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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
地の章

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82/252

18

 予測に反して、部屋の中にはぼんやりとした光が満ちていた。

 一瞬、人がいるのかと警戒するが、壁に取りつけられた燭台に火が灯されていただけだ。

 その薄ぼんやりとした光に照らされたものが何なのか、その時には理解できなかった。

 後々、自分を支配した少年にうっかり一度尋ねてみたが、実に微に入り細を穿って説明されて、すぐに音を上げた。正直、思い出したくはない。

 ただ、さほどの時間呆けていた訳ではないにも関わらず、丁度その時、来る筈のない竜王兵が廊下の奥から巡回に現れたのだ。


 カンテラの光が角を曲がって現れるまで気づかなかったのは、迂闊だった。

 暗い通路の中、開かれた扉から漏れる光が、何よりも顕著に異常を教えている。

「誰だ!」

 誰何される時間が、クセロの利となる。無言で、男は身を翻した。

「待て!」

 ばたばたと竜王兵は後を追ってくる。彼らはプリムラがいる方向からやってきた。彼女を回収するのは無理そうだ。

 地下室であることを一瞬呪う。地上であれば、適当な部屋から外へ逃げ出すこともできるのだが。

 買った地図には、この反対側にも階段があった。そこから上へ逃げられれば、或いは。

 ひゅん、と風を切る音が、耳の傍を疾っていく。ごっ、と重い音と共に、何かが数メートル先で石壁にぶつかり、撥ねた。

 ぞっとして、視線を向ける。

 ごろり、と床に転がるそれは、重い木製の球だった。

 背後の竜王兵が、スリングを使って投擲(とうてき)したのだろう。

 屋内だから武器は使いづらいだろう、と思っていたのが甘かった。球が金属製でないにしても、当たり所が悪ければ死にかねない。

 罵倒を口に出したいのを飲みこんで、一心に走る。再度、球が投擲されるが、何とか当たらずに済んだ。

 廊下の行き止まりの右手に、上へと向かう階段がある。

 ざっ、と石の床に靴底を擦らせて方向を変え、そして、クセロは立ち竦んだ。

 階段の上、踊り場に十数人の竜王兵が待ち構えている。

 手に手にショートソードを持つ男たちを目にして、流石に男は肩を落した。



「……ってぇ、痛ぇってんだろ! 離せよ、糞が!」

 男の罵倒に、彼を床に押さえつけていた竜王兵が怒声を上げた。

「盗っ人如きが、大きな口を叩くな! 本当の苦痛というものがどういうものか、判らせてやってもいいんだぞ!」

 ぎらり、と抜き身の剣を頭上から鼻先を掠めるように突き立てられて、息を飲む。

「乗せられるな」

 呆れた声が、傍らからかけられる。顔は見えないが、三、四十歳ほどの男だろう。落ち着いた、深い声をしている。

「処分を決めるのは、グラナティス様だ。じきにここに来られる」

 グラナティス、と聞いて、内心首を傾げる。

 クセロでもその名前を聞いたことはあった。この竜王宮の主、火竜王の高位の巫子の名前だ。

 たかだか盗みに入ったコソ泥一人に腰を上げる立場の人物ではない。

「盗みなんですから、吊るせばいいだけですよ。巫子のお休みを邪魔することもない」

 身体の上にのしかかっている兵士が剣を収め、そして吐き捨てるように言った。

「何も盗んでねぇよ!」

 既に身体中を探られ、短剣やロープ、錠前破りの道具は取り上げられている。服や靴までも脱がされて、ほぼ下着一枚の姿になっているクセロは、流石に石作りの床の冷たさが堪えていた。

 しかし、それだけに何も持ち出していないことは知れている筈だ。

「何も盗んでいない、か。だが、見たのだろう? あれを」

 静かに、初めて聞く声が響いた。まだ幼い子供の、しかしそれに似合わない尊大な声。

「グラナティス様」

 うやうやしく名前が呼ばれた。こつ、と靴音が目の前で止まる。

 クセロは信心深い方ではない。この幼い高位の巫子は、時折民衆の前に姿を見せるらしいが、彼は今までそれを目にする機会はなかった。

 幸い相手の背丈がさほど高くないおかげで、今は仰け反らせるように顔を上げれば、その全身を見ることができる。

 彼は質素、と言ってもいいような飾り気のない麻の服を身につけ、薄い肩掛けを羽織っている。殆ど銀に近い色の短めの金髪が、蝋燭の灯りに煌いていた。歳の頃は十を越えてはいないだろう。その表情は、声音に違わず酷く尊大だ。

 そして、その顔立ちには見覚えがあった。

「……ああ、あれな。売っ払ったら、一体どれぐらいになるもんなんだ?」

 背中に冷や汗を滲ませながら、それでも憎まれ口を叩く。周囲の気配が息を飲むが、グラン自身は僅かに面白そうに目を開いた。

「肝が据わっているな」

「実際、ふてぶてしい男で」

 先ほど兵士を諫めた男の声が応じる。

「名前は?」

 グランが淡々と尋ねた。ふい、と視線を逸らせかけるが、腕を捩り上げている竜王兵が更に力を加えてくる。諦めて、口を開いた。

「クセロ」

 短く答えた言葉に、僅かに首を傾げる。

「家名は」

「ない。母親が死んだ時に、棄てた」

 別に隠すことでもないので、あっさりと口にする。だが、グランは意外にもうっすらと微笑んだ。

「そうか。僕と同じだな」

 後日知ったのだが、竜王の巫子は家名を持たない。その身も心も魂も、全てを竜王に捧げているからだ。

 しかし、その時は相手の態度をただ訝しく思っていた。幼い巫子は更に尋問を続ける。

「母親は死んだと言ったな。他に身寄りは?」

「いない」

 ふむ、と呟いて、グランは少々思案したようだ。

「それにしても、こともあろうに竜王宮に盗みに入るとは。……怖いもの知らずの男だ」

「竜王のお怒りに触れる、ってか? いるかどうかも定かじゃねぇ竜王を怖れる道理はねぇよ」

 ざわ、と周囲の空気が揺れた。あからさまに、竜王兵たちの怒気が膨れ上がる。

「そういう意味ではないが……。しかし、確かに怖いもの知らずだな。命乞いをしたりはしないのか?」

 一人、面白そうな顔でグランが続ける。

「おれが決めて、おれがやったゴトだ。おれがへまをしたら、おれが吊るされるだけだろ。それとも命乞いをしたら救けてくれるのかよ?」

 プリムラが、せめて朝まで隠れおおせられればいい。内心の焦りを見せず、クセロは皮肉げに唇を吊り上げた。

「救けてやるかもな」

「命ばかりはお救けください」

 即座に従順に顔を伏せて発した言葉に、思わずグランは小さく噴き出した。

 それが驚天動地と言っていいほど珍しい、とは知らないが、確かに予想外の反応ではあった。クセロには見えないが、周囲の竜王兵たちは唖然として巫子を見つめている。

 まだ小さく笑い声を漏らしながら、グランが口を開く。

「いいだろう。救けてやる。……但し、僕の役に立ってくれるのなら、だ」


 嫌な予感が、僅かに胸に(きざ)す。

「何のことだ」

「お前の大事な生命(いのち)を救うんだ、それなりの見返りは必要だろう。お前のその度胸と技術を、今後は僕のために使え」

 グランの要求に、再び周囲がざわめく。

 クセロが小さく吐息を漏らした。

「無理だ。吊るせよ」

 淡々と返した言葉に、幼い巫子が眉を寄せる。

生命(いのち)が惜しくないのか?」

「変節はできない。おれは今、ある組織に属して生きている。身勝手な理由でそこを離れて、他の組織に入るなんて、明らかに粛正の対象だ。おれはどこまでも追われて(むご)たらしく殺されるだろう。一息に吊るされた方がましだ」

 そうだ、狭い町の中でしけたかっぱらいや押し込みや殺人や売春婦の元締めを行っているだけの組織だとしても。

 そこを無断で抜けるのは、充分に生命の危機を意味する。

「そうか。判った」

 グランは、あっさりと承諾した。

 思えば短い人生だった、と少しばかり感傷的になる。

 だが、自分で選んで自分で進んできた人生でもあった。悔いはない。まあ、さほどは。

 しかし、火竜王の高位の巫子は、どこまでも人の予測を裏切った。

「僕がその組織とやらに、一筆書こう」


 開いた口が塞がらない。

「グラナティス様、何故このような者にそこまで」

 反射的に口に出してしまったらしい、若い竜王兵が巫子に一瞥されて、口を噤む。

「申し訳ございません」

 兵士の束ね役なのか、落ち着いた声の男が謝罪する。

「よい。ドゥクス。お前たちはよくやってくれているが、それでも手が届かない場所はあるだろう。道具の種類は多いほどいい。とりあえず、書記官を起こせ。クセロ」

 竜王兵たちへ説明し、命令し、流れるようにクセロに意識を向ける。唖然としていた男は、慌てて気を取り直した。

「その組織に書状を渡すのは、朝になってからの方がいいのか?」

「え、あ、いや、朝になったら大抵は寝ちまうから、まだ夜中の方が……、って、そうじゃねぇ!」

 うっかり素直に答えかけて、怒声を上げた。全く気を取り直せてはいない。

「静かにしろ!」

 組み伏せている竜王兵が、がっ、と頭を押さえつけた。その状態で、懸命に顔を上げる。

「あんた、本気なのか。本気で、そんなことができると思ってるのか」

「まあ、お前は僕が誰なのか判っていなかったから、そう思うのも無理はない。勿論、当然だ。できるに決まっている」

 本気で思っている、ということではない。彼の意思に予測は混じっていない。

「それよりもその書状だが、お前が持っていくか? それとも、お前の仲間に持って行かせるか?」

 びく、と背筋が震えた。

 プリムラは見つかっているのか。

 ロマに育てられた彼女は、演技力が高い。昼間に迷子になって竜王宮の奥まで入りこんでしまっていた、程度のごまかしはするだろう。

 だが、確かにこの巫子にそれは通用しない。

「……あいつに持って行かせてくれ」

 グランが薄く笑みを浮かべた。

 書状を持って竜王宮を出れば、そのまま行方をくらますこともできる。成功するかどうかはともかく、可能性があるだけ、彼もそれに賭けるだろう。

 プリムラが一緒でなければ。

 まあ、プリムラを連れて来ていなければ、他に使者を立てただけであろうことも想像はつくが。

 クセロに対する憐れみは存在しない。今後の働きに対する期待などは二の次だ。その前に、彼から完全に弱さを引き剥がすつもりなのだ。

 確かにその程度のことは、彼の組織の上層部ならば容易くやってのける。だが、相手は竜王の高位の巫子だ。しかも、見た目は子供でありながらの、その行動。

 屈辱よりも、その躊躇いのなさに対する感嘆の方が強い。

 そんなことは知らず、グランは一つ頷くと踵を返し、その場を去った。



「親方! 親方、おきてっ!」

 男は夜半過ぎから椅子の上でうたたねしていたが、甲高い声と共に揺り動かされて、目を覚ました。

「おお、どうしたプリムラ」

 見ると、つい一年ほど前に預かった子供が傍に立っている。息を切らし、顔色が悪く、今にも泣きだしそうだ。

 彼女は手に握った封書を突きだして、言った。

「クセロが、捕まっちゃったの!」

 慌てて身を起こす。あの男は中々に小器用だったが、とうとうへまをしでかしたか。

 しかし、渡された封書の、蝋の封印を目にして、彼は一気に血の気が引いた。

「お前たち……、竜王宮に手を出したのか!」

 噛みつくような勢いで怒鳴られて、プリムラが珍しくびくりと身体を震わせる。

「何てことだ! 火竜王宮にだけは手を出してはいけないと昔から伝えられているのに!」

 しかし、クセロもプリムラもこの町で生まれ育った訳ではない。

 そうであれば、子供の頃から徹底的に脅しつけられていただろうに。

 それを伝えていなかったのは、結果的には親方の責任だ。

 胃が焼けるような痛みを覚えながら、震える手で封蝋を剥がす。

「な……、なんて?」

 おどおどとプリムラが問いかけた。

「クセロを、竜王宮で召し抱える、と……」

 承諾を求めてきている訳ではない。ましてや、許可など。

 これは、ただの通達だ。

「どうなるの? クセロ、どうなっちゃうの?」

 意味が判っていないプリムラが、更に声を上げる。今にも不安で泣き出しそうだ。

「召し抱える、ということは、簡単に処刑したりはしないだろうが」

 むしろ問題は、組織の面子を立てるかどうかだ。

 クセロはあまり野望を抱いてはおらず、組織の上の方と繋がりを持とうとしていなかった。彼を取り戻すために組織が動くとも思えない。

 どちらかと言えば、若いのが勝手に動いたとして関与しない方が、組織としては痛手が少ないだろう。

 しかし、だからと言って完全に放置する訳にはいかない。

 竜王宮の通達に対して、無視を通すのはやってはならないことだ。ならば向こうに出向くのは自分になる。となると、組織には一応話を通しておかなくては。

 諸々の手間を考えて、竜王宮に接触するのは、早くても明日になるだろう。

「そんなことしてたら、クセロが殺されちゃうかもしれないじゃない!」

 一通り説明すると、プリムラが不安のあまりそう叫んだ。

「大丈夫だ。心配しなくていい」

 慌てて宥めようとするが、少女は大きく呼吸をすると、顔を上げた。

「あたしが行く」


「プリムラ?」

「あたしが行くだけなら、組織にすぐに知らせなくてもいいんでしょう? あたしなんて、下っ端の更に見習いだもの。あたしがいてもいなくても、組織は気にもしない筈よ」

「しかし、折角クセロが逃がしてくれたものを」

 彼が一人だけなら、一旦捕らわれたとしても、隙を見て逃亡することは充分可能だ。それは、クセロの仕事を近くで見ていた彼ら二人ともがよく知っている。

 それができないのは、プリムラを連れて仕事をしていたからだ。

「なのに、クセロを放っておける訳がないじゃない!」

 そのことが、むしろ少女に負い目を感じさせていた。

「組織というなら、お前は厳密には預かりものだ。お前の家族に、申し訳が立たないよ」

 方向を変えて説得を試みる。

「おばあちゃんたちは、あと何年かは王都には来ないわ。ひょっとしたら、十年以上かも。その間にあたしが何をしてたって、関係ないもの」

 それに対しても、きっぱりと反論する。

 腹を据えた女というものは、本当に聞く耳を持たない。

 親方は肩を落とし、長く溜め息を漏らした。



 そうして、彼ら若い盗賊たちは、竜王宮に属することになった。




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