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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
地の章

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84/252

20

 クセロが湖に入って、数時間が経った。

 ペルルは三十分ほどで戻ってきている。長くかかることは予想できていたので、彼女を船に上げる為にも、一旦全員が引き上げている。

 甲板で固唾を飲んで見守っていた面々が、次第にそわそわし始めた。

 クセロは、ペルルと違って全く水に慣れていない。水中でのリスクがある程度軽減されているからといって、泳ぐのが早くなったりはしない。

 まして、水中での危険については全く無知だ。

 ペルルは毅然とした態度を保ってはいたが、内心不安になっているのが見て取れた。

 プリムラは今にも泣き出しそうな顔で、船縁から下を覗きこんでいる。

 甲板の上の話し声すら疎らになってきた頃に。

 ばしゃん、と船の近くで水音が響いた。

「クセロ!」

 プリムラが大声で名前を呼ぶ。

 水面から顔を出したのは、金髪の男だ。

 歓声が上がりかけたときに。

「うぉぁ!? 何だ!?」

 クセロが、突然叫び声を発した。

 鋭く、グランが顔を上げる。似たような表情の巫子たちを認めて、声を上げた。

「舟を下ろせ! 竜王の加護が消えた!」

 一瞬で、船上が騒然とする。

 三竜王の加護が消えたとなると、今、クセロは生身で冬の湖に入っていることになる。即座に心臓麻痺を起こしても不思議はない。

 怒鳴り声が充満する中、アルマはただ、クセロを見つめていた。

 いや、クセロの下、湖水の中に揺らめく、影を。

「……何だ、あれ……」

 その呟きが聞こえていたとしても、この騒ぎの中ではオーリぐらいなものだっただろう。

 影はぐんぐんと大きさを増していく。クセロが注目を集めているために、すぐにその影には皆が気づきだした。

 そして、酷く青褪めているクセロの肩が見え、ぐっしょりと濡れた胸が水上に現れて。

 ほんの数秒で、湖水を割って、何かが出現した。


 それは、見たこともない、異形の生物だった。

 唖然として、皆がその巨大な顔が頭上から見下ろしてくるのを見つめている。

 ペルルが、アルマのやや背後でそのマントを掴んだ。アルマは彼女を庇うように、半身ほど移動する。

「……地竜王……?」

 小さな声が、どこからか漏れた。

『うむ。わしが地竜が王、エザフォスじゃ。ものども、出迎え大儀である』

「喋った!?」

 周囲に轟いた声に、一斉に驚愕の叫びが上がる。

「や、地竜、王、ちょっとおれ、ま、真面目な話死にそうなんだけど」

 冬の風に吹かれ、がちがちと歯の根が合わない状態で、クセロが竜王の頭の上から訴えた。



 十数分後には、クセロは会議室にいた。

 何重にも毛布で包まれ、傍らに陶製ストーブが置かれ、ホットワインを入れたカップを手にしている。

 顔色はまだ悪いが、それでも人心地はついたようだった。

 戸口の周囲には、竜王兵が何人も群がっている。

 というのも。

「……地竜王」

『なんじゃ』

「悪いんだが重い。それに冷たい」

 クセロの膝の上に、少し大きな猫程度のサイズになった地竜王が丸くなっているからだ。

 湖底の洞窟から外に出る、と言って地竜王が取った手段は、身体をぐんぐんと膨らませて、洞窟の天井を崩壊させることだった。

 その身体の下にいたとはいえ、頭上から岩や土砂が降り注いできて、クセロは一時本気で死を覚悟したほどだ。

 天井を崩した後は、クセロを頭の上に載せ、更に船を見下ろすまでに巨大化したのだ。

 なので、逆に地竜王が小さくなることに、もうクセロは不審を覚えたりはしない。

 周囲の仲間たちはそうでもなかったが。全員が、やや遠巻きに地竜王とその新たなる巫子を囲んでいる。

『人の子はやわじゃのう』

「うぉあ!?」

 呆れたように返した瞬間、クセロが声を上げる。

「どうした?」

 慌ててアルマが尋ねるが、クセロはまじまじと膝上の竜王を見つめた。

「いや。軽くなった。あと、温度も上がった」

『重力と熱を操れぬようで、何が地竜が王か』

 呵呵(かか)、と、地竜王が笑う。

 そして、ぐるり、と首を回した。

『歓迎の宴を催せ、とは言わぬが、どうにも邪険な出迎えじゃのう。わしを無理矢理起したはぬしらが策じゃろうに』

 その言葉を受け、グランが一歩前に出た。

「不調法にて、申し訳ございません、地竜王。どうにも、その、想定外で」

 この火竜王の巫子が、やや覚束なげな表情でいるのは、滅多にない。目論見が外れるのも、だ。

 ふん、と地竜王が鼻を鳴らした。湯気が噴き出して、一同がびくりと身体を震わせる。

『小童どもが、わしのおらぬ間につくづく自分たちに有利な、身勝手極まりない制度を作り出したものよの。いや。世界、か』

「小童?」

 グランが尋ねる。

「三竜王のことだよ。地竜王は、そう呼んでる」

 クセロが説明した。その場の殆どの者たちが、息を飲む。

『エザフォスと名乗りを上げたろうが。巫子ならば名で呼ぶがいい』

「様でもつけて欲しいのか?」

 呆れた表情で、クセロが呟いた。慣れてきたらしい。

「……っ、貴方は」

 自らの仕える竜王を侮辱されて憤りを抑えきれなくなったか、オーリが声を上げかけた。クセロが、軽く片手を上げてそれを止める。

「教えておくぜ、エザフォス。人が大事にしているものを貶めるのは、今の時代じゃ無作法ってことになってるんだよ。おれが仲裁できるのは、人との間のことだけだ。あんたは竜王なんだから、他の竜王に不満があるのならそっちで解決してくれ」

 仲裁、というにはあまりにもざっくりとした言葉に、グランが虚空を仰ぐ。

 だが、地竜王は少々考えたらしかった。

『ふむ。道理じゃの。巫子どもに言うても詮ないことではあった。無礼を詫びよう。小童どもとは、今晩いっぱいほどかけて話し合うておくか』

「ええと……、お手柔らかに」

 毒気を抜かれた態で、オーリは呟いた。

「ともあれ、地竜王。龍神を滅するために、お力をお貸し頂けるでしょうか」

 グランが、確約を迫る。

『無論。あやつを仕留め損なっておったは、我が失態じゃ。安心するがいい、わしの全力を以って、奴の息の根を止めてみせようぞ。例え、今度は大陸の半分を海に沈めることになったとしても手を抜きはせん』

 掛け値なしに凄まじい表情を浮かべて、地竜王が宣言した。

「だから、そうして欲しくないから協力しろって言ってるんだよ! いい加減そろそろ判ってくれねぇか!?」

 堪りかねて、クセロは悲鳴じみた声を上げた。

『巫子というのはわがままなものじゃなあ』

「……大将、やっぱおれ降りていいか……?」

 自信がねぇ、と肩を落として呟く。

「いやお前は期待以上によくやっている。頑張れ」

 平坦な声で、グランは通告した。


「とりあえず、明日にはアウィスへ向かう。馬と兵を残しているからな。オリヴィニス、お前の部下たちは、そろそろ本拠地へ戻って行動に移って貰えるだろうか」

 グランは今後の予定を話し出す。

 オーリがそれに頷く。

「今晩辺り、仕上がりを見ておくよ」

 地竜王が顕現したことは、その巨大な姿を遠目で確認したのだろう、他の船には知れているようだ。三艘ともがこちらへ向かっていることを報告されている。もう小一時間もしないうちに合流できるだろう。

「じゃあ、今日はどうするんだ?」

 まだ陽は高い。アルマの問いかけに、グランはちらりと視線を横へ向けた。

「地竜王を囲んで団欒でもしよう。我々は彼をよく知らないし、こうして知ることができるようになるとも思わなかった。いい機会だ。地竜王も、もっと多くの人と関わって経験を得るのは悪くない」

 うむ、と地竜王は頷いた。

 だが、誰も自ら動こうとはしない。

 クセロが、ぐるりと周囲を見回した。

「プリムラ」

 幼い少女は名前を呼ばれて、少しばかりびくりとしたが、すぐにおずおずと傍に寄ってきた。

「プリムラのことは三竜王から教えられてねぇだろ」

『だが、おぬしの記憶には強く残っておるよ』

 プリムラはびっくりしたように目を大きくして、二人を見ていた。

「この通り、変な竜王だけどな。仲良くしてやってくれよ」

「うん。あの、クセロをよろしくお願いします」

 ぺこり、と少女が頭を下げる。

『なるほど。よい、子じゃ』

「いやよろしくしてやんのはおれの方だろ」

 ほぼ反射的に、クセロが呟いた。

 一年ほど前には見慣れたやりとりだったか、戸口の竜王兵たちから忍び笑いが漏れる。

「触ってもいい?」

 子供らしい好奇心に負けたか、プリムラが尋ねてくる。うむ、と鷹揚に頷くのに、そっと手を伸ばした。

「気をつけろよ。下手すると手が切れるぞ」

 つい先だって、その地竜王の頭上に乗っていた男が忠告する。どちらかというと竜王の皮膚はざらついていて、時折何かの鉱物の結晶が姿を見せていた。

 とはいえ、今の大きさでは、突き出た水晶の結晶も精々三センチという長さだが。

 注意深く、プリムラの手が地竜王の背に触れる。

「……あったかい」

 ふふ、と少女は小さく笑った。

 小ささと温かさは、人の警戒心を薄れさせる。

 プリムラの様子に背中を押されたか、グランの許可を得て、竜王兵が数名ずつ近づいてくる。

 やがて残る三艘の船が到着して、更に地竜王は衆目に晒された。

 驚愕の視線を向けられ、続けざまに質問を浴びせられ、時には身体を触れられる。

 その全てを、流石は竜王という余裕で彼はやりすごした。

 そして陽が暮れ始め、ようやく竜王兵や親衛隊たちは追い払われた。

「……疲れた……」

 クセロが会議室の卓に上半身を突っ伏させて呻く。

 普段からあまり人目を引かないように心がけている男には、なかなか荷が重い。

 途中から、クセロの膝の上から卓の上に移動していた地竜王は、巫子の頭の近くに座ってぐるりと周囲を見回した。

 オーリが風竜王宮親衛隊の船に移動した以外は、仲間たちは皆残っている。

 その視線が、ぴたりと止まった。

『〈魔王〉の子よ。よいか?』

 アルマは少しばかり驚いたようだが、頷いて卓に近づいた。真っ直ぐに、地竜王は見上げてくる。

『ふむ。確かに少々龍神に力の質が似ておるの。それに、血が濃い。九代、人の子が混じっておるとは考えにくい』

「判るのか?」

『奴と直接やりあったは、現状、わしのみぞ。わし以外に判る者もおるまいて』

 思わずアルマが発した言葉に、自慢げに返してくる。

「おそらく、彼は先祖返りに近い身体であるのではないかと考えています。今までにも、何人かそのような子供は産まれていました」

 近くから、グランが口を挟んだ。

『この者の思いを疑うつもりはないが、かの者の血は疑わざるをえんな。一体幾度、その血に負けた?』

 じろり、と見据えられて、アルマは僅かに怯む。

「当時は、アルマは未成熟でした。既に身体は充分魔力に耐えられるように変化しています。僕としては、彼は二度と血に惑わされないと確信しております」

 再度、滑らかに、しかし断固としてグランが答えた。

 この弁護的な口調は、あまり雲行きがよくない。

 相手に対して、警戒心を持っている証拠だ。

 地竜王をこの策謀に引き入れようとしたのは、グラン本人だというのに。

 重い頭を上げ、クセロが口を開きかける。

「もしも、俺がまたこの血に引き摺られかけたら、あんたが俺を殺してくれよ。地竜王」

 しかし、さらりとアルマが告げて、その場の全員が呆然とした。



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