13
竜王兵が準備が整ったと呼びに来たところで甲板へと移動する。
そこには、以前に比べて多くの見物人がいた。近くに停泊している風竜王宮の船も似たような状態だ。
「よぅ」
クセロが片手を上げて近づいてきた。
「何かあったのか?」
周囲に視線を走らせながら訊いてみる。
「何かあるんじゃないか、と思ってるらしいぜ。一昨日、姫さんが倒れただろ」
軽く返ってきた答えに、ペルルが頬を赤らめて俯いた。
「すみません。その、ご心配をおかけして」
「貴女は悪くありませんよ」
アルマが告げるが、ペルルは肩を落したままだ。
「気にするな。一時間もしないうちに飽きるだろう」
グランが簡単に告げて、舟へと近づく。その傍で立ち止まり、彼方を指した。
「向こうに補給船が停泊しているのが見えるな? ここから向こうまでが、約二キロだ。ペルルにはここから向こうへ向けて泳ぎ、また戻ってくるという風に進んで貰う。そうして、徐々に東へと移動していけば、二キロの幅で捜索ができることになる」
それを、ほぼ百キロ四方で行わなくてはならないのだ。
「……無理だろそれ」
クセロがぽつりと呟いた。
「無闇なことを口にするな。何とでもなる。ペルル、常に体調には気をつけていてくれ。ほんの少しでも変だと思ったら、無理をせずに舟で休憩を取るように。貴女がどこかで沈んでしまっても、我々には救い出すことができない」
真面目な顔で、ペルルが頷いた。
何度も目にした通りに、慣れた仕草でペルルが湖に入っていく。
だが、今までよりも目標地点が近いこと、ペルルが発った地点よりも戻ってくる地点が移動していることで、意外と舟の上は忙しい。竜王兵とアルマは櫂を漕ぎ、舟を東へと移動させる。
グランが言った通り、船の上の見物人はそのうち数を散らせていった。仕事もあるのだろう。
その中で、クセロはじっと甲板からこちらを見つめていた。数日間部屋に篭っていた後で、外の空気に触れたいというところか。どう見ても、彼は内向的なタイプではない。
まあ、本当は、地竜王が発見できるかどうかを気にしているのだろうが。
その日は、夕方まで時間が少なかったこともあり、さほどの距離を稼げずに終わった。
「予想よりも時間がかかりそうだね」
その夜、グランを訪ねてきたオーリが、ずばりと感想を告げた。
「予測はできていた。当たっては欲しくなかったが」
会議室には二人だけだ。グランは、珍しく人目を憚ることなく、思ったところを口にしたようだった。
「まさか見つかるまで続ける訳じゃないんだろう? ざっくり試算したら、今のやり方だとこの百キロ四方を捜索するのにざっと二年以上はかかるよ」
じろり、と幼い巫子が相手を睨め上げる。が、相手は気にした風でもない。
「確かに、そこまで時間は取っていられないな。改善案があるのなら、何でも聞くぞ」
「そうだな。ペルルはどうしても潜らないといけないのか? 水上からでも地竜王の気配は掴めるかもしれない」
いきなり根本的なところに疑問を呈されて、グランが数度瞬いた。十数秒待っても返答がないところで、オーリが眉を寄せる。
「……考えてなかったのか?」
「まさか、そんな訳はない。ただ、オリヴィニス、お前は他の竜王を感知するのに、一体どれほどの近さまで近づかなければならないか、知っているか?」
「カタラクタやイグニシアで、竜王が顕現された場に居合わせたことがないんだよ」
無理を言うな、と青年が返す。
「僕も、他の竜王が顕現されたのに居合わせたのは、先日の風竜王が初めてだ。砦内では、流石に竜王の存在感は強かったし、それは砦の周辺でも変わらなかった。解放された直後でもあったしな。だが、地竜王が眠りについている状況が、それと同様である筈がない。……正直なところ、すぐ傍を通っていてもペルルには判らない可能性だって、ある」
グランにも徒労感が増しているのか、滅多にないような弱音を漏らした。
「自然の中に竜王を感じる程度のことすら、ないのかもしれないのか」
普通の人間は、それすらもままならないのだが。
諦めた方がいいかもしれない。ちらりとそんな考えが過るが、無理やりにそれを捩じ伏せる。
そう、ほんの二ヶ月前までは、風竜王を解放することすら不可能だと思っていたではないか。
「まあ、だから見落とさないように、しっかり探そうと思うのは判るよ。でも、逆に、水上にいても判るという可能性だってあるんだ。帆船であれば、泳ぐよりも遥かに早く進める。風次第だけど、二時間もあれば、百キロは進めるんじゃないか?」
「平底船だぞ。それほど早くない」
グランが生真面目に訂正してくる。
「それでもまあ、三時間だとみて、一日に四往復はできるだろう」
「待て、何時間進むつもりだ」
呆れて口を挟むが、オーリは間違えたという表情ではない。
「巫子は三人いる。水上から探すのであれば、ペルル一人に任せる必要はない」
「しかし、夜間の航行は危険だ」
「港から百キロは離れているんだよ? こんなところ、浅瀬も暗礁もないだろうし、他に航行する船もない。幸い、今、私たちには四艘の船がある。東西でも南北でも、間に百キロの距離を開けた状態で二艘の船を配置して、一艘でその間を往復すればいい。君が、ペルルに示した方法だ。残りの一艘を、出発点から百キロの幅を取ったところに配置しておけば、最終地点も判りやすい。夜になったら、互いの船に火を灯すようにしておけば、灯台ほどではないけど目印にはなるだろう。アルマの創る光の方が強いんだけど、あれを甲板に設置して、船が動き出したら光はついてきてくれるのかな」
むしろその場に残りそうな気がする、とオーリは首を捻った。
グランの表情は険しい。
それを真っ直ぐに見据えて、続けて言葉を紡ぐ。
「多分、百キロ四方を船で動いても、いいところ数日かかる程度だろう。勿論、こんなやり方じゃ地竜王を見つけられないかもしれない。でも、数日を棒に振るのと、二年以上を棒に振るのと、どっちがまだましだと思う? 私なら、先にざっと全体を眺めてみるね」
グランが決断を口にするのは、更に数分の沈黙が過ぎてからだった。
「方針を変える?」
翌朝呼び出された若者たちは、突然そう告げられて驚愕した。
「ああ。検討してみたが、やはり効率が悪すぎる」
椅子に座り、腕を組み、尊大な態度でグランが言う。いつにもまして、機嫌が悪そうだ。
しかし、それでも彼は昨夜オーリと話し合って決めた内容を説明し始めた。
「疑問点、改善案があるなら何でも言ってくれ」
そう促されたところで、顔を見合わせる。
「もしもこの方法で地竜王が見つからなかったら?」
アルマが声を上げた。
「また、昨日の方法に戻ることになるな。許可証が示した範囲の端からではなく、中央から試してみようかとは思っているが。あまり長期間に渡りそうなら、切り上げて他の手段にかかろう」
「他の手段、ですか?」
ペルルが不思議そうに訊いた。
「地竜王が不在でも、三竜王が健在だということに賭けるよりない。一万年前には、一柱で龍神を封印まで追いこんだのだから、勝算は充分ある」
だが、グランの表情は晴れていない。
壁際に立っていたクセロが、微妙な顔をした。
「三人交代でっていうけど、どう分けるんだ?」
アルマが更に尋ねる。
「おそらくはできるだけ外にいた方が判りやすいから、僕らは甲板にいることになるだろう。オリヴィニスが深夜から朝までを担当してくれる。それから夕方までをペルル、夕方から深夜になるまでが僕だ。勿論、休息をとっていない時は僕らも気を配ってはいるが」
明らかに、まだ暖かい時間帯をペルルに譲っている。アルマは僅かにほっとした。
「他には?」
グランがぐるりと面々を見渡した。数秒おいて、ひょい、とクセロが片手を軽く上げる。
「あんたはいいのか、オーリ? 部下に歌を教えないといけないんだろ?」
問いかけられて、青年は軽く苦笑した。
「今までかなりみっちり教えこんできたからね。ここ数日ぐらいは自習して貰うよ。彼らもちょっとはほっとするだろう。……まあ、次に合流したときに成果は見せてもらうけど」
その答えに、ふぅん、とだけ呟いた。
クセロの真意がよく量れない。
自分でも、判っていないのかもしれないが。
「もう、ないか? ……ならば、そろそろ始めよう」
と言っても、すぐに動き始められる訳ではない。
まずは、四艘の船の船長全員と話をする必要があった。ペルノとは違い、ここは港ではないから、互いに相手の船に乗りこまなくてはならない。
オーリがグランを抱えて移動しようか、と提案したが、即座に却下される。何度も話を繰り返したくないとの理由だったが。
そこで、他の船との間を巡り、向こうの船長へ来て貰うことになった。
彼ら船長に命令を下すのは、グランだけではなくオーリも必要だ。高位の巫女、という立場上、ペルルも同席した。
暇になったアルマが、ふらりと甲板へ足を向けた。出入り口に近い場所に、小ぶりの天幕が建てられつつある。今後、巫子たちがここで、地竜王を捜すのだ。
少し離れた場所で、クセロもそれを眺めていた。無言で彼の傍に近づく。
「……いつも、こんな風なのか?」
やがて、男がぽつりと言葉を零した。
「何がだ?」
「なんていうか、自分が関わることなのに、自分を放っておいて事態が進んでいくことだよ」
憮然としたまま、クセロが続ける。
「そんなことはよくあることだよ、クセロ。しょっちゅうだ。慣れるしかないな」
「上流階級ってのは、これだから嫌になるぜ」
アルマの返答に毒づく。
「お前の環境では、そんなことないのか?」
ちょっと不思議に思って問いかけた。
「……いや。大抵の奴は、誰かに勝手に人生を決められてる。親だとか、仕事先だとかな。おれは十三の時に親が死んで、それから自分のことは自分で決めてきた。そりゃ、親方の下で親方の言う通りに仕事もしたが、それだっておれが決めたことだ。大将の命令も聞いてはいるが、元はと言えばおれがへまをやったせいで、その責任を負っただけだ。……けど、これは、ちょっと責任の範囲を超えてねぇか?」
船縁にもたれ、空を見上げて呟く。
「君が他の竜王に信仰を持たなかったのは、きっと地竜王に仕えるためだったんじゃないか? ……なんて、ノウマードなら言いそうだよな」
この場にいない青年の口調を真似て、アルマがおどける。
「あー、言う言う」
くつくつとクセロが笑った。
「お前の気持ちは判るよ。俺だって、大公家に生まれてよかったなんて、殆ど思ったことはない。その大半が、俺が自分で選べない理由だった。魔王の裔になんて生まれたくなかったし、こんな角なんて欲しくなかった。魔術が使えてよかったとはまあ思うけど、でもこの立場に生まれなければそもそもそんなものを使う必要もないんだ。自分で何でも選択できる立場だったらいいのにとは思ってたけど、でも、それはそれで色々ときついんだろう?」
「そうだなぁ。覚悟は要るな。……いや、諦めか」
「諦め?」
思いもしなかった返事に、問い返す。
「自分で選んだことだから、どんな結果が出てもまあ仕方がねぇだろ、っていう、諦めだよ。それで下手を打っても、一応最後まで足掻くけどな。……そうだな。おれは、諦めきれてねぇんだろうな。大将に押しつけられた、この状況に」
青空を見上げながら、ぼそり、と呟いた。
「諦めきれない、か。……後悔、しそうなんだな」
「ああ」
そう告げたきり、金髪の男は固く口を引き結んだ。
船長たちとの会議は、思ったよりも長引いた。
四艘の船の内訳は、火竜王宮と風竜王宮それぞれ二艘ずつである。まあ厳密には風竜王宮でもないのだが。
それぞれの立場と面子が、会議を遅らせることはままある。アルマは、行軍中によくその状況を目にしていた。
それでも最終的には司令官の思う通りに運ぶのも同じだ。
大人というのは、つくづく時間を無駄にする、とアルマは時折思う。
ともあれ船長たちがそれぞれの船に戻り、そして配置につくべく動き出した。
高位の巫子たちは甲板に姿を見せ、しっかりと建てられた天幕に近づいた。日差しや風雨を遮る天蓋は厚く、中には椅子が二脚据えられている。ここに固定はできないが、荒れた天候でも倒れないようにか、それはどっしりと重かった。
「どうぞ、ペルル」
促されて、ペルルは椅子に腰掛けた。隣に、グランが座る。
「ご不自由はございませんか」
ドゥクスが入口から問いかけた。
「大丈夫だ。始めてくれ」
グランの言葉に頷いて、彼は操舵室へと戻っていった。
ふらりとオーリがアルマとクセロに近づく。
「全員いるのか?」
「最初だからね。まあ、私は陽が沈んだらちょっと仮眠に入るけど」
軽い口調とは裏腹に、彼は鋭い視線を湖面に走らせる。
頭上で、風にはためく騒がしい音と共に帆が張られる。がらがらと錨が引き上げられ、船は波を切って進み始めた。




