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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
地の章

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08

 翌日を、アルマは甲板で過ごした。

 ぼんやりと頭上を見上げる。帆が、風を受けて大きく膨らんでいた。

 昨日まではさほど風もない穏やかな天候だったのに、今日は適度な風がいい方向から吹いている。アルマは、風竜王とその高位の巫子の関与を疑ったが、問い質す機会はなかった。

 そのオーリが、風竜王宮の船へ乗りこんでいるからだ。どうやら彼は、空いている時間を全て、古歌の伝授に使っているようだった。停泊しているときならともかく、帆走している時は船同士はあまり近くにいられないので、歌を聴くこともできない。

 ペルルは疲れが出てしまったのか、部屋で休んでいる。ここ数日、色々と彼女に頼ってしまったのだから、無理はない。当たり前だが、プリムラは彼女につきっきりだ。

 仕方なく、彼は甲板で通り過ぎていく湖岸線を眺めたり、暇そうな竜王兵と話したりして時間を潰していた。

 四日が経ち、彼らもアルマの急激に伸びた角にも慣れたようだ。竜王兵が発つ前の、王都の様子などを話してくれていた。


 そんな訳で、グランがその扉の前に立ったときに、邪魔する者は誰一人いなかった。


 ノックをしても、返事がない。

 部屋の主が在室であることは確認済みだ。グランは鍵を差しこみ、あっさりと扉を開いた。

 部屋の中は、酒精と()えた汗の臭いが満ちていた。僅かに鼻の頭に皺を寄せ、グランは中へ一歩入り、鍵を閉める。

「……何の用すか、大将」

 寝台の上、シーツがぐしゃぐしゃに盛り上がっている中から、ゆらり、と腕が一本持ち上がり、ふらふらと揺れてからまた落ちた。

「まだ酔っているのか」

 床の上で、船の揺れに合わせてごろごろと動くワインの壜を避けて進み、とりあえずグランは椅子に腰を下ろした。

「あの程度の酒、二日目にはもうなくなってたよ。もう少し強いのを積むべきだ。ラムとか」

「竜王宮の船を何だと思っている。そもそも、ここは海じゃない。水がなくなれば汲めばいいだけだ」

 憮然として返すと、喉の奥で小さく笑う声がした。が、それもふいにぷつんと途切れる。

「納得していないんだな」

「おれが納得することが、大将にとって何か意味があるんすか?」

「お前は最近、オリヴィニスと一緒にいすぎたな」

 溜め息を漏らしながら、告げる。

 話さねばならないことは、整理してきたつもりだった。しかし、珍しいことに言葉が上手く出てこない。

「……正直、お前が地竜王の巫子になる確率は、さほど高くない。巫子はただ、竜王の意思によって選ばれる。僕は……」

「確率とか、どうでもいいんすよ。おれは学がないし、そんなこと聞いても頭を痛めるだけだ。『選ばれるかもしれない』。それ以外に、おれに関わりがある言葉はない」

 ぎぃぎぃと、船が軋む。

「……歌が、聞こえてたんだ」

「歌?」

 予想もしなかった言葉に、訊き返す。

「窓の外から。地竜王と龍神の歌」

「ああ」

 昨日まで、風竜王宮の船はこちらのすぐ傍に停泊していた。オーリが教えていた歌が聞こえてきていたのだろう。

「あんな、竜王なのか? 勇猛で、怖じず、怯まず、諦めず、龍神を封じるために自分が消えそうになるまで闘ったとか」

「そう、伝えられてはいるな」

 言葉を選んだつもりだが、クセロは長く息を吐き出した。肺の中が空になるまで、長く。

「……おれには、無理だ。勇猛でもない、臆病で、諦めが早くて、真摯でもなく苛烈でもなく慈愛に満ちてもいない。なあ、大将。なんで、おれなんだ? 他に幾らでも、できた人間はいるだろう」

「そんなもの、竜王の御前では屑だ。勇猛さやしぶとさ、真摯さや苛烈さや慈愛深さなど、何の意味もない」

 蔑むように、幼い巫子は告げる。ぎり、と奥歯を噛みしめて、クセロは勢いよく上体を起こした。

「じゃあ、なんでおれなんだ! 身寄りがないからか? 家名を棄てたからか? おれの命をその手に握っているからか!」

 片手を胸に当て、叫ぶ。

 グランは、息を荒げる相手を、真っ直ぐに見つめた。

「お前が、あれを目にしても悲鳴一つあげなかったからだ」


「……大将」

 先ほどの勢いが削がれたように、クセロが小さく呟いた。

「お前が臆病だなんて、僕は思ったことはない。あの時、お前は、これが一体幾らぐらいで売れるのかと平然と尋ねてきたじゃないか。竜王兵二人に組み敷かれた状況で。……これでも、お前には感謝している」

 静かに告げるグランに、クセロは俯いた。

「……臆病だよ。おれは。怖くて仕方がないんだ。酒が切れちまってるから、もう、腕の震えが止まらない。おれには無理だよ。大将……」

 じっと見つめていた掌で、顔を覆う。グランは立ち上がり、男の傍へと寄った。幼い子供に対するように、その頭を抱き寄せる。

「お前以外に、任せられる者はいない。すまないな。僕を、幾らでも恨めばいい」

 金色の髪が、力なく揺れた。拒絶するように。





 夕方近くになって、カロの港が近づいた。

 先行していた風竜王宮の船が泊まり、甲板で旗が大きく振られる。

「何て言ってるんだ?」

 アルマが、近くで目を凝らしている竜王兵に尋ねる。

「フルトゥナの手旗は、習得しておりませんので、どうにも。記録を探せばあるとは思いますが」

 まあ、三百年前から、覚える必要はなくなっていた。仕方がない。

 とりあえず、声が届く辺りまで慎重に近づくことにした。

「アルマ!」

 向こうの甲板から、声が飛ぶ。オーリだ。

「どうした?」

 身を乗り出して、返す。

「話はそっちに行ってからするよ。場所を空けてくれ」

「場所、って、お前」

 慌てて振り返り、集まりつつあった竜王兵に手を振る。ざわめきながら、甲板の中央が大きく空いた。

 オーリは船縁に足をかけると、全く気負う様子もなく、とん、と蹴った。近いとはいえ、十メートル近く開いている距離を、軽く跳ぶ。

 覚悟していた衝撃は、なかった。大股で一歩踏みこんだだけのように、オーリは平然と火竜王宮の船に乗り移っていた。

 振り返ると、向こうの船も、踏み切った衝撃で揺れている、などということはない。

「うわあ……」

 改めて、竜王の加護を見せつけられて、呻く。

「どうかした?」

 何に驚いているか判らないのか、オーリは首を傾げた。

「何でもねぇよ。話って?」

「ああ、ええと、船長はドゥクスだっけ?」

「はい」

 周囲でどよめいていた竜王兵の中から、ドゥクスが前に出てきた。

 頷いて、オーリが視線を陸地へ向ける。

「カロは、アウィスに比べて小さな街だ。この規模の船がつけることができる桟橋は、一つしかない。私たちの船は、今夜は沖に停泊することにした。私とアルマは明るいうちに一度上陸したいから、船をつけてくれないか」

 うやうやしく、竜王兵隊長は頭を下げる。グランがオーリを正式に巫子として接しているせいか、彼は当初から相手を軽く扱ったりはしていない。

「上陸するのか?」

 意図が判らなくて、尋ねる。

「今日のうちに、執政所を調べて、灯りを残しておこうと思って。君は、明日の朝からペルル様についていないといけないだろう」

 ペルルは、明日にはまたこの周辺に潜ることになっている。

 前回潜った時のことを思い返して、アルマは小さく呻いた。

「どうかしたのか?」

「いや。……細かく考えているんだな」

 さり気なく、視線を近づいてくる陸地へ向ける。

「誰かが気を配らないといけないことだよ」

 オーリが軽く肩を竦めた。


 桟橋に近づくと、またもオーリは甲板からひらりと飛び降りた。

「ぐずぐずしないでくれよ」

 振り返って、アルマに促す。

「お前な。自分にできることだからって、簡単に人に要求するなよ」

 呆れて、少年は返した。

「君だって私と同じことぐらいできるはずだけど」

「できねぇよ!」

 先日、オーリとやりあった際に、アルマは相手を圧倒していた。しかしその時の記憶がない彼は、反射的に怒鳴り返す。

 尤も、跳躍力だけは同等以上でも、足場に加わる力に竜王の加護を得られない分、衝撃は激しくなる。

 彼が飛び降りては、ただでさえ破損が著しい桟橋が崩壊しかねない。

 そんなことには思い至らず、オーリはアルマが渡し板で降りてくるのを辛抱強く待った。

 夕暮れの近い街路を、歩き出す。

 確かに、カロは小さな街だった。数分も進まずに、執政所へ辿りつく。

 その建物自体が、アウィスに比べれば酷く小さい。書類が保管されていたのは、二部屋だ。

「明日いっぱいには終わりそうだな」

「ああ。収穫がなさそうでもある」

 アルマの言葉に、皮肉げにオーリが返した。

「そういうことを言うなよ」

「言わないよ。君たち以外の前では」

 陽は、かなり沈んでしまっていた。藍色の空が覆う街路に戻りながら、オーリは軽く返す。

 そして、数歩歩き出したところで、青年の膝が崩れた。


「おい……!」

 慌てて手を出すが、間に合わない。

 がん、という、明らかに石畳に膝をしたたか打ちつけた音が響く。

「……っ」

 街路に蹲り、数秒間、オーリは苦痛に耐えた。

「だ……、大丈夫か?」

「大丈夫。ちょっと、ぼんやりしてたんだよ」

 恐々尋ねたアルマに、苦笑しながらオーリは返す。痛みはすぐに引いたのだろう、身軽に立ち上がり、膝の辺りの土埃をはたいた。

「悪いね。行こうか」

 きまり悪げに、前を向く。その目が、焦点が合わないように数度瞬かれた。

「……お前、大丈夫なのか?」

「大丈夫だったら。心配性なのは、他の相手にとっておくべきだよ」

 あっさりといなして歩き出そうとするが、その肩をアルマはがっちりと掴んだ。迷惑そうに見返してくるその表情が、やはりいつもと微妙に違う。

 やがて諦めたか、オーリが口を開いた。

「大したことじゃない。このところ、あまり眠ってないだけだ」

 その返事に、首を傾げる。

 彼らだけで旅をしている間は、男たちが交代で見張りをしていたから、睡眠不足はいつものことだった。馬に乗りながらうたたねするということも時々あったぐらいだ。

 しかし、今は船に乗っていて、部下たちが周囲を警戒している。

 事実、アルマもここしばらくはしっかり眠れるようになっていたのだが。

「夕方から朝まで、古歌を教えているからね。彼らは昼間に寝られるから、大丈夫だと思うんだけど」

 そしてこの高位の巫子は、昼間は地竜王を捜すために動いている。確かに、これでは身体が保たないだろう。

「今日はちょっと寝ておけよ」

 アルマの言葉に、オーリは頭を振る。途端にぐらりと身体が傾ぎかけた。

「……私たちには、時間がないんだ。親衛隊が一緒にいられるのは、長くてもイグニシアとの国境に着くまでだ。その前に地竜王が見つかったら、おそらく別れなくちゃいけない。それまでにきちんと教えておかないと、ロマを使った策は意味がなくなる」

 小さく吐息を漏らして、青年は背筋を伸ばした。これ以上譲歩するつもりはない、と態度で示して、波止場へと歩いていく。

 オーリが自覚しているのかどうか、彼は時々、『私たち』という表現にアルマたち以外を含めるようになってきた。それは喜ばしいことなのだろうが、なんというか、少し、複雑ではあった。




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