残者がどんな目にあうのか、姫さんはまあ知らないんだろうな。でも、イグニシアは北方の野蛮人として、これで結構有名なんだ。

 おれとしちゃ、状況が改善できるなら、自分にできることはやっておきたいね。

 龍神に責任を押しつける? 結構じゃねぇか。どうせ、全部、奴のせいなんだ。そうだろう?」

「……ですが……」

 人生を自分の手で切り開いてきた男の、ざっくばらんな物言いに、ペルルが覚束なげな表情に変わる。

『うむ。真綿に包んでおくだけが巫子の扱いではない、と小童どもも言うておった。竜王と民、巫子と民も同じではないのかの』

 クセロの金髪に顎をうずめ、地竜王が口を挟む。

「余計なことを……」

 視線を脇へ向け、クセロが小さく呟いた。

「ですが、それは、そう、竜王に仕える巫子と一般の民とでは立場が全く違う」

 虚を衝かれたように、オーリが反論する。

 巫子を溺愛するばかりが竜王ではない、と身に沁みて知っている、彼が。

「ロマは、あんたが呼びかければ応じるよ。オーリ」

 小さく、声が発せられた。

 このような場では一切口を開いたことがないプリムラが、真摯な瞳で見つめてきている。

「ロマが、どれほど家が欲しいのか、あたしは知ってる。安全で安心できる家が、街が、国が、巫子が、竜王が欲しいのか。でも、だめなの。ないから。ロマには、なにもなくて、手に入れようとしても、一定数の人数が集まったら、イグニシアやカタラクタの国に潰されるから」

 オリヴィニスが、卓の上で、拳を握り締めた。

「あんたには、判らないよね。あんたには、安全で安心な家も、待っていてくれる人もいたんだから」

 しかし、その言葉に、はっと顔を上げる。

 アーラ砦に在る、風竜王。その存在を、彼女は知っている。

「プリムラ……」

「旗印があれば、ロマは集う。一つになれる。戦える。そして、手に入れられる。ロマを、あたしたちを、あんな状態に貶めないでいて。お願い」

 瞳を、限りなく絶望に近い色で染めて、オーリは沈黙する。

 揺れていた幾つもの視線が、やがて一点に集まった。

 周囲から見つめられて、アルマが露骨に怯む。

「俺、は……」

「多数決を採るつもりはない。それでは、この面々はあまりに不公平だ。必要なのは自発的な協力だ、と以前から言っている。強制するつもりもない。モノマキアまでは、真っ直ぐに向かっても五、六日はかかるだろう。到着を遅らせることも可能だ。よく、考えてくれ。……頼む」

 グランが、きっぱりと告げたのち、深く頭を下げた。





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