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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
地の章

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19

 仕事の内容は、下町でやっていたものと大差ないが、しかし意味は全く違った。

 グラナティスに敵対する者たちへの諜報、状況の撹乱(かくらん)、時には殺人。

 その、暗く、重く、救いようがないほどに陰惨な陰謀に、クセロは酷く魅せられた。

 下町で、ごく単純な動機で行っていた行為とは、比べ物にならない。

 勿論、元の組織と完全に切れた訳ではない。暗黙の了解として、互いに立場を尊重している限りは、下町の犯罪組織はかなりクセロの仕事に手を貸してくれている。

 元々は自業自得ではあるが、しかし組織も結果的に彼らを竜王宮に差し出した、という負い目もあるのだろう。だが、背後に背負うものが違う、ということが、これほどの差となるということは正直判っていなかった。

 彼らは竜王宮では表に出ることはないが、徐々に竜王兵たちとは打ち解けることができた。

 クセロが侵入した際に、誰も傷つけていなかったことが幸いしたのだろう。

 誰か一人にでも短剣を突き立てていたら、こうはならなかったに違いない。

 勿論、プリムラの存在も大いに役立った。

 年端もいかないいとけない少女が、クセロの保護者然として立っているのだ。

 その微笑ましさに、頑なだった一部の竜王兵もとうとう態度を和らげた。

 クセロとしては面白い訳ではないが、その頃には、彼は色々と諦めることを学んでいた。


 やがて一年以上が過ぎ、クセロはグランから一人の人物の監視を指示される。

 それは少々風変わりなロマだった。しかし、グランが気にするような相手とも思えない。

 数日後には、そのロマの誘拐を命じられた。併せて、その他数名と共に旅に出るとも。

 ここ三百年、王都から出ることはおろか竜王宮からさえ出ることが滅多になかったグランのその発言は、竜王宮を恐慌に陥れかけたらしい。

 クセロに伝えられたのは、もう手筈が全て整ってからではあったが。

 そして世界を半周ほどして、失われた王国を訪れる。

 その物悲しい国に面した湖の上で、クセロはグランが彼に対して計画していた最も大きな部分を知らされることになった。




 クセロは、現実主義者というよりは、むしろ唯物論者に近いだろう。

 この旅の途上、彼は自己を揺るがしかねない様々な経験を経ている。

 魔術を使う者や竜王の御力を振るう者、一つの国を覆い尽くすおぞましい呪い。竜王の姿すら、間近で目にすることもあった。

 それでもなお、クセロの本質は未だ変わらない。

 竜王も魔王も龍神も、基本的には彼とは無関係だ。精々が傍観者であるということでしかない。

 自分の脚で耐えることができる重みは、自分一人の人生だけでしかない。

 しかし、それでも、主が再び自分の人生を変えるのだと宣言してから半月ほどの間、彼は時折考えてしまっていた。

 いつから、自分はこの道を歩きだしていたのかと。

 買った情報の、竜王兵の巡回時間が誤っていた時か。

 宝物庫とされていた扉が、階すら違う場所だった時か。

 地元の人間ならば決して関わらないと判っている竜王宮の情報を、執拗に売りこんでいた情報屋に丸めこまれた時か。

 生まれた町を出て、王都の西側に居を構えることに決めた時か。

 母親が殺されて、家名を棄てた、時か。

 その一つたりとて、グランが関わっている訳がない。

 なのに、こんなにも、まるで誘いこまれるようにここまで来てしまったことに、戦慄すら覚える。

 何か、とてつもなく大きなものに動かされているかのような。

 それは、忌避すべきものだった。自らの決断で生きてきた、という自負を、根幹から変えてしまう考えだ。

 だが、一方で、人知の及ばない規模のその考えに、抗いがたい好奇心を覚えていた。

 その二つの間で、クセロは迷い、怯え、竦み、惹かれ、そして。


 どうしようもなく、今、ここにいる。





 それは、最初、大きな岩かと思った。


 湖底を抉り続けた洞窟は、やがてぽっかりと開いた大きな空間に続いていた。しかし、その中央には、空間の殆どを占める岩の塊があったのだ。

 壁と岩の間は大体二メートルほど空いていたために、ぐるりと周囲を回ってみる。しかし、洞窟の続く先は、どこにもない。行き止まりだ。

 中央の岩には、所々から水晶の結晶が生えていた。クセロが動くと、アルマの光がそれに反射して、きらきらと虹色の光を撒き散らす。

 それはそれで、なかなか幻想的な光景ではあるが、しかし問題が解決する訳ではない。

「参ったな」

 小さく独りごちる。

 堆積していた泥が波立っていたが、クセロが動きを止めたことで、それも徐々に治まっていく。

 ペルルは、地竜王を目で確認してはいないと言っていた。

 ひょっとしたらこの辺りの、例えば土や岩の中などに埋まっているのかもしれない。

「冗談きついぜ……」

 がりがりと頭をかきながら、周囲を見回す。旅に出てから二ヶ月ほどが経ち、短く刈りこんでいた金髪もやや伸びてきた。アルマなどは髪が目に入るようになってきていて、少しばかり鬱陶しがっている。そこまでではないだけ、まだましだが。

 余計なことを考えているのは、現実逃避だろう。

 もしもこの辺りに埋まっていた場合、それを掘り出すのは至難の業だ。

「一旦戻るかな……。大将も諦めてくれるかもしれねぇし」

 いやどうだろう、無理かもしれない。

 考えても仕方がないことをつらつら考える。

 半月前からほんの数分前まで保ってきた緊張が切れて、気が緩んでいるのだろう。

 ぶわ、と視界の片隅で泥が大きく湧き上がったのに気づく。

 洞窟を進むに連れて、湖水の流れは殆ど感じられなくなっていた。クセロも今は動いていない。

 一体何が、泥を噴き上げたのだ?


『……やかましいのぅ』


 泥が揺れている湖底のほど近く。岩の表面に、先ほどまではなかった金色の塊が光を反射している。

 それが、ぎょろりと動いてクセロを見上げた。


 反射的に数歩後じさる。すぐに、洞窟の壁面に背中がついた。

『なんじゃ、ここは。水ん中か。なんじゃ、おぬしは。人の子か。人の子が、こんなところでなにをしとるか』

「しゃべっ……た?」

 引き攣れた喉から、ようやく声が出る。幾度目か、泥が湧き上がった。

『いらえもせんと、先に訊くか。人の子に礼儀を求めるが悪かったか』

 この口調は、酷く馴染み深い。となると、あの泥を吹き上げる水の動きは、鼻を鳴らしたのか。

 僅かに緊張がほぐれ、クセロは口を開いた。

「おれは地竜王を探している。あんたがそうか?」

『うむ。わしが地竜が王、エザフォスじゃ。探すにしても、もう少し静かに探せんかったのか。やかましい』

「あんまり喋ってなかったつもりだが」

 所詮独り言である。べらべらと口に出す訳でもない。

 が、地竜王はさらりと続けた。

『声ではない。考えておったじゃろう。小童(こわっぱ)どももごちゃごちゃとしとるしの』

「考え、って、あんた」

 そういえば、竜王は人の心が読めるのだったか。風竜王が顕現した際に、巫子がそんなことを説明していた気がする。

『ふむ、少なくとも風竜の小童は息災か。重畳(ちょうじょう)じゃ』

 岩が、ぐらりと動いた。足元の泥が、頭上近くまで吹き上がる。反射的に両手で顔を庇うが、竜王の加護を受けている今は、さほど支障はなかった。

 泥がまた沈殿し始める。透かし見えるその向こう側には、地竜王の姿が(そび)え立っていた。

 クセロは、風竜王の姿を見たことがある。火竜王は、抽象的に意匠化されたものが、火竜王宮にはそこここに使われている。どちらも、身体の長い、蛇のような体型をしていた。

 しかし、地竜王は全く違う。ずんぐりとした体躯に四本の足が大地を踏み締めている。太く、長い尻尾には板状の黒曜石が先端を尖らせて生え、こめかみの辺りからは二本の短い角が生えている。目は大きく、黒目がちだ。色は金色だが。口吻はある種の蜥蜴のようだった。そして、身体のあちこちに水晶の結晶が生えている。湖底から背までの高さは、四メートルほどはある。

 ぐぅ、と頭上から顔を寄せられて、再びクセロが背後の壁に背中を押しつけた。

『小童どもが、やかましゅうてかなわん。早ぅ渡せ』

「渡す……?」

『おぬしが手に提げておるものじゃ。わしに渡すつもりだったのじゃろう。ほれ』

 そう告げると、地竜王はその大きな口をがばりと開いた。ずらりと並んだ歯が、金属質の光沢を放っている。

 ごくり、と喉を鳴らし、クセロは手首に巻きつけていた革紐を解いた。袋の口を開こうとするが、流石に動揺しているのか、上手くいかない。

『面倒じゃの。そのままでよい。放れ』

 もう悩むのも疲れ、言われるままに竜王へと革袋を放り投げた。口の中に入ったそれは、次の瞬間、ばきん、と音を立てて咀嚼(そしゃく)される。

「うわ……」

 水晶球は、直経十センチ近くはあった。それを三個、一度で噛み砕いたことに、かなり怯む。

 そんなクセロの気持ちをよそに、地竜王はごくん、と飲みこんだ。

『なるほど。わしはかなり長い間眠っておったようじゃのう』

 三竜王からの〈親書〉を理解したのか、しみじみと地竜王はそう呟いた。

「あんたに、龍神を倒すために力を貸して欲しい、と、三竜王の巫子たちは望んでいる」

 クセロの言葉に、じろり、と大きな虹彩を巡らせる。

『龍神の餓鬼はわしが潰す。それは約束してもよい。だが、小童どもの力などは借りん。ましてや人の子などに迎合したり関わったりなど、まっぴらじゃ』

「え? いや、それは」

 想定外の言葉に狼狽(うろた)える。そもそも、事情は竜王が〈親書〉で説明する段取りだった。まさか、その後の地竜王が協力してくれるまでの説得を自分がやらなくてはならないなど、考えもしていなかったのに。

『ほれ。考えの浅い人の子に、どれほどのことができようか。まあ、それは小童どもも同様ではあるがな。ちょいとあの龍神を捻ってきた後に、おぬしらをまとめて少々懲らしめてやらねばなるまい』

「いやいやいや、ちょっと待てよ!」

 慌てて呼び止める。龍神との戦いでこれほど巨大な湖を創り出した存在に、少々懲らしめる、などと言われて穏やかではいられない。軽く、王都の一つ、いや国の一つぐらいは破壊しかねないのだ。

「あんた、まだ現在(いま)の世界のことを判っていないだろう。三竜王と人間は、何千年もかけて関わり合い、世界に対して一番いい形を探してきた。いきなり今の状況だけを聞いて、面白く思わないのも判るが、ずっと眠ってた奴にとやかく言われる筋合いもないね」

 竜王と人間との関わり合いは、この一年、グラナティスから時折聞かされていた。伝聞ではある。

 説得力は、薄くならざるを得ない。

 だが、ここにくる役目に自分が選ばれたのは、歴史に詳しいからではない。交渉に強いからでもない。

『言うではないか。人の子が』

 僅かに興味を惹かれたように、地竜王が金髪の男を見下ろした。

「竜王が人の世界に滞りなく関われるように、巫子は存在する。あんたの口になり、手となり足となり、肉体と精神と魂をかけて尽くすだろう。あんたがまごまごしないようにな」

 にやり、と笑いながらクセロは続ける。

 そう、自分が選ばれたのは、この無駄に据わった肝のせいだ。

『それでも、嫌じゃと言えば、どうするのだ?』

 脅すように、試すように、地竜王が問う。

「断らせねぇだけだよ」

 クセロは、ベルトの腰の後ろと横とに挟んであった短剣を、一度に引き抜いた。地竜王のすぐ鼻先で、両手に刃を構える。

「もう一度言うぜ。三竜王とその巫子が、地竜王の力を借りたいとの仰せだ。そのために、おれを心ゆくまで使えばいい。だが、うんと言わなけりゃ、あんたは相応の痛手を負うことになる」

 まじまじとクセロを見下ろした後、地竜王は大笑した。竜王が笑う、という事態に少しばかり呆然とする。そして、すぐ目の前で巨大な歯が剥き出しになっていて、それはそれで少々穏やかな気持ちではない。

『人の子風情が。言うようになったのぅ。前に目にした時には、すぐに散り散りに逃げてしまいおったが』

「あんたがまごつかないように、ってのは、まさにそういうことだよ」

 にやりと笑んで、そう応じた。

『ふむ。よかろう。そのちっぽけな爪をしまうがいい』

 素直に、すとん、と短剣を鞘に落しこむ。

 地竜王が前肢を上げ、その黒光りする尖った爪をクセロの顔に近づけた。

『動くでないぞ。人の子の首程度、一掻きで落ちよう』

 奥歯を噛み締めて、しかし一見平静を装って立つ。まあ、地竜王には内心のところは知れているのだろうが。

 爪の先端近く、滑らかな曲線を描く部分が、クセロの額に押しつけられた。その冷たさに一瞬、ひやり、と全身が冷えるが、次の瞬間には、それは燃えるように熱くなった。

『無駄な儀式は要らんじゃろう。小童どもめ、人の子から崇められる術には長けておる』

 揶揄するように、地竜王は零す。

 何となく、自分の人生はこういう人物に仕えて終わっていくのかなぁと思うと物悲しい気持ちにもなった。

 そんなことを気にもしていないのだろう、竜王は器用に爪の腹をクセロの背に回し、ぐい、と引き寄せた。

「なんだ?」

 戸惑って尋ねる。

『小童どもの巫子たちとやらと、合流せねばならんのだろう。上に上がるゆえ、我が腹の下におれ』

 小首を傾げながら、背を屈めて地竜王の喉の下辺りに入る。それを確認もせず、地竜王はぐい、と頭上を塞ぐ岩を見上げた。



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