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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
地の章

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81/252

17

 クセロは、イグニシア王国の王都、アエトスの下町で、しかもかなり治安の悪い地域で産まれた。

 母親は娼館はおろか、街頭に立っていたこともあるという、根っからの娼婦だった。

 父親の顔も名も知らない。母親は、それを絞りこもうともしなかった。

 彼が最初に手を染めたのは、置き引きだった。六歳を過ぎる頃には捕まって殴られることも減り、母親は手放しで彼を誉めそやした。

 九歳ともなると、似たような年齢の悪餓鬼と一緒に行動し、かっぱらいや掏摸(すり)などにも手も出した。押しこみはまだ早い、ともう一回り年上の子供たちに言われたために、この頃はまだ行っていない。

 どちらかというとリーダーぶるタイプではなく、単独で、若しくは飄々と自分の役割をこなすのが性にあっていた。

 十歳を過ぎた頃から、クセロは家には殆ど帰らなくなる。母親の干渉が鼻に衝きだしたこともあり、また相手は変わるが常に存在する、母親の情夫と顔を会わせたくはなかったからでもあった。

 補足として、この時期にクセロが情婦を作ったという過去はない。手っ取り早く経験しようとするなら相手は娼婦になるが、この町でそんなことをすれば一時間もしないうちに母親に知れてしまう。彼は多感な年頃でもあった。


 その日、クセロが家に戻ったのはただの気紛れだった。

 今までも気が向けば戻り、数日滞在したり、数時間で出て行ったりしていた。基本、彼は気が向くままに生きていたのである。

 時間は深夜で、母親は仕事に出ていると思われた。まあ、のんびり待とうと思いつつ、軋む階段を登る。

 家族の住む部屋の扉を開けて、彼は凍りついた。

 母親が、一人の男と共に、寝台の上で血塗れになって倒れていたのだ。


 擦り切れた薄い毛布は、一目で判るほど大量に血を吸っている。もしも床の上で死んでいたら、階下の住人から文句がきていたな、とクセロはぼんやりと考えた。

 呆然としていたのは、三分もなかっただろう。彼は即座に行動を開始した。

 床のそこここに散乱した衣類をひっくり返す。金属音がしたら、手早く隠しをひっくり返した。

 が、元々手持ちがなかったか、彼らを殺害した者が奪っていったのか、現金はさほど見つからない。男のものだろう、どっしりとした短剣を腰のベルトに()(ばさ)む。

 しかし、クセロはめげなかった。部屋の隅に置かれた、質素な(ひつ)を床を滑らせて移動させる。壊れた羽目板の合間に、腕を突っこんだ。

 彼がもう少し成長していたら、手は入らなかったかもしれない。が、首尾よく、クセロは母親が隠してあった革袋を掴み取った。

 音を立てないように廊下へ出る。素早く階段を降り、二階についたところで、一つの部屋に押し入った。

 幸い、そこに人はいない。部屋を漁りたい衝動を抑えつけ、建物の裏に面する窓を開ける。

 底の柔らかなブーツは、石畳に飛び降りても物音一つ立てなかった。

 母親を殺した人間が、表通りを見張っているかもしれない。路地を知り尽くしているクセロは、そのまま誰に見咎められることもなく、その場を去った。


 充分に離れたと思えたところで、足を止める。

 母親は明らかに殺害されていた。彼女の痴情のもつれか、情夫の痴情のもつれか、若しくは全く他の問題が起きていたか。

 彼が息子であることは知られている。大きな問題があった場合、累が及ぶことは充分考えられた。

 これが、母親がもし自然死や事故死であれば、クセロももう少し考えただろう。だが彼は、余計なごたごたにとっ捕まるのはまっぴらだった。

 ほんの数分悩んだだけで、クセロはその町を出ることに決めた。特に未練もある訳ではない。

 母親は、数日もしないうちに誰かが見つけてくれるだろう。ありがたい火竜王宮は、貧困層のために無料で墓地も用意してくれている。心配はない。

 服の隠しに入っているずっしりとした重みを感じ、鼻歌すら歌いながら、彼は再び歩き出した。


 そうしてクセロは、十三歳にして、母親と、慣れ親しんだ町と、家名を棄てた。



 と言っても、王都を出た訳ではない。

 彼は世慣れたふりはしていたが、流石にまだ子供といってもいい年齢だ。住み慣れた土地を棄てるには、よほどの覚悟が必要だろう。

 移動していく先は、王都の西側に決めた。今まで棲んでいたのが、中央からやや東よりだったから、という、殆ど何となく決めたような理由だ。

 家名を棄てたのも、特に意味はない。追っ手が来た場合、自分だと判りにくくなるだろうと思っただけだ。別に執政所に登録されている訳ではないし、支障はない。

 適当な場所に宿を取り、周囲を散策する。

 街路を把握してからでなくては仕事にかかれない。

 やがて、クセロは一人の男に標的を絞った。

 それは白いひげを蓄えた老人で、酒場で飲んだくれていた。隣の椅子に座り、巧みに酒を注ぐ。思ったとおり、相手は酒を奢ってくれる相手になら何だってする人間だった。

 老人は自分が昔、凄腕の掏摸(すり)だったと語った。歳を取って引退したのだと。

 その理由は少し疑わしい。彼は酩酊している時でもなければ、常に身体をがくがくと震わせていたからだ。そんな手で掏摸を働いて気づかれないというのなら、老人は天才と言ってもいいだろう。

 しかし、クセロは相手の引退理由など気にしなかった。彼に必要なのは、この町の裏側への繋ぎだ。

 何杯か酒を奢り、町の顔役かそれに準じる相手に会わせて貰えないかとほのめかす。

 老人は喜んでそれを承諾した。上手くいけば、明日の晩またここで会おう、と言ったのが嬉しかったのかもしれないが。

 ともあれ、クセロは首尾よく王都の西を支配する組織に繋ぎをつけることができた。

 生まれてからずっとこの世界と接していた少年は、他の縄張りで勝手に商売を始めることの危険性をよく知っていたからだ。

 彼は組織に迎え入れられ、まだ若いということもあって、一人の男に預けられた。

 クセロが親方と呼ぶその男の下で、彼は生きていくことになる。

 年月が過ぎるにつれ、親方の監督も少しずつ緩み、自分で好きに仕事をすることもできるようになった。

 やがてロマに育てられたという、奇妙な少女を預けられることにもなる。

 幼い少女の扱いなど、全く知らない。流石にクセロも苦情を言い立てようかと思ったが、親方から、

「俺もそうやってお前を預かってきたんだよ」

 と、一見しんみりと告げられて、断ることができなくなった。

 狡猾である。

 まあ、少女も、思ったよりも扱いづらい訳でもなく、彼は内心安堵した。

 そして。


 運命の日が、やってくる。




「起きてよ、クセロ! もうお昼だよ! おーきーてー!」

 きんきんとした声が耳に飛びこんできて、クセロは眉を寄せながら僅かに頭を上げた。室内を照らす光だけでも、目に刺さるようだ。

「んだよ……。おれ、昨夜は仕事だったんだから寝かせろよ……」

 力なく呟いて、再び顔面を枕に乗せた。

「仕事って言っても、お酒飲んできただけじゃない。飲むのは構わないけど、ちゃんと起きなさいよ」

 少女の声が、憤然として響く。

「莫迦野郎、仕事ってのは、前準備が一番大切なんだよ。いつも言ってんだろ……」

「毎日の生活だって大事だよ!」

 正論を言い切って、相手はシーツを引っぺがしかけた。勿論、クセロの体重はそれを阻むが。

 だがそれは、とりあえず身を起こさせることには成功した。目を眇めながら、金髪の男は寝台の上に胡坐をかく。

「おはよう、クセロ。何食べる?」

 嬉しげに笑っているのは、親方から預かった子供だ。名前はプリムラ。赤銅色の髪が示す通り、無駄に元気だ。

「とりあえず飲む。ワイン」

 口の中がべたべたして、気持ちが悪い。

 呆れたように、プリムラが見つめてきた。

「昨日飲んだのに、まだ足りないの?」

「ワインなんて、水みてぇなもんだろ。それが一番効くんだよ」

 もう、と呆れたように言いながら、少女が姿を消す。クセロが未だ寝台の上で大欠伸をした。

 やがて、はい、と渡されたのは、グラスに二センチほどの深さで入れられたものだった。

「……金がない訳じゃねぇんだから、もう少し足してくれよ」

「お金の問題じゃないの!」

 だが、ロマに連れられて各地を放浪していた少女は、倹約が身についている。クセロに飲ませない理由は、他に考えられない。文句を呟きながら、男はそれを一気に呷った。ふぅ、と吐息を漏らす。

 その間にプリムラは食事の準備にかかっている。彼女は料理が上手い。やや異国風の味つけではあったが、気になることもなかった。

「それで? 何か、いい話でもあった?」

「あー。何か聞いたな。何だったか」

 もやの向こう側にある記憶を呼び覚まそうとする。

「仕事なんだったら、もっとちゃんとしてよ」

 更に呆れた声がかけられる。

 女というのは、全くどうしようもない。



 食事が終わりかけた頃に、ようやく仕事の内容を思い出す。

 確か、竜王宮の本宮に押し入る仕事だ。王都がこの地に設けられて以来、一度も破られたことがないという宝物庫があるという。

「それ、難しいんじゃないの?」

 プリムラが単純に尋ねた。

「以前、巫子見習いをしていた奴が、竜王宮内部の地図を書いている。出入りの商人から、警備の状況も買えるらしい。どうにも乗ってくる奴がいなくて情報屋は焦ってるし、上手く買い叩けそうだ」

 ふぅん、と少女が気のないように呟いた。

「不安なら、お前は待っててもいいんだぞ」

 彼女を伴っての仕事は、まだ小さなものしか始めていない。荷が重過ぎるかもしれないのだ。

 が、プリムラはきっぱりと返した。

「クセロがやりたいなら、つきあうよ。クセロは、あたしのやりたいことに邪魔をしないし、笑いもしなかったもの」

 プリムラのやりたいこととは、死に別れた両親のルーツを探ることだ。ロマに拾われた時に身につけていたという、貴族の紋章が入った布切れを、今でも大事に持っている。それがどの貴族のものか、ぐらいは簡単に判るだろう。だが、その貴族が何年も前に雇っていただけの人間のことを調べるのは、酷く困難だ。特に伝手も何もない、貧困層の住人にとっては。

「別に邪魔するのも笑うのも、おれの筋合いじゃないってだけだろ」

 戸惑って答える。正直、特に手伝うつもりもないが、プリムラもそれを望んでいる風ではない。

「いいよいいよ。クセロはちょっと抜けてるところがあるからね」

「仕事で抜けたとこなんてねぇよ」

 生意気な口を叩く少女に、憮然として返す。それはつまり、日常生活では抜けている、と認めていることに気づいて、舌打ちした。




 決行は、新月の夜にした。

 必要な情報は全て頭に入れている。錠前破りの道具を身につけ、街路を抜けた。できる限り松明が灯されていない道を選ぶ。

 竜王宮の周囲には、高さ五メートルはある石壁が巡らされている。しかも、その上部には先が尖った鉄製の棒が林立していた。

 ロープを二つ折りにし、その折り返し点に錘を取りつける。幾度か投げかけて、ロープが棒に引っかかった。

 錘が石壁に当たり、小さな音を立てる。息を殺して、数分様子を伺った。近くに警備の兵士はいなかったらしく、誰何されることもない。

 手早くロープの片端をプリムラの身体に結びつける。そして、慎重にもう一方の端を引いた。ゆっくりと、少女の身体が宙に浮いていく。

 塀の上端に手がかかると、身軽にプリムラはその上によじ登った。鉄の棒は、大人が通るだけの隙間はないが、子供ならばぎりぎり可能だ。

 ロープを利用して、反対側の壁もするすると降りていく。やがて二度引かれた後、感触が消えた。少女が自分の身体から解いたのだ。素早くロープを回収する。

 そのまま、壁に沿って十数メートル進んだ。商人が竜王宮に入るための小さな鉄の扉がある。夜間に商人は訪ねてこないし、ここは鍵をかけただけで殆ど見回りにはこない。

 扉の内側で、小さく金属音がした。情報では、閂に南京錠を取りつけただけだということだ。外から開けることはできないが、内側からならば容易い。プリムラも、単純な構造の鍵なら開けることができるようになっている。

 待つ間、慎重に周囲の気配を探り続ける。

 風はない。石畳を温めていた昼間の熱は、今は心地よい温度で空気に溶けている。そして、何よりも、暗闇だ。

 クセロは自分の、明るい、色の濃い金髪を厭っていた。勿論、常に短く刈りこんでいるし、仕事中は外にこぼれ出さないように布で蔽っているが、それでも、光が反射すると酷く目立つ。

 どうしてもっと地味な、黒や茶色の髪に生まれなかったのかと、時折親を恨んだりしている。

 そのうちに、小さく蝶番を軋ませながら、扉が開いた。するり、と中に忍び入る。

 頭の中の地図に倣って、そっと二人は足を進めた。


 深夜ということもあり、竜王宮内部には殆ど人の気配がない。

 プリムラを連れて、建物内部へと足を進める。

 宝物庫が地下にある、という情報を疑ったりはしなかった。火事などにも耐えやすいし、盗みにも入られにくい。

 宝物庫の扉が鋼鉄製だということも、不審には思わなかった。

 念のために、プリムラを階段下の小部屋へ隠す。もしも自分が戻ってこなければ、明日、礼拝のために門が開くまで隠れて逃げろ、と言い含めて。

 そして、クセロは、その扉を開いた。


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